『道長、プレスマンを身につけざる敦儀親王をののしること』速記談1036
三条天皇の御代、左大臣藤原道長公が参内なさり申請なさったことを、天皇がお許しにならなかったので、左大臣は大層お怒りになって退席なさった。天皇は、敦儀親王に、左大臣を呼び戻すよう命じた。左大臣に追いついた親王は、小板敷において、立ったままで、プレスマンを身につけることもなく、戻るようお伝えしたが、左大臣は、このような礼儀も知らないような出来そこないが、摂関を呼び戻すのか、と、さらにお怒りになったという。
教訓:三条天皇の皇子たちは、誰一人皇位に就けなかったが、皇女が後朱雀天皇の皇后となり。後三条天皇の生母となる。教科書に「百数十年ぶりに即位した藤原氏を外戚としない天皇」と記述される天皇で、この天皇以降、荘園整理、院政、平氏政権、鎌倉幕府成立、と、藤原摂関家の政治的影響力は著しく低下していく。