プロローグ : 探索者
「――――ッ!!」
爆発。ただそう表現するには、あまりに激烈だった。世界が一瞬、純白に染まる。目の潰れるような光が収まると、そこは最早、別世界の様相を呈していた。
天地を突き抜ける破滅的な極光と、吹きつける大地を焦がす灼熱の風。その中心部分から蜘蛛の巣状に地面がひび割れ、溶岩が吹き上がった。衝撃が大地を駆け、迸る猛火が辺り一面を黒く焦がしていく。
僕は吹き飛ばされないように身を低く屈め、熱された地面に指を強く突き立てる。
「ぐっ!」
激痛と共に、指先が焼ける音がした。それでも尚、風圧で体は押され、指先の肉が削げ、爪も剥がれ取れる。
耐熱用の装備は整えていた。灼熱の業火による攻撃、それは、予想できて然るべき情報だった。情報収集、分析、予想、対策。僕が戦いに挑む前に常に行う、当然の行為。
だが、それらは長い戦いのなかで既に破損してしまっていた。耐久が足りなかった、敵の火力を見誤っていた。
どうしたって予想や対策には限界がある。未知と戦うということは、そういうことだ。
だが、ここで死ぬつもりはない。
僕にはまだ未練が残っている。
「大丈夫ですか!?」
その言葉と共に、眼前に銀色の大盾がつきたてられた。
鉄と呼ぶには輝かしく、そして結晶のように美しい。正しくそれは、彼ら魔物から得られる鉱物で出来たものだ。
「ああ、ありがとう。助かったよ」
僕は置かれた盾に背中を張り付ける。そして懐から丸薬を取り出し、口に放り込んで噛み砕いた。
変化は一瞬だった。半分ほどになってしまった指に骨が生え、肉が付き、皮が形成される。焼け爛れた皮膚が色を取り戻し、まるで逆再生でもするかのように回復する。
「毎回思うんですけど、それ、本当に気持ち悪いですよね」
そんな回復薬見たことないです、と。盾を抑えながら、そう言って彼女が苦い顔をした。
爆風は未だ止んでいない。
素材故にいくら重量があるとはいえ、形状は板のようなものだ。人が飛ぶような風圧を受けている盾を、軽々しく抑えられるのか。
僕は、彼女の評価を上方修正する。
「高価なんだ。一粒で、一等地に屋敷が建つくらいだからね」
「そんなにするんですか!?」
僕は彼女の支える盾からほんの少しだけ顔を出し、状況を確認する。
燃え盛る溶岩の向こうには、この惨状の中で悠々と佇む化け物がいた。
見蕩れるほど黒く艶やかな鱗に、空気さえ切り裂く鋭利な爪。背中から生える翼は、まるで夜を塗ったかのように深い。それは神話で語られる、竜と呼ばれる生物。
僕はずっと待ち望んでいた。彼と相対するこの時を。
炎の中で両翼を広げるその姿は、正しく天上の覇者だった。
胸が張り裂けそうなほどに高鳴っている。
風が吹いていた。全てを薙ぎ倒し灰に変える、灼熱の風が。粉塵が舞っていた。彼の体表で生成される特殊な鉱物は、普段は体を守る装甲の役割を果たす物質だ。それが熱と衝撃で融解し、空中へと飛散した、粉塵。その鉱物は、ある衝撃を与えることで連鎖的に爆発する。
僕らが戦っている竜の名は、閃火。竜種の王。
その名は燃え盛る炎、そして、降り注ぐ雷電に由来する。
いつの間にか、閃火が紫電を纏っていた。
戦場に声が響く。
「構えろ! 爆発するぞ!」
閃火が翼を広げ、咆哮する。
纏っていた紫電が放出され、辺り一面を疾駆する。
「クソッ! なんなんだよ、あいつは!!」
誰かが叫んだ。
前を向け、目を見開け、耳をすませ、肌で感じろ。この破滅を、絶望を、死が目前に迫っている感覚を。思考を止めるな、考えろ、この状況を打破する起死回生の一手を。
紫電によって引火した粉塵が、ほんの僅かな遅延の後に爆発する。
周囲に振り撒かれていた粉塵は、その業火によって内側にいる存在を全方位から灼く。盾などでは到底防げない。対応するには極限まで熱耐性を高めた防具を纏うか、粉塵の範囲外まで退避するしかない。尤も、爆発による損害は熱に依るものだけではないけれど。
こうして戦っている以上、通常の手段では先ず間違いなく範囲外への脱出は無理だ。そして、今の破損した防具ではこの灼熱を防ぐことも不可能に近い。
総てが遅く見えた。
爆発が空間を揺らし景色を歪ませ、衝撃波が奔る。そして、それを追うようにして炎が膨れ上がっていく。
それは音速を超えて膨張し、僕の体へと迫っていた。当たれば必死、だが、力のない僕ではどうすることも出来ない。
だから、僕は目を瞑った。
そして――――重力が消えた。
「きゃああああああああああああ!!!」
甲高い叫び声が響く。全身を痛いくらいに風が叩いていた。手を広げ、体勢が崩れないようにバランスをとる。先程まで僕らが居た場所が、遥か下方に見える。
気が付けば、僕たちは空に転移していた。
唐突に空中に投げ出されたことに、驚きも焦りもない。これは予定されていたことだった。
事前準備に、戦闘計画。僕が生き残るためには、それらは常に必須の事柄だった。
「え? なに、嘘、地面が! どうなってるの!?」
僕は隣で風に揉まれている彼女の手を掴み、引き寄せる。
「常に冷静さを失わないように。そう言っていたはずだよ」
「でもっ! 何がどうなって!?」
彼女を抱きしめる力を少し強め、頭を撫でる。
「落ち着いて。ただ高高度に転移しただけだから」
「転移!? いま転移って言いました? そんな技術、本当にあったんですか!? と言うかこの状況は――むぐっ」
僕は彼女の口を手で塞いだ。全く、酸素が薄いんだから余り喋らせないで欲しい。
遥か下方、先程まで僕らが戦っていた大地を見る。閃火を中心にして、広範囲の地面が円形に抉れていた。先程の爆発、そして僕たちが今まで戦ってきた跡だった。
元は緑豊かな森林だった場所だが、今となっては見る影もない。地形すら破壊し、悉くが灰燼に帰した。それはまるで、神話の戦争のようだ。
いや、神話と呼ぶことすら烏滸がましい。これは未開の世界に挑む、僕ら探索者の物語。
僕は未だ大地に立つ閃火を見つめ、嗤う。
[プロローグ:探索者]
探索者、という職業がある。
それは、世界のありとあらゆる神秘と謎を追求し、未だ知らぬ知識を手に入れんとする者たちのことだ。人の手の及ばない未開地域に赴き、未知を求めて森を海を大地を大空を駆け、未知と相対し、知識を得る。その為ならば容易に命を賭け、己が魂を捧げる。
例えば、七色に輝く湖、燃える氷河、昇る滝、空泳ぐ魚。例えば、見たこともないような動植物に、それらが作り上げる独特な生態系。例えば、既存する総てから逸脱した特異な鉱物に、まるで生きているかの如く脈動する洞窟。例えば、竜の死骸に寄生する宿り木に、雲を突き抜ける巨大な花。例えば、例えば、例えば――――奇跡のようにすら感じる、美しく壮大で幻想的な景色。
神秘という言葉さえ、それらを表現するには生温く、そして余りにも稚拙なものと成り下がる。そんな光景を求めて。
そして、彼ら探索者から齎される知識や素材は往々にして貴重であり、巨万の富を築く事も難しくないとされている。危険であるが故に、齎す総てが有用なものであるが故に。彼らは賞賛され、喝采され、憧憬の念を抱かれる。
そして僕も、彼らに憧れる内の一人だった。
初めて王都に出かけた日のことだ。
辺鄙な田舎から来た僕にとって、王都は目に映る総てが新鮮であり、人が多いというたったそれだけで僕の心を踊らせた。煌びやかな服を纏う人々に、所狭しと歩く彼らが発する喧騒。通りに並び立つ店々に、路上で客寄せをする売り子たち。
まだ幼く、人よりも野生動物の方が遥かに多い場所から来た僕にとって、彼ら人々の群れは、一つの巨大な生命体のようにさえ感じたのだった。
「探索者の凱旋だ!」
誰かがそう言った。
まるで統率されているかのように、先程まで闊歩していた人々が道をあけ、端に寄っていく。流されるままに僕も隅に避け、何が起こるのかと人波が割れた先に目を向けた。
そして、僕は彼らを見た。
竜。それは様々な御伽噺や英雄譚で登場する、伝説の生物だ。どの物語でも最も強い生物として描かれ、時に心強い味方であり、時に絶望を喚ぶ敵となる。それは英雄譚に必要な越えるべき壁であり、物語の核となる幻獣である。物語を読んだ人は皆、その強大で禍々しい姿に畏怖と憧憬を抱くだろう。
それが、伝説上にしか語られない竜という生き物が。けれど死体となり、運ばれていた。
猛々しく生えた角に、小さく開かれた口から覗く攻撃的な牙。触れるだけで手が裂けてしまいそうな鱗に、空気すらも切り裂いてみえる鋭利な爪。圧倒的な破壊衝動をそのまま具現化したような、死んでいて尚、心臓の底から恐怖を抱くその姿。
そして、竜を運ぶ馬車の周りには、満身創痍の探索者たちが居た。片腕が存在せず、雑に包帯が巻かれ、服は血塗れている。腹部にも大きな切創の跡が残り、片腕で松葉杖をついている。傷がない箇所がないくらいに、見るも無残な姿をした、探索者。竜を運ぶ馬車の周りを護衛するかのようにして並んで歩く彼らは、誰一人として無事なものは居らず、全員が全員、何かしらの怪我を負っていた。それも、通常ならば致命傷と呼んでいい程のものを。
皆がその姿に息を飲み、街の喧騒が嘘のように静まり返っていく。道の端に並ぶ人々が、竜という恐ろしい幻獣と探索者の苛烈な様相に目を奪われる。
その中で、僕は見てしまった。
彼らの、悍ましいまでの欲望を。
腕を捥がれ足を失い、腹を裂かれ瞳を抉られ。それでも尚、輝いていた。煌々と、太陽の如く。
彼らは誰一人として、苦しんでなどいなかった。怪我の痛みに呻く訳でも、四肢を失ったことを悲嘆する訳でもなく。ただ、ただそれら総てを喜々として笑っていた。
これこそが探索者の本懐だと、そう言わんばかりの表情。けれど満たされることはなく、瞳に映るのは果てのない未知への欲望。どろりとした強い粘性のあるそれは魂からの渇望であり、たった一度見ただけで、その欲望こそが彼らを探索者たらしめる唯一無二の条件だと理解させられた。
そして僕は、彼らのその深淵の如き瞳に、どうしようもなく魅入ってしまったのだ。
未開地域。
この世界が人類の支配下に置かれるようになって早数千年。歴史上、人類の進行は瞬く間に行われ、今となっては世界の殆ど総てを手に入れたとも言われている。実際、嘗ては未開の地だった他大陸も、今では週に何本も船が行き来しており交易も盛んであるし、その土地固有だった筈の種族も雑然としている。
しかし、そんな時代ですら、人の手が殆ど入っていない場所が存在する。
それが未開地域だ。そして、未開地域と人類の生活圏の境界線を、未開地域前線と呼ぶ。
既存の法則の何もかもが通用しないその場所は、あまりの危険さ故に出入りを制限されており、容易には入れないよう、前線には石塀が立てられている。
梯子等を使用すれば越えられない高さではないが、それは石塀自体が単に危険だという標識のようなものでしかないからだ。出入りの制限も、事前に名前を留めておくことで行方不明や死亡といった生死の判別が楽になるから、という理由でしかない。詰まるところ、勝手に入ろうが公式に入ろうが、その結果どうなろうと総ては自己責任ということだ。
僕は、その未開地域へと公式に立ち入ることが許されている入口の一つ、探索者ギルド本部の大門を見上げた。
漸く、本当に漸くだった。この場所に来れる日を、僕はずっと待ち望んでいた。
様々な思いが駆け巡り、足を止める。
僕は覚悟を新しくすると、装飾のない無骨な扉に手を添えて、ぐっと奥へと押し開いた。
内側から押し寄せる噎せ返るような熱気に、強烈な酒臭さと雑多な料理の匂い。息をすることでさえ喉が詰まるような濃密な空気に、僕は口元を袖で覆う。
鍛え上げられた強靭な肉体を酒で赤らめた巨漢に、傍に立てかけられた身の丈ほどもある大剣。明らかに異質な材質の鎧を纏う剣士に、体格に似合わない巨大な斧槍を背負った少女。
ギルドの中は、見渡す限りそういった戦士ばかりだった。視線の動かし方、歩行の仕方、気配の操作。見るだけでわかる、闘争に長けた技術を持った者たち。
比べて僕はどうだろうか。病弱にも見える青白い肌、あまり筋肉のついていない細い腕。力も能力もなく、たった一つの欲望しかない。あまりにも弱い、紛いもない弱者。
僕とは異なり、彼らのような強き者が栄光を手にするのだろう。
そんな彼らとの比べようもない差異に、僕は思わず目を伏せた。俯いたままそんな彼らの間を抜け、受付へと向かう。
すると、前を塞ぐようにして男が近寄ってきた。
「おい坊主、見ねぇ顔だな」
僕は顔を上げる。
顔に大きな傷を負った、鋭い目をする男だ。纏っているのは使い古され、けれど良く手入れされた装備。背負った大剣は、今までに斬り殺したであろう魔物の臭いが染み付いている。
「ああ、僕は……」
「――――探索者のタグが無ぇな、新規登録に来たのか?」
タグ、とは自身の名前や性別、所属などが記載された所謂ドッグタグというものだ。探索者ギルドが登録時に発行しており、未開地域に立ち入る時に通行証として使える。そして、探索者の死亡率が高いが故に、本来の用途である死体の情報として利用されることも多い。
「はッ。やめとけ、やめとけ!」
彼は僕の外見を見て、そう鼻で笑った。
「お前みたいなひょろひょろしたのが探索者になったところで、あっさり死んじまうのがオチだろうよ」
厳しい意見だ。だが、間違ってはいない。
僕は弱い。剣も槍も弓も陸に使えず、盾を持っても攻撃を防ぎ凌ぐことなど出来はしない。生まれ持った体躯は、どれだけ鍛えても変わることはなかった。
「だから?」
「……ああ''?」
僕は首を振る。
「貴方の言う通り、僕は弱い。どれだけ努力をしようとも、まともに剣すらも振るうことが出来なかった。確かに、こんな僕では未開地域に入っても、直ぐに死んでしまうかもしれない。けれど――」
そう、けれど。
その程度では、自分の命を賭すなどという程度では。
「それは、探索者をやめる理由にはならないよ」
彼はじろじろと、訝しげに僕を見つめてくる。
「未開地域の危険性を理解してねえのか?」
「危険性なんてそんなもの、他の誰よりも理解しているつもりだよ」
一歩間違えば死。
それは、僕にとっては当たり前の事だった。
「そこまで言うってんだ、ただの命知らずって訳じゃないんだろう」
男が深く溜息を吐いた。
「だが、俺も命を捨てるような行為を見逃すってのは、流儀に反するんでな」
そして、背負った大剣を軽く叩く。
「向こうに闘技場がある。少し、手合わせといこうじゃねえか。俺に勝てたら、もう口は出さねえ」
「……それは、面白いね」
だが、どうやら彼と手合わせをするには、時機が悪かったようだ。
「ヴィクトリアさん、こんな所で何やってるんですか!」
僕が彼の後について闘技場へ向かおうとすると、唐突に腕を引かれた。声をかけてきたのは、この探索者ギルドの受付嬢の一人だった。
ルティナ、ルティナ・クラウド。僕が探索者になってから、ずっとお世話になっている人物の一人だ。
「やあ、ルティナ。久し振りだね」
「久し振り、じゃないですよ。ヴィクトリアさんの謹慎期間が明けて、二年振りに戻ってくるって言うから……直ぐに再開の手続きが出来るように、私、朝からずっと待っていたんですよ?」
ルティナは大理石のような美しい瞳を細め、僕を詰る。
「二年も未開地域に入れなくて、禁断症状でも出ているんじゃないかと思っていましたから」
まるで麻薬か何かの中毒者と同じような扱いだ。
「それなのに、こんな所でなに油売っているんですか」
「ごめんね。彼が、僕と手合わせをしたいらしいから、闘技場に向かうところだったんだ」
僕がルティナに紹介しようとして彼の方を向くと、しかし、彼は愕然としたような表情で立ち竦んでいた。
「待て。ヴィクトリア、二年の謹慎? もしかしてお前、あのヴィクトリア・クラウンか!?」
彼が声を荒らげたその瞬間、ギルド中の喧騒が一斉に止んだ。周囲からは、まるで悍ましい悪魔でも見るかのような視線が、僕に向けられていた。
確かに、まだ自己紹介をしていなかった。
僕はその不自然な沈黙の中で、笑う。
「そうだね。間違いなく僕が、ヴィクトリア・クラウンだよ」
僕が探索者になったのは、もう随分と前のことだ。
その頃の探索者とは、未開地域の植生や土地を調査し、生態系を研究する、言わば学者のような者たちが多かった。研究熱心、というよりは良く言えば生き甲斐にしていると表現すべき先輩たちに囲まれ、次第に未知に対して貪欲になっていった。そして数年もしない内には、探索者に馴染み、先輩たちと一緒に未開地域へと足繁く通っていた。
僕たちにとって既知とは乗り越えた証であり、未知とは相応の危険を孕んだ宝石である。そして、探索者に於いて、宝石を得る為ならばあらゆる危険性は度外視される。
だから、探索者ギルドの近くに王獣が出現したあの時も、僕らは自身の欲望に至極忠実に従っていた。結果、未開地域の浅層は荒れ果て、探索者ギルド支部は半壊した。そして僕はその事件の首謀者として槍玉にあげられ、半壊した支部からの追放と、二年間の謹慎処分となった。
「それで、君の名前は?」
「……ガゼル・ロウ、だ」
ガゼルは僕を不躾な目でじろじろと見ている。その瞳の中にあるものは、懐疑と警戒か。
「申し訳ない、ガゼル。横槍が入ってしまって」
僕はそれを認識していながら、気にせず彼に近づき、肩を叩く。そして手近な机に寄りかかり、大仰に腕を広げた。
「漸くだよ、漸く謹慎が解けたんだ。これでまた探索者として未開地域へと赴くことが出来る。謹慎していたとはいえ、これでも僕は当時トップランカーの一人だったんだよ。今の僕がどれだけ通用するか、確認の為にも丁度良い」
ルティナが、深く溜息を吐いた。
「本当に闘技場に行くつもりなんですか? 止めて下さい。また壊すつもりですか」
「ただの手合わせだよ。そんな破壊するような事にはならないよ」
余り約束は出来ないけれど、多分ね。
「そう言って何度闘技場が使えなくなったのか、知っていますか?」
確かに、ルティナの言う通り何度かは壊れたことがあった。けれど。
「でもそれは、僕の所為じゃないよね」
僕にはそんな力なんて、ないのだから。
ルティナが再度、長く息を吐いた。それはもう、半ば諦めの入ったような溜息だった。
「ヴィクトリアさんもギルドの組合員ですから、使用禁止とは言いません。ですが壊れた外壁や床を直すのもタダじゃないんですよ。修理の度に構造を強化している筈なのに、どうしてすぐ壊してしまうんですか……」
「そんなことは僕に言わずに、壊した本人に言いなよ」
「ヴィクトリアさんも無関係ではないでしょう」
ルティナがじと目で僕を見る。
「それに、本人に言おうとしても、あの事件で探索者を引退した人も多いですから」
「それだって、別に僕の所為ではないよ」
そもそも事件だと言うが、あれは僕らの総意でもあった。勿論、実際にやるかどうかは別問題だが、確かに、あの場に居た全員がそう思った筈だ。
だからやった。そこに悔いなどは、存在しない。
「はあ……まあ、もういいです」
再度溜息を吐くと、ルティナはガゼルの方へ顔を向ける。
「ガゼルさん、ギルドでは闘技場でのギルド員同士の試合は禁止していません。普段でしたらこういった口出しはしないのですが……申し訳ありませんが、今回だけは止めて頂けないでしょうか?」
「……そこまで、言うのか」
今まで黙って見ていたガゼルが、低い声で言う。
「別に絶対に戦いたかった訳じゃねえ。止めろと言うなら止める。ただ、わからなかっただけだ」
「何が、わからなかったんだい?」
ガゼルは一歩、僕の方へと踏み込む。
そして、厳つい表情で僕の顔を見下ろした。
「一つ聞かせてくれ。坊主お前、本当にヴィクトリア・クラウンか?」
「そうだけど。何故そう思うんだい?」
「強者ってのは大抵、見りゃあわかる。体格、歩き方、姿勢、視線、分かり易くいくなら身に付けている装備だってそうだ」
強者。一般的な意味では、他者と比較して力が逸脱している者のことだ。筋力や技術、目前の敵を制圧する為の武力が高ければ、それを強者と呼ぶのだろう。
だが、僕にはその能力の殆どが欠如していた。
「利き手は? 使用する武器は? その練度は? リスクに対しては積極的か、消極的か? 今までに培ってきた技術は、普段の生活に癖として表れてくるもんだ。隠そうとして隠せるようなものじゃねえ。簡単に言うなら、そう、雰囲気って言い換えてもいい。その詳細は理解できなくとも、理屈抜きに初心者にだって分かる、強者の雰囲気」
至極真剣そうに、ガゼルは言う。
「だが……悪いが、お前からはそういうものを何も感じない」
そこには嘲りも蔑みも、侮りさえもなかった。ただ、不可解なものを見るかのような、そんな瞳だ。
「僕が弱そうに見えるってことかい?」
「違うな。本当に弱いなら、それこそ見りゃあわかる。だがお前は違う、分からねえんだ。強いのか弱いのかさえも」
肉体的な強度の話をするならば、僕は弱い。どうしようもなく弱い。単純な力比べならば、この場にいる誰よりも弱者だろう。それこそ、今日入ったばかりの新人にすら負ける。
だが、探索者としての強者とは、なにも武力だけで決まるものではない。未開地域の深層は、力だけでどうにかなるような場所ではない。
「そう。なら僕が探索者をしていた経験は、無駄ではなかったってことだね」
手合わせをしないのであれば、この場に長居するつもりもない。僕は異様な空気の中、ガゼルの横を通って受付へと向かい、謹慎解除の手続きを頼む。
ギルドの中は未だ静まり返ったままだ。視線、或いは注意。そういった意識が、僕に向けられていることが分かる。皆が皆、敵でもなく、取るに足らない存在である筈の僕を、警戒している。
下らない。彼らの何もかもが、下らない。
だから僕はガゼルに向かって振り返り、言う。
「ひとつ、先達としてアドバイスをあげよう。強力な武装、戦闘の技術、確かに、生き残るためには有った方が良い。けれど」
普通の人間にとって、未開地域は生き残ることすら難しい危険地帯だ。特異な環境によって進化した獣、生存競争に勝つ為に攻撃手段を得た植物。その存在自体が周囲の環境を変える、王獣と呼ばれる強力な獣たち。
探索者は、これら魔物と渡り合い成果を得なくてはならない。だから、武力があるに越したことはない。
「探索者に必要なものとは、そんなものじゃないよ」
探索者に必要なものはたった一つだけだ。他者のことなど意に介さず、自分の命のすらも捨てて、ただ未知を追い求める。
純然たる欲望だけだ。
感想、お待ちしています。