中学校、入学前のこと
この作品はもともと私が別所で書いていた話をリメイクしたものなので、文章を無理やり直したところが多々あります。具体的に言うと誤字があると思います。ですので、見つけたら報告していただけるとありがたいです。
はっきり言ってしまえば、響は成績に困った事はなかった。いつもテストは90点以上で、通信簿を親に見せるのが恥ずかしいと思ったことはない。だから塾に通うつもりなど、これっぽっちも無かった。
だが、様々な事情が重なりあい、母親に薦められて「お子さんの才能を伸ばす」という謳い文句の小さな私塾に通うことになった。父親からは「嫌になったら止めていい」と言われていることもあって、響は軽い気持ちでその門戸を叩いたのだ。それが土曜日の朝10時のこと。
成績アップや受験対策はあまり視野にいれていない、個人経営の塾。どこにでもある普通の家に案内された時は戸惑ったが、意を決して中に入れば柔和な女性が迎えてくれた。彼女が教師の榎本だという。
「どうぞ入ってください」
「失礼します」
二階の小さな和室に通されると、そこには既に先客がいた。長い座卓に向かっているので後頭部しか見えないが、フワフワとした栗毛が印象的だなと考える。
「瑠璃、挨拶なさい」
榎本に声をかけられたフワフワが振り返る。整った目鼻立ちを彩る、キラキラした瞳が美しい子だった。随分と綺麗な女だなと響は見惚れる。フワフワ頭がおざなりに下げられた。
「…瑠璃だ。今年で中学生になる」
「響だ。オレも今年で中学生だからタメだな!北中か?」
「いや、私は私立に通っている。ここから駅を2つほど行ったとこだな」
ふぅんと感心していると、榎本がぱんぱんと手を叩くのですっと背筋が伸びる。彼女はニコニコと笑いながら、座卓の空いている部分を指差したので大人しく座る。
「まずは君の学力を測らせていただきます。これを問いてみてください」
数枚のプリントを手渡される。勉強モードに入ったのを感じて、響は慌てて鞄の中からペンケースを取り出した。シャーペンやら消しゴムやらを取り出したのを確認した榎本が、響の目の前にドンと目覚まし時計を置く。どうやらタイマー代わりのようだった。
「これが鳴ったら昼食です。頑張ってくださいね」
問題に目を通す。勉強は得意なので、自分の実力を見せつけてやろうなんて思いながら。
結果として惨敗だった。最初はすらすらと解けていたのに、最後には見たこともないような文字が乱舞して、問題文が理解できていたのかすら怪しい。ジリジリと鳴る目覚まし時計の音に絶望したのは、これが初めてかもしれない。
「そこまで!二人とも昼食にしてください」
意味のわからない文章を書き連ねたプリントが回収されていく…榎本が部屋を出ていってしまう。がっくりと頭を下げていると、誰かがポンと響の頭を叩いた。考えるまでもなく瑠璃なのだが。
「最後の問題は解けなかっただろう」
「そうだけど」
嫌味を言われているのかと思い、ぶすくれながらそう答える。瑠璃は響のそんな態度を気にした様子もなく、軽く肩をすくめた。
「あれはな、解けない問題をやらせることで私達の性格や思考パターンを読む、榎本先生お決まりの手口なんだ。解けないのが普通だから気にするな」
嫌味どころかフォローだった。響は少しでも敵意を持った自分が恥ずかしくて、そうかと相槌をうつ。
瑠璃は興味を無くしたように離れていくと、鞄からレジ袋を取り出す。コンビニで買ったおにぎりが昼食のようだ。響もそれを見て、慌てて母親に持たされた弁当をとりだす。
「それはササミフライか…?」
「おう。中にチーズ入ってる。食うか?」
「いいのか?では私が買っておいた板チョコを分けてやろう」
「マジか」
互いの食べ物を分け合うと、いっきに距離が縮まる。二人は昼食を食べながら他愛ない会話を始めた。
「私が通っているのは月・木なのだが、今回は特別にずらしてもらった。普段は土曜いないぞ」
「オレも親が来たいっつーから今日なだけで、普段は月木の予定だ。夕方の4時からだけど」
「私もだ。意外だな、お前は部活動でもしているのかと思ったが」
「あー…ガキの頃から弓道やっててよ。中学校にゃ弓道部がないから、今の道場に続けて通うことにしたんだわ。そこが水・金だからここを月・木でいれたワケ。お前はなんか部活やってんの?」
「科学研究部に。といっても半ば遊びのようなものだが」
とりとめのない事を話しながら、響は瑠璃を観察する。堅苦しく乱暴な言葉遣いからは想像できないほどに所作が綺麗だった。
響は俄然この瑠璃という少女に興味を抱いた。同い年で同じ塾を通っているというだけで、彼が仲良くなりたいと思うには充分な材料だったので。
「オレさ、どっちかっつーと文系だから歴史とか得意なんだわ。瑠璃は?」
「私は理系なのだろうな。数学や理科が好きだ」
へえと相槌をうっていると、榎本が戻ってきた。手には採点を終えたのだろう響のプリントを持っている。どこか上機嫌のように思えた。
それを見て瑠璃がぽそりと響に耳打ちする。
「おまえ、先生に、教育しがいのある奴がきたと思われてるぞ」
「えっ」
「…スパルタすぎたら私に言え。ガリガリさんぐらいは奢ってやる」
瑠璃に脅されて、響は少しだけ怖気づいた。父に言われた「嫌になったら止めてもいい」という言葉を思い出すことでなんとか平静をたもち、榎本と向き直る。
これが響の運命を変えた、入塾の日であり、瑠璃の出会いだった。