第23話 予兆の正体
雨は一段と激しくなっていた。あたしの背後にある窓から外の様子を見て胸をなでおろす。悪天候の時は測量に影響が出るなぁ。これから先のことを考えると、ちょっと不安になる。
「止むまでにはもう少しかかるわよ。」
そう言いながら、ナトリカがやたらとニコニコとした表情でこちらにやってきた。両手には筒茶碗を大事そうに持っている。
「お待たせ。特製ドリンク、“春翠”よ!!」
「ありが…えっ!?…こっ…これが…春翠…?」
「そうよ。どうぞ召し上がれ。」
丁寧に差し出された椀の中を見たあたしの笑顔がスッと消えた。お椀に半分ほどの黄色い液体。その中に深い緑の細かいワカメみたいなのが泳いでいる。
「ね、ねぇナトリカ…。この緑色は何なの?」
「この辺りで採れる薬草。すっごい身体に良いって評判なんだから。あたしも毎日飲んでるから、調子良いんだよっ。」
ワカメじゃなかった。
「で、でもなんか黄色く見えるんだけど…?」
「それは蜂蜜。普段は水で飲んでるんだけど、リンちゃんは初めてだから甘い方が飲みやすいと思ってちょっと入れてみたの。あっ蜂蜜もネレイダで採れるのよ。」
「そ、そうなんだ~。蜂蜜も薬草もネレイダ王国の特産品なんだ~。へ~そ~なんだ~。“ちょっと蜂蜜を入れてみた”ってことは、水も入ってるってこと…だよね?」
「そうだよっ!」
「……。ちなみになんだけど…ナトリカは、蜂蜜入りの春翠を飲んだことあるの?」
「ううん。ないよ。」
「…。」
味見してないやつを客に出すなよ。なんで笑顔ではっきり言いきれるんだ。特製ドリンクの正体は、蜂蜜×薬草×水でした…これを“ドリンク”と表現するには無理があるだろ。
春翠って優雅なハーブティーをイメージしてたんだけど…、これ青汁じゃん…。いや、青汁にすらなりきれてない。お湯を沸かしてこしたわけじゃないから、薬草の成分が染み出てるはずもないし、かと言って粉末にした薬草が水に溶けているわけでもない。
さっき薬研でゴリゴリしてたのは草だったのか。それを水に放り込んだだけから、擦り切れてない薬草の破片が漂っていると…。ミキサーみたいな精巧な機械もないし…まぁ、こうなるよね。
さっき大通り沿いで見たファストフードをかき込む客、そして陰った住宅街の住民の冷めた目つき…来客に青汁を出す国柄とは思えない。きっとナトリカがおかしいんだ。薬草が本当にこの国で評判なのかも怪しい。
…そうだ、さっきから感じていた“予兆”の正体はこれだ。
ナトリカには同性のあたしでさえ吸い込まれそうな妖艶さが漂っている。だけど、彼女が纏っているのはそれだけじゃない…。彼女の芯から放たれている負のオーラ…地獄から這い出る傀儡さえ操れるような“無意識の闇”。
最も警戒するべきはこの知らない国じゃない。目の前のナトリカだ。ナトリカが一番危ない。なんでそんなに屈託のない笑顔でいられるんだ。
「ねぇリンちゃん…、どうしたの…?飲まないの…?」
意味ありげにピカッと外が光り、ゴロゴロと雷が鳴る。もう逃げられないと悟った。
「な、何でもないよ…。イタダキマス。」
あたしは操り人形のように目は丸く、無機質に下顎だけをパクパク動かして思っていないことを口にする。
両手でお椀を持つ。片手だと震えてるせいで落としちゃいそう。
決心してお椀を傾けると、重力に抵抗するようにもったりと液体が動く。鼻から蜂蜜の甘い香りを感じた後、それを押しのけて薬草の苦い香りが主張してきたところで一瞬手が止まる。だけどお椀を置いたら最後、一生持ち上げることはできない。
飲んだ後のあたしは無事だろうか…。お椀を傾けながら真面目にそんなことを考える。
いや、そうじゃない。考え方をスイッチしろ、リン。素材には何の罪もない。蜂蜜も薬草も水も単体では優秀なんだ。それを掛け合わせたんだから美味しいに決まってるでしょ。
それを乱す要素があるかってんだ…乱す要素が……えっナトリカ?……。ダメダメダメっ!!やっぱ無理っ!!ナトリカでマイナスになるっ!!…
傾いた液体はもう止められない。勢いよく口に流れ込んでくる。
うおぉぉぉっ………マっっっっっズ。蜂蜜の甘みと薬草の苦みが相性最悪。どっちも調和する気なし。舌触りもダメ。薬草の欠片が口の中で身勝手に暴れて、しつこくしつこくしつこく当たってくる。
こくり…
決心して飲みんでみたけど、今度は薬草の欠片が口の中に取り残される。それを舌でかき集める作業がまた辛い。口の中は渋くなってる上に、液体という液体はとっくに喉を通り越してるから、苦味を流そうとするにはまた春翠を飲まなきゃいけないという凶悪なループ。普段の水をくれ。口の中をクリアにするためにはどうしても普通の水がいる。
一番のマイナスポイントは“常温”ってところ。技術的に仕方ないけど、常温だからこそマズさが強調されてる。冷えてさえいれば誤魔化しながら飲めるかもしれないのに…。これを毎日飲むってすごいな。
「どうっ?どうっ?美味しいでしょっ?」
向かい側に座ってるナトリカは両手で頬杖をついて、初めて手料理をふるまった人みたいに感想を聞いてくる。
「……う、うんっ……!すごく……体に染み渡るね……!」
お椀の半分程の量だったのが不幸中の幸い。ご、ごめん、ナトリカ。あたしにはちょっと合わなそう。
「ご、ごちそうさまでした…。」
…生き延びた。けど口の中から胃まで異物感が残ってる。
「おかわりもあるわよ。」
「お、お構いなく…。今ので凄く喉が潤ったよ。ナトリカが蜂蜜を入れてくれたおかげ。」
「そう?遠慮しなくて良いのに。」
「あ、あの、そろそろこの国のことを聞きたくて…。ほら、ハリボテの国って言ってたよね。」
これは話題を逸らすための口実じゃないよ。この国のことを知りたい。本当に本当だからね。
「そうね…。」
今までとは打って変わって寂しげな笑顔を浮かべたナトリカは、重たそうに口を開いた。




