逢魔が淵 2
食事を終え、膳が下げられると、酒が運ばれてきた。
泰時と河静は盃に手を伸ばす。
杏珠は酒はあまり好きではないため、茶菓子を用意してもらっていた。
「それで、それだけの術者に心当たりはあるのか?」
「あると言えばある、無いと言えば無いという感じですね」
泰時の問いに、河静は肩をすくめて見せる。
「おそらくは、珂雪という呪術者でしょう。裏ではかなり名をはせている者です。ただ、珂雪がどこの誰かは現在までわかっておりません」
「珂雪……その名は知っている」
泰時は額にしわを寄せた。
「伯父が東域で霊玉を横流ししたと思われる相手の一人だな」
霊玉は霊力を高めることが可能なため、より強い魔獣を倒したり、術をかけたりするために使用される。将軍として軍を率いていた龍山源太郎は、軍で使用する霊玉を横流しして、私腹を肥やし、それを資金源に私兵を集めたとされる。その後、横流しされた霊玉の六割は回収されたが、残りは未回収のままだ。
「噂では、魔獣を使役する術者と聞いた。結局、姿をくらましてどこに行ったかはわからなかったが……」
もしそうならば、さとが霊玉を持っていた理由もわかる。
「魔獣を使役? そのようなこと、可能なの?」
「闇の呪術ですよ。もちろん禁忌ではあります。人の命を吸わせて魔獣を従わせると聞きます」
もちろん贄を用意すればいいというだけではなく、術者の霊力も必要だと河静は話す。
「悪鬼、悪霊と魔獣の違いは、肉体の有無だけ。はっきりとわかってはおりませんが、魔獣は、もともと普通の獣が、悪霊が憑くことで生まれるといわれておりますから」
つまり、人間が鬼に変化していく生成は、悪霊より魔獣に近い。倒すには肉体と魂の両方を滅することのできる七星剣のような破魔の剣や神剣、もしくは呪術をかけた剣が必要だ。
「そう……怖いわね」
杏珠は呟く。もしその者が本当にさとに術を施したとなると、魔獣を扱う人間が都に潜伏しているという可能性があるということだ。
「伯父の蜂起を阻止した私が憎いということだろうか?」
泰時は顎に手を当てた。
龍山源太郎は、たまたま東域の視察に訪れた一の皇子、法長の逗留していた屋敷を包囲し殺害しようとした。そのとき法長の護衛をしていた泰時が獅子奮迅の活躍で法長を連れて包囲網を突破したことで、龍山の野望はついえたのだ。
「どうでしょうか。現段階で珂雪は軍からの横流しで、霊玉を手に入れたのは間違いないでしょうが、龍山源太郎元将軍の反乱に加担していたという証拠はございません。むしろ、かの者が加担していたら、犠牲者はもっと増えたと思われます」
「そうだな……」
龍山源太郎の率いていた私兵はただの兵士であり、魔獣はいなかった。もし魔獣がいたなら、もっと混乱が起こったはずだ。
「となると、伯父の件以外で恨まれているとみるべきかな」
伯父ほどわかりやすくないにしろ、泰時ほど出世すれば、多少なりとも恨みを買っている可能性はある。珂雪本人が泰時自身への感情で動いていれば別だが、何者かが珂雪に依頼したとなれば、その原因を探るのは非常に難しい。
「恨みつらみ、というより、陛下との関係を悪化させたいのではないかと」
「陛下との関係?」
河静に指摘されたものの、泰時は首をひねる。心当たりはないらしい。
「辰野さまは幼少の頃より、陛下に目をかけられていましたから」
「そうなの?」
杏珠にとっても初耳だ。
「そうでなければ、若くして杏珠さまの護衛に任じられることはありませんよ」
「あれは、私なら目立たないというのが一番の理由だった」
「十五歳で御前試合に出場しただけでも、十分に目立っていますよ。杏珠さまが公式の行事に参加する前のことだから顔を知らなかっただけです」
泰時は十五歳の頃から剣術で頭角を現していたらしい。
「辰野さま本人に恨みがあったら、辰野さま本人に呪詛をかければいい。珂雪ならば、それができます」
「そうね。わざわざ私を標的にするのはまどろっこしいわ」
杏珠の方に恨みつらみがあるなら、まだわかる。ただ、杏珠は誰かに恨まれるほど重要な立場にいない。皇位継承権はかなり遠く、何事かをなしたこともないのだ。それこそ、泰時を想う女性に恨まれるくらいしか思いつかない。
「しかも、珂雪本人ではなく、さとという女を使っている。確実性が下がるだけでなく、面倒です。いくら自分を特定されないようにするためとはいえ、意味が分かりません」
呪詛というのは、霊力や生命力を必要とする。他人の記憶を改ざんするような呪詛をかけるのは、膨大な手間と、力が必要だ。杏珠を呪いたいなら、珂雪本人が杏珠を狙うほうが簡単で確実である。杏珠とて、本業の呪術者相手なら、簡単に術を防ぐことはできなかったはずだ。
「珂雪という術者は、自身が面白いと思うかどうかで動くと聞いたことがある」
泰時は陰鬱な顔で呟く。そこに人としての道理などあるわけもなく、単純に金で雇われる術者よりもさらにたちが悪い。
「さとを思いのままに操り、手駒として動かすことを遊戯のように楽しんでいたのだろう。杏珠さまを狙ってというより、手駒を好きに動かすことそのものが目的だった可能性も高いと思う」
「……さすがに、それだけの理由ではないと思いたいですね。呪詛にはそれなりに、対価が必要なのですから」
河静は大きくため息をついた。




