07 私の契約方法
前に出る足が少し震える。武者震いかな。それでも一歩一歩踏みしめる。
東雲さんの冷たい視線や、姫野からの好奇の目、綾織さんからの応援タッチを貰って、私は前に進む。折紙の横を通り過ぎると、そこはもう観衆の前だ。
木偶を前にして、腰に刺したBlack Miseryに手をやる。
ゆっくり引き抜き、その刃を見つめ、震える手を落ち着かせるように深呼吸。
私はみんなの魔剣適性を見て、正直興奮していた。顔が少し緩み口角が上がる。
──自分にもそんな力が使えるのかもしれないと、考えてしまった。気を抜けばにやっと笑ってしまいそう。
ようやくここに来たんだ。
いままで、ずっと一人で夢を抱えてきた。
友達なんていなかった。
欲しかったけど、申し訳なくて望めなかった。
人生も輝いてなんていなかった。
でも、魔刃学園は初めて私を認めてくれた。
ここでなら私は輝ける。来たんだ、私の時代が!
「……──」
──そんな自分を、遠くから冷たく見る自分がいる。
内心の口先ばかりが達者で、知識ばかりの頭でっかち。私はたった11時間不倒門を殴ることしかできなかった、落伍者だ。
それを絶対に忘れるな。そのもうひとりの幻影《自分》はそう囁いた。
「……そうだね、うん、そうだったよ」
呟いて、もう一度思い直す。身体の反応は無理でも、心は制御できる。
私は弱い。ひとりじゃ何もできない。入試だって折紙に背を押された、初日は綾織さんの明るさに助けてもらった。姫野はなんだかんだピンチから救ってくれたし、東雲さんの言葉は強く厳しいが、幻想ではなく現実を見ろと導いてくれた。
私は弱い、ひとりでは何もできない、ちっぽけな存在だ。
だからBlack Misery、私に力を貸してほしい。
こんな私だけど、きっと心は誰よりも──。
剣聖になりたいって、想っているから──ッ!
「おい、浅倉シオン! やめろお前──」
振り上げた短剣を逆手に持ち替え、太ももに向け突き立てるその手は止まらない。
この自戒を忘れないように、身体に刻んでやる。血刻みっていうのは、魔剣との契約だ。気持ちを伝えるなら、でかい気持ちのほうがいい。
だったらBlack Misery。これが私の覚悟だよ。
「挑戦第一、後悔第二ッ!!!!!」
──ZASHIT。
全員が息を飲んだ音が聞こえた。その間、私は変にハイになってしまっていたのか、不思議と痛みは感じなかった。
今の私に提示できる代償はたったこれだけだ。
それに、眼帯先生はやれることを見せろと言った。
だったらば、見てくれ──! 私を見ろ!
これが私の、覚悟だ!!!!!!!
***
魔剣を司る「魔力」の源は「感情」だ。
個人の持つ感情がある一点の閾値を超えると、それは魔力として振る舞い始める。そして感情から魔力へとコンバートされた力は質量を持つ。
生体の「情報」でしかない感情が、物質化される。人はその非科学的で不可逆的な事象を魔法と呼んだ。そのエネルギーを身体から器に流せば魔剣となる。
魔力は普段、現世と隠世の狭間にある「断層」に貯蓄されるが、ある程度の魔力は血中にプールされ、血中魔力濃度という指標で計ることができる。
濃度が高すぎれば健康被害が出るという研究もあるが、まだ不明な点も多い。
しかし私は急激に血中の魔力量が増大すればどうなるのかを全く考えていなかった。急性魔力中毒下においては、一時的に意識が魔剣側に引き寄せられることがある。魔剣は自分の写し鏡──普段の自分ではない自分が外側に出てくる。
今の私は、緊張と期待と情熱という極大の感情が体内で魔力に変換され、それが断層を経由することなく、大腿動脈から直接魔剣に流れ込んでいた。つまり一時的にとはいえ、強い感情が産んだ膨大な魔力が血中を通った。
急性魔力中毒を引き起こす条件はそろっている。
「綾織! 今から救護委員はお前だ、すぐに養護教諭を呼んできてくれ!」
「またあたし!? いや、うん、行ってきます!!」
魔剣を太ももから引き抜く。血が見たこともない速度で固着し止血する。もたげていた首を動かし、空を仰ぐ。──……嗚呼、何て気持ちが良いんだ。
魔力が充填されたBlack Miseryに触れる手のひらがジンジンする。伝わってくる、この子は血を求めていたんだって。そして、魔力を十分に得たこの魔剣となら、きっとなんでもできる。
あんな木偶人形、粉々に出来る。
全能感が脳から溢れ出し、脳内麻薬に身体が侵されていく──。
「シオン」
声をかけたのは折紙アレンだ。
「なぁに? いますっごく気持ちが良いの。邪魔しないでよ」
自分の中の誰が喋っているのかわからない。
これは私の声で、私の意思なのか?
いや、どうでもいいかな。気持ちがいいから。
「お前、キャラがいつもと違うな。俺はいつものお前のほうがいい」
「そう……? 私はどの私も好きよ」
「いまお前は急性魔力中毒状態だ。魔剣に飲み込まれるぞ」
「それがどうしたの? 私は特別なんだから、別にいいじゃない」
「魔剣師は魔剣を操る者だ。お前は魔剣師になるんだろ?」
「あは、そんなの──」
私の理性が、その一瞬の間隙を縫った。
……そうだ。
「そうだったかしら。よくわからないわ」
うん、そうだよ。
「私はとくべ──……つ……なんかじゃない」
私は弱い。特別なんかじゃない。
「……私は魔剣師になる。剣聖になる」
「そうだシオン。お前はそれでこそシオンだ」
静謐に微笑んだ折紙は、その顔のまま私のお腹を力いっぱいにぶん殴った。
ヴッ……。
意識が途絶する。ああ……。またアレンに助けられちゃったな……。
今度……、お礼にパンでも焼いてやろっと……──。
***
「ほんで~、おもろいんがここ。ふともも。傷跡はあるけど出血あらへんやろ~? むっちゃすべすべのままやん? 魔剣でついた傷のおもろいとこやねん。自分自身についた傷は魔力の循環で代謝が加速されてすぐ治る……──って起きてるやん!」
ぼうっとする。視界がぼんやりとしていて、少しずつ瞬きをするとそこが保健室であることに気が付いた。2日連続で保健室って……。
なぜか興味深そうに私の太ももを撫でている綾織さん。私が目をやると顔を真っ赤にして手を引っ込める。養護教諭の方はまだ触ってる。女性だからいいけど、やっぱやめてー……。
昨日は清楚な美人だと思ってたけど口を開いたらこれなんだ……。
「あんた血刻みで急性魔力中毒やったんやろ? あはははははは」
「せんせー笑い事じゃないよ……」
「いやいや、笑い事やで? 毎年ほんま絶対ひとりおんねん。今まで不遇な人生送ってた子がな、一発逆転かましたろって自分にぶっ刺すねん。大丈夫大丈夫、そんな奴いっぱいおるから。きみは平々凡々やから!笑笑笑笑笑」
私は真っ赤に染まる顔をあんまり見てほしくないので逸らす。やめてー! 私の赤裸々な心を晒し上げるのやめてー! そこに居る子友達なんです! 恥ずかしいからやめてー!
「しかもおもろいんがな? それやらかすん、大体破戒律紋寮の子やねん。むっちゃアホやろ? ほんま何の伝統やねんて笑笑笑笑笑笑」
この養護教諭、容赦なさすぎない? ただでさえいたたまれないのに……。
「えと、それでシオンちゃんは大丈夫なんですか?」
「大丈夫やで。尻に輸血魔剣入れといたから血も足りてるし。むしろさっきより元気ちゃう?」
「え、お尻?」
今この人なんて言った!?
私はぞっとして顔を歪める。
「がはははっ、あーはっはっは~。うそうそ。輸血魔剣ケツにさすときはもっと重症の時だけやから。今回は鎖骨下静脈と下肢に1本ずつ刺しとるだけやから安心してな~」
「乙女ティッククライシスは免れたね!」
このやぶ医者……!
助けてもらったことは感謝するけど、色々腑に落ちない。
しかし養護教諭はそんなこと気にしないように、にかにか笑いながら、デスクに置いてあったマグの中を飲み干した。そして少しだけ真面目な顔をしてこちらを向く。
「その気持ちはええよ。魔剣師になりたいって強い気持ちは、そう、強い方がええねん。でもな、魔剣師が魔剣に司られるようなことはアカンで。ウチも治せるモン治せへんモンがある。せやから──」
養護教諭は私が寝るベッドに腰掛ける。そして冷たくて気持ちいい手で私の頭を撫でた。
「──焦ったらアカンよ。魔刃学園は逃げへんから」
にっと笑った養護教諭が、私が何か大変なことをしでかしてしまったのだと背負い込み過ぎないようにケアをしてくれているのだと気が付き、少しだけ申し訳なさを感じつつ、その言葉を胸に仕舞った。
「一歩一歩、やっていきます」
その答えは、養護教諭を笑顔にさせた。
「うん、それでよろしい! ほいじゃ、授業いってき」
「はい! え?」
「この学校、単位落としたら一発退場やから気ぃつけてな」
ぎゃーっ!
もうすっかり良くなった身体をひっさげ、迷惑をかけた綾織さんに平謝りし、第一競技場へと駆け出した。
初日からやらかして、顔から火が出るくらい恥ずかしい。でも、こんなことで止まるわけない。
『死ぬとき後悔するような生き方したら後悔するでな』
『──焦ったらアカンよ。魔刃学園は逃げへんから』
失敗しても止まらない。走り続ければ、後退しない。
もう私は不倒門に阻まれて、すごすご帰るあの日の私とは、違うんだ!
今の私は、失敗から学ぶことができる。今、それをちゃんと知った。
確実に変化した自分を見つめて、その変化が確かな成長ならばそれでいいと理解しながら、私は一歩一歩、走った──。
第一競技場は、もう目の前だ。
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