「暗闇についての考察」
「暗いのが怖いって?お前何を言っているんだ?」
Fはまさしく(何を言ってるんだこいつは?)と、いう少しバカにしたトーンでそういい放った。
この野郎。
時々コイツはこういう時に僕の事をバカにするんだよな。
根はいい奴なんだが、頭が良すぎて頭の悪い奴の事が理解できないんだろうか?
と、僕は心の中でこっそり呟いた。
「いいか?Y。」
Fはそう言って話を続けた。
…
その日僕たちはいつものようにFの部屋にいた。
暇を持て余した中学生最後の夏休みをどう過ごそうか話していたのだが、やはりというかなんというか、僕とFが話すとどうしてもオカルトじみた方向に行ってしまうのだ。
肝試しをしようかなんて話をするも、僕達の住んでいた田舎町は本当にのどかで何もなく、廃病院も旧校舎も肝試しに使えそうな建物は何もない。強いて言えば自衛隊の演習場は怖いが怖さの意味が違う。
ならばお化け屋敷でも作れないか、などと話が飛躍しまずは暗い部屋を用意しなきゃ、なんて僕が言ったところにFが「なんで暗い部屋なんだ?」と問いかけてきたのだった。
「そりゃ、暗い所の方がこわいだろ?」
という僕に「なんで?」と言わんばかりに返されたのが冒頭のセリフだ。
…
「いいか?Y。夜寝るとき電気消すだろ?目を閉じるだろ?」
「うん。うん。」
「怖いか?」
「いや。」
「だろ?暗闇なんて何が怖いんだ?そんな事言ったら盲目の人なんてどうなっちゃうんだ?」
確かに、それはそうなんだけど、そうじゃなくって。
「いやいやいや、違うって。寝る時の暗いのと廃墟とかお化け屋敷で暗いのは違うだろ?」
僕は精一杯の反論を試みた。
「何処が違うんだ?」
「いや、その、なんて言ったらいいかわかんないけど。」
ひと言で行き詰まった。
ふむ、とFはちょっと偉そうに頷く。僕は3月生まれ、Fは4月生まれ、クラスメイトだけど実際にはFは僕よりほぼ1歳年上だ。偉そうな態度が多かったが今にして思えば実は兄貴ぶっていたのかも知れない。
「そっか、Yは混ざっちゃってるんだな。」
そう言ってFはケラケラと笑った。
気のいいいつものFだ。
「よし、暗闇を作ろう、手っ取り早く。」
「う、うん。」
手のひら返して暗闇を肯定し始めた。
でもこれ、はぐらかされたような気がする。
僕は悔しい気持ちでモヤモヤしていたが、ニコニコした丸顔のその笑顔を見ると、いつも何故か怒れなくなってしまうのだ。
暗闇も作るって言うし、まあいいか。
そして僕たちは気を取り直して中学生最後の夏休み用イベント企画を再開したのだった。
…
何をするか、は、あっさりと百物語に決まった。
手っ取り早く暗闇を作るというFの意見がそのまま採用された感じだ。凝った仕掛けもいらない。部屋とロウソクがあればできるもんな。
次は場所だが、これは僕の部屋に決まった。Fの部屋より広かったからだ。
我が家は当時まだ平屋で、端の部屋を僕と兄(本当の)で使っていた。家を増築して僕と兄が自分の部屋を持てるようになったのは、僕が高校生になってからだ。
相部屋ということもあり、一応、八畳間。
子供達が数人集まるくらいは余裕でまかなえる。それに雨戸を閉めて入口の襖をしっかり閉じれば昼間でもほぼ真っ暗にできるのもいい所だ。雨戸の隙間から漏れる光はカーテンを閉めておけばなんとかなる。
百物語には俺たちの他にあと3人集まった。
全員クラスメイト。近所のO、それにS、あとはUという女の子が一人。
僕は自分の部屋に女の子が来るというだけで少し舞い上がっていたけど、思い返せばあまり僕たちと接点のない彼女が来ること自体不自然だ。今更確認のしようもないのだが、彼女、実はSと付き合っていたのではないだろうか?
ともあれそんな寄せ集めのメンバーで、急ごしらえの百物語は始まったのだった。
何しろ子供の企画だ。今振り返ってみてもいい加減だったと思う。
第一用意できたロウソクは3本だけだ。100本なんてお小遣いを使い果たした僕たちには用意できなかった。しかもうち1本は誕生日のケーキに使うカラーの捻れたロウソクだ。
あと百物語とは言うがそもそも話す物語も100話用意してない。5人で割ったら1人20話だ。子供の頃からお化けの話が好きだった僕はともかく、OもSもそんなにレパートリーはないだろう。畳の上にはネタが尽きた時のために怖い話の本が何冊か用意されていた。いざとなったらその本を朗読すれば良い、とはなんともいい加減な企画を立てたものだ。
話し終えたらロウソクを消すルールも変更した。3本しかないから結局消さない方向で。
僕は密かに100話話し終えたら何か起こるのではないかと期待していたのだが、これじゃどう考えても何も起こるはずはない。
でもそんな穴だらけの企画ですら、当時の僕達には楽しい夏の思い出づくりだったのだ。
…
真っ暗な部屋にロウソクの灯だけが揺れる。
ありきたりの怖い話をひと回りしたところで、Fの番が来た。
Fはロウソクを一本持つとあごの下に寄せて怖い顔をしたが、みんなからクスクスと笑われるだけだった。
笑ってる皆をジロリと睨んでFが話し出す。
「みんな、本当に怖いものってなんだか知っているか?
──── 俺は、暗闇だと思うんだ。」
Fは本当に口が上手い。こういう時には雰囲気づくりも上手くて、皆が話に飲まれてゆく様子が手に取るようにわかった。
だけど僕だけは(なんだって?)という気持ちでまたモヤモヤしていた。この野郎、この間暗闇を否定したばかりだってのに。
「暗闇は怖いよな。でも、なんで暗闇が怖いんだと思う?
暗いだけじゃ何も怖くない。
だって、そんな事言ったら目の見えない人はどうなっちゃうんだ?」
Fは僕に言ったセリフをみんなにも繰り返した。
「でも暗闇は怖い────
なんでだろうな?
なんで暗闇は怖いんだろう?」
ロウソクの灯りの中で僕達は顔を見合わせた。怖い話を話すとは言ってもむかし話や体験談、友達の友達から聞いた話なんてものが出て来る程度だと思っていた僕達は、おかしな方向へ突き進んでいくFに戸惑うばかりだ。
「よく言われるのが、大昔、俺達の祖先が闇の中で獣達を警戒していたその本能が遺伝子に残っている、という説だ。
確かにそれもあるだろうけど、それだけじゃ説明がつかないこともある。
現にこの部屋には獣も襲ってくる敵も居ない。
──── でも、何か感じるだろう?
俺達が百物語をやり始めてから、
この部屋の闇がさっきより濃くなってるのを感じるだろう?」
また、皆は顔を見合わせた。
確かに部屋の中は最初に入った時より暗くなっている気がする。ただ実際に闇が濃くなっているわけではない、むしろ目が慣れてよく見えるくらいだ。
しかし穴だらけの百物語、怖い話といっても大した話をしたわけでもないのに、なぜかその部屋に重たい空気が集まっているようで皆が薄ら寒い思いをしていた。
部屋の外でうるさいくらいに鳴いていた蝉の声がいつのまにか止んでいた。
「俺は暗闇は怖いと思うよ。
それはそこに何かがいるからだ。」
「何も居ないよ。」
「居るんだ。怖いと感じた時、何か不安に思った時、そこには必ず“何か”がいるんだ。
それが人間の本能に刻まれているんだ。
獣じゃないぞ。
そこに、
闇の中にいるものを人は恐れるようにできているんだ。」
「何も居ないじゃん。」
「居るんだよ。今から見せてやる。」
そう言ってFは目の前のロウソクをフッと吹き消した。
そして次の瞬間
Fを除く全員が悲鳴をあげて部屋から飛び出した。
その時僕達は確かに見たんだ。
Fの背後に真っ黒い影がゆらりと揺れるのを。
…
百物語はそのままお開きになった。Sと女の子が逃げた勢いで帰ってしまったし、真夏にクーラーもついてない僕の部屋でこれ以上締め切って閉じこもるのは無理があったという理由もある。近所のOも「楽しかったぜ!」という感想を残して帰っていった。
皆が帰った後、僕とFだけが雨戸を開けて明るくなった部屋に残っていた。
二人とも今で言う熱中症気味だったのだと思う。二人で麦茶をガブガブとお代わりしながら百物語の失敗について話していた。
いや失敗とは言い難い。
あれだけ怖い思いをして全員が不思議なものを見たんだ。これは大成功だったんじゃないか?と言う僕に、Fはまた少しバカにしたような笑いを見せた。
「気がつかなかった?コレだよ、コレ。」
と、消えたロウソクの前で伸ばした足の裏を左右にふらふらと振る。
あっ、と気がついた。
影だ。あれはFの足の裏の影だ。
あの時、灯はふたつあった。足元のロウソクとFの手元にあったロウソクの灯。
顔の前のロウソクを消したから後ろに影が出ただけだ。
くっそう、やられた、なんて顔をしている僕に団扇片手にニヤニヤしているFが種明かしを始めた。
「まあ、あれはただの影だよ。でもYの言う通りどちらかと言えば成功だったのかもしれないな。
あれはただの影、だけど影じゃないものをみんな見たはずなんだから。」
「なにそれ?」
「Y、俺は暗闇を怖いと思う。でもYみたいに無闇に怖いとは思わない。
さっきも言ったけど怖いのはそこに“何か”がいるからなんだ。
じゃあ、その“何か”ってなんだと思う?」
「またはぐらかしてないか?」
「ないない、俺にとっては後ろにいたのはただの影さ。でもみんなには何に見えていたのかって話。」
「???」
「いいか、Y。
暗闇が怖いのはそこに自分自身を見るからだ。
俺はよく幽霊を見るけど、それは昼間も夜中も変わらない。暗闇の中に出るからって怖くなるわけじゃ無いんだ。
でも暗闇は怖いと感じる。
それはそこにお化けが居るからじゃない。暗闇に自分が思う“最も怖いもの”が映し出されるからなんだ。
さっきの影もそうだ。心の中でいつも隠れているものがあの影に映し出される。幽霊やお化けなんてものじゃない自分自身を見てしまうから怖いんだよ。
そもそも人間の怖いなんて気持ちは全て、自分の心の中にあるんじゃないかって思ってるんだよ。
わかるか?」
──── ちっともわからん。
そう答えた僕にまた笑いながら「そっか、それでもいいや。」と答えてFは豪快にコップの中の氷を噛み砕いた。
いつもみたいに幽霊だのお化けだのの話になるかと期待していた僕はちょっと肩透かしを食った気分だ。難しい話で誤魔化されたようにも感じる。
「ちなみにYには何に見えたんだ?」
「僕はあの時、黒い大きな幽霊が現れたように見えたよ。」
僕も氷をガリガリと齧りながら答えた。
「それはお前がいつも俺と幽霊の話をしていたからだな。影を幽霊に見立ててしまったわけだ。
心の中に潜んでいる怖いものを勝手に見て、勝手に怖がっていたんだ。
面白いな。あいつらにもそれぞれ別なものに見えていたんだろう。一体何に見えたのか今度聞いてみようぜ。」
Fは色々思うところがあるみたいで、考察を交えながらまるで独り言のように話していた。
しかし僕はまだ納得できず拗ねたように横を向いていた。
「ん、なんだ?お化けじゃなくてガッカリしてんの?」
そう、そこだ。
僕のモヤモヤはそこにあった。せっかく不思議なものを見られたと思ったのに。百物語も成功かと思ったのに、実は足の裏の影でしたなんて。
そりゃ、Fはいつも幽霊とかお化けとか見慣れてるだろうけどさ、僕もやっと見られたと思ったんだよ。
そう言って口を尖らせる僕にFは少し困ったように、団扇を大袈裟にパタパタと振った。
「あんなもの見えない方がいいんだけどなあ。」
そう言って頭をボリボリと掻くFは、また氷を口に含んで強く噛み砕いた。
ケタケタと明るく笑う彼の口元から氷のカケラが飛び散って、畳の上を跳ねて溶けていく。
そんな夏の終わりのひと時だった。




