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混沌と混乱と狂熱  作者: 有機野菜
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中学三年、秋のこと

秋、受験の準備も大詰めになってきた頃。響は榎本に、先日おこなわれた模試の結果を渡す。榎本は満足したような笑みを浮かべた。


「A判定、よくここまで頑張りましたね」

「先生のおかげです」

「いえ。貴方の努力が実ったのですよ」


当初予定していた高校より、偏差値が10も高い場所を狙い始めてから半年ほど。榎本に相談した時は「覚悟はありますか」と静かな声で言われて震えたものだ。その言葉どおり、今までの勉強とは何だったのかと言いたくなるほどの量の課題をだされ、ひぃひぃ言いながら机にかじりつく。その努力は報われようとしていた。


最初こそC判定ばかりで心が折れそうにもなったが、とにかく我武者羅に頑張った。B判定が出た時には希望が見えた気がして、走り続けて、今日やっとA判定をもぎとることが出来たのである。これには学校の教師も皆が手を叩いて喜んでくれた。もともと優秀な子だったのに更に上の学校なんて、と。


「自転車で通学ができると思うと、楽です」


弓道部があって、家に近い。その条件を満たす学校は数あれど『偏差値の高い公立学校』というのが問題だった。県でも有数な難関校に挑戦した理由が、その全てに当てはまるから…なんて下らない事は誰にも言えそうにない。


唯一、打ち明けることができた榎本はふわふわと笑っている。


「どんな理由であれ、それが貴方の選択なのです。それを叶えるために努力できたことを誇りなさい」

「ありがとうございます」


喜びと気恥ずかしさを噛みしめる響を見ながら、榎本はゆるく頷いた。


「貴方が高校生になっても、この塾に来るつもりなのか。その答えをいつ出すかは貴方に任せます」


この教師はどこまで見透かしているのだろう…と少しゾッとする。榎本には「塾に通い続けるか迷っている」と言ったことは一度もないのに。塾を続けたい理由も知っているのだろう…その選択をとっていいか悩んでいることも。その上で何も聞かないこの大人の優しさが、今は有り難かった。


「今日には決めるつもりなので、次回まで待ってもらえますか?」

「はい」


扉の向こう側、階段を登るトントンという足音が聞こえる。やってきただろう瑠璃に、この模試の結果を知らせたいなんて期待に胸を膨らませた。




塾が終わって二人は歩いて帰っていた。いつもは自転車なのだが、この日ばかりは雨が降っていて徒歩でくるしかなかったので。来る時はしとしとと降っていた雨も、今ではすっかり止んでいる。ぶらぶらと揺れる傘を蹴飛ばしながら二人並んで歩く。


「瑠璃は高校行っても塾に通うんだよな?」

「ああ、そのつもりだ」

「そっか」


他愛ない話をしながら歩く。濡れた地面を街灯が照らして、キラキラと輝いている。その上をスニーカーで歩くと、キュッキュッという音が鳴った。それをぼんやりと聞きながら、響はごくりと唾を飲む。


本当なら逃げ出したい。このまま何もなかった事にしたい。だけどもう、それは許されない。このまま何もしなかったら頑張ってきた自分を蔑ろにしてしまう事になるから。

絶対に無理だなんて泣き言をもらす自分を抑えこむ。いい結果がでなくたっていい、これはケジメをつけるための戦い。ちっぽけで些細で、世界になんの影響も及ばさない、そんな戦いの。


「瑠璃」

「なんだ」

「好きだ」


たった三文字。この三文字が、ずっと言えなかった。


瑠璃はぽかんと響を見ている。足を止めて見つめ合って、どれくらい時間が経ったか。数秒だったかもしれないし、何時間もそうしていたような気もする。先に目を逸したのは響の方だった。


「ご、めん。困らせるつもりとかじゃ、なくて」


止めた足を動かそうとする響の腕を、瑠璃が掴んだ。「えっ」と声をあげて瑠璃を見れば、暗い中でも判るぐらいに赤く染まっている。熟れたリンゴのように。


瑠璃はぎゅうと掴んでいる手の力を込めた。


「あ、その、まって、まってくれ。驚いて、上手くしゃべれない」


すぅはぁと分かりやすい深呼吸をする。そしてブルブルと震える唇でぽつりぽつり、考えながら言葉を紡ぎ出した。いつも堂々とした彼女からは想像できないほどのか細い声で。


「響、私は、その、恋というのがよく分からない。人を好きになったこととか、多分なくて。だけどお前が、皆と違うというのは判る。でもそれが親友としてなのか、それとも、この気持ちが恋なのか、私にはわからないんだ。だから、お前のその言葉にどう応えていいか、わからない」


それは意外な台詞だった。響が想定したどのパターンとも違う、瑠璃の真摯な言葉に。相槌をうつことも忘れて聞き入った。


「私はこの症状に、この感情に、名前を、いつか名前をつけるから」


「少し待ってくれ」


それはもう答えが出ているようなものなのだが、とは言わない。響は瑠璃を強く抱きしめる。ドキドキと煩いのはどちらの心音だったのか、それを探るのも止めた。


「待ってる」


もうすぐ冬になろうとしている、まだ受験も終わっていない頃のこと。

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可愛〜い!甘酸っぱ〜い!(^O^)
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