第18話 あたしは誰かの商売敵
全身の気だるさが全くとれない。朝起きた時、身体にザワっと悪寒がきたから嫌な予感がしてたんだけど、見事に的中してしまった。そりや異世界にも病気はあるよね。
今はガルネさんのベッドの中で、アーチを描く天井を見つめてる。子供の頃、横断歩道の白い線を踏まないように跳ねながら渡ったみたいに、濃淡が違うレンガを目で追ってみる。
横になっているだけだと時間を無駄にしているような気がして仕方ない。それでも迫ってくる営業時間に焦りを感じて身体を起こそうとするけど、どうにもこうにも力が入らず、思うように動けない。
元の世界だと、体調が悪い時にお母さんが学校に連絡してくれたっけ。でも学校って休むって決まった途端に体調が回復していくんだよね。なんでなんだろ。
だけど今は落ち着かない。きっとやり残したことに負い目を感じてるんだろうな。
早くピザを作らなきゃ。早く地図を描かなきゃ。早くやらなきゃ。休んでる暇なんてないのに。
ちゃんと今日を乗り越えられるのか、そもそもベッドから立ち上がれるのか、不安ばかりが先行して辟易する。
―――『君がいなければ…君さえいれば僕はまだやれたんだ!』
あの時、ミオルさんから言われた言葉がまだ頭の中で響いている。振り切ろうとしてがむしゃらに働いてきたのに、いつまでも残って拭き取れやしない。これからもピザを作って地図を描いていけば、対立する人が増えて、いつまでも消化できない言葉が増えていくのかな。
でもあたしの言い方が悪かったし、ミオルさんを誘ったこと自体が配慮に欠けてたよね。今までが上手く行き過ぎたんだ。足をすくわれたわけじゃない。ガルネさんとフレアの心配をよそに出過ぎたあたしが悪かったんだ。
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―――1時間前
「ちょっと店の外を掃除してきます…。」
…最近リンの様子がおかしい。手が空くとぼんやりすることが多くて、何度か話しかけないと返事をしない時がある。口は笑っても目は笑ってないし、口数も少ないし、食欲も減ってる。MAP!の営業中は無理して笑顔を作って、勢い任せにバタバタ動いて、終わると今まで以上にへとへとで、すぐに横になるの。
…私は一つ気にかかってる。リンの様子がおかしくなったのは、パン屋の店主をスカウトしに行った日から。店に帰ってくると、追い込まれたような表情で「すいません、ダメでした。」って謝ったんだよね。私たちに謝る必要がないのに。行く前といでだちが同じなのに、髪がしおれて、目に光がなくなって、背中も小さくなったように見えたんだ。
…店を覗き込んできたおじさんをスカウトするって言った時にはびっくりした。だけどリンは「パン屋の店主だから、その経験がMAP!の力になる」って言うから、ガルネさんと私も、心配しつつ賛成した。だけどあれ以来、スカウトの話は一切してないし、私たちも触れていない。
…これって本当に「ダメ」だっただけなの?日を追うごとに私たちの心配も大きくなってきてる。元のリンに戻ってくれないとつまんないな。
…リンが外に出たのを良いことに、注文カウンターを拭いているガルネさんの隣りにそそくさと寄る。
「…ガルネさん、どう思いますか?」
「ん?どう?…って…リンのことか?」
ガルネさんも気にしてるから、何の話題かピンとくるんだ。
「…はい。あれからずっと元気がないですよね。」
「そうだなぁ…。スカウトが上手くいかなかったことを反省してるのかもしれないけれど…、それにしては引きずり過ぎてる気もするよな。」
「…ですよね。口数も少なくなったし、笑っても寂しそうだし、何よりピザを作ることが苦しそうに見えます…。」
「それはアタシも同意見だ。もしかすると…パン屋の店主に何か言われたのかも。」
「…何か言われたって…悪口ってことですか?」
…ちょっと強い口調で言い返してしまった私を、なだめるようにガルネさんが続けた。
「直接的な悪口ではないとは思う。きっとそれ以上に、まだ若いリンの心に突き刺さるような言葉を言われたんじゃないかな。」
「…突き刺さる言葉…。でも、覗いてきたのはパン屋の方ですよね。」
「確かにそう…なんだが、パン屋の店主にも覗き込む理由があった。つまり、MAP!の影響で悩む人が出てきたってことさ。ほら、ピザとパンってなんか似てるだろ?どっちも小麦粉から作るわけだしさ。それにこっちにはフレアがいてくれて、魔導鋼があって、石窯がある。だけどあっちは薪がないから火を使えない。となると当然品質には雲泥の差が出てしまう、というか別物だよな。この国の現状だと温かい食べ物は貴重だから、お客さんもピザに食いつきやすい。“配達”って革新的なサービスまで備わってるんならなおさら利用するだろうさ。誰かのピザを食べる回数が増えれば、パンを食べる回数が減る。パン屋からすればアタシたちは商売敵ってわけよ。」
…きっとガルネさんも上手くいかないことが多かったんだ…。リンと私と同じ年齢から、ずっと孤独に鍛冶屋を切り盛りしてきたガルネさんだからこそ、パン屋の店主の立場になって考えることができるんだと思う。
「…パン屋さんのお客さんを、MAP!に取られちゃったってことですか?」
「そういうこと。確かにパンを作ってきた経験はMAP!の力にはなるだろうさ。だけど店主からすれば、良い返事ができる気分ではないだろうな。」
…リンは私をスカウトしてくれた。あの時、紹介所でリンが私の能力票を見てくれてなかったら、私を選んでくれてなかったら……想像するだけで怖い。
「…私は…リンの味方です。」
「もちろんアタシもだ。だけどパン屋の店主も、きっと追い詰められていたんだ。リンには店主が歩んできた歴史や経験してきた感情まではわからない。出会い方が違っていれば、また違った結果になっていたかもしれないな。」
…今、私がこうやってガルネさんとあれこれ話せるのは、“追い詰められていない側”になれたからだ。もし私がパン屋の店主と同じ立場だったら…魔術師としてどこへも行けずに追い詰められていたとしたら…魔術を間違った方向に使うことを考えたかもしれない…。
…この考えが浮かんできたことが自分でも恐ろしくなった。はっとわれにかえって、リンの戻りが遅いことに気づく。
「…リンが戻ってこないですね。」
「そう言えばそうだな。いつもならもう少し早い…。」
「…ちょっと見てきます。」
…嫌な予感が脳裏をよぎって、ガルネさんが喋り終わる前にMAP!を飛び出す。勢いよく扉を開けてすぐに周囲をぐるりと見渡すと、いつもお客さんが行列を作っているスペースで倒れているリンを発見した。
「…リン!?リン!!!大丈夫!?」
…その光景を見た瞬間に背筋に冷たいものが走って、扉も閉めずにリンの名前を叫んで駆け寄る。その声に反応して、私が助けを求める前にガルネさんも外に飛び出てきた。
「お、おいリン、大丈夫か!?…熱があるな。急いで2階の部屋に運ぼう。」
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———再び現在
このまま寝ているわけにもいかなくて、深呼吸した後に1、2の3!で思い切って布団から身体を起こす。一気に来る悪寒がひじょーに不快。朝にはなかった節々の痛みまで出てきてる。これから本格的に来るってことだね。でも大丈夫、あたしにはフレアもガルネさんもアルバイトのみんなもいてくれるし、ピザも地図もあるんだもん。
ふらふらとした足取りで階段を降りると、フレアとガルネさんが準備中の手を止めて迎えてくれた。営業するかわからない状況で、営業するつもりで準備を進めてくれていることが、この上なく嬉しい。力強い仲間に囲まれていることに心が温かくなる。
「…リン、起きてきて大丈夫なの!?」
「大丈夫だよ、これくらい。」
「…大丈夫って…。ねぇやっぱり今日は休もう。無理すると明日以降にも影響が出るよ。」
「やれるよ。営業時間になっちゃうし。」
「リン、アタシはフレアに賛成だ。気持ちはわかるけど休もう。お客さんにも説明するから。」
「急に休んじゃうとお客さんに悪いですから。それに…」
―――『君がいなければ…君さえいれば僕はまだやれたんだ!』
「リンのことだ。お客さんを中心に従業員のことも考えくれてるのはわかる。でもリンはMAP!の店長なんだ。上に立つ人間の冷静な判断の積み重ねが、MAP!の価値を高めていくもんだ。」
2人の説得に何も言えずに涙が出そうになる。営業に踏み切るかどうかを天秤にかけてる間にも、楽しみしてくれてるお客さんやMAP!のメンバーの顔が頭を巡る。
悔しいけど、閉店にしようと口を開こうとしたその時、MAP!の扉が静かに開いた。
「開店前に失礼します。リンさんはいますか?」




