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夏の日

作者: 刹那

「なんでだろうなぁ。君を見ていると、とても悲しそうに見えるよ。」

ある夏の暑い日、昼食を食べようと思い、友人と食堂に向かって歩いている時だった。

「なんだい、急に。僕が、悲しそうに見えるのかい?」

と、いつもと変わらないのんびりとした口調で言った友人の言葉に、僕がやや面くらいがらそう言うと、友人は、「ああ。」と、短く答えた。

「何故そう思うんだい?今の僕には、これといった悩みもなく、むしろ、今のこの生活を楽しんでいるよ。」

そう僕が返すと、友人は、先程と同じく「そうか。」と、一言短く返し、それきり黙ってしまった。

僕はその言葉が頭に残り、そのあと食べた昼食の味を思い出せなかった。

一体、なんだったのだろうか…。

一人で悶々と考えてみるが、答えが出ることはなく、友人が時折「悲しそうに見える。」と言うのをぼんやりと聞いているしなかった。

そのうち季節は巡り、僕たちは進級し、大学三年生となった。

そろそろ就職活動をはじめなければならない時期になり、僕は友人に言われた言葉を、あれほど気になっていたのにも関わらず、すっかり忘れてしまっていた。


その言葉を思い出したのは、秋も深まり、いよいよ周りも就職活動に意欲的になり、学年全体が就職活動一色に染まりはじめてきた頃だった。

ちょうど僕はその時、やはり、周りと同じように、就職に向けて会社に送るための書類を作成していた時ではなかったかと思う。

何故今このタイミングで、と思ったが、思い出してしまったからにはしかたがないと思い、気になっていた、しかし、答えを見つけることができなかった問題に取り組んでみようと意気込んだ。

しかし、今までのことを振り返ったり、彼の言葉をできる限り明確に思い出したり、挙げ句、ネットで人が悲しそうに見える理由まで調べてみたが、答えは出なかった。

僕は一向に答えの出ない問題に次第に苛々し始めた。

そして、とうとう考えることを放棄し、その友人に答えを聞こうと携帯を取り出した。

友人の電話番号が電話帳に残っているのを確認し、携帯にかけるものの、何度かけても応答の声はなく、もしや、講義中なのでは、と思い、後でかけ直すことにした。

しかし、いくら時間をおいてもその友人は一向に電話に出ず、僕は諦めて、就職活動に身を入れるため、忘れようと努めた。

しかし、皮肉なことに、人は忘れようと思えば思うほど思い出してしまう生き物なのだ。僕はとうとう就職活動に身が入らなくなり、このままではいけないと思った。そして、迷惑だと思いながらもその話を持ち出した友人が悪いと言い訳し、その友人の家に押しかけることにした。

幸いな事に、押しかけた家にはその家の主がいて、話を聞くことが出来た。

「……それで君は、私が言った、“悲しそうに見える”という言葉が気になってしまい、ここに来たんだね。電話も繋がらないし。」

「ああ、そうだ。気になって、就職活動に身が入らなくなってしまってね。これでは困ると思い、迷惑だと思いながらもここまで来てしまったよ。すまないな、こんな忙しい時に。」

と、謝罪の言葉を述べると、友人は、

「かまわないよ。私もここのところ息が詰まっていたんだ。携帯が壊れてしまって、周りとの意思の疎通も大変になってしまってね。ちょうど話し相手が欲しかったんだ。むしろ、君が来てくれて助かったよ。」

と、一年前と変わらない、のんびりとした口調でそう言った。

「そうか、それなら少し安心できるよ。しかし、携帯がこわれてしまったのはなんとも…。」

「はは、まぁ、近々新しいのに変える予定だから、そこまで深刻でもないよ。」

「はは、そうか。」

僕らは多少の雑談を交わし、しばらくして僕は本題に入ろうと身構えた。

「じゃあ、教えてくれるだろうか。何故あの時君は僕に、“悲しそうに見える”と言ったんだい?」

私の質問を受け、友人は少し考える素振りを見せたあと、「私には、今の君も悲しそうに見えるよ。」と、言った。

予想外すぎる言葉に面食らう。

「えぇ?今もかい?……一体何が悲しそうに見えるのだろうか。」

ここで動揺してなにも聞けなくなっては困ると思い、平常心を保って尋ねる。

「いや、すまない。悲しそう、という表現にはいささか語弊が生じるかもしれない。」

「語弊?」

「ああ。つまりね、何かに捕らわれて、前に進もうとするのに進めなくて足掻いている、というか、苦しんでいるというか。どちらにせよ、私にはなんだかそれがひどく悲しんでいるように見えてね。迂闊に言わない方が良かっただろうか…。君にここまで考えさせてしまってすまなかった。」

と、友人は、一年という月日を経て僕に、“悲しそうだ”と言った意味を明かした。

「何かに捕われて、前に進めていない、か…」

「いや、私がそう思っただけで、本当のことかどうかは分からないよ。間違っていたら、謝罪するよ。すまなかった。」

と、僕の独り言に対し、二度目の謝罪を口にする友人に、僕は首を横に振った。

「いいや、あながち間違ってないさ。」と、僕は友人に言われたことで忘れていた、否、忘れようとできずに忘れたフリをして、記憶に蓋をして、心の奥底にしまっていた苦い記憶を引っ張り出す。

それは、とても悲しく、当時の僕には到底受け入れがたい現実だった。ふ、と僕は、いい機会だと思い、長い間胸にしまっていた記憶を、僕の“悲しみ”に気づいたただ一人の友人に聞いてもらおうと口を開いた。

「…良ければ、聞いてくれないだろうか。そこまで長くもならない。約束しよう。」

という僕の言葉に、

「ああ、聞こう。君さえよければ。長くなってもいい。」

「ありがとう。」

その言葉に安心し、僕はぽつりぽつりと話し出した。

「あれは、僕がまだ小学校三年生の頃の話だ――……。



10年前――……

ミーン、ミンミンミンミン

蝉がどこか遠くで鳴いていた。

あれは、そう、とても暑い夏の日だったと思う。

小学校はとっくに夏休みに入っている頃だ。

その日、僕は幼い頃からの友人である浅井優斗という男の子と遊ぶ約束をしていた。

世間一般では幼馴染と呼ばれる関係の僕たちだったが、性格は全くの正反対。出来る事も出来ない事も、好きな事も嫌いな事も全てが正反対だった。

優斗……彼は、その名の通り、とても優しい子だった。

穏やかで知的で、常に誰かのことを考えているような、そんな子だったと思う。

対して僕は、宮地秋人なんて言う、いかにもぼんやりしていそうな名前の癖して、毎日毎日友達と公園で遊んでは、服をどろどろにして帰り、母親に叱られるような子だった。

おまけに少しばかり口が悪かったものだから、母親も辟易していたことだろう。

まあ、所謂、わんぱく坊主とでも言ったところだろうか。

そんな僕らだったが、自然と息が合い、いつしか周りからも、“名コンビ”と呼ばれるほどには仲が良かった。

しかし、いくら仲が良かろうと、所詮は小学校三年生の子供だ。時には喧嘩もする。

まだまだ、親がついてこなければどこにもいけないような子供だったのだ。

―――あの日、いつものように公園で待ち合わせた僕らは、山に昆虫採集に向かった。

抜けるような青空だったのを、いまでも覚えている。

前々から目をつけていた場所まで駆けて行き、僕らは勇んで虫を捕まえ始めた。

最初は順調に採れていたが、時間が経つにつれて、虫たちもあまり寄ってこなくなり、だんだんと虫が採れなくなってきた。

基本的に我が強く、わんぱく坊主だった僕は、元々の飽きっぽい性格も手伝って、採れない虫を探すのに飽きてきていた。

しかし、いつまでたっても諦めず、探し続ける友人にとうとう痺れを切らし、彼に話しかけた。

そういえば彼は、とても粘り強い性格だった。

「なぁ優〜。虫採れないし、もう帰ろうぜ〜。」

そういった僕に彼は、よほど夢中になっていたのか、こっちを見ようともせずに言った。

「ちょっと待ってよ、秋くん。もうちょっとだけ一緒にいて。お願い。」

僕はそう言っていたあの時の彼の表情が思い出せない。

今となっては後悔の一ピースでしかない。

後から知ったことだが、彼はこの日、引っ越す予定だったそうだ。

だからこそ、彼は僕を引き止めたのだろう。

しかし、そんなことは気にもめず、僕は言った。

「嫌だよ、飽きた。そんなにやりたいなら、一人でやってろよ。」

彼はこの言葉に、なんと答えたのだろうか。

そんなこと言わないで、と再度引き止めただろうか。

それとも、分かった、と言い、一人でぽつんと虫を採り続けただろうか。

……いや、彼ならばきっと、採った虫を全て元いた場所に戻して、一人でとぼとぼと帰路に着いたのだろう。

しかし、これは全て僕の想像でしかない。

今となっては、何が真実なのか、分からない。

なぜなら、あの日、僕は彼の返事を聞く前にくるりと背を向け、彼の言葉を拒絶してしまったから。

思えば、何かがいつもと違うと、幼いながらに感じ取っての行動だったのかもしれない。

子供にはしばしば、鋭く敏感な一面があると僕は思う。

それでも、と。

何を言い訳にしても、あの日だけはしっかりと話を聞くべきだったと、今でも激しく後悔する。

何かを感じ取っていたにせよ、あの日だけは彼を一人にすべきではなかった。

浅居優斗はその日の帰り道、横断歩道に突っ込んできた車に跳ねられ、意識不明の重体。

10年たった今もなお、彼は無機質な病室のベットの上で、ひとり、静かに眠り続けている。

――これは、彼がはねられた後、僕の母から聞いた話だが、たまたま現場に居合わせた人が優斗の姿を見たという。彼は、空っぽの虫かごを下げ、とぼとぼと、ひどく落ち込んだ様子で歩いていたらしい。

僕の想像通りだった。…ただ一つ、彼が、交通事故にあうこと以外は。

しかも、虫かごは空っぽだったと言うのも、また、想像した通りだった。

きっと、虫を採ったのは良いが、持ち帰ることもできず、放したのだろう。

そんな状態のまま、何も確認せずに横断歩道を渡った瞬間、彼は突っ込んできた車に跳ねられた。

これも後から聞いたことだが、その車の運転手は運転する直前に、酒を飲んでいたらしい。

飲酒運転。

なんと不運な事故。

周りから見れば、そんな風にうつるのだろう。

事実、不運な事故であったのは間違いない。

しかし、知らせを聞いて駆けつけてきた彼の両親は、どう思ったのだろうか。

朝、近所に住む仲のいい友達と遊んでくると笑顔で家を出て行った息子が、交通事故にあったと知った時。

一時は助からないかもしれないとまで医師に言われたらしい。

その時の彼の両親の心中は、考えただけでも、辛いものだろう。

その後、優斗が峠を越えると、彼の両親は優斗を連れ、新しい街に越して行った。

今は、もうどこにいるのか分からない。

優斗の状態が分かるのは、時折送られて来る、優斗の母親の手紙によってだ。

住所の書かれていないその手紙には、いつも綺麗な字で、“お元気ですか”と書かれていた。

この手紙をどう受け取ったらいいものか、はじめのうちは悩んだ。

彼の母親が、優斗が跳ねられたあの事故を忘れるな、と言っているのかもしれない。

はたまた、ただ単純に、彼の容体を知ってもらいたいだけなのかもしれない。

しかし、それならば、何故“お元気ですか”などと書くのか。

その言葉には、恨みや悲しみなどの感情はこもっていない、純粋な言葉のように僕には感じられた。

考えは堂々巡りで一向に結論は出ず、いつしか僕は考えるのをやめていた。

時折送られてくる手紙だけが、彼と僕を繋いでくれる唯一のものだと信じて。

まだ僕は、彼との関係をしっかりと断ち切れていないのだろうと思う。

しかし、それは、僕が言えたことではないだろう。

大切な一人息子が交通事故にあい、今でも意識不明の重体である。

それは、彼の両親にとって、今でもとても重荷になっていることだろう。

……そして、君が足掻いていると言っていたこともこのことで間違いないのだろう。

きっと僕は、この出来事を、墓場まで持っていく。

それでいいのだ、と思う。

当然だと思う。

いくら手紙が来ようが何があろうが、僕があの日彼を置き去りにし、結果、あの事故に至ってしまったのは変えようのない事実だ。

これは、当然の報いだ。

ああ、もしかしたら、彼の母親は僕がこう思うことを考えて、少しでも気が軽くなるようにと、手紙を送ってきてくれるのかもしれないな…。



ふ、と気がつくと、窓の外には綺麗な夕焼け空が広がっており、随分と長話をしてしまったのだと気づく。

あぁ、もうこんな時間なのか。

なんだか、幼い頃に戻ったような感覚が僕を包んでいた。

きっと、誰に言うのでもない、この悲しい出来事を、誰かに告げたのは初めてだったからだろう。

……と、

「大変だったのだな。」

それまで静かに話を聞いてくれた友人が、そう言葉を零した。

「…そう、思ってくれているのか?」

僕は、まさかそんな言葉を聞くとは思わず、聞き返す。

「ああ。事故のことは何も言えまいが、それを君が長いこと背負ってきたものだということはよく分かった。」

と、いつもののんびりとした口調ではなく、嫌に真面目くさった口調で言った。

「そうか、そう、思ってくれるのか……」

ははっ。

思わず笑いが零れた。

それから、一雫の涙が頬を流れ落ちた気がした。


―――覆水盆に返らず。

この言葉は、いったい誰が作ったのだろう。

誰でもいいや、と思う。

しかし、この言葉の通り、溢れた水は、もう盆には戻らない。

失われた友情は、きっと、もう元には戻らないのだろう。

それでも、と。

僕は願わずにはいられない。

これから先も、道は続いていく。

またいつか、もしかしたら、新しい関係が築ける日が来るのかもしれない。

それは、何年後か、あるいは何十年後かもしれない。

彼が目を覚まさない限りは、なし得ないことであることもわかっている。

これが、僕の独りよがりであることも。

でも、いつか、僕たちの道がもう一度交わった時には。

もう一度、顔を合わせ、話をしてみたいと……そう、思えた。

読んでいただきありがとうございます

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