5話
外へ出てしばらくは特に何もなかった。町中と違ってまばらに生えている木々のほかは殺伐とした土の地面が広がる。町中は緑が溢れ、舗装された道と建物でいっぱいだった分落差が激しい。
二人は恐々と進んだ。歩いている内に自分たちは本当に逃げる選択でよかったのだろうかとじわじわ疑問に思えてきた。手元にはなにもない。食べ物や飲み物がないままでどうにかなるのだろうか。何となく、逃げたら言葉が通じる大人が保護してくれるのではといった気持ちもどこかで持っていたが、そもそもここが異世界なのだとしたら双子の持つ、しょせん子どもが考える常識など当てはまるはずもないのではないだろうか。
好きで読んでいた異世界ものの漫画の話だが、おそらく異世界へ自らが実際に飛ばされるか何かしてみると、参考になどする余裕もなかった。
とはいえその場でただ佇んでいても仕方がなく、恐々でも歩くしかなかった。
しばらくあてもなく歩いているとまばらだった木々が多少生い茂ってきた。元の世界で言うオアシスのような場所なのだろうか、湧き水もある。二人は恐る恐るそこへ近づいた。流輝はその湧き水に指先をつけ、それを舐めた。変な味もしないし痺れもしない。あとから腹が痛くなる可能性もあるかもしれないが、昨夜からずっと何も飲んでいない二人の喉はかなり渇いていた。
「多分大丈夫だと思う。でも後からお腹痛くなったらごめん」
「だ、大丈夫だと俺も思う。リキ、先に確かめてくれてありがと……」
二人は両手で水をすくい、一瞬だけ躊躇した後、口にした。幸い元の世界で飲んでいた水と同じような味がして、妙にホッとする。
そんな二人に何人かの大人たちが声をかけてきた。やはり何を言っているのかさっぱりわからない。おまけに昨夜見たような大人と違ってどこか汚らしい身なりをしているし何となく臭い。いわゆる旅人なのだろうかと流輝は思ってみたが、笑みを浮かべながら何やら言っているその人たちの人相も、勝手な直観でしかないとはいえかなり悪い気がする。
……旅人ってより、ごろつきとか悪い商人みたいなやつらって感じしかしないし。
流輝はぎゅっと琉生の手を握ると「逃げるぞ」と小さく呟いた。多分大声で言っても相手には伝わらないとしか思えないが、つい小声になる。言われた琉生は青くなりながらも「うん」と小さく頷いてきた。こういう時は一卵性双生児でよかったのかもしれない。変にタイミングを合わさなくても二人は息ぴったりのタイミングで駆けだした。とたん、大人たちがやはり何を言っているかわからないもののおそらく悪態だろう、それらを吐きながら追いかけようとしてくるのを感じた。流輝が何とか後ろをさっと振り向くと、何人かのうち刃物を手にしている者がいることにも気づいた。
「ルイ、あっちのほうに隠れるぞ!」
「わ、わかった!」
泣き虫であるはずの琉生だが、今はそれどころではないのか泣かずに必死になって流輝についてきている。改めて流輝は「ルイのこと、絶対守らなきゃ」と思った。ちらりと見た刃物のせいだろうか、頭のどこかで血まみれの琉生さえ何故か浮かんでしまい、本当は怖くてたまらない。だが気力を振り絞って体が小さいのをいいことに、逃げながら咄嗟に見つけた小さな穴に入り込んだ。
隠れるところを見られていたら、もしかして穴の中に火をつけられたりするかもしれない。そう思うとますます怖くて仕方がなかった。琉生ではないが泣きそうだ。琉生はただひたすら流輝にぎゅっとしがみついて震えている。
『あいつらどこへ行きやがった』
『こっちのほうに逃げたのは見えたんだがな』
『ッチ。体はちいせぇが、二人一緒の顔してたし黒っぽい髪に黒っぽい目をしてやがった。絶対いい金になったぞ。何が何でも探すんだ』
『俺、あんな色であんな顔つきのガキ見たことねえ。希少価値高そうだったよな』
『おい、あっち側はどうだ』
『よし、もう少し分散して探せ』
穴の外から何やら怒鳴るような声が聞こえてきたが、二人にとっては「言葉」ではなく恐ろしい雑音でしかなかった。二人で抱き合う。ともすれば叫びそうなくらい怖かった。そうならないためにも、歯を食いしばり、ひたすらお互いをぎゅっと抱きしめた。
しばらくして音も聞こえてこなくなったが、それでも念のため小さな暗い穴に隠れたままでいた。その間に二人の体をよくわからない虫が這っていったりしたが、見つかるよりはまだマシだった。
ようやく穴から這い出た時にはずいぶん日も高くなっていた。とりあえず人を避けるようにして少しでもその場から遠ざかる。その頃にはすでに自分たちはこのままどうなるのだろうという考えが頭の中を占めていた。だがのんびりと考えている暇などなかった。
「に、逃げるぞ……!」
「ま、待って」
しかし人を避けていたらむしろ人でないものに出会ってしまった。それらを何と表現すればいいのかわからない。今まで生きてきて見たことのない恐ろしい生き物だった。もちろんじっと見ている余裕など皆無だったが、角や牙が目の裏に残像のように焼き付いている。四足のものもいれば二足歩行のものもいた。完全に獣のようなものもいれば、どこか人に近いものもいた。ただ共通してわかることは、どれも間違いなく二人を殺そうとしているか食おうとしているかだということだ。
水はかろうじて飲んだものの、何も食べていない上に精神的にひたすら消耗しかしていない。おまけに人さらいのような怖い大人から必死になって逃げて隠れていただけでなく今や恐ろしい生き物から文字通り命からがら逃げている。もはや心身ともに限界だった。
あのまま豪華な部屋にいるべきだったのだろうか。だがフードの男は琉生を襲おうとしたようにしか思えなかった。とはいえ現状よりマシだったのではないだろうか。
ワクワクした気持ちなど、とうの昔に吹き飛んでいる。流輝もそろそろ本気で泣きそうだった。
学校と塾と家族と友だち。そんな中でぬくぬくと生きてきた自分たちがこんな恐ろしい生き物から無事逃げられるとは思えない。
「っリキ……!」
思っていた通り、恐ろしい生き物が咆哮を上げながらするどい爪を流輝へ向けてきた。琉生が泣きじゃくりながら流輝の名前を呼んでくる。琉生を守りたいのに、その前に自分がもう駄目だ、と目を瞑ろうとした途端、その生き物がまた叫び声を上げた。そのままその生き物はものすごい音を立てながらその場に倒れた。