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臣籍降嫁

 昼御座(ひのおまし)に入ると杏珠(あんじゅ)(うちき)の裾を整えた。

 御帳台(みちょうだい)の脇には、衣冠(いかん)を着た役人が控えている。

「御前に」

 声をかけられて、杏珠はそろそろと御帳台の方へと向かい、膝をついて頭を下げた。

「こたび征魔大将軍(せいまたいしょうぐん)になる辰野泰時(たつのやすとき)()せ」

 何の前置きもなく、御簾の向こうの人物はそう言った。

 辰野泰時は、先日、この『(あかつき)』の『東』にある、魔との境界線で迫りくる魔をうち滅ぼし、結界を守り切った英雄だ。もともとはそれほど位の高い家の生まれではなく、彼自身の才知と武力によって成り上がってきた苦労人である。

 杏珠は遠目でしか見たことがないが、目鼻立ちは整ってはいるものの眼光が鋭く、かなり長身で体が大きい男だった。年齢は二十三歳。まだ正式な妻はいないらしい。

 副将軍として軍を率い、将軍であった自分の伯父の不正を糾弾した。それに伴ってかなりの人数を粛正したと伝えられる。そのため、自身の親族にさえ厳しく情け容赦がないと周囲に恐れられているらしい。

 だが武勇は本物であり、功績は無視できないものだ。彼がいなければ、結界は維持できなかったのだから。

 今回の褒賞として彼は従三位と征魔大将軍の位を賜るはずだと宮中では噂されている。

「辰野さまにございますか?」

 杏珠(あんじゅ)は、思わず面を上げ、父でありこの国の皇帝、遠雷(えんらい)に思わず聞き返した。

 もっとも遠来は御簾の向こうで、皇帝の顔は杏珠にはみえない。だが、きっとその顔は何の感情も映していないことが想像できる。

 声音に愛情というものは全く感じられず、とても事務的だ。

 杏珠は皇女ではあるものの、亡くなった母の身分が低いため、十人いる義母兄弟の中では末席扱いである。

 そもそも三つの時に母を亡くして以来、公式の場以外で杏珠は父親に会ったことはない。親子でありながら、ほぼ他人だ。虐げられていたわけではないが、厚遇されていたわけでもない。

 杏珠自身はいずれ臣籍に下り、母の実家である山科(やましな)家で陰陽師としての修行をするつもりだった。もちろん政治の駒として、臣下に嫁がされる可能性はあるとは思ってはいたが。

──それにしても、私が褒賞とは。

 杏珠も一応は皇女であるけれど。母の実家が政治的に弱すぎる。

 山科の家は、優秀な陰陽師が多い名家であるが、賜る官位は低い。資産的にもそれほど大きい家ではなく、権力の中枢からは程遠いのだ。

 皇族から嫁を娶ることには違いないので、辰野家の格は多少は上がるだろうが、政治的な力を得る手掛かりにはならないだろう。

「支度金は用意する。式典まで十日。抜かりなく準備せよ」

「ありがとうございます」

 杏珠は頭を下げ退出しながら、目まぐるしく思考を始めた。

──無茶な話だわ。

 十日そこそこで嫁入りのための道具などがそろうわけがない。そもそも単なる引っ越しと考えてもせわしないくらいだ。

 そもそもこの話は、辰野が杏珠を欲しがってのことではないだろう。皇族の『嫁』を欲した可能性はないわけではないが、どちらかと言えば、皇帝に押し付けられたと思う方が自然である。

──まあいいか。とりあえず、支度金が中抜きされぬように気をつけないと。

 杏珠に政治的力がないこともあり、官僚たちが予算をねこばばしかねない。宮中で生活している分にはいいが、支度金が目減りしていたら、皇族の威信にかかわる。

「おや? 杏珠じゃないか」

正治(まさはる)兄さま」

 自分の部屋に戻ろうとした杏珠は、異国の華やかな色の衣装を身にまとった人物が通路を歩いてくるのに気づき、頭を下げる。

 四男の正治(まさはる)、側室の子だ。

 十人いる遠雷の子供の中で、杏珠と比較的仲が良い皇子である。

 明朗快活で人当たりのいい正治の性格によるところが多いだろう。目がくりりとしていて、常に好奇心を失わない男だ。

 洒落もので、お調子者。そう周囲に評されることが多い。

 上に兄が三人もいることもあり、臣籍におりたいと公言している。それがなかなかかなわないのは、まだ皇太子が決まっていないからだ。

──政治的な力関係もあるのだろうけれど、皇帝が決めてしまえばいいのに悪趣味だわ。

 政治的なことに配慮して決められないということもあるだろうが、遠雷の場合、周囲の思惑や子供らの争いを楽しんでいそうな気がする。

──そのうち刺されるかもね。

 そうなっても杏珠は驚かない。

「随分と珍しいところで会うものだな」

「陛下に呼ばれまして」

 杏珠は苦笑する。

 皇子たちはともかく、皇女はあまり昼御座に出向くことはない。

「辰野さまに嫁ぐことになりました」

「そうか。杏珠が行くことになったのか」

 正治があごにてをやって、にやりと口の端をあげた。

「その様子だと、誰でも良かったということですね」

「誰でもというわけではない。守られるだけの姫では泰時の妻はむりであろう」

 征魔大将軍の妻となれば、都で蝶と花を愛でているだけでは許されないと、正治は指摘する。

「そこへ行くと、杏珠はお転婆で頭もいい。山科仕込みの退魔術もある」

「……まさか嫁入りで、退魔術を必要とされるとは」

 杏珠は肩をすくめた。

「いろいろ噂はあるが、あの男は悪い奴ではない。場合によっては杏珠が守ってやってくれ」

 にこりと正治は笑う。

 年が近いこともあって、正治は辰野泰時と交流があるらしい。

「順番なら、二の姉上、木通(あけび)姉さまでしょうに」

 杏珠は思わず口を膨らませる。

 五人いる皇女のうち、長女は既に嫁いでいるものの、あとの四人はまだ未婚だ。

「木通の後ろには金田の家がついている。あまり後ろ盾のある家との婚儀は、泰時の命を縮めかねない。野心があるなら別だがな。だから事実上、杏珠か、柘榴になるだろうと私は聞いていた」

 三女、柘榴(ざくろ)は、側室の娘だが、とにかく美しいことで評判だ。母親の実家に力がないのは、杏珠と同じだが。

「……それは、私でお気の毒というしかないですね」

 杏珠とて醜いわけではないが、柘榴とは比べようもない。

「柘榴は気位が高くて、都以外で生活は無理だろう。飾っておくだけならば、まあ良いとは思うが」

「褒賞で下げ渡される皇女など、誰であろうとお飾りですよ」

 杏珠は肩をすくめる。

 臣籍降嫁で得られた妻は、愛や恋の相手というより、その後の皇室との関係を考えて差し障りのない程度の関係を築けばよい。第二夫人以降に愛や恋を求める方が現実的だ。

「飾られて満足する杏珠ではなかろう?」

「まさか、お兄さまが手を回したのではないですか?」

 思わず杏珠は正治を睨みつける。

「怖いなあ。そんな力、私にはないよ」

 正治はにかっと笑い、手を挙げ去っていった。

──とりあえず、山科の家に連絡をしよう。

 宮中で孤立する杏珠のことを気にかけてくれている叔父たちは、突然の縁談に驚くだろう。

 杏珠は自室に戻ると、文机に向かい、手紙をしたためる。

(さかき)

 杏珠がその名を呼ぶと、何もない空間から、人の姿が現れた。黒い烏帽子をかぶっている。すっと伸びた眉に、銀に光る瞳。薄い唇はわずかに笑みをたたえている。白の狩衣をまとったその者は、男性とも女性ともつかない、美しい顔立ちだ。

 人間ではない。杏珠の式神であり、その証拠に体の周りがわずかに発光している。

「これを、山科の叔父上に」

「承知いたしました」

 杏珠から手紙を受け取ると、榊はふっと、また宙に消えた。




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