00 果てのない憧憬
「……いた、い」
──だれか。
「……はぁ、はぁ」
──たす、けて。
「おね、がい」
夢の残り香の様に、意識が霧散する。
「だれ、か──」
──それは6年前、私がまだ小さい時のこと。
バスの中、周囲の人のスマホが震えて緊急アラートが鳴り響いたあと──巨大な黒いなにかがバスの側面に衝突した。
そして私はバスごと横倒しになって、小さな身体は吹き飛んだ。その時の傷がまだ太ももにある。
奥多摩にある特異点が予期せぬ開門をした。それは多くの「魔剣師」をもってしても止めることができず、中からずるりとバケモノが這い出たのだ。
私は運がなかった。そのバスに暴れながら衝突してきたのは、十三獣王の一柱、千里行黒龍だった。
──それは怪異の王だ。
龍王とも呼ばれるその身体は巨大で、のちに分かったことだが、私たちのバスにぶつかったのは龍王のひげの端でしかなかった。
隠世に続く特異点が世界各国に出現して、もう半世紀がたつ。未だに人類はその脅威を封じ込めることができていない。
咆哮というにはあまりに巨大で凶悪な轟音が響き、身体の先まで怯え、火災と瓦礫に埋まっていた時。意識が途切れそうになった私の頬を誰かが優しくぺちぺちと叩いた。
「や。大丈夫かい、少女」
柔和な女性の声。凛としていて涼しいのに、どこかあたたかい。
その声は言外に「もう大丈夫だよ」と言っているような気がした。
その人が何か根拠を示したわけでもないのに、私は安心でぽろぽろと涙が出る。
そして私はその人が背中に背負う紋章をテレビで見たことがあった。
──聖なる光を放つロングソード。
この人は剣聖だ。
特異点から出てきた怪異、来訪者。それを狩る専門職、魔剣師。
そして人外の強さを誇る魔剣師の中でも、精鋭たる騎士号を持つ者たちの、頂点。
一騎当万の戦略兵器。ただひとり、聖剣を背負う者。
それが剣聖だ。
そんな仰々しい肩書を意にも介さないようにその人は腕を伸ばして私の身体を痛くないように引き上げた。「だいじょぶ?」と軽い調子で。
微笑む顔は優しく、そして力強い。濡羽色のショートヘアの先が風になびく。頬の傷が、その人が戦士であることを再認させた。
「よい……しょっと」
立ち上がった後に見た町は壊滅的な状態だった。呆然として立ち尽くし、わけもわからずに涙が流れて、それを必死に手の甲で拭った。
圧倒的な力の前には人間が如何に非力かを考えてしまったのかもしれない。
だが千里行黒龍はいちいち人間の動向など気にしない。
ただそこを往くのみ。だが、それこそが災禍であり、脅威だった。
龍王は身体をねじる度に古くなった龍鱗を落とす。それは家々を破壊する。
そして、何もできない無力な私の頭上にも──それは落下する。
──SLASH。
一閃、音がして、自分が死んでいないことに気が付く。目を開けると剣聖が私の肩を抱き、片手を上に上げていた。それが反射してきらめいた。
剣聖の動きは計算された様だった。それとも予知か、ともかくまるで、ここに人がいて、そこにうろこが落ちてくるのを知っていたかのようだった。
私はまた涙を流した。今度は安堵だったと思う。それでも剣聖は子どもを特別にあやしたりはせず、ただ立ち続け、静かに告げた。
「人間は諦めないことができる。それが私たちの強さだ」
諦めないことができる。真っ直ぐ前を見据えてそう言う女性。
「……あなたみたいに、なれますか?」
幼い私はふとそんな事を口に出していた。荒唐無稽だ。それでもきっと、その背中に何かを見出してしまったのだ。
剣聖は少しだけ悩んで、静かに「ならないほうがいい」と答えた。それにどういう意味が込められているのかは終ぞわからなかった。
でも私は食い下がった。
「あきらめなければ、なれる?」
何を思ったのか、私はまたそんな事を言った。ぼたぼた泣きながら、血や洟を流しながら。
「なれる」
諦めの悪い私に、剣聖はまっすぐそう答えてくれた。小さく笑いながら。
諦めなければ、何事も為せる──。
しかし状況は芳しいとは言えなかった。龍王は未だ西東京どころか23区までもを覆わんとして進撃している。
剣聖は静かにそれを見ていた。どうするのかと私は思った。あれが仮に落ちてきたら都市が丸々滅ぶだろう。
けれど剣聖は落ち着き払って、誰かに声をかけた。
「スレイヴ。あれを落とさずに斬るにはどうしようか」
『我が名を略式で呼ぶな。正式にダーインスレイヴと言──』
「はいはい。で、どうする?」
『不刃流は万能に非ず──だが契約次第だ』
「生ハムの原木をやるよ。あれ好きだろ」
『……いいだろう。では構えろ。使え』
剣聖は半身になり、腰を落とす。手には何も持っていない。魔剣師なのに──。
だが、剣聖にはそんなことは関係なかった。指先がちりちりと音を立て、やがて目を焼くような光を放ち始める。
そして彼女は唱えた。
「不刃流九十九式。果てのない憧憬」
その詠唱で世界は光に包まれ、耳をつんざく轟音とともに一瞬で巨龍は地に臥せる。そして落ちる瞬間に、その肉塊は蒸発していった。私の目には何が起きたのか全く分からなかった。
「……じゃあね、少女。帰り道に気を付けて」
微笑んで、剣聖は去った。きっと他にも守るべき人が沢山いるのだろう。
かっこいいと思った、憧れてしまった。
ならないほうがいいけど、諦めなければなれる。その光明が、瓦礫の町をゆく松葉杖となった。
そして動き出した。私の心はとめどなく流れる。進む、走る──叫ぶ!
自分に誓った。
私はいつか人を助けられる光になる、と。
最強の魔剣師──剣聖になると。
そう、私の心臓は、そこから走り出した。
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