4.転機
◇◆◇◆メロウSide◇◆◇◆
「母さん、どう言うつもりなんだ!!」
「ど、どうって?なによ、そんな怖い顔をしてさぁ。」
「ナタリーをどうしてこの家から出すんだ?!言っただろ?!僕は15歳になったら出ていくって!」
「そんな!勿体ないだろ!?折角、子爵様があんたを養子縁組にして後継者にしてくれるのに!!」
「そんなのおかしいよ!?彼はナタリーにとって実の父親じゃないか!何故僕なんだよ?!」
「どうでも良いじゃない!父親になってくれるって言ってるんだよ?!」
「そんな事望んでないよ僕は!!」バシンと頬を打たれる音が部屋に響く。
「あんな、あんな惨めな生活から抜けられるってのに!!」ジュリアは追い縋って体に拳を何度も打付けてくる、メロウは背中を丸めて頭を庇った。
「何が不満なのさ!!少しは私の気持ちも分かってくれたっていいだろ!!」
ヒステリックに声を張り上げ厚く塗られたマスカラが黒く溶けて頬を伝うまで殴り続け、赤い唇を歪めながら子供の様に声を出して泣きじゃくりだした。
「自分に噓ついてる僕の気持ちを知らないくせに!!子爵家を継ぐのは間違ってる!」
母親の暴力にいつまでも屈する体ではなくなっていた、メロウはもう全てに従う子供でもない。
「僕の為なんかじゃない、母さんは自分の為だけにこの生活に縋り付きたいだけだ!!もうウンザリだ!」
「マーカス!!」
ジュリアの手を激しく払いのけ部屋を出ると啜り泣く声が聞こえてきた。
(・・・ナタリーは追い出される様に出て行ってしまった・・・守る事が出来なかった。)
ロア・スティングレイ子爵の心情を知りたかった。
答え様によっては気持ちの在り方を変えなければと思い執務室に足を運ぶ。
「お父様、入っても宜しいですか?」
「入りなさい、どうしたんだいメロウ珍しいじゃないか?」
それはこちらの台詞だと言いたかったが、商売で培った笑顔を振り撒き甘える様な仕草で話し掛け掛けた。
「お義姉様が居なくなった今はお父様も、とてもお忙しいでしょう?私もお手伝い出来る事がないかと思って」
執務室で家令と仕事をするロアに労いの言葉を伝えるとにこやかに返事が返ってくる。
「メロウ有難う、とても嬉しいよ!けれど子供が心配する事じゃあない、お友達のお茶会にでも行ったりして遊んでくるといい。」
どうやらメロウは手伝いすら出来ない者だと思われているらしい家令のトマスと軽く目を交わす。
「でも、お父様最近ずっと執務室ですわ、お体が心配なんです、ご自愛なさって下さい。」
「ああ、なんて優しい子なんだ、あいつもメロウくらいに可愛気があれば良かったものを。」
意図して自分の娘を【あいつ】と呼ぶ声が鼻に皺を寄せて憎々しげに言った。
「お義姉様ですか?」
メロウの顔に陰りが出来た事をロアは妬きもちをやいていると勘違いした。
「そうだよ、でも安心しなさい侯爵様の元へ嫁いだんだから子爵家もこれで安泰だ。」
「それは・・・どう云う意味ですか?」
メロウの瞳に剣呑とした光が宿るのをロアは気付いていない。
「侯爵家から子爵家へ手厚い支度金やら協力金を頂いたんだよ、これからは3人で優雅に暮らせるぞ?」
(3人?もうロア・スティングレイ子爵にとってナタリーの存在はこれっぽっちもいないのか。)
頭を撫でて話すがメロウの表情が晴れなかったので思い付く限りの言葉を探り出す。
「そうだ!今度の休みは街に出かけて一杯ドレスを買おう、後人形でもお菓子でも何でも買おう、どうだ?」
子供のメロウはさぞ喜ぶだろうと予測して朗らかに語る。
この優しさの10分の1でもナタリーに掛けてあげた事があるのかと責め訊ねてしまいそうになるのは、自分の父親が誰なのかさえ分からない虚しさが心にのしかかっているからだ、父親たらしめる実の娘が居たというのに何という怠慢で傲慢な親で有ろうかと腹が立つ。
メロウ自身無力で何の助けにもならない弱い己に激しく嫌悪した。
ナタリーはこんな思いを何度もしながら全てを諦め手放して行ったのかと思うと、今すぐにでもナタリーを何処か知らない所に連れて逃げてしまいたかった。
けれど所詮は14歳の子供、誰も信用はしてくれない、かつて力になってくれたスティングレイ子爵夫人はもうどこにもいないのだ。
自分が開いた商店でさえ家令のトマスが協力してくれたから出来た事。
(もう、なりふり構っていられない、早く大人にならなければ。)
メロウは自分の心に蓋をする様に【スティングレイ子爵家の後継者】として勉強と領地経営を本格的に学び始めた、不足している学問を補いたいと願いでて学園に編入もさせて貰った。
女性として異例な時期に編入したメロウは男性からやたら受けが良かったが、勉学以外に全く興味を示さず学園を謳歌する事も無く庶民代表としてそつなく貴族社会といえる学園生活を上手にこなして行った。
自分の商店、子爵家の経済学、学園の勉学と目の回る忙しさで急き立てる様にメロウは過ごした。
優秀な成績を修め、界隈では飛ぶ鳥を落とす勢いで学園でも時の人となっていた、だがメロウは何かに追い立てられる様な姿が周囲の生徒達と異質である事に気付き始める者がいた。
同級生である公爵令息とその婚約者から声を掛けられ大きく運命が変わる事となる。
◆◇◆◇ナタリーSide◆◇◆◇
ハイトランド侯爵家に到着したその日の夕方、婚約式と入籍に家族の対面式が行われる予定になっていた。
けれど、想像通りスティングレイ子爵家はナタリーただ一人として侯爵家の方への御挨拶となっていた。
侯爵家側の縁戚は皆一様に顔を顰め歓迎されている雰囲気ではない事が見受けられる。
「初めまして、私はこの侯爵家筆頭ライオネス・ハイトランド、そして妻のケイトだ。」
「初めましてナタリー・スティングレイと申します。」
俯きがちになるべく瞳をあわす事なく淑女の礼をするとやはりただの婚姻ではないのだと確信できる言葉が掛かる。
「勘違いして頂くと困るから先に申し上げておきますので、努々忘れずにいて頂戴。」
ケイトがさも釘を刺す様に先に口を開く。
「貴方はスコットお父様の面倒を見る【介護兼ハウスキーパー】と同義です。」
「入籍はしても侯爵家の相続は一切出来ません、私はこの婚姻には最初から反対してますので。」
「はい・・・。」
ナタリーには想定内の事であったので驚きはなかったが只、家族が新たに出来る事ではなく新たな介助人としての契約であり、あからさまな他人として受け入れるとの公言であり針の筵である。
「お父様が寝泊している別邸に今から行って頂きます。」
「はい。」
「ああ、それから君が介助してくれる代金を既にスティングレイ子爵家に渡してあるから。」
「え・・・?」初めて聞く話であった、父親は何も持たせず何も言わずにいたのだ。
「あら?何も聞かされていないのね、けど今日から貴女はスコットお父様の正式な奥様よ宜しくね。」
わざわざ親の面倒を見たくない為の介助人として名ばかりの妻として働けと言っているのだ世間体を守る為にはうってつけの者としてナタリーを呼んだのだ。
ケイトは厭な笑い顔を作る女性であった、その度に赤黒いもやが掛かっているのが見えたけれどナタリーはじっと眺めるしかなかった。
(この方が1番の侯爵家の要の方ね・・・あまり良い色ではないわ。)
別邸と言われて内心ホッとする、毎日ハイトランド夫人を真っ正面から見れる勇気がない、自分までこの色に染まるのではないかと怖れるくらいであった。
(私の屋敷のメイドも体に悪い色を纏っていたわね。)
ハイトランド侯爵家の親戚筋の御挨拶もそこそこにナタリーはスコット侯爵がいる別邸に入って行った。
広い園庭を歩きながらナタリーは美しいベロニカオックスフォードブルーが咲いて揺れているのが目に入った何故だかこの眺めが見られるのならば此処で生きてゆける気がした。
どこにいてもあの碧い色を探している自分がいる、何処までも透明で美しく気高い色。
「あの子に、お別れの言葉もいえなかった・・・。」
淋しさがふいに胸に拡がる、こんな気持ちを抱くとは考えもしなかった、お母様が亡くなった時の絶望感とはまた違う拭えない喪失感と寂しさを誰も教えてくれなかった。
あの子だけがこの寂しさを教えてくれたのだ。
「ナタリー様・・・お辛うございましょう、私も精一杯仕えさせて頂きますので。」
ナタリーにこんな酷い仕打ちをするハイトランド家と子爵をソアラは許せなかった。
それでも寄り添う従者の思いにナタリーは笑みを浮かべた。
「そうね、有難うソアラ・・・スコット侯爵様にご挨拶を致しましょう。」
別邸はひっそりとした白い瀟洒な建物だった。
ハイトランド家の本邸とは比べ物にならないくらい小さな屋敷であったが住んでいる人間を模した様な質の良さが見て取れた。
「初めまして、スコット・ハイトランド侯爵様、私はナタリー・スティングレイと申します。」
スコット侯爵の部屋に入って改めてナタリーは驚愕する、部屋に充満している赤黒いモヤが天井にまで広がり全てを覆いつくそうとするのが目に入って来た。
思わず叫び出しそうになるのを喉奥で堪えたが、スコットはベッドに横たわったまま微動だにしなかった、否出来なかったのが正しい。
まるで聞こえていないのではないだろうかとナタリーは心配になり少しずつ近づきその姿を確認すると目は開いてはいるが虚ろなままで焦点が合っておらず、体からは酷くアンモニア臭がした。
(誰もこの方の介抱をなさっておられなかったの?!)
このままではいけないと窓を開け放ちスコットの顔色を見ながら清拭をするお手伝いに取り掛かる。
ハイトランド家のモノ達が【介護兼ハウスキーパー】と言っていた事に改めて納得したが侯爵に対して目に余るモノがあった。
スコット侯爵を誰もが見放したに違いないと思われるのは侯爵家として世間体が許さないであろう事柄から誰かと婚姻を結び、建前として名ばかりの侯爵夫人を都合の良い介護者を飼い殺すつもりなのだろう。
(だからと言って・・・こんな大きな屋敷に居て、この方を従者やメイドに至る誰もが見ないなど・・・)
「酷い・・・。」
この方が何をしたにせよここまでの所業をする程の謂れがあるというのだろうか。
これが打ち捨てられた末路なのだろうか、ナタリーは自分をこの境遇に追いやった父親とここの本邸に居たハイトランド家の者を重ねていた。
「スコット侯爵様、本日から私が貴方様の身の周りのお世話をさせて頂きますね。」
なるべく明るい声と表情で虚ろな顔をしているスコットに話かけた。
そうでもしなければこの周囲を覆う赤黒いモヤに取り込まれそうだからだ、神の祝福は時として残酷なまでに力を発揮して人間に警告をしているのかも知れない。
ナタリーは恐らく衣食住を自分自身で全てやらねばならないであろうと覚悟を決めた、誰にも頼れないこの境遇で何処までやれるか分からない、けれど・・・。
(あの綺麗な碧い光を纏っていたあの子を思い出すだけで心がスッと研ぎ澄まされていく)
何もして貰えなかったと不満は言いたくない、与えられる様な者になろうと考えている。
無謀でもいい、初めて出会ったお店の先で笑っていた「あの子」ならきっと応援してくれるだろう。
「私のナイト様・・・か。」
*
ハイトランド邸の広大な園庭に咲いていたベロニカオックスフォードブルーやネモフィラが次第に枯れ、リンドウが咲き始めた頃には少しずつこの屋敷に慣れ、スコットを連れて園庭に足を運ぶ迄になった。
相変わらずスコットはぼんやりと景色を眺め、時折ナタリーの方に視線を移して言葉にはならない様な声で「あぅ、あぅ」とだけ囁くだけなのだが、それはスコットの周りを覆っていた赤黒いモヤが消え始め体が良くなっている兆しであり、本来の色が見えてきた事にナタリーは喜びを感じていた。
スコットは優しいオレンジ色の温かい色を持った人だった、ソアラや家令のトマスも優しいオレンジ色を持っていたので心が温かくなる。
「スコット侯爵様、お身体が冷えますのでもうお部屋に戻りましょう。」
園庭にいる庭師と軽く挨拶を交わしながら車椅子を押して別邸へと戻るスコットがナタリーを気づかい、少し振り向きながらゆっくりと進みだす。
「あぅ、あ・・・ああ。」
「どうかなさいましたか?侯爵様?」
覗き込むとスコットは胸元に何かを握りしめている。
(ロザリオかしら?)
どうして欲しいのか分からず首を傾げてスコットの眼前に回り跪くと、その手を開きナタリーの首に掛けた。
「え?これは?」
「あぁ、あ、あ。」
ロザリオかと良く見れば花を模した小さな鍵だった、侯爵が肌身離さず持っていた物を奪うのはいけないと思い外そうとするとスコットは強い力で
手を握り首を振った。
「私に?あの、頂いても宜しいのですか?」
「あぅ、ああ、あ!」
そうだ!と強くスコットは頷く。
かつては矍鑠たる人格者でこの家の繁栄を担って来た見識高い方だったのだろうと垣間見える。
穏やかなオレンジの色を纏いナタリーを包む様な温かい陽射しと共に優しく2人の時間はゆっくりと流れていた。
「有難うございます。」
心が通じる事の安堵が嬉しい、かつての元婚約者では得られなかった安寧な気持ちでいられる事が良かった。
(お母様以外の方からこんな素敵な宝飾を頂くなんて初めてだわ。)
この婚姻は辛く苦しいものばかりだろうと思い込んでいたがお飾りであれど、スコットと穏やかな時を過ごせたのがナタリーにとっても癒やしになったのだった。
そして、その2年後にスコットは天に召された。