中学二年、冬のこと
寒さも厳しくなってきた12月頃、冬休みの一歩手前。17時前に塾の課題を済ませてしまった二人は、そのまま帰る気にもなれなくて、なけなしの小遣いでブタメェンを購入した。中学生はまだまだ成長期。夕飯前にブタメェンを食べても足りないとすら感じるぐらいだった。
熱々のブタメェンを手袋で包みながら慎重に歩く。近所の公園は誰も居なくてガランとしていた。辺りは暗く、街頭の頼りない光だけが辺りを照らしている。それも公園に向けられたものは1つもない。そんな手元すら暗い中、吐く息も白くさせながらブタメェンの蓋を開ける。ベンチ代わりに座ったブランコがぎぃと音を立てた。
「ブタメェンにカレー味があるとは知らなかった」
「マジ?これ結構いけるんだけど」
プラスチックのフォークをブタメェンに突っ込む。濃い味のスープが絡んだ麺は、安っぽいモソモソとした食感がした。それが無性に美味しくて、凍えた体に染みて、二人とも夢中で麺をすする。100円にも満たないカップ麺はすぐ無くなってしまったけれど。
「んっ」
響が麺を食べ終わったカップを瑠璃に差し出す。瑠璃もまた自身のカップを差し出し、互いにカップを交換した。残っているスープはまだ温かい。
特別に美味しい訳ではないのに、二人で分け合うと幸福な気持ちになるのは何故だろうか。
「カレー味もありだな」
「だろ?」
スープを分け合って飲み干して、カップはすっかり空になる。
二人はなんとなく帰りたくなくてブランコから立ち上がれない。ぼんやりと見上げた空にぽつんと浮かんだ星を目で追っていた。星の名前も、星座の名前も、よくは知らない。
「あと少しで三年生か」
「実感ねぇよ」
二人で少しずつブランコを漕ぎ出す。こうしていると去年のことを思い出すなと響は思った。肉まんを頬張って、将来のことを叫ぶように話したことを。医者になりたいと言った瑠璃は、あの日も今も、変わらずに医学を勉強している。
唐突に瑠璃が口を開いた。
「行きたい高校はあるのか?」
三年生になれば、本格的に受験の準備が始まってしまう。そうでないのは高校に行かない者だけだ。高校に行かずとも立派に働いている人は沢山いるが、少なくとも響は進学するつもりでいる。公立中学に通う彼は、受験しなければ高校には行けない。
瑠璃はもともと中高一貫の私立学校に通っており、このまま何事もなければ同じ高校に通うのだという。彼女にとって受験はあってないようなもの…進級試験のようなものだった。
響はギィっと強めにブランコを漕ぎ、今のところ狙っている高校の名前を告げる。すると瑠璃は一言「遠いな」と呟いた。
「部活で弓道するつもりだからさ」
充実した環境をもつ弓道部があって、己の偏差値に見合うところとなると、その高校が一番良いように感じたのだ。ローカル線を乗り継いで行くので通学に1時間ほどかかってしまうが、背に腹は代えられない。
瑠璃はもう一度、ギィと強くブランコを漕ぐ。
「塾は辞めるのか?」
「えっ?」
突然の言葉に驚く響だったが、瑠璃はなんてことない顔をしている。算数で「1+1」を答えるような、そんな気安さで言葉を続けた。
「部活後に一時間もかけて家に帰るんだぞ。塾には通えないだろう」
考えてみれば当然のこと。高校近くにある塾などに通うならまだしも、榎本の塾に通うには無理がある。中学卒業と共に通わなくなる…そんな未来を想像して胸がぎゅうっと痛くなった。
「瑠璃は?」
「私は通い続ける」
ブランコがぎしりと音をたてる。
「辞めたくねぇな…」
ぽろりと出た本音は思ったよりも公園に響いた。
塾をやめたくない。榎本の授業は面白くて、もっと色んな事を教えてほしいと思う。なにより、瑠璃と会えなくなるのが辛い。学校の異なる彼女と会えるのは、この塾に来る時だけだ。互いにスマートフォンを持っていないので連絡を取り合う事もできないので。
瑠璃がブランコを強めに漕ぐ。
「響」
「なんだよ」
「私も、私は、辞めてほしくない」
嗚呼と嘆息して。嗚呼と歓喜した。心の言葉は行き場をなくして一人ぼっちのまま。
瑠璃に求められる喜びは、友情として終わってしまう悲しみを伴っていてどっちつかず。残っているのは彼女の願いをできるだけ叶えてあげたいなんていう献身的な愛だけで、どうにもならない。
「…オレも」
ブランコを漕いで空を見上げる。名前も知らない星の数をかぞえながら、今後について考えた。このまま希望する高校に行くのか、もっと別の道を考えるのか。榎本ならこう言うだろう「自分が納得するまで悩みなさい」と。
カップ麺で温まった筈の体は、冬の夜風ですっかり冷えてしまっていた。