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6.羽白

 死んだはずだった。なのに、気づくと円鏡(まるかがみ)の中に閉じ込められていた。

 時おり、おびえた顔の知らない人間たちがやってくる。鏡のまわりに社ができた。ねむっていたら忘れられたみたい。建物はどんどん古びてこわれていった。


 屋根は割れ、空が見えている。そこから差し込んでくる光を受けて、社の一箇所だけに草が生え、桃色の花を咲かせていた。







 すこしずつ空気がゆるんできたある夜のことだった。

 妹のちからを感じた。妹そのものじゃない。あの子とナニかが混ざったような。呪術でだれかを操り、死の淵へおびき寄せているのがわかった。


 同じような魂があちこちにうごめいている。羽黒は呑まれてしまったのだ。──ととさまからずっと言われていたのに。わたしたち姉妹は常人とは異なる。古くからつづく、(まじな)い師の家系なのだと。


 だからこそ、こんな山の中に隠れて住んでいたのに。迫害されないように。利用されないように。そして──。




 誰かを、壊してしまわないように。



 決して怒りに呑まれてはいけない。そうきつく言われていた。





 死の間ぎわ、わたしは自らのこころを縛った。妹は違う。「死にたくない」と叫びながらころされた。だからなのだろうか。純粋な羽黒はもうどこにもいなくなっていた。

 ころした者たちと混ざりあってできた新しく昏い人格のように思えた。






 ちょうど目も醒めたことだ。これ以上妹が罪を重ねないように、あの子を助けてあげよう。







 目を閉じる。ふらふらと操り人形のようにゆっくりと歩を進める少女と、それを止めようとする男が見えた。糸をたぐり寄せるように、若い女の子をこの場所まで引き寄せる。そばにいた男はねむらせた。だれか、近くにいるものに気づかせよう。


 ちからを使うのはひさしぶりだった。






 ああ、しまった。加減をまちがえた。

 強く引きすぎて、彼女が、わたしのねぐら(円鏡)に倒れ込んできた。てのひらが勢いよく落ちてくる。しゃりりと鏡に罅が入る。


 そうしてわたしは、彼女の中に吸い込まれていった。









 記憶がさらさらと流れ込んでくる。


 おや、この子の記憶には、なにやら見覚えのある者がいる。四郎……? でもきっと、ニセモノ。あのとき、わたしたち姉妹を救おうとしたあの人ではない。姿かたちが似ているだけ。まったく違うものだ。


 この子は、あの男に傷つけられたのね。かわいそう。だいじょうぶ。わたしがぜんぶ、忘れさせてあげるわ。

 要らぬ縁など、切ってしまえばいいの。







 あの子の──千景(ちかげ)の中に閉じ込められたわたしは、彼女の生きる道を見てきた。



”器の儀式”をしたわけではないから、わたしは自分の意志で動くことはできない。話しかけても、聞こえているのに違和感を持つことすらなかった。自分の思考として受け入れている。


 淋しい。──でもそれでいい。話せなくても。

 寝たり起きたりをくり返しながら、世界にたゆたうだけ。これまでとあまり変わらない。






 あるとき起きると家族が増えていた。ふくふくした、赤子。出会ったときの影はもう見えず、千景はまばゆいばかりの表情をして、日々を静かに幸せに過ごしている。

 わたしまでなんだかうれしくなった。千景の体に運ばれながら、おそろしく変化してしまった外の世界を楽しんでみたり、子育てをした気分になってみたり。 わたし自身が生きていなくても、それなりに幸せな十年を過ごした。


 ──目の前に、過去の縁が現れるまでは。







 千景の職場に、断ち切ったはずの過去が来た。あれはあのとき、千景を追って山まで着いてきた男だ。すぐにわかった。妹に魅入られている。手遅れだ。けれどもあれはなに。黒い羽の。ととさまが言っていた、禁忌の術じゃないの。


 いったい何人殺めてしまったのかしら。あの子はもう、地獄に堕ちるしかないんだわ。むなしくなった。



《忘れていいのよ──》


 千景にいくら伝えても、だめだった。わたしの古巣(首刈峠)へと、強い決意を持って進んでいく。


《行ってはだめ。やめて。おねがい》


 千景のためじゃなかった。わたしが、見たくない。……堕ちてしまった妹を知りたくない。









 やがて千景と羽黒()が出会ったとき。なけなしのちからを絞って身体を動かした。生者をうつわにしていた羽黒はようやくすべてを思い出した。ニセモノの身体で、自分のことすら忘れて生きてきたのだと思った。


「羽白あねさま」と、ぽろりとこぼれたようなあのときの表情は、ニセモノの身体に入っていても、あの子の本物だった。






 そのまま千景の身体を動かした。あの子の手を引いて、羽黒神社へと連れて行く。


 トンネルには、羽黒が壊したものたちが漂っていた。あの子がひとつ前に入っていたうつわの中身(香村登喜)もいた。羽黒に憑かれていたときの記憶を受け継ぎ、生身では会ったこともない”孫”を心配して近づいてくる。







 やがて光が差した。トンネルを抜けたのだ。

 秘密の入り口を通って、わたしたちは洞窟に入った。それにしても羽黒が祀られている神社は、わたしの場所とは大違いだったわ。洞窟の奥にひっそりと隠された、水晶に飾られたうつくしい社。雑草の一本もない。鏡だって、一滴の曇りもないくらいに磨かれている。


 社の円鏡の中で、幼子が泣き叫んでいるのに気がついた。その前には二人の女。年嵩のほうは憎々しげに羽黒を睨んでいる。もう一人は……誰かしら。


《羽黒、いっしょに行きましょう》


 そう言うと、羽黒は泣いた。ぽろぽろと涙をこぼしながら何度もうなずく。止めようとする年嵩の女に申し訳なさそうな視線を向けたあと、御神体として祀られた鏡を投げ捨てた。










 ぱりん。

 洞窟の静寂を破って、鋭い音が跳ね返った。







 砕けた鏡片が、うす明かりの中でちらりと光をはじいている。







 鏡のなかにいた娘と、羽黒とが、入れ替わったのが、わたしには見えた。


 円鏡は壊れてしまったので、羽黒は弾かれるようにして宙に浮いているだけ。もう、だれも入れ替わることはできない。






《鏡を拾って。お願い》


 千景の手が、わたしの意思で動く。鏡の破片に触れる。

 すうっと引っ張られるような感覚があり、わたしは咄嗟に羽黒の腕を掴んで、鏡の中へもどった。



「2柱が、自ら封印された……? なにが起こっているの」


 千景と似た雰囲気の子が、困惑したように言った。黒いスーツに身を包んだ、化粧っ気のない女性だ。呪術師だわ。そんなにちからは強く無さそう。でも、わたしたちが視えているのね。





《 あなたが、供養して。》


 そう伝えると「ぴゃっ」と間抜けな声がして、彼女は涙目でわたしたちの入った破片を覗き込んだ。


「梓、……梓……!」


 中年の女性が、さっきまで羽黒の入っていた“うつわ”を抱きしめる。その腕の中に彼女の、ほんとうの梓の身体がくったりと沈んだ。

 なにかに抗うように、ゆっくりと梓の瞼が開いていった。ずっと凍っていたものがはじめて解けたように、彼女はぱちぱちとまばたきをした。


「おかあさん……」


 掠れた声がこぼれた。


「梓、もう、ニセモノじゃないのよね……? 梓……」


 その声はしゃがれていて、泣き声なのか笑い声なのか、わからないくらいだった。頬を濡らしながら、母親は娘の名を何度も呼んだ。失っていた時間のすべてを取り戻すように──。

 そして羽黒は、ばつの悪そうな顔でその様子を眺めていた。





《はぐちゃん、あなた、……おとなになっているわ》


 身投げしたときに時が止まったわたしと違い、羽黒はすっと背が伸びた大人の女性になっていた。


《「喜」のないうつわに入ったの。それで、ずっといろいろ忘れていて》


 羽黒は、うまく身体を動かせないらしい女性に目を向けた。”梓”と呼ばれていた。 心を整理しきれていない様子だった。


《そう。生きたのね、あなたは》


空に向かって手を伸ばす。


《《え……?》》


吸い出されるように、外に出た。

どうやら破片は出入り自由みたいだ。





「ひぇえええ」


 呪い師の女が、涙目でこちらを見る。

 わたしは自分よりずっと背の高くなった妹の手を引いて、トンネルの向こうへ歩いた。そこには、妹の罪の証がいくつもいくつも彷徨っている。


《──私が地獄につれていくわ》


 羽黒が震える声で言った。その背中をそっとさする。呑まれているあいだ、この子はいったいどうなっていたのだろう。

 もとは優しい子だった。子どもらしい癇癪や、わがままはあっても、心根のいい子だったのだ。



 ちりちりと胸の奥が焼けるような感覚がある。縛ったはずのこころが暴れ出そうとしている。でも。深く息を吸い込む。火を消すみたいに、こころの中に風を起こすみたいに。


《──わたしもいっしょに行くわ》


 羽黒の目が揺れた。


《──だいじょうぶ。もう、一人にしないから》






「神さまじゃないなら、私にだって成仏させられますよう」


 さっきまで怯えていた女がついてきた。

 ぽん、と小気味いい音を立てて紅のふたを取る。

 化粧っ気のない顔に、真っ赤な紅をさっと引いた。急に目つきがきりりと変わる。そうか、この子の場合は、装わないことが禊になっているのだ。

 祈りの言葉を唱えると、彷徨っていた者たちが一斉に金色の光に包まれる。 上がるもの、堕ちるもの──。









「おかあさん、私、おとなになってるの」


 ついさっきまで羽黒の入っていた女性が、困惑したように自分のてのひらを見つめていた。舌足らずな感じで、ひどく幼げな雰囲気だ。

 わたしは、霊媒師の女に命じて、ふたりについていくことにした。地獄へ行くのは、そのあとに。






 いくつもの電車を乗り継いで、母親と女は家に帰ってきた。窓の外で風景が流れていく。街から山へ、山からまた町へ。陽が傾くにつれて、車内の色も変わっていった。

 家にたどり着いたときには、すっかり薄闇に覆われていた。


 山の合い間にある、古いつくりの家だ。玄関にはぽつんと一つ、卵色の灯りがぶら下がっている。母親が鍵を出そうとカチャカチャ音を鳴らしていたら、奥のほうからたったっと走る音が響いてきて、勢いよく扉が開いた。




「まま、今日は絵本よんで……」


 出てきたのは、女によく似た小さな子どもだった。


「まま……?」


 子どもは困惑した声を上げた。その目は、怯えたように”うつわ”だった女に向けられていたが、不信感に満ちていた。


「ねえ、……ままじゃ、ないよね?」


 そのまま泣きじゃくってしまった子どもを見て、羽黒は「愛莉……」とこぼし、さめざめと涙を落とした。

 何度も触れようとするが、その手が届くことはない。



 愛莉はずっと「ニセモノだ」と叫んでいた。癇癪を起こして、ひっくり返って、大きな目からぽろぽろと涙をこぼしていた。困惑する梓を、母親が庇うようにしている。


「ちがう。この梓が本物なのよ」


 母親の目はひどく冷たかった。そのうちに、愛莉は泣き疲れてねむってしまった。






 台所では、包丁がまな板を叩く音が規則正しく響いている。涙を誘うような玉ねぎの匂いが漂っていたが、やがてバターのにおいで上書きされた。くつくつといい音がする。


「梓が好きな、ドリア。つくってるからね。──おかえり、梓」







《──ドリアなんか、きらいだわ》


 羽黒がぶすっとした顔で言った。


《とくに、ベルラのドリアがね──》


 羽黒のてのひらに、きらりと光るもの()を見た。呪術師の女にばれないようにしなければ。わたしはため息をつく。

 結局、執着を捨てきれなかったのだ、羽黒は。


《──羽黒、それ()はニセモノだわ》


《ニセモノでもいいの》


 羽黒は口をとがらせた。

 集落に落ち延びてきた男たちの中で、あの人、四郎だけが暴挙を止めようとしていた。でもそれは四郎とは魂の色がぜんぜん違うのに。






 食卓の隅にはぱらりと開いた卒業アルバムが置かれていた。梓の顔は幼い。目の前の女性と同じ顔のはずなのに、表情がまったく違うのが不思議だった。

 羽黒のときはもっと勝ち気で、自信家で、ちょっと意地悪そう。


 表紙の隙間に、子どもが描いたらしい猫の絵がはさまっている。紙のはしっこに「あずさ」と書かれている。母親が卒業アルバムを閉じて、絵だけを残し、ゴミ箱に放った。


 呪術師の女が、さっと紅を引いた。


《──わたしたちを”上げる”の?》


 女は答えなかった。神さまは成仏させられないなんて言ってたくせに。嘘つき。

 終わりが底を開けた。


 あの男の魂をにぎったまま、羽黒だけが引きずり込まれていく。その先は地獄だというのに、あの子は泣きながら笑っていた。

 手を伸ばしたけれど届かない。同じ極の磁石を合わせたときみたいに、ばちんと弾かれて、わたしは上へ、上へ運ばれていく。

 抗えないちからで。







《── さよなら、あねさま ──》








 ドリアの湯気が、堕ちてゆく羽黒の泣き顔を、そっと隠した。

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