7.楓
好きで地味に装っているわけじゃない。
SNSのおすすめ欄をひらくと出てくるのは、人形のように可愛い女の子たちの顔ばかり。
はじめは腫れぼったかった一重まぶたが、若いのにぼろぼろの肌が、メイクひとつで生まれ変わる様子は圧巻で。きゅんと立ち上がったまつ毛。まぶたにきらめくラメ。うるちゅるのピンク色のくちびる。
できることなら私だってそうやって変身したかった。
自分でもわかっている。流行りの洋服に身を包んでいるのに、髪の毛も顔も素のままで、そこだけが妙に浮いていることを。
けれどもこの装いは、当主命令なのである。
水守家は女系相続だ。
当主は母。
そもそも「当主」なんて考え方が古いと知ったのは村以外にも世界が広がった、中学生になってからのことだ。
だだっ広い田園地帯の真ん中に、ぽつんとある集落。そこが私の生まれた場所。
どうやらわが家は変わっているらしいと思いながら、高校生になった。
入学してすぐ、クラスメートと意気投合して「付き合おっか」と言われた。学校帰りに駅ビルに寄り道して、ヘアピンを買ってもらった。透き通ったフルーツモチーフがたくさんついていて、正直普段遣いにはどうよって思ったけどうれしかった。勉強するとき前髪留めるのに使おうって、るんるんで。
そんな日だった。
学校帰りに奥の間に呼ばれたのは。
嫌な予感がした。
母は、世間一般にいう母親らしい人ではなかった。親子のふれあいはなかったし、家事をしている姿も見たことがない。それは女中たちの担当だ。
この家には「女中」がいる。皆いちように狐の面をかぶっていて、個々の識別がむずかしい女たち。彼女らが家のことをすべて行なうのである。参観日や個人面談には母がやってくるが、遠足のような行事では、街の料亭から届けられた仕出し弁当を、女中たちがプラスチックの弁当に詰め替えていた。
奥の間につづく渡り廊下は硝子に囲まれている。
夕闇が降りてくる時刻で、その中には自分の姿が、まるで霊のように半透明になって映り込んでいた。
スカートを少しだけ短くして、ブレザーの代わりにベージュのカーディガンを羽織り、ワイシャツはボタンの一番上を開けて制服を着崩している私。
奥の間からは浮いて見えるだろうなとぼんやり思った。
だからこそ、彼氏にもらったばかりのピンをつけた。急にポップ。ウケる。でも明るくてなんかお守りみたいでいいなって。そう思ってた。
「巫女の家系……?」
そんな漫画みたいな……。思わずそう言いそうになった。でも母の鉄面皮を見て言葉がでなくなった。
腑に落ちるところもあった。幼いころから目に見える異形のものたち。身を護るために教え込まれた呪文や手印。
何より、母は働いている様子がなかったのに、お金に困ったことがない。
むしろ参観日に友だちが母の持ちものを「ブランド品ばっかり」と言ってて不思議なくらいだった。なにか後ろ暗いことをしてるんだろうなと思っていたし、それについて知りたくもなかった。
でも。霊って。
母の頬は、橙色の火に照らされているのに、紙のようにまっ白に見えた。部屋の中からくっきりと、切り取られるみたいに浮かび上がっている。
奥の間は高いところにしか窓がなく、昼間でも薄暗い。月に数回、来客があるのだが、するとこの部屋に通されるのである。
部屋の中には、時代劇に出てきそうな、蝋燭のある昔の灯り……名前はわからないがとにかくそれだけが置かれている。今から怪談話でもはじめるという雰囲気だった。
そしてそれはあながち間違いではなかった。
母からは家業について教えられた。
霊媒師であり、除霊師であり、呪術師でもある。中二病の設定みたいなんて思ったけれど、母の顔はいつになく真剣で。
ドッキリだと言ってほしい。切に願った。でもそのまま話は進められた。髪の毛はきつく編み込むように言われ、化粧は乱暴にぬぐわれた。抵抗したが、華奢な母のどこにそんな力があるのだろうというくらい抑え込まれる。
「母さんだって、おばあちゃんだって、みんながそうしてきたのよ」
母の声にはどこか恨みが籠もっていた。
「だからってさ。私までなんで同じ道を進まなきゃいけないの? ふつうに生きたいんだよ。ただそれだけなのに」
そう口に出すと頬を張られた。母の表情は見えなかった。あまりの勢いに倒れ込み、前髪を留めていたピンが弾け飛んだ。きょう、彼氏になったあの人が買ってくれたもの。そのまま奥の間に閉じ込められた。
蝋燭の火がふっと消える。暗闇のなかを手探りでピンを探そうとした私は、思わず叫んだ。手の甲に血が落ちている。明るいときは視えなかったものが視えるようになった。
目の前にはいくつもの異形。血まみれの幽霊だったり、鬼のようなものだったり、原型を留めないようなどろどろのものだったり。ふと思った。ここは牢獄なのではないかと。祓い屋業で引き取ってきた異形を、ここに封印しているのでは。
それらが私に手を伸ばしてくる。まるで結界が張られているみたいに私に触れることはできないのだけれど、だからといって怖くないわけではない。気を失うように眠りに落ちて、翌日目をさますと、長く伸ばしていた髪の毛がきつく編み込まれていた。
どういう原理なのか外そうとしても取れない。そのまま湯浴みをして、制服に着替える。自分で手を加えたものではなく、真新しいタグのついたものが脱衣所にていねいに畳んで置かれていた。
たぶんあの日、私は──水守楓は死んだ。体じゃない。心の話だ。
教室に入ると、彼氏になったはずのあの人は恨みがましい目で私を射抜いた。話しかけることすらさせてくれなかった。周りにいた友だちもひそひそと陰口を叩いている。母が手を回したのだと思った。どういう方法かはわからないし、知りたくもないけれど。
学校から帰ると霊力を高める修行がはじまる。本当に漫画みたいで、家の裏にある滝に、薄い白の浴衣一枚で打たれてみたり、目をつむって瞑想したりと、意味のわからないことが多かった。
修行を終えると疲れて寝入ってしまい、母に抗議をしようと思ってもできない。狐面の女中たちは学校にまで着いてきて監視するようになったのだが、だれも気づいていない。何度か脱走を試みたこともあった。警察に駆け込んだりもした。けれども霧のなかに消えるみたいに、すべてがうやむやになって、私は気づくと懲罰房のようなあの奥の間で倒れているのだ。
やがて反発することも逃げることもできずに、私は諦めていくこととなった。
そうして、クラスのなかでもちょっと派手だったはずの水守楓は、模範的な優等生みたいな雰囲気になった。見た目が変わるとだんだん性格も変わっていくように思えた。自信がなくて、おどおどしていて……。
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県外の大学に進学できたのは、どうしてだったのだろう。記憶がぽっかりと抜けている時期がある。
気がつくと私はひとり暮らしをしていた。実家とは違う、ワンルーム4畳半の小汚い部屋である。それでもはじめての自分の城を大切に思い、私はパン屋でアルバイトをしながら、部屋を飾るものを一つひとつ集めていた。
橙色に心惹かれる。たくさん使うと部屋のなかがうるさくなってしまうので、ほんの少しだけ。厳選した小物を集めてゆく。
ある日、授業のあと、全員で食事に行こうということになった。声をかけてくれた女子以外、正直だれとも仲がよくなかったが、とりあえずついていった。
「肝試ししようよ」
そう言ったのは誰だったのか。
場所は「首刈峠」に変わった。邪神が村人を虐殺したという曰く付き──というか、本当の心霊スポットである。どうにか嘘を重ねてついていくのを免れた。すっかりぬるくなったドリンクバーのオレンジジュースをこくこくと飲みながら、大学の予習をしようと本を読むことにした。
「なに、読んでるの?」
背後から声をかけられた。
振り返るとそこに立っていたのは、私よりもひと回りくらいは年上であろう男性だった。端正な顔立ちをしているが、どこかやさぐれたような雰囲気で、目の下にはひどい隈がある。
「ひっ」
私は思わず声を上げた。
男の後ろには、鬼としか言いようのないものが憑いている。
目だけを覆うような仮面をつけていて、それ以外の見える部分の顔立ちは端正だ。たおやかな女顔の男に見えるのだが、体は筋骨隆々としており、腕は毛深い。ガチャガチャとした金属製の鎧で体が覆われており、腰には何十本もの剣を佩いている。
なにより目をひくのは、背中。正面から対峙していても存在感を感じる、大きな大きな黒い羽を生やしているのである。まるで烏のような、てらてらと妖しく光る真っ黒な羽……。
母から教わったもの──人と動物の魂を切り貼りしてつくったハリボテの呪詛返し装置に、似ていた。
今思い返すとそれは、AIのようだと思う。あらかじめ決められた命令を組み込んでおき、あとは自動で行動していく、そういうもの──。
男との出会いをきっかけに、羽黒集落にまつわる因縁に巻き込まれていくこととなった。そして。私は道を間違ったのかもしれないと、悔いた。
20年以上もの月日が流れた。
私は40代になった。結婚はしていないし子どももいない。私はこの家系を自分の代で潰すと決めている。
私がしたことは間違っていない。相手は悪霊だった。けれども考えさせられる出来事があって。ずっと迷いながら生きてきた。
ずっとある人物を追っている。贖罪のため、だろうか。いや、自己満足に過ぎない。その日も、年に一度の定期観察のために四国へ飛んだ。
バス停で降りると、幼い子どもが、目的地のほうからぽてぽてと駆けてきた。年の頃は2、3歳だろうか。首周りには撥水性の布エプロンがついており、口もとには赤いミートソースのようなものがついている。
彼女が私の前で立ち止まって動かないので、仕方がなくかがんだ。
「お、お嬢ちゃん、迷子かな……」
この年齢は言葉が通じるのだろうか。子どもと触れ合ったことがないからわからない。
目線の高さが同じになる。視線が絡んだ。少女はじいっと私の目の、奥底を覗き込むようにして身動ぎもせずに立っている。
畏怖を覚えるくらい。
彼女はそうっと私の頭に手をかざした。
「忘れていいのよ」
「え?」
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これまで自分がどうやって生きてきたのか、思い出せない。
高校生のころ──はじめての彼氏ができたあの日から記憶がないのである。鏡を見た私はショックで倒れそうになった。オバサンになっている。しかも、ひどく地味だ。メイクもせずに外を歩くなんて。
どうして。
どうしてどうしてこんなことに。
免許証を見ると、家は東京だ。けれどもここは……徳島? 旅行だろうか。でもこんな地味なねずみ色のスーツで? 仕事?
私はしばらく混乱してあうあう喋っていた。
で。どうにもならなくって、近くのカフェに入った。お財布にはたっぷり、使い切れないくらいのお金が入っていたものだから、頼んでみたかった甘いあまーい、クリームたっぷりのフラペチーノを、特大サイズで頼んでみる。窓側の席を選ぶ。
前には大きな硝子窓しかなくって、少しずつ暮れてゆく街を、そこを歩く人々をぼんやり眺めていた。そしてうまい。甘い。
周りを見ていたら、世界は記憶にあるよりずっと進化している。……ような気がする。
家族のことやこれまでの人生は、ぽっかり記憶から抜け落ちている。
けれども、自分の名前や所属、職場……。それからここ最近のことでも、最近流行りのメイク方法や直近のニュースと言った、自分に関連のないことについては記憶がそのまま残っていた。
今日発売になるコスメのことだってばっちり覚えている。
思い出せないんなら、べつに、よくね?
きっとそれまでのことなんだろうし。
あまーいフラペチーノを飲み干したころには、すっかり外が暗くなっていた。
「ぎゃっ」
私は思わずソファの背もたれに倒れ込んだ。硝子窓に映った自分の顔にショックを受けていた。幽鬼のようだ。年齢を重ねたとしても、なんというか、もっとやりようはあると思うのだ。
思い立ったが吉日。立ち上がった。そしてふらつく。履いたことのないヒールの靴。小指がずきずきと痛い。
食器やトレイを返却場所にもどし外に出る。
まずはこの顔を可愛くするのだ。
新生・水守楓の爆誕である。
私は発売したばかりのリップがほしくって、ドラッグストアに走った。
夜の街は、あちこち灯りがついて宝石箱みたいに綺麗だ。




