第144話 番外編・猫と男は寂しさで死ねる
言っておくけど、僕は元からこんな性格だったって訳じゃない。
素直で親の言うことをきく、とても真面目な良い子。それが世間に対する僕の印象で、僕自身もそうだと信じて疑わなかった。
それが変わるキッカケになったのは、上の姉に男が出来て、それを両親が不在の時間を狙って連れこむようになってからだ。
品行方正を絵に描いたようだった美しい姉は、その男と出会って変わった。付き合っているのかと聞けばそうじゃなく、自分の他にもたくさん女がいる男だと言う。
なぜ、そんな男がいいのか。
姉ならばいくらでも結婚を前提とした付き合いを求める男と出会えるのに、と。
だが姉は、自分の部屋で真っ昼間っから、その男に獣のような声を上げさせられることの方を望んだのだった。
女とはそうしたものであるのだと、僕が知るにはまだ早過ぎた年だった。
ある時、男に食べさせる食事と飲み物を取りに、部屋から出て来た姉とすれ違った際、閉じかけたドアから、中を覗いてしまった。
本当は近付かないようにしていたんだ。
姉をあんな風にさせた相手も、あんな風になっている姉も、見たくはなかったから。
──好奇心は猫を殺す。
見たくもないものをみて、心が殺されるかも知れないのに、僕はそれを覗いた。
中にいたのは、手練手管の中年男性などではなく、僕と殆ど年が変わらないにも関わらず、大人のようなモノがついた、不思議な色気のある裸の子どもだった。僕はそいつと目が合ったまま、瞬きも身じろぎも出来ずに、しばらくそこに立っていた。
野良猫のような、まったく人を信じていない目をしたその子どもは、そいつ自身も瞬きもせず、じっと僕を見ていた。僕は心臓が早鐘を打ち慌てて自分の部屋へと逃げ帰って鍵をかけた。それが僕と彼との出会いだった。
彼に再会したのは飛び級制度で通うことになった前期中等教育の学校でのことだった。
すぐに彼と分かった。相変わらず、人を信じていない、いや、人を人とも、思っていないような冷たい眼差し。
どこか大人びていて。
それでいて危うげで。
今よりもずっと線が細くて、少年というに相応しい、幼い体つきと、今とは違った妙な色気を持っていたから。
彼はとても目立つ人だった。誰ともつるまず、かと言って周囲に人がいないということもなく、彼に憧れる人間たちが、常に周囲を取り囲んでいた。この頃はまさか僕自身が、彼の相棒と呼ばれる立場になるとは思ってもいなくて、それを遠巻きに眺めていた。
彼と親しくなる前、僕はタチの悪い連中に絡まれていた。今よりもかなり背が低く、細身で中性的な顔立ち。いかにも弱そうで反抗しそうにない見た目の僕は、奴らからすれば簡単に脅せそうな獲物だったのだろう。金と嫌がらせ。彼らの目的はそれだった。
まるで僕から奪えるものは根こそぎ奪おうとするかのように、大勢で僕に絡んでくる。
こういうタチの悪い奴らには、対抗する手段なんてものはない。ただ、いかに目をつけられないように、目立たず過ごすか。目をつけられたが最後、しゃぶり尽くされる。
彼は絡まれている僕に気付いていたみたいだけど、興味がなさそうに、僕を助けるでもなく、奴らをいさめるでもなく、一緒になって奪おうとするでもなく、ただたた無関心だった。僕と彼は交わらない筈だった。
ある時教室に忘れ物を取りに戻った僕は、そこでとんでもないものを見た。フランスの学校は窓がないことも多い。どこだかの国には採光基準なんてのがあるらしいけど、フランスにはそういったものはないから。
「……先生?」
薄暗い教室で、しゃがんでいる大人の女性と、その髪を掴んで、自らの股間に近付けて笑っている少年。──彼だった。
僕の知る限りで3人。彼はその後も女教師たちに、学校でしゃぶらせていたのだ。
「……またなの。」
はあ、と僕はため息をついて、女教師が立ち去った教室に入って行く。もうこの光景を目撃するのは何度目だっただろうか。
「家に付いて行くのは面倒だからな。こうしてやりゃあ、女は言うことを聞くんだ。」
自分の体を最大限に武器として使う。
女から見た自分の魅力というものを理解している彼は、自分に興味を持つ女性たちに近付いては、関係を持つことで言うことを聞かせていた。彼は特に権力を持つ女性に近付いて、気に入られるのが上手い男だった。
これは大人になってからも変わらず、勇者として異世界に連れて行かれた時、とある国から僕らが逃げ出して、他の国に逃げた際にも、その国の女王の協力を取り付けるのに役に立った。その当時唯一女性を王にしている国があると知った時点で、逃げるのはその国と決めていた。女王はその世界での、彼の1番目の愛人になった。
姉との現在の関係を尋ねた時、彼は僕の姉のことを覚えていなかったけれど、多分もう別れた女の1人だろうな、と言われた。
姉とも別に付き合っていたわけじゃなく、家に帰らずに済むようにする為に、女の家を点々としていた時期だったとのことだった。
彼には年の離れた兄弟が3人いて、彼自身は4人兄弟の3番目だというのも、関わる内になんとなく知った。全員男だそうなのだけれど、大なり小なり彼のような感じらしい。
特に父親がこういう感じらしくて、見た目も彼とソックリとのことだった。まあ、遺伝じゃねえの?と彼は笑って言った。
「何やってんだ?」
「……ちょっとね。」
僕はスマホの写真フォルダを確認して整理をしながら、彼の話を話半分に聞いていた。
この頃には僕の身長も少し伸びていたけれど、相変わらず嫌がらせは続いていた。
「……先生、お時間よろしいですか?ちょっと見て欲しいものがあるんですけど。」
僕は女教師たちに1人ずつ接触した。
結局のところ、僕は3人の女教師を、彼との関係を写した写真と動画を使って脅して、奴らに対抗する力として使うことにした。
嫌がらせをしていた奴らは学校を去った。
「オマエ、意外とそういう奴だったんだな。
大人しそうな顔してよくやるよ。」
彼は楽しそうに笑っていた。
「実際僕は大人しいよ。ただ、やられっぱなしも性に合わないっていうだけだよ。」
僕は肩を竦めてそう答えた。
情報を集め、策を張り巡らし、使えるものは全部使って、最も有利な状態に導く。
頭はいいけど、どちらかと言えば直情的に動きたい彼にとって、僕のそんな行動は、自分の後始末をさせるのに、ちょうど良かったみたいだ。気付けば横にいることが増えた。
夏のバカンス旅行で飛行機が落ちて、突然見知らぬ土地に召喚され、勇者だなんだと言われた時も、僕と彼だけは冷静だった。
戻る手段はあるのか。ないのであればこの世界で自分の立ち位置をどうやって確保するか。最も安全な方法は。
それを調べるうちに、僕らを便利な捨て駒として、魔族の国に送り込もうとしているというのを知り、僕と彼は、僕らよりも前にこの世界に召喚された、日本人男性を連れてその国を逃げ出した。一緒に連れて来られた奴らにも、一応声はかけたけど、すっかりこの世界に染まってしまって無駄だった。
唯一の女王の国へと逃げ込み、まんまと彼が女王の愛人の座に──いや、女王自身が彼にかしずく愛人の座におさまり、僕らは今のエンリツィオ一家の前身となる、逃亡勇者を集めた組織を作った。
彼女と出会ったのは、組織が少し大きくなって、逃亡勇者以外も組織に入れようとなった頃だった。彼女はちょっと変わったお嬢さん、という印象だった。今思い出すと、あの時既に彼を好きになっていたんだろうと思い当たる出来事の時点で既におかしかった。
僕が彼女をアジトに連れて来て説明をしてた時、彼はまだ戻っていなかった。突然彼が後ろから現れた瞬間、彼女は?????を浮かべた表情で、ビクついて真っ赤になった。
「……どうかした?」
「いえ、ちょっと……。」
彼は後ろに立ってただけで、声も発さず、目の前にいる彼女を、上から下まで舐めるように凝視していた。
まるでその視線が見えるかのように、視線に愛撫されて、抱きすくめられているかのように、意識が全部後ろに持っていかれてた。
細胞に目でもついてんのかと、後から思い出した記憶があるくらい、彼女は、声も発さず、姿も見えない、初対面の、自分の後ろに立ってただけの男に一目惚れしたのだ。
これを一目惚れっていうのか、正直分からないけど。
今度組織に入れようと思っているんだ、と彼女を紹介したけど、彼女はアップアップした様子で、後ろを振り返れないでいた。
彼女はとてもキレイな子でスタイルも良かったから、くれぐれも手を出すなよ、と念を押しておいたけど、彼も後ろ姿の時点で興味を持ってしまったのは確かだった。
彼が、オイ、と声をかけた瞬間、彼女の緊張は更に酷くなって、僕は彼を怖がっているのだとばかり思っていた。
僕にとってはただの友人だけど、醸し出す雰囲気だけで、相手をビビらせることもあると言われる彼だったから。
彼がうちのボスだよ、と僕が説明しても、彼女は洋服の裾を握りしめて、真っ赤になって振り返ろうとすらしなかった。彼からしても、勝手にビクつく相手なんて見慣れたものだったから、気にもとめていなかった。
呼んでんだろ、と再度彼に声をかけられた彼女は、意を決したように急にシャンとしたかと思うと、今でもよくする、仕事の時のキリリとした彼女の顔付きになって、彼に振り返ると、名を名乗り、よろしくお願いします、と綺麗なお辞儀をしてみせた。
僕が、この子は普通とちょっと違うと思ったのはこの時からだった。
彼女は彼の前で1度もキリリとした表情を崩さなかったし、初対面の時の彼女の様子のおかしさに気付いていなかったから、彼もまさか自分を細胞レベルで好きになる人間が存在するなんて、夢にも思っていないと思う。
その時のことを思い出せば、彼の腕が切り落とされた時、彼女が自信タップリに、万が一バラバラになってたとしても、私が見つけ出しますから大丈夫ですって言った言葉を、疑う余地なんてどこにもなかったんだよね。
彼女は結局、彼の愛人になってしまった。
本気で愛している相手の愛人だなんて、彼女が傷付くだけだろうに、こんないつ死ぬかもわからない世界だと、刹那的な愛に身を焦がすほうが大切に思うのかも知れなかった。
もしも、明日死ぬとしたら。
僕も彼も、常にそのことを想像しながら生きていたから、彼と似た彼女も、同じような考えを持っていたのかも知れない。
だとしたら、なんの関係も持たないのは、きっと後悔するだろうから。
その後新しく仲間というか、協力者になった男の子の好きな子が、まったく同じことが出来たらしく、「好きなら出来て当たり前って言われたんですよね、その子の友だちもおんなじことが出来るらしくて。
女ってすげえなって思いました。」
と言われて、あとで思わず僕の奥さんにもそれとなく試してしまって、ちゃんとどれが僕だか見抜いてくれたことに泣きそうになった僕に、うん、そうだね、分かるんじゃない?好きなら普通、と言われて完全に泣いてしまったのは誰にもナイショだ。
僕の奥さんと知り合ったのは、もう少し後のことだ。僕はあまりに理想の姿の女性が目の前に現れたのを見て、どこの組織の回し者なのかと、調べるのに躍起になっていた。
女を使って取り入ろうとするのはよくあることだったし、僕にもそれは何度となくしかけられてきていたから。
だけど、こんなにも完璧に、彼にも話したことがない筈の、僕の理想を体現したような女性を連れて来られるなんて。
知らないあいだに、それらしき雰囲気の女性を見ていた?だから気付かれた?
いや、まさか、そんな。
考えれば考えるほどわからなかった。
だけど、考えるのは無駄だったんだ。
だって彼女の行動は、誰に命令されたわけでもなかったんだから。
ただ、僕にとって理想の女性から見て、僕が理想の相手だったという、幸運に恵まれたというだけの間抜けな話だったのだから。
彼ならともかく、僕にこんなことが起きるなんて、想像もしていなかっただけなんだ。
こんな不意打ちは卑怯だ。
だってそうだろう?
よく、心を取り出して見せられたらいいのに、だなんて、言葉ではよく聞くけれど。
本当に取り出して相手から見せつけられることなんて、あると思うか?
この世界の魔法花、スピリアは、近くにいる者の感情を吸い取って色を変える。
まるで心のリトマス試験紙のように、僕を見つめる彼女の後ろのスピリアの花たちは、彼女の僕への思いが滲み出して染み込むかのように、僕を包み込もうとするように、どんどんと真っ赤に色付く面積が広がってゆく。
ああ、もう、チョロい男といわば言え。
僕はこの出来事で、すっかり疑うまでもなく、彼女に心を囚われてしまったのだった。
この世界には婚姻を証明する手段は結婚式しかなかったから、我慢しきれずにすぐに結婚式をあげて、一緒に住む家を探す間に、彼女のお腹には第一子となる子どもが出来た。
このことばかりは、無理やりこの世界に連れて来られてよかったと、神に感謝することになった。だって彼女は現地人だったから、こっちに来なければ知り合うこともなかったんだから。まあ、実際はそうじゃなかった、元の世界にいてもいつか出会えた運命の相手だったというのが、後々わかったけど。
「だから言ったろう?
アイツは疑り深ケェから、直接見ねえと信じねえって。」
どうやら彼はずっと彼女の相談に乗っていたらしく、今回の出来事も、蓋を開けてみれば、彼の入れ知恵だったらしい。
まあ、結果として彼に感謝することにはなったけれど、なんとなく彼に弱みを掴まれたような気がしないでもない。
そうしてやっぱり、彼は事あるごとに彼女のことで、僕をからかうようになったのだった。それがとても悔しくて、いつか意趣返ししてやろうと心に決めていた。
彼女は唯一、彼を性的な目で見ない女性として、彼の女友だちになっていたから、顔を出す機会も多かった。
のちの彼の唯一の恋人になった男性とも、顔を会わせることが多かったからか、彼らの変化に真っ先に気が付いたのも彼女だった。
僕の知る限り、彼が本気で人を好きになるのは、これが初めてのように思う。彼を愛している女たちが、泣くことになるだろう。
──彼の愛人になってしまった彼女も。
僕は既に妹のように思っていた彼女のことを思い出して、それは少し心配だったけど、ようやく彼に意趣返し出来る材料を手に入れたことに、内心ホクホク顔だった。
……やがて恋人を失った彼の心が、壊れていくとも知らずに。
女と兎は寂しくても死なないけど。
猫と男は、寂しさで死ねる。
死んだのが彼女だったとしたら。きっと僕も、寂しさで死んでしまっただろうから。
月イチ自己ノルマ更新です。
来月から第5部、“聖女殺しの殺人祭司編”に突入します。
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