【19】はい、喜んで!
「――はい、もういいですよ」
ブラムが手を離すので、レクスは上着の裾を直した。背後から斬り付けられた傷を見せたのだ。キングと護衛たちは医務室の外で待っている。さり気なく残ろうとしたキングは、カルラに問答無用で追い出された。
「回復魔法がよく効いています。もう大丈夫でしょう。ただし、魔力は回復しきれていないので、魔法は使わないでくださいね」
「わかった」
護衛たちがいれば、もし再び戦いを挑まれたとしてもレクスは魔法を使わずに済むだろう。普段使いしている魔法もないし、充分に魔力を回復させることができるはずだ。
レクスが医務室を出て行くと、真っ先にアンシェラが飛び付いて来た。
「無事でよかった~! 死んじゃうかと思った!」
「あなたたちも助けに来てくれたんですよね。ありがとうございました」
「レクスの護衛だもん! 当然のことですよ!」
キングがレクスの肩を引き寄せてアンシェラから離れさせるので、アンシェラは反省しているのかしていないのか、ごめんなさい、と言いつつもニヤニヤしていた。
人間が魔法による防護壁を越えて来たことも、空間分断の魔法を使えることも、魔族にとっては想定外のことだった。魔防壁を人間が越えることは容易なことではないはずで、空間分断もかなり高度な魔法だ。一介の人間の兵士に可能かと言うと甚だ疑問だ。
キングによると、これらの原因は調査中だという。もし魔防壁を突破する方法を人間側に知られれば、先のような事件は町でも起こる可能性がある。民を守るため、慎重に調査しなければならない。
「レクス」カルラが言う。「お客様がお待ちです」
「お客様?」
「応接間にお通ししました」
「わかりました」
首を傾げつつ、レクスは応接間に向かう。キングと五人の護衛は、先のことがあったためか警戒心が強かった。
応接間のドアを開けたレクスは、思わず目を丸くする。
「母さん!」
椅子に腰を下ろして待っていたのは、レクスの母だった。彼を認めると、母ティリーナはパッと表情を明るくする。
「コーレイン!」
安堵したようにティリーナが抱き締めるので、苦しい、とレクスは唸った。腕の力が緩められると、レクスは言う。
「どしてここに?」
「ブラム様から報せが届いて、居ても立っても居られなくなったのよ」と、ティリーナ。「無茶をするのはあのひと似ね」
ブラムが母に報せを出していたことは、レクスは知らなかった。もしかしたら回復魔法が効かなければ死ぬ可能性があったのかもしれない、とレクスは考える。ブラムが可能性の話をしたとは思えないが、母はレクスの危機を敏く感じ取ったのだろう。
「でも、これ以上の無茶は禁物よ。あなたが死んだら、私はひとりになってしまうわ」
「……はい、ごめんなさい」
小さく言うレクスに優しく微笑みかけたあと、ティリーナはキングに視線を遣った。
「キング、この子を助けていただいたそうで、本当にありがとうございます」
「当然のことをしたまでだよ。それより……」
キングが意味深に言葉を切るので、レクスとティリーナは揃って首を傾げる。キングは真剣な表情で再び口を開いた。
「息子さんをお嫁にください」
「――はい、喜んで!」
「ちょっと待って⁉」
満面の笑みになる母に、レクスは思わず声が上擦った。ティリーナは、なによ、と呆れた表情になる。
「愛してくれる人のそばにいることが一番の幸せよ」
「なんでそのことを……」
レクスは絶句するが、さあ、とティリーナは悪戯っぽく肩をすくめた。絶対にそうだ、とブラムを睨み付ければ、涼しい顔で流されてしまう。レクスは溜め息を落とした。
「キングがお嫁にもらってくだされば、私も安心できるわ。あなたは相変わらず危なっかしいもの」
「でも……」
「大丈夫。キングはきっとあなたを生涯、愛し続けてくださるわ」
「いや……そういうことじゃ……」
「もう、不満があるならはっきりおっしゃい。キングはそんなことでお怒りにはなられないわよ」
「ほんとにちょっと待って……」
項垂れるレクスに、ティリーナは頬に手を当てて困ったような表情をしている。レクスの侍従たちは、魔族はティリーナの言葉に頷き、人間たちは苦笑いを浮かべていた。
「……お……」レクスは声を振り絞る。「お付き合いから始めさせてください……」
「えっ、私たち、付き合ってなかったの?」
「やめてください、その町娘みたいな反応」
レクスがねめつけると、キングは悪戯っぽく笑った。ティリーナも安心したように微笑む。
「キング。コーレインをよろしくお願いいたします」
「全身全霊をかけて守り抜いて見せるよ」
レクスはもう何も言うことができず、大きく溜め息を落とした。
* * *
その日の夕刻、人間の国から書面が届いた。キングが先の五人組に関する陳述書を送っていたのだ。その返答は、五人が勝手に行ったことであり王宮は関与していない、王宮に責任はない、といった内容であった。
「予想通りの返答だな」
キングの手から戻って来た書面に、レクスも眉をひそめる。
「王宮が責任を認めれば争いの種になりますからね」
「これからも人間は魔族に接触を図るだろうね。いいか、レクス。絶対に私のそばを離れるんじゃないぞ」
レクスは小さく頷いた。先の戦闘で、レクスは五人の人間を退けることができなかった。キングであったなら容易いことだっただろう。その弱さが浮き彫りになったいま、キングと護衛たちから離れることは自殺行為だ。強さは徐々に鍛えていくしかないが、いまは彼らのそばを離れないことが最善の策だろう。
* * *
私室のベッドに倒れ込むと、どっと疲れが押し寄せてきた。無理は禁物だと仕事はほとんどしていないが、キングと母の結託に頭がついていかない。
確かにキングのそばにいることで危険度は限りなく低くなるだろうが、それとこれとは話が別である。お付き合いするということは、ふたりの関係が大きく変わることになるのだ。
「やっとお付き合いが始まったんですね」
イーリスが嬉しそうに微笑んで言った。
「どうしてそれを……」
あの場にイーリスはいなかった。レクスとキングがお付き合いから始めることを、彼女は知らないはずである。
「カルラから聞いちゃいました。もうお付き合いしていたようなものでしたけど」
他の侍従は知らないはずだが、イーリスはキングが私室に来てレクスを愛でることを目撃している。お付き合いしていないと言うほうがおかしい、と思っていたのかもしれない。
レクスは溜め息を落とした。
「生まれてこのかた、恋なんてしたことないからわかんないよ……」
「キングに対してドキドキしませんか?」
「それはするけど……。でも、あんなの誰でもドキドキしてしまうよ」
可愛いと言われて頬を撫でられ、あんな優しいキスをされれば、誰だってどぎまぎしてしまうはずだ。そのドキドキが恋心なのかがわからない。
「僕はどうしたらいいんだろう……。キングは僕にどうしてほしいのかな」
キングがレクスに何を求めているのかは判然としない。嫁にほしいと言うからには、何かをレクスに求めているのだろう。
「愛って、見返りを期待するものではないんですよ」
イーリスの言葉に、レクスは首を傾げた。
「ただその人が愛しいだけなんです。だから、キングはただレクスにそばにいてほしいと思っているだけだと思いますよ」
「……本当にそれだけでいいのかな。どうしたらいいかはわからないけど、それだけじゃダメな気がする」
「ご自分の気持ちと向き合われてみてはいかがですか?」
「僕の気持ち……」
自分がキングに対してどう思っているのか、それを考えるということだ。よく考えてみないと、すぐにはわからない。
部屋のドアがノックされる。応対に出たイーリスが、お茶を淹れて参りますね、と微笑みながら出て行った。部屋に入って来るキングに、レクスは体を起こして溜め息を落とす。
「どうした」
「……誰のせいだと」
キングは困ったように笑って、レクスを膝に抱えソファに腰を下ろした。レクスはいつも以上にどぎまぎして、キングから目を逸らす。しかしキングはそれを許さず、頬に手を添えて自分と視線を合わさせた。
「外堀から埋めるような真似をして悪かったとは思っているよ。ただ、お前を私のものにするためには、こうするしかなかったんだ」
キングは優しくレクスの頬を撫でる。触れられたところが熱くなって、顔が真っ赤になるのを感じた。
「私の想いはいつまでも伝わらないようだったからね」
「……でも……僕はどうしたら……」
視線を泳がせるレクスに、キングは優しく微笑んだ。
「お前はいつも通りにしていればいいよ」
そう言って、キングは触れるだけのキスをする。心臓が爆発しそうだ、とレクスは思った。
「お前は本当に可愛いな」
これまでの人生の中で経験したことのない状況と気持ちに振り回され、頭の働きが遅くなるのを感じる。キングが見返りを求めずレクスにそばにいてほしいと思っているだけなら、それに応える必要があるだろう。いつか、自分も自然とそう思うことができればいいのだが、とレクスは心の中で呟いた。
「僕は、キングと同じ気持ちなのかわかりません」
「いまはそれで構わないよ。ただ、お前が私のものだと忘れないでいてくれれば、それでいい」
イーリスの、自分の気持ちと向き合う、という言葉が頭の中を巡った。キングのためにも、それは必要なことのように思えた。




