【12】解放
レクスは目を覚ますと、自分の腰に回された腕にすぐに気が付いた。背後を振り向けば、なぜかキングが添い寝している。朝一番に見る美形は心臓に悪い。
起こさないようにそろりとベッドを降りようとしたとき、腰に回された腕に力が込められた。布擦れの音で振り向くと、キングが起き上がってレクスを引き寄せる。
「おはよう、レクス。よく眠れたか?」
「起きてらっしゃったんですか」
「お前の寝顔を拝んでいたのさ」
「悪趣味です」
レクスは腕を振り払ってベッドを降りようとするが、キングの力に敵うはずもなく。レクスを抱きすくめ、キングは満足げに笑った。
「こうしていると、一夜をともにしたような気分だ」
「からかうのはやめてください」
頬を赤くするレクスに、キングは悪戯っぽくまた笑う。
何が面白くて人の寝顔など見ていたのだろう、と考えていたとき、部屋のドアがノックされた。それに気を取られた一瞬の隙にキングの腕を抜け出し、どうぞ、とレクスは応える。部屋に入って来たのはイーリスだった。
「おはようございます」
「おはよう、イーリス」
「ご気分はいかがですか?」
「悪くないよ」
イーリスはどこか安堵したように微笑んで、朝の支度の準備を始める。うーん、とレクスは首を傾げた。
「何か良い夢を見たような気がする」
それを聞いたキングがにやにやと笑うので、なんですか、とレクスは顔をしかめた。
* * *
手早く朝食を済ませて執務室に行くと、ブラムがさっそく報告書を持って来た。直接に渡して来たということは、急ぎの報告書のようだ。
「人間から視察の申し出があります」
レクスは怪訝に顔をしかめる。先のレクスの視察の直後ということもあり、レクスの人間に対する心証はよくない。申し出た人間はそれを知らないのか、知っていて申し出たのかはわからない。
「正式な申し出ではなく、個人で申し込んできたようですね」
「個人で……。何が目的なのでしょう」
書面を見る限り、争う姿勢は見受けられない。だが先の視察でも書面上は敵意を感じなかった。人間が何を考えているのか、レクスにはよくわからない。
「私の知り合いだよ。今回、来るのは三人だ」
キングがあっけらかんというので、レクスとブラムは揃って怪訝な視線をキングに向ける。
「人間の知り合いがいたのですか?」
「ああ。前回の視察のことは聞いている。その詫びをしたいそうだ」
キングには悪いが信用できない、とレクスは思った。そもそも個人的に申し出るということに疑問が湧く。それもたった三人で。魔族がどういった種族であるのか把握していないということだろうか。
「会ってみたらわかるよ」
眉間のしわが深くなるレクスに、キングはあくまで穏やかに言う。キングは信用しているということなのだろう。
「……わかりました。キングがそこまで仰るなら」
不承不承に頷いたレクスに、キングは柔らかく微笑んだ。
レクスは視察を受け入れる書面をブラムに指示し、別の書類を手に取った。南の町からの報告書だ。
「南の町は無事に雨が降ったようだね」
「そうですね」
先日、視察に行った南の町は、長らく雨が降らない日が続いていた。神官が回復したことにより雨乞いの儀式を行うことが可能になり、無事に雨が降り出したようだ。
「雨乞いの儀式のことに気付いたのはキングですし、人間の知恵がなくても、魔族だけで解決できることは多いはずです」
報告書にサインをしながらレクスが言うと、キングは表情を変えずに彼を見遣る。
「確かに人間の国より文明は遅れているかもしれませんが、魔族も知能が低いわけではありません。きっと文明だって遠くなく人間に追いつくはずです」
顔をしかめるレクスに、キングはふっと笑った。
「随分と人間が嫌いになったみたいだね」
「先の視察は酷かったですから」
「まあね。私も新しい王を狙っているとは思っていなかったよ」
「魔族をよく思わない人間が一定数いるということですね。人間は争いを好むようですから、いつ軍を嗾けて来るかわかりません」
たとえば、視察を申し出た三人が侵攻の先触れということも有り得る。もし人間が、魔族側から攻撃を仕掛けさせ先の戦いでの自分たちの侵攻を正当化しようとしているなら、三人をひとつでも傷付けるわけにいかないだろう。
「大丈夫だよ」キングが穏やかに言う。「三人に戦う気はない。そんなに肩肘張らなくてもいいんじゃないか?」
「少しでも魔族の被害を出すわけにいかないんです」
「重く考えすぎだよ。個人的な視察で、国は関係ないんだから」
「……まあ、キングを信用します」
だからと言って人間も信用するというわけではないが、キングが脅威と見なしていないなら敵意を向けるわけにはいかない。戦争の火種を作ってはならないのだ。
* * *
私室に入ると、その途端に張り詰めていた緊張が解け、疲れがどっと溢れ体が重くなる。そうして、私室に戻るなりベッドにダイブするのだ。そんなコーレインに、イーリスはくすくすと笑う。
「今日もお疲れ様でございました」
「ありがとう……」
基本的にデスクについて報告書を確認する作業が多いため、体はさほど疲労感はない。問題は精神面だ。王として正しい判断をしなければならないという重責が、精神的な疲労を溜めていくのだ。
「人間が信用できるかどうかなんてわからないよ……」
「キングの戦いでは、魔族の被害も少なくありませんでしたからね。無理もないことですわ」
コーレインは先の戦争のことはよく知らない。人間からの侵攻であったこと、それからキングが勇者パーティに討伐され戦いが終結したこと……それくらいしか聞いていない。戦争は人間側の勝利であったため、すぐに人間と手を取れと言われても土台無理な話である。
「キングのことは信用してるけど、だからって人間まで信用するなんてできないよ」
視察を申し出て来た三人を、キングは信用しているらしい。しかし、キングは以前から人間の手を借りるよう進言していた。人間に対して不信感は懐いていなかったのだろう。それでも、コーレインが人間を信用する理由にはならない。
「キングを信じましょう」と、イーリス。「きっと何かお考えがあってのことですわ」
「……そうだね」
キングが考え無しに行動を取ることはない。イーリスの言う通り何か思惑があるのだろうが、レクスには想像の及ばないことだった。
ドアがノックされるので、どうぞ、とレクスは溜め息混じりに言って起き上がる。ドアを開けたのは、コーレインの予想の通りキングだった。
「私の可愛いコーレイン、元気だったか?」
「さっき会ったばかりじゃないですか」
お茶を淹れて参ります、とイーリスが部屋を出て行くと、キングはコーレインを抱えてソファに腰を下ろす。
「今日は私室まで来るなと怒らないのか?」
優しく頬を撫で微笑むキングに、コーレインは目を逸らした。
「……昨夜はすみませんでした」
「ん?」
「その……酷いことを言ったので……」
コーレインが口ごもると、キングは愛おしむように目を細める。
「酷いことだなんてことはない。あんなの可愛いものさ」
確かにその通りかもしれない、とコーレインは思った。キングは三百年間も王を務めていた。コーレインの想像の及ばない様々なことを言われてきただろう。コーレインにはまだその経験はないが、どれだけ憎まれ口を叩かれても王として耐えなければならないのだ。
キングの目を見ることができず、コーレインは俯く。キングが彼の頬に触れて強引に目を合わせた。
「お前は本当に可愛いな」
頬が熱くなる。幾度となく言われている言葉だが、いまだに慣れることができない。
「あの……」コーレインは誤魔化すために言った。「視察を申し出た三人は、本当に信用できる人間なんですか?」
「ああ、心配ないよ。そもそも、お前を害する可能性のある者を国に入らせるのは有り得ないよ」
「……そうですか」
「もしそんなことがあれば、私が三人の首を斬るしね」
「それは、戦争の火種になるのでちょっと……」
「戦争になろうが私はお前を守るよ」
「先代王のやることとは思えません」
「冗談だよ」
悪戯っぽく笑って、キングは優しくキスをする。キングはその気になれば国ひとつ滅ぼすことなど容易いことだろう。それほどまでに想われていると考えると、胸が苦しくて堪らない。
キングは愛おしむように微笑んで、コーレインの肩を引き寄せた。
「この先なん百年とお前とともにいられるなんて、私はそれだけで幸せ者だ」
「私はそれほど長く王を務められないと思いますが」
「私が続けさせるさ」
キングのサポートがあれば、コーレインでも王を続けることができるかもしれない。その自信はまったくないが、投げ出すことは許されないだろう。
「……私を、ひとりにしないでくださいね」
キングの手に触れながら言うコーレインに、キングはその手を優しく包み込む。
「お前がうんざりしても一緒にいるさ」
そして、またキスをした。




