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【3】王の一日

 レクスが食後のお茶をようやく終えて執務室に戻ると、ちょうどフィリベルトも執務室に来るところだった。先に執務室にいると待たせたと思わせると考えタイミングを見計らっていたのかもしれない。レクスはそんなことを考えたが、実直なフィリベルトにそんな器用なことはできないだろうと考え直した。おそらく、たまたまだ。

 レクスがデスクの椅子に腰を下ろすのを確認して、フィリベルトは背筋を伸ばして敬礼した。

「ご報告します! 国境の関所で数名の人間が通行許可を取りに来たっス!」

 思わず眉をひそめるレクスに、フィリベルトは真剣に続ける。

「現在では王命により許可を出さないことになっていると国境警備隊が伝えたので、引き返して行ったそうっス!」

「そうですか……」

 この魔族の国と隣接する人間の国との境には、高くそびえ立つ壁がある。関所にも大きな門があり、その門には騎士隊が配備されている。さらに魔法による防壁も張られているため、堅牢な国境は簡単に越えることはできないようになっている。現在、魔族以外の者が関所をくぐることは一切の許可を出していない。これはレクスが下した取り決めだ。魔王討伐の件で魔族は人間を快く思っていない。人間にも魔族に危害を加える者がいないとも限らない。現状では、人間の入国を拒否することが最善ではないかとレクスは考えたのだ。

「ただ、引き返すときにちょっとごねたらしく、正式な書面での申し込みを、と伝えたそうっス。そのうち書面が届くと思いますが、正式に断ればこっちのもんっスよね!」

 フィリベルトがあっけらかんと言うので、レクスは苦笑いを浮かべた。

 入国の許可を求める書面は、これまでにも何通も届いている。そのすべてに拒否の通知を出してきたが、それを知ってか知らずしてか、関所に直接に来るというのはあまり見ない事例だ。あまつさえごねるというのは、あまりに浅ましい行動に思える。

 人間の入国の目的は、大抵が友好のためだと書面に記されていたが、なんのための友好なのかレクスにはわからない。人間は魔王討伐に気を良くしているのかもしれないが、魔族側からすれば友好関係を結ぼうなどという気はさらさらない。魔族が人間に対して快く思っていないということには気付いていないのだろう。

「今回も断るの?」

 机に頬杖をついてキングが問うので、レクスは小さく頷いた。

「いまは人間を入国させたくありません。民の人間に対する心証が悪いこともありますが、キングがご健在であることに気付かれるのは良くないのではありませんか?」

 眉根を寄せてレクスが言うと、キングは朗らかに笑う。

「心配してくれてるの?」

「保安のためです」

 討伐したはずの魔王が生きていると知れば、人間たちは再び戦いを挑んで来るかもしれない。それは民を危険に晒すことになる。その可能性を捨てきれないいま、人間の入国を許可するわけにはいかない。

「ありがとう、フィリベルト」

「はっ!」

 フィリベルトはようやく敬礼をやめて辞儀をした。

「いつまでも敬礼していなくていいのに」

「敬礼こそ、レクスに対する最大の敬意であります!」

 そう言って、フィリベルトはまた敬礼をする。レクスが困って笑うと、フィリベルトは明るい笑顔で返した。

 フィリベルトとルドは、常にレクスのそばにいるわけではない。レクスは執務室にいる時間が長く、有能な騎士と魔法使いであるふたりを常にそばに置いては、鍛錬の時間を取れなくなってしまう。この王宮には各所に騎士や魔法使いが配備されている。もしレクスが襲撃を受ければ、あっという間に袋のねずみだ。何より、レクスのそばに控えているブラムが、フィリベルトとルドのふたりを合わせても負けないくらいの実力を誇っていると言う。それ以前に、キングが常にレクスのそばにいる。キングを知る魔族であれば、レクスに襲撃をかけようなどという気が起きることはないだろう。

 レクスは次に、カルラが置いておいたと言っていた報告書を探した。なんと言っても、レクスのデスクには報告書が山を作っている。急ぎの物はブラムが手渡しで提出するが、そうでない物は山の一部と成り果てる。レクスには、自分の能力不足を痛感させられる光景に感じられた。その上、レクスの体格に対して、机はかなり大きい。端に置かれた報告書は手に取るだけで一苦労だ。レクス直属の部下はそれを知っているが、そうでない者は気付かずに端に置いてしまう。時間があるときにブラムがまとめてくれるが、忙しいブラムにはあまり時間がない。そうしてレクスの手の届かないところに書類が溜まっていくのだ。

 レクスが手を伸ばした反対側で、ブラムが三枚の書類を手に取った。レクスの席の近いところに置かれていたが、目測を誤ったようだ。レクスは礼を言って受け取ると、服の裾を直してから椅子に戻る。報告書は、カルラの几帳面な字で丁寧に書かれていた。

「城の雇用調査だっけ?」と、キング。「私の頃はやってなかったけど」

「キングの頃は違ったでしょうが、私のような若輩者に仕えることに不満を懐いている者がいるかもしれませんから。そのせいで不当な扱いを受けている者がいないとも限りません」

「ふうん……。考えたこともなかったな」

「キングになら、みんな喜んで仕えますよ。私には王たる器がありませんから。それに、もしそういった扱いを受けている者がいれば、不穏因子になる可能性もあります」

 使用人たちを疑うのは忍びないが、少しでも可能性があるなら潰しておかなければならない。それが他の使用人を守るためでもある。そうでなくとも、不当な扱いを受けている者がいるなら改善してやらなければならない。

「不穏因子って?」

「例えば、キングがご健在であるという情報を国の外へ流出させる者……などです」

「なるほど。でも、もしその可能性があるなら退職させるでしょ? 退職してしまえば縛るものがなくなるんじゃない?」

「……ルドは優秀な魔法使いですから」

 目を伏せながら言うレクスに、キングは一瞬だけ呆けたあと、おかしそうに笑った。

(したた)かな王だな」

「どういたしまして」

 すべての使用人が正直に応じてくれるとは限らないが、そういった可能性があるなら少しでも情報が欲しい。今回は、ブラムの名で調査をした。レクスでは信用できず応じることができない者もいるかもしれないからだ。報告書はカルラの手によるものであるため信用できるだろう。これを使用人のためにどう活かすか、というところからレクスの仕事が始まるのだ。



   *  *  *



 王になれと命じられたときには想像できていなかったことだが、王の一日というのは非常に忙しい。報告書は次々に山を作っていくし、視察の予定も組まなければならない。ほとんどブラムに任せきりだが、彼がいなければまともに仕事はできなかっただろうことは容易に想像できる。

「キングはこれを三百年もこなしていたんですよね」

 椅子の背もたれに体重をかけ、レクスはつくづくと言った。先ほどブラムに書類を預け、いまは小休憩中だ。その様子を眺めていたキングは、思い出すようにしながら言う。

「それくらいになるかもね」

「その点では尊敬しますよ」

「え、ほんと? ん? “その点では”?」

 騙されてくれなかったか、とレクスは肩をすくめて流した。

 自分が王だった頃はこんなに仕事はなかった、とキングは言うが、要は効率良く仕事をこなせていたということだろう。レクスは未熟さゆえに手が遅いため、次から次へと仕事が溜まっていく。それだけのことだ。

 そう考えたところで、机で山を作っている書類を思い出して手を伸ばす。まだ休憩している暇はない。

 キングもブラムも責めずにいてくれるが、王宮での仕事が終わらなければ視察にも行けない。レクスは毎日、必死だ。そのうち慣れるとキングは言うが、慣れるまでが大変、とは口が裂けても言えなかった。

「そういえば、キングは何度もうちの領地に視察にいらしてましたね」

 南の町の領地の端に、レクスの出身の村はある。特に目立つこともない小さな集落で、視察するほどのものは特段ないように思う。だと言うのに、キングは何度も訪ねて来て、そのたびにレクスが案内を任されていた。

「そうしないとお前に会えなかったからね」

 あっけらかんとキングが言うので、レクスは持っていた万年筆を折りそうになるのを堪えた。

「私欲で視察に来てたんですか!?」

「視察は真面目にやってたよ」

「当たり前です!」

「でも息抜きも必要でしょ?」

 王宮に召し上げられてからこの方、キングに対して落とした溜め息が何度目になるかはもう数えていない。少なくとも、一日に五回は溜め息をついている。ということはこの半年で、と考え始めていたレクスは、そうじゃない、とまた溜め息を落とした。

「先代様にこういうことを言うのは失礼なんでしょうが」

「うん」

「キングはもっとちゃんとした王だと思っていました」

「はは、そういう印象だったよね」

 きっと印象だけではないのだろうが、レクスがキングと接している時間はキングが王だった頃より退任後のほうが長い。王だった頃のキングの記憶は薄れつつあるが、魔族の王として相応しい人物だと思わせるには充分な風采だったはずだ。

 ひたいに手を当てて項垂れるレクスに、キングは慌てたように言う。

「イメージ壊しちゃった? 私はもとからこんな魔族だよ」

「……そこじゃないです」

 もういいや、とレクスは顔を上げる。きっと考えるだけ無駄だ。

「だって、任務外だとしても王が個人に会いに行くわけにいかないじゃない」

 どこか拗ねたようにキングが言うので、レクスは苦虫をを噛み潰したような表情にならざるを得なかった。

 任務外で個人に会いに行くわけにはいかないから、無理やり任務を作って会いに来ていた、ということである。まさしく私欲以外のなんでもない。いくら視察を真面目にやっていようと、そもそもの動機が不純である。それに付き合わされた部下たちをおもんぱかると、いたたまれない気持ちになった。

「でも、お前の村の水車に関する事業は領地にとって必要なことだったんだから、別に私が視察に行っても問題ないだろう?」

「視察自体は何も問題ないんです。なぜそこまでして一介の魔族に過ぎない私に会いにいらしてたんですか?」

 溜め息混じりにレクスが言うと、キングは悪戯っぽく笑う。

「わからない?」

「……?」

 レクスは首を傾げた。キングはそれ以上は話すつもりがないようで、どこか楽しげににこにこと微笑んでいるだけだった。

 ドアをノックする音に、どうぞ、とレクスが応えると、ブラムが執務室に入って来る。レクスが任せた仕事を無事に終えたようだ。

「先ほど、関所に来たという人間から書面が届きました」

「早かったですね」

 魔族の国と人間の国は別種族同士の国であるが、文明や外見が違っても言語は共通である。人間の文字を読み解くこともできるし、言葉を理解することもできる。翻訳の手間がかからないところは利点だ。必ずしも話が通じるとは限らないのだが。

 随分と急いでいるようだ、と書面に目を通しながらレクスは考えた。関所まで行って許可を取ろうとしたり、その日のうちに書面を届けたり、早く魔族の国に入りたいといった様子だ。

「……我が国と国交を結びたい、ということですか……」

「国交を結びたいのに」と、キング。「いきなり関所まで来ちゃうって、ちょっとせっかちが過ぎるね」

「そうですね。公的な書面を先に送るべきでしょうね」

 ひと通り目を通し、確認済みの書類の山に書面を置くと、レクスはブラムに言った。

「断りの書面を出しておいてください」

「かしこまりました」

「もうそろそろ人間と和睦したほうがいいんじゃない?」

 いつもの暢気な声でキングが言うので、レクスはムッと顔をしかめた。

「現状では無理ですよ。さっきも言いましたが、魔族の人間に対する心証は良くありません。それを無視して人間と和睦するのは、現実的ではありません」

「人間と接していれば、その認識も変わるんじゃない?」

 キングは人間に対して好意的のようだが、キングは討伐されているため最も人間を憎んでいてもおかしくない。だと言うのに人間との和睦を推すのはなぜなのか、レクスにはその理由がわからない。

「キングが人間の勇者に討伐されても生きている理由を知ることができれば、和睦も可能かもしれないですね」

「じゃあ厳しいかもしれないね」

 そう言ってキングがあっけらかんと笑うので、レクスは呆れて目を細めた。どうあってもその理由を話す気はないようだ。

「それに」レクスは言う。「このメルヒオール王国には勇者がいます。つい最近、国王が代替わりしたそうですが、勇者がいる国との国交は難しいですよ」

 この魔族の国と隣接するメルヒオール王国は、キングが討伐されるまでこの魔族の国に侵攻を続けていた。それが手のひらを返したのだから、警戒するのは当然というものだろう。王が代替わりしたため魔族と交友関係を結ぶよう方向転換した可能性もあるが、それでも魔族が人間を信用しないことに変わりはない。

「人間の知識は魔族に必要だと思うよ?」

「……キングは随分と人間を気に入ってらっしゃるんですね」

「魔族の暮らしをより良くするために必要ならね」キングは肩をすくめる。「敵対しようものなら今度こそ滅ぼすけど」

 キングならきっと、ひとりでメルヒオール王国を滅ぼすことができるだろう、とレクスはそんなことを考えた。

「知識が必要なだけでしたら」と、ブラム。「国交まではいかずとも、人間の暮らしを視察に行かれるのはいかがでしょう」

「お、それ良いね」

 きょとんと目を丸くするレクスとは対照的に、キングは即座に賛同する。もしかしたら同じことを考えていたのかもしれない。

「他の者に向かわせても構いませんが、レクスご自身で直接に見たほうが、信用に足る者たちなのかがお分かりになるのでは?」

「そうですね……。では、そうしましょう。断りの書面に記しておいてください」

「承知いたしました」

 レクスは人間と会ったことがない。一介の魔族でしかなかったレクスは、先の戦いでは出番がなかったからだ。その戦いのあとすぐに新王として就任し、人間の視察の申し出には毎度、拒否の書面を送ってきた。レクスには、まだ人間がどういった生き物なのかがわかっていない。

「明日は南の町の視察に行きましょう」レクスは書類を広げる。「まだ雨が降らないようですから」

「かしこまりました」

 人間の国への視察は、正直なところ気が重い。勘の悪いレクスには、接しただけで信用に足る者たちなのか判別するのは難しいのではないかと思う。王としてこなさなければならない任務だということはわかっているが、溜め息が漏れるのを禁じ得なかった。






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