1 姫、やめます!
遂に、この時が来た。
舞台袖で日向 陽は逸る気持ちと高揚感をスカートと共に握り締めていた。汗でウィッグの毛が顔に張り付く。九月とはいえ、まだまだ残暑厳しいこの時期に、長袖にたっぷりとした膝下スカートは暑苦しい。しかし、この煩わしさとも今日でおさらばだ。
演台では学園長の長ったらしい話がようやく終わりを迎えようとしていた。
「それでは、お次は我が校の姫君達からのご挨拶です。二年の棗 夕莉君、一年の日向 陽君、よろしくお願いします」
「ぅおおおおっ!! ユーリ姫ぇえっ!! ハル姫ぇええっ!!」
途端、会場中から野太い歓声が上がった。臆しそうになる己を鼓舞し、陽は先輩である夕莉の後に続いて袖を出る。照明が焚かれ、急な明るさに目が眩んだ。
自分達の登場に、歓声は更に大きくなった。体育館いっぱいに集まった全校生徒と教員達の視線が、一斉に降り注ぐ。未だにそれらに慣れない陽と違って、夕莉は堂々としたものだ。
「は~い、ちゅうも~く!」
と、演台から奪ったマイクで自ら煽った上に、その一声で会場を静かにさせてしまうのだから、凄い。
「キミらの麗しのお姫様、ユーリくんだぞ~! 下僕共、元気にしてたか~?」
色白で華奢な身体に纏うのは、黒地にピンクのチェックをあしらった甘辛なゴシックパンク。ピンクのウルフカットヘアに、悪魔角の付いた帽子を被り、紅いカラコンの入った大きな瞳をした先輩は、最早美少女にしか見えない。
百五十センチの低身長とは思えない存在感で、夕莉は会場を圧倒させてしまう。
「新学期だからって浮かれ過ぎて暴れんなよ? 夏休みで外しまくった羽目は元に戻して、二学期も可愛いボクの為に誠心誠意仕えるように! 分かったら、返事はワンだぞ!」
ワン! ワン! とあちこちで大合唱が上がった。「よしよし、いい子」と蠱惑的で嗜虐的な笑みで以て応えてから、夕莉はこちらに振り向いた。
「はい、ハルくんの番」と手渡されたマイクを両手で握り締めて、陽は一歩前へ足を踏み出した。
遂に、この時が来た。疾うに覚悟を決めていたとはいえ、やはり緊張はする。ごくりと喉元のものを嚥下して、陽は強ばった唇から声を発した。
「えっと……一年の日向 陽、です」
硬い表情、ぎこちない口上。堂に入った先輩の後だと、一層素人臭さを感じさせてしまうが、それでも会場は沸いた。
「ハル姫ぇええっ!!」「可愛い~!」と入れられた合いの手に、顔を顰める。〝可愛い〟はいつまで経っても受け入れ難い。
百六十センチと比較的小柄とはいえ、自分は夕莉よりは背も高く、肌だって小麦まで行かずとも健康的な色をしている。眉だって太めで、童顔ではあるものの別段美形という訳でもなく、至って平凡な顔立ちだと自認している。
そんな平凡な筈の自分が、こんなフリフリひらひらの服を着て女装をしている姿は、さぞや滑稽であろう。
与えられたイメージカラーの黄色を基調とし、白と茶色を差し色にリボンとフリルがふんだんにあしらわれた、甘々なロリータファッション。
地毛に合わせて作られたベージュのロングヘアウィッグはゆるやかにウェーブを描き、ハーフアップに結かれた後頭部には大きな黄色のレースリボンが揺れる。カラコンなんて怖くて入れられないので、瞳は自前の茶色のままだ。
「今日は、皆さんに残念なお知らせがあります」
意を決して切り出すと、陽はマイクを片手に持ち替え、己の服に手を掛けた。この為に、ワンピースのように見えて実は上下に分かれたタイプの衣装を選んだのだ。震える指先でトップスの裾をゆっくりたくしあげると、会場中がどよめいた。
露になった腹部は、見事に六つに割れていた。一学期と夏休みの間、鍛えに鍛え抜いた結果だ。やり遂げた己を誇らしくは思うものの、こんな風に見せびらかすのは本意ではなく、どうしたって恥ずかしさが勝る。羞恥に頬を染め、潤んだ瞳を伏せながらも、陽は一大決心を告げた。
「俺……こんな身体になっちゃったので、姫やめます!」
ざわめきが加速する。人々の口からは次々に動揺の声が飛び交った。
「姫に……筋肉が!?」
「シックスパックだと!?」
「そんな……っ!!」
(よしよし、そうだ、それでいい)
期待通りの反応に陽が内心頷いていると、次に不穏な言葉が聞こえてきた。
「いや、でも……これはこれで有りじゃね?」
(えっ?)
「確かに……筋肉あるっつっても、全体的なシルエットは細いし、ちっこいし、可愛いし……むしろ、ギャップ? 的な」
(は?)
「腹筋割れた女戦士とか、エロいもんな」
「へそ出しチア服とか着てくんねーかな」
(は? いやいや、着ないし!?)
「何言ってんだよ! 皆、分かってねーな!」
(そ、そう! そうだ! 言ってやれ! 筋肉付いた姫なんて、キモイって!)
しかし、その男子生徒の主張はこうだった。
「貞淑なハル姫には露出度控えめな服装の方が乙だろう!? そんで、そっから稀に覗く肌が意外と筋肉質だったりしたら、より一層妄想が掻き立てられて興奮しないかっ!?」
(はぁあっ!?)
「おぉ……っ」
「確かに……!」
ドン引きする当人を他所に、会場は納得の空気に包まれていく。……やばい。この流れは非常にやばい。
果たして、満場一致で一つの結論が出された。
「筋肉なんて、そんなこと! 気にしなくていいよ、ハル姫!」
「そうだそうだ! ちょっとばかり筋肉付いたからって、ハル姫の可愛さは損なわれない!」
「そんなことで悩んで一人思い詰めていただなんて……なんていじらしいんだ! 守ってあげたい!」
「大丈夫! 姫やめる必要なんてないぜ! ハル姫!」
「そうだそうだ! ハル姫はハル姫だ! 筋肉なんて、なんだ!」
「ハール姫っ!! ハール姫っ!!」
しまいには湧き上がったコールで会場全体が異様な盛り上がりを見せる。
こうして、一学期と夏休みを掛けた陽の〝姫辞職計画〟は見事に破綻を迎えたのだった。