3 教室の隅のあの人
「姫だ!」
「ハル姫、お帰りなさいませ!」
「始業式でのご挨拶、お疲れ様でした!」
教室に行くと、待ち構えていた同級生達に陽は早速取り囲まれてしまった。
「席替えのくじ引き、ハル姫の分でラストです!」
「姫の席は最前列中央ですよ!」
「オレ、隣~!」
「おれもおれも!」
「ささっ、どうぞこちらへ!」
「は、はぁ……どうも」
口々に飛んでくる歓迎の言葉。熱烈な視線を一身に浴びせられ、陽は苦笑いした。
陽が姫をやめたい理由、もう一つの深刻な悩みの種がこれだった。周囲からの特別扱い……姫というだけで必要以上に持て囃され、正直反応に困るし、居た堪れない。
何より、これでは……。
(友達が……出来ない!)
皆優しくしてくれるけれども、肝心な、対等に話せる友人が一向に出来やしない。
(棗先輩は親しく接してくれてるけど、あくまでも先輩だし……)
姫である限りこの状況がこれから三年も続くとなると、かなり厳しい。
教室内に目を滑らせる。窓側の最後尾の席、長い前髪の下に分厚い瓶底メガネを掛けた、陰気そうな同級生の姿があった。
ひょろりと細長い背を丸め、何やら本を読んでいるその人の名前は、冬月 朔夜。
(……冬月は、寂しくないのかな)
彼はいつも一人で居る。陽を取り囲む輪に入ることもなく、我関せずで超然と個を貫くその様は、いっそ堂々としてすら見えた。
こう言っては失礼だが、友人が居ない者同士で仲良くはなれないものかと、陽は考えたことがあった。しかし、どうにも自分は避けられているようなのだ。
陽が話し掛けようとすると、朔夜はするりと逃げていってしまう。嫌われているのか、単に一人がいいのか……何にせよ、それがまた陽には寂しかった。
「おい、見ろよ、こいつ女の漫画なんて読んでるぞ!」
ふと、後方で戯れていた生徒達が、朔夜の手元を覗き込んで揶揄った。そうして、ブックカバーの掛かった彼の本を奪い取るや、皆に見せびらかすように高く掲げる。
それは、ドレスとタキシードを着た男女が接吻を交わしているイラストだった。
「マジだ!」
「うわっ、キスしてんじゃん!」
「何お前、男のくせにこういうのが好きなのかよ」
口々に囃し立てる、その露悪的な光景に陽は顔を顰め、思わず声を張り上げた。
「やめろよ! 誰が何を好きだろうと、その人の自由だろ!?」
途端、水を浴びたように辺り一面が静まり返る。
「ひ、姫……」
「でも……」
動揺の空気が広がる中、陽はつかつかと教室内を横断して後方へ向かった。バツが悪そうにたじろぐ男子生徒の手から本を取り返し、終始無言の持ち主の方へと差し出す。
「はい、これ。ごめんな」
朔夜は少し驚いたように口を開いたが、そこから如何なる言葉が出ることもなかった。直後に鳴り響いた鐘の音が、皆の注意を逸らしたからだ。
「ほーい、授業を始めるぞー! 何やってる、お前ら席に着けー!」
程なくしてやって来た担任教師によって、教室内に漂っていた微妙な空気が払拭される。立ったまま顛末を見守っていたクラスの面々は、蜘蛛の子を散らすように自分達の席に戻っていった。
陽もまた、朔夜のことが気になりつつも、もう後ろを振り返ることは適わなかった。
◆◇◆
そのまま何事もなく初日の過程を終え、来る放課後。陽は下駄箱付近でまたしても生徒達に取り囲まれていた。
「ハル姫! この後、何かご予定は!?」
「良ければ、どっか遊びに行きませんか!?」
「いや……寮に、帰るんで……」
「それなら、寮までお送り致しますよ!」
「姫の安全をお守り致します!」
「いや、その……」
「ハルくん!」
困り果てているところに、天からの助けが訪れた。人目を引くピンクのウルフカットの美少年――二年の姫、棗 夕莉だ。
「棗先輩!」
「ユーリ姫!」
「ユーリ姫だ!」
「もうっ、ハルくん遅いから、こっちから迎えに来ちゃった。主人の手を煩わせるとは、悪い子だね」
可愛らしく拗ねてみせながら、人々の間を縫って陽の元へ歩み寄り、大胆に腕を絡ませる。それから、周囲を見遣り、
「ボク達、二人きりになりたいから、邪魔しないでくれる?」
と、牽制を放った。
「は、はい……」
「いい子。行こっ! ハルくん!」
圧倒されて退く面々に褒美の笑顔を与え、そのまま引きずるようにして陽を連行する。呆気に取られる一同を置き去りに、二人は校舎を後にした。
「助かりました、先輩」
寮への道を歩きながら、陽は安堵の息を吐いた。
「全く、ハルくんは隙が多過ぎ。奴らは飢えた獣の群れなんだから、油断してるとぺろりと食べられちゃうんだからね。もっと上手に躾ないと」
「はぁ……」
そう言われても、自分には夕莉のようなあしらい方は到底出来そうにない。
(だから、俺には姫なんて向いてないんだって……)
溜息が漏れる。早くこんな生活から開放されたい。
部活だって、本当は中学の頃みたいに水泳をやる予定だった。けれど、姫には原則として部活動が禁止されている。姫自体が部活動のようなものだし、全生徒を平等に応援する存在として、どこか一つの部に肩入れしてはいけないのだとか。
大会の近い部があれば、女装で顔を出し応援に回るお役目もあるが、とりあえず今日のところは何もない。この浮いた時間をバイトにでも充てたいところだが、校則でそれも禁止されている。
(とりあえず、帰ったらまた勉強か、筋トレか……)
内心算段を付けつつ、何気なく校舎の方を振り向いた。だから、《《それ》》が目に入ったのは、完全に偶然だった。
(あれは……)
ひょろりと高い背を丸めた、黒髪の後ろ姿。――朔夜だ。誰かと話している。あれは、今朝がた彼を揶揄っていたクラスメイトの男子達だ。
(何で、相田達と?)
疑問に思っていると、彼らに誘われるようにして、朔夜の姿は校舎の裏側に消えていく。その先には裏庭があるが、碌に手入れはされておらず、普段あまり人が訪れるような場所でもない筈だった。
――胸騒ぎがする。
「でさぁ……ハルくん、ちゃんと聞いてる?」
「すみません、棗先輩! 俺、ちょっと用事を思い出したので、先に寮に帰っててください!」
「え!? ちょっと、ハルくん!?」
絡まる夕莉の腕を振り解き、陽は来た道を全力で駆け出した。