ライモンド視点:ハジマリの出会い
きっとあの瞬間こそが運命の出会いだった。
生まれたときから殿下とその側近となるべく育てられていた僕らが出会った異質な兜の子。2年前のはじめての会話はあっさりと終わりそれからも他愛のない会話を交わすのみの関係でしかなかった。
しかし殿下としてのアルを知らず、またその側近としての僕も知らないその子は僕達を平等に扱った。敬語もなく世の大人の不可解な生き方をネタに笑ったり不可解さに首をひねったり。ただじゃれ合うだけの休憩時間。そんな世間から隔離されたかのようなあの時間は何者にも代えがたい僕の宝だった。
オッドーネ様の監督される稽古以外では同い年や2個上までの者達ならば模擬戦では楽々勝てるようになった頃。けれど僕達はアーグと名乗った兜の子には勝てなかった。
騎士を目指す子どもたちが技を競い合う大会に毎度出て勝ちを得るたびに、密かにアーグの姿を探した。しかしどこにも彼の姿はなく握った優勝旗や準優勝旗は僕のものではないのに、と落ち込んだりもした。すでにどの大会でも殿下と僕に勝てるものは居らず、決勝戦は僕らのものといっても過言ではなかった。
そんな表舞台には決して出てこない謎の子、アーグとの会話は新鮮だった。やれ庭のどの花の蜜が美味しいだとかどの書物におかしな間違いがあったかなど野外から屋内まで会話の内容は多岐にわたった。帝王学を学ぶために城にひきこもりがちで市井の様子を全く知らなかった殿下に民が今何を求めて何に夢中になってるかを語ったり、街で暴漢にあったときに有効な対抗手段なんかを剣の型にこだわってた僕に教えてくれたり。足りないものを補ってくれるような感覚を持っていた。
出会った頃あたりからお茶会でやれどこの令嬢だやれどこの令息だとおべっかばかりの会話がはじまり息苦しさを感じる中で、アーグとの会話だけはそんなことを気にせずにいられた。
同じスタートラインから始めたはずのアーグからなかなか一本が取れないまますぎる日々の中でだんだんとアーグが何者なのかが気になってきていた矢先の出来事だった。
殿下を狙った賊の襲撃。同い年相手には絶対勝てる僕達だったが、大の大人相手には無力だった。どうすればいいか途方に暮れながらもアルだけは助けたいとアーグに告げるとなんとあれよあれよと言う間に囲んでいた賊は討たれていた。オッドーネ様からは剣しか習っておらず、魔法の練習をしているところを見たことがなかった僕には衝撃的だった。なにせ魔法師が二人がかりでようやくこなせるかというレベルの防壁や複数の氷の矢の展開、挙句に動いてる僕達を他のものから隠すなんてとんでもない魔法までなんでもないことのようにケロリとした様子でこなしてしまったのだ。
陛下の寵愛を一心に受けたマリアンヌ様の塔にはなんぴとたりとも立ち入りはするなと言われていたため一度は静止したものの、殿下が大丈夫というので助けを求めに行くことになってしまった。
殿下が陛下からお叱りを受けるのでは、とハラハラしながらようやくたどり着いた故マリアンヌ妃の庭でアーグの素性をようやく知った。あのときは驚くことすらままならず、漸くやってきた驚きは4日以上この身を占領した。
謎の兜の子の正体はー
彼だとおもっていたのが実は彼女で
同い年か歳上なのかと思っていたら実は年下で
そして。次期当主にもかかわらず自ら身を守るすべを学ばなければならなかった人だった。
兜の下に隠され続けていた素顔はひどく美しく衝撃的で。姿かたちを変えるというペンダントを、彼女が外した瞬間を今でも鮮明に思い出すことができる。
はらりと広がる銀糸のごとき髪。
陶磁器のような白い素肌は内側から輝いているようで。
長く繊細なまつげに縁取られた瞳は蒼穹。
涼やかな目元にほんのり走る薄紅。
花びらのような華やかな色をたたえた唇は薄く弧を描いていて。
マリアンヌ妃が愛したという花達の中に佇むその姿は。咲き誇る花のように美しかった。
事件の収束させるべく動いていた父に彼女と婚約関係を結びたいと話してから、あっという間にその願いは叶えられた。
婚約を決めるためのお茶会では彼女がこれまでパレルモ家でどのような扱いを受けているのかを察せざるおえず。あまりにも彼女の存在を蔑ろにする彼女の親には殺意すら覚えた。ペラペラよく回る口でさり気なくアガタを貶す身の程を知らぬ女に何度フォークを投げつけようかと思ったくらいである。その度に素知らぬ顔をして隣に座る彼女を盗み見ては心を落ち着かせたのであった。
茶会の最後には、多少強引ではあったが自分の言葉で婚約を申し込むことができた。そしてそれを少しほほえみながら受け入れてくれた彼女が愛おしく、幼心にも絶対に手放すものかと誓ったのだ。
「ライ様?…すみません、力加減を誤りましたお怪我はありませんか?」
「…様はつけなくていい。あと敬語も」
「ううーん…そろそろ敬語つけて話す訓練をしないといつかポロッとやっちゃいそうで…」
「それでも。なるべく私の前ではやめること。…婚約者なのだから」
「うん、わかったよ、ライ」
そういいつつ手を差し伸べ、尻もちをついたような姿勢の私を彼女が助け起こす。手を引かれるままに、相変わらず兜をかぶってはいるがもう容姿の偽装はしていないため、スリットの奥、キラリとした光をたたえた蒼い瞳を見やった。
「どうかした?」
「いや、こうすると…」
「あっ今私と身長比較したな?!アルもライもにょきにょき伸び始めて…!私ももっと身長ほしいのに!ずるい!」
初めて出会った頃や彼女の顔を初めて見たときにはまだ同じくらいの身長だったのに、去年辺りからだんだんと差が出てきたのだ。体つきも変わってきて私やアルはだいぶ筋肉がついてきたように思う。
反対にあまりアガタは変わらなかった。いや、変わっているのかもしれないがこちらの変化のスピードのほうが早く見落としているのかもしれない。細い手足に薄い肩、華奢な体つき。相変わらず少年と見紛うような体つきでだったが最近は少しだけ…女性っぽさ、のようなものを感じるようになってきた。細く骨のラインが目立っていた体だったのが、だんだんと柔らかな曲線が増えてきている気がする。
にもかかわらず相変わらず私もアルも彼女から一本を取ることが難しい。
初めて会ってから5年。体つきが変わり始め筋力の差が出てきたはずなのだが、相変わらず彼女は強かった。力で押すのではなく受けた力を使って効率よく攻撃するのだと言っていたが僕や殿下では実行するのはなかなか難しい。オッドーネ様の孫なだけあって戦闘の才に恵まれているようだった。
それに剣だけでなく魔法の才能も持ち合わせている彼女は、おそらく今この国でも十指に入るほどの強さを持っているはずだ。私達が8歳だった頃に起きた事件により、一部の人間にはアガタの存在とその価値を知られてしまっているがそれでもほとんどの人間は知らない。彼女の美しさ、血統、そしてその力ー知られれば多くの人が欲しがること請け合いの僕のフィアンセは、けれど今のこの存在が機密情報のような扱いに文句はないようだった。もしも彼女が男に生まれていたのなら騎士に、それも才能溢れるエリートしか入れない第一騎士団への入団も容易かったはずだ。富も名誉も名声も思うがままだったろうに。
まあそれだったら婚約もできないわけで。今彼女がこのように囲われた状態でいるのは余計な虫がつかず好都合だった。
「来年からライは学校かー…1年、ライに会えなくなるのは寂しいね。」
哀しいかな一つ年上の私は彼女と同級生にはなれないのだった。
この国の貴族の子どもは主に13歳から学院に通わねばならない。学生は皆寮生活となり、夏休みと冬休み以外はずっとそこで過ごすこととなる。
「夏や冬は休みだけど…」
「…うん…会えたらいいね…」
去年の暮れ頃からアガタは義母に行動を制限されているらしくあまり出歩けなくなったと零していた。その代わりに彼女の弟と妹は積極的に連れ出されているらしい。相変わらずな様子に苦笑するしかない。
「なら、私が行くよ。」
「あっそれは嬉しいけどやめたほうがいい。あの女が何するかわかんない。ライを監禁してアンナとくつっつけようと画策とかしかねない…。それよりもはやく私も学院に行きたい…家を出たい…」
あまりの切実な響きの言葉に目を細める。最近ではとうとうあの女呼ばわりされている義母は相変わらずらしい。あの茶会での振る舞いが頭をよぎった。
現在11歳の彼女は相変わらず辺境伯家の一員として、いや次期当主としての正当な扱いが受けられていないようだった。早く当主として彼女にはあの家で堂々と快適に過ごして欲しいと思う。
「手紙、ちゃんと送るよ。…オッドーネ様宛に、だけれど」
「…うん、楽しみにしてる。私も返事、書くから。」
少し前に起きた事件を思い出すと自然声のトーンが下がる。まさかアガタ宛に書いた手紙が全てアガタの義母によって止められ挙句捨てられているとは思わなかった。これにはアガタもアガタの祖父であるオッドーネ様も頭を抱えていた。信書開封罪はもちろん重罪だが勝手に捨てるなど更にその上をゆく。稽古の時にそれとなく聞いてようやく発覚したが、これが重要な取り決めなんかをしてる時だったらとゾッとする。それ以来は全てアガタへの手紙はオッドーネ様へ送り仲介してもらっていた。
そんな頼りになるオッドーネ様も最近は体調を崩すことが増えたようで剣の稽古も時折お休みするようになった。アガタはあまり顔に出していないが、最近は次期当主になるために必要なものを身につけなければと焦っているようだ。家に不安を吐き出せる場所がない彼女だ、少し心配でもあった。
「そういえばアルも学校に早く行きたいといってた。…今日だって本当は来たかったみたいで」
「王子様ってやっぱり大変なんだな。もう政務の一部には関わってるんでしょ?」
この頃殿下…アルは剣の稽古を休むことがあった。どうも抜け出させないような重要な仕事が来るようになってしまったらしい。そのせいでアガタと2人っきりの時間が過ごせているのだから少し感謝もしているのだが。
「3人で会えるのも減ってしまったし、今までのようにはもう過ごせないのか…寂しい、な」
「…また、形が変わるだけで一緒に居られる。殿下が陛下となり、それを僕達で支えるという形で3人で居られるさ」
「…そうだね、そうだったらいいのに。」
どこか囁くように、力なく告げた彼女の様子に驚く。溌剌とした普段の姿からは想像できない、どこか憂いを帯びた表情はアガタの姿形も相まって儚く見えた。
元気付けるように握った手に力を込めると、少しだけ握り返してくる力が増えた。その日の稽古の時間は、終わりが来るまでずっとそうして手を繋いで居たのだった。