#記念日にショートショートをNo.4『いのち』(Life)
2018年5月3日(木)憲法記念日 公開
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なし
いのちは、とても大切なものだ。
その数の多い少ないではなく、
その種類の違いでもなく、
すべてのいのちは大切なものだ。
何かの動物のいのちが人間によって奪われたとしても、わたしたち人間は、人間のいのちが失われた時ほどに悲しみは感じない。それどころか、失われたいのちが人間のものだったとしても、その人間の属する国のネームバリューや数によっても、感じ方は違う。
多くの人が、1940年代に起きた「第二次世界大戦」を知っているだろう。
多くの人が、2001年9月11日に起きた「アメリカ同時多発テロ」を知っているだろう。
多くの人が、2011年3月11日に起きた「東日本大震災」を知っているだろう。
でも反対に、
何人の人が、 年 月 日に起きた「」を知っているだろうか。何人の人が、 年 月 日に起きた「」を知っているだろうか。
何人の人が、 年 月 日に起きた「」を知っているだろうか。
いのちの価値に、違いはない。
いのちの尊さに、違いはない。
いのちに、違いはない。
私たちは、テレビで流れたり新聞で目に留まったりする〝知る〟失われたいのちに、悲しみを見い出すことはできるけれど、〝知らない〟失われたいのちに、悲しみを見い出すことはできない。目にして知ったものでも、歴史的に見て大きなものではない限り、その多くを忘れてしまう。概要を覚えていても、詳細は思い出せない。
差別を、そんなつもりはなくても、気付かないうちにいつもしている。わたしたち人間は、罪な生き物だ。他の動物より多くのものを得ていながら、より多くのものを自ら手放している。
すべてのいのちを知るのは不可能だから、仕方のないことなのだろうけれど、やはりそういうことに気づけていないのは、とても残酷だ。
いのちって、なんなのだろう。
わたしたちは、なんなのだろう。
【登場人物】
【バックグラウンドイメージ】
【補足】
【原案誕生時期】
公開時