10 星を眺めて
腰に巻きついた綾織さんをひきずりながら食堂に向かうと、かっくんかっくん舟をこぎながら大あくびをした姫野がいた。
「姫野」
「おう浅倉。ふぁ~あ~。調子どうだー」
「うん、身体中痛いけど、意識ははっきりしてる」
「そうかそうか。メシ食えそうか?」
「うん、食べれる。ありがとう」
長テーブルに座って、ぐでぐでの綾織さんを椅子にちゃんと座らせる。まだ出会って2日目なのにこんなに人に気を許すなんて……この子心配だな……。
姫野はもう一度あくびをしてからうんと伸びると、軽く首を鳴らして食堂の奥へ引っ込んだ。
わが校の学生寮の食堂は当番制になっている。毎週各学年からひとり招集され、7人で寮の学生全員分の食事を準備するのだ。
将来食うに困らないように技術をうんたらと説明されたけど、それは大義名分でしかなく、わざわざ貴様らの為に調理師さんを雇うほどではないと暗に言われているわけだ。
初週の当番は姫野ユウリ。今朝はトーストだとか目玉焼きだとか普通のラインナップだったが、そういう「普通さ」がむしろこの特殊な環境では嬉しいことだった。
すると、綾織さんの鼻がヒクっと動く。その理由が私にもすぐわかった。
「カレーだぁ~!」
「カレーだね」
厨房から暖簾をかき分け、器用にふた皿運んできた彼は、福神漬けとソースもお好みでと渡してくれる。サービスしっかりしてんなぁ……。
「まだおかわりあるから」
「いっただっきまーす!!」
ぱくぱくカレーを口に運んで頬をとろけさせている綾織さん。いいな、私も食べよ……──。
「え、うま……」
「だろっ? だよな!」
「なんか、ママのカレーみたい!」
「そうそう、そーなんだよ! みんな実家から寮に入ったろ? だから家庭の味を再現してやれって先輩が言ってたんだ」
「言うは易しだけど、実際に作るのはすごい」
「褒めてもおかわりしか出ねーぞ。でも、その褒めが嬉しいんだよなぁ。スズカなんて『いつも通りね』しか言わねーし」
悪意ある東雲さんの物真似が若干似ていて不覚にも笑ってしまった。
「いつも通り美味しいってことじゃないかな!」
「まじかよお前ポジティブお化けだな」
「えへへ、それほどでも」
褒めてないんじゃない?
「そういえば東雲さんと姫野って地元が同じなだけ? にしては仲が良すぎる気がする」
「そうそう。愛知の安城な。本家は京都だけど。……って、オレとあいつが仲良く見えるか……?」
2人でコクリ頷く。するとだはーとため息を吐いた姫野。
「まあ幼なじみだし仲良くなくはねーんだけど、あいつってば昔っからずっと尖ってんだもん。ニコイチみたいに見られたらさー、なんかさー、オレまで距離取られるじゃん?」
「大丈夫だよ! 東雲さんは美人だから!」
綾織さんの純粋無垢で、劇薬みたいな暴言が姫野にとどめをさした。
「そうですよ……オレはどうせおしゃべりな三枚目ですよ……」
「わー! 違う、違うよ! ね、ほら、ふたりはいいコンビだけど系統が違うって言うかさ! シオンちゃんも何とか言って〜!」
「私は誰と付き合ってるかじゃなくてその人自身を見てるから問題ないよ」
「ほらほら! シオンちゃんもこう言ってる!」
「……ずっと友達がいないとね、そういう考え方になるんだ……」
「ぎゃああああああああああああ」
貫かれた姫野、ぼっち時代を思い出す私、地雷を踏み抜いた綾織さん。全滅。
とはいえカレーはほんとに美味しかったので、ちゃんと全部食べて、ついでにおかわりもちょっとだけ貰った。
「ま、そうは言ってもあいつなんかほっとけないからさ、結局一緒に居ちゃうんだけどな」
「そうかな。私はしっかりしてると思うけど」
「うんうん。強くてかっこいいし!」
「修学旅行で東京行った時、自由行動で地図読めないまま移動して、ひとりだけ群馬に居た」
「なるほど……」
「それは……」
残念美人属性というやつなのかわからないけど、なんか、心の距離だけは勝手に縮まってる気がする。親近感というか。
「さっきはああ言っちゃったけど、ユウリくんもすごいと思うよ! カレー美味しいし、東雲さんがアレンくんと喧嘩した時とかも頼りになったし!」
「たしかにね。それはそう」
「まーじかよ。オレあんま褒められ慣れてねーから嬉しいわ」
「でも努力家なら不死鳥紋でもおかしくないのに、なんでラタトスクなんだろうね」
「器用貧乏なんじゃない?」
「ウグッ!!!!」
しまった。つい口が滑って。
「オレは器用貧乏な糸目おしゃべり三枚目男ですよ……」
「い、糸目は言ってないよ!」
他のは言ったみたいに聞こえる。とどめの刺し方容赦ないな。
しばらく沈んでいた姫野だったが、ずっと顔をあげて、ちょっとだけ真剣な顔をしてみせた。
「……けど、オレ実際ラタで良かったよ」
「なんで?」
「オレって、夢とか特になくてさ。実家が魔剣師の家だから継ぐことにしたけど、ぶっちゃけそんなやる気なかったんだわ。でもお前らとか見てると、みんなギラギラしてて、一番になってやるって気概がさ、すげぇじゃん。ラタトスクなら、オレもなにか見つけられるかもしれねぇなって」
さっきまでへにょへにょしていた綾織さんも、それは真剣に聞いていた。
「それ、あたしも思った。あたしも、漠然とここにいるけど、ここだから、憧れを目指せるんだ」
綾織さんにも目標があるのか。どんなだろ。やっぱり、剣聖とか円卓騎士かな?
「ナズナちゃんの憧れって?」
姫野が相変わらず馴れ馴れしく綾織さんに聞くと彼女は一本指を立ててふっくらした唇にあてた。
「へへ、ナイショだよ」
ずっきゅーん。今私と姫野は多分同時にドキィッってしたと思う。この子アホなんだけどめちゃくちゃ可愛いんだよな……。
「オ、オレ洗いもんしてくるわ……」
「え、いいよ。あたし達やるよ?」
「や、オレやるよ、疲れてんだろ」
「ホント!? 嬉しい!」
こいつ露骨にポイント取りに行きやがったな……。
ごちそうさまをすると、もう一度姫野にお礼を言って洗い物はお願いし、今日はもう自室に帰って寝ることにした。
生活棟の廊下で綾織さんにありがとうを伝えてから別れて、部屋に戻る。部屋には藤堂さんはいなかった。外出だろうか。
大浴場は閉まっていたので部屋のシャワーで軽く済ませ、ベッドに潜る。
身体の痛みを感じる。でも割と誇らしい。あの不刃流に負けなかった。やっぱり我慢比べには、私はめっぽう強いのだ。
「……」
しばらく瞑目したりぼうっとしていたけれど、中々寝付けない時間が続いた。
何か足りない──。とそこで、毎日の日課であった素振りをしていないことに気がつく。
小学生の時は数百回が限界だったけど、中学になって魔刃学園の受験を視野に入れてからは一日千回がちょうど良くなっていた。
そのルーティーンをこなしてないから、眠れないのだ。
「どこなら素振りできるだろう」
「屋上がいいと思うよ〜」
「ぎゃっ!」
唐突に現れて返事をした藤堂さんに驚いて心臓がまろびでるかと思った。全然気配無いんだもん……。
「お、屋上ってあいてる?」
「うん。わたし本を読みによく行くの。風がとっても気持ちいいよ」
「そっか。なら、ちょっと行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
どこかぽわぽわとした藤堂さんに見送られ私は立てかけてあった木刀を手に古城のらせん階段を登った。
この古城の談話室があるメインの棟はチェスのルークのような形になっており、屋上はさほど危険でもないと私は思った。
数段のハシゴをのぼり、上向きに開く扉を開けると、少し上がっただけなのに風が気持ちよくて、心が澄んだ。
よし、じゃあ始め──……。
「……折紙?」
振ろうとした時、平坦な屋上から続く生活棟の三角屋根に誰かが座っているのが見えた。危ないところなのに、不思議と危なっかしくない。
それは、その人が折紙アレンだったからだ。
こちらの呼びかけに気づいて、ふっと一瞥した彼はまた無言で遠くを見た。
なんだよと思ったので、胸の高さまである塀を乗り越え、危なっかしく三角屋根に降りる。
半分四つん這いになりながら峰をゆくと、彼の近くに腰を下ろす。
「星を見ていた」
彼が呟いたので上を見ると、そこには都会では見られない星が散りばめられていた。
「すご、綺麗」
「考え事をする時は星を見る」
「なんか考えてたの?」
「今日の模擬戦について」
相変わらずの能面。でも、少し思い悩むような横顔だった。
「俺はあれが最善だと思っていた。だが、その場にいる全員本気なんだと言われ、反省した」
「ふふっ、真面目じゃん」
「次はちゃんと──。次はちゃんと、本気でやる」
「や……。私もハイになってて変なこと言ったよ、人死にが出たら困るもん……」
「その時はきっと先生が止めるだろ」
「それもそっか」
「だから、俺はもういつ何時も手を抜かない。すべて全力でやる。そう決めた」
「見た目の割に、熱血してんね」
「どう見えているんだ」
「うーん、クールな石頭?」
「そうか……」
私はへこんだ折紙の横腹を肘でつついて笑う。
「伝わったなら、よかったよ。酷いこと言ってごめんね」
「人生で初めてカスなんて言われた」
「ごめんて……」
「そういえばあの時俺を下の名で呼んだか?」
「そうだっけ。そうかも。嫌だった?」
「いや、いい。そっちの方が、仲良さそうだ」
ふたり微笑んで、静かで穏やかな時間が流れた。春の夜のやわらかい風が頬を撫でる。
「俺は今までシオンを舐めてた」
「なにそれむかつく」
「でももうそれはない。友であり、恩人であり、それから、剣聖を目指す好敵手だ」
「それは、光栄なことだね」
「手は抜かない──覚悟しておけ」
「そっちこそ。今度は私がぶっ飛ばす」
月が沈み、星は空を泳ぐ。疲れて三角屋根から落ちそうになるまで、ふたりはしばらく、そうしていた。
「ちょっと面白そう」と思っていただけましたら……!
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