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フジヤマ・万魔殿  作者: 和三盆ねこぞう
3/3

光 2

 士郎が住むこの町、富士生町(ふじきちょう)には日の本そのものを表す、と言っても過言ではない大山が鎮座する。

 名を富士山(ふじやま)と言い、不死の山、と表記されることもある。周囲には鬱蒼とした森と、大小様々な名も無き山が集まり、霊峰を頂く町として知られる。

 夷神社(えびすじんじゃ)と恵比寿家は、町の外れ、森に程近い場所に位置する。境内に隣接する家屋から毎朝忙しない足音と声が響いてくるのを、ここ十年、もの言わぬ森の木々達は深々とした静寂と共に見守ってきた。

「おはようっ!」

 その恵比寿家の玄関を勝手知ったる、という風に開け、鈴の音が転がるような心地良い声で挨拶をする少女の姿があった。

「あ、菜々。もう来たのか。悪い、もうちょい待っててくれ」

「お兄ちゃん、またおじいちゃんと遊んでたんでしょ」

 チャンバラごっこは小学生で卒業するものだよ、とすまし顔でからかう少女に、士郎は不服そうに口をとがらせた。

「そういうのはさ、俺じゃなくってじいさんに言ってくれよ」

 自分が子供っぽいと言われるのは甚だ心外、という態度を士郎は隠そうとせず、台所で自分の作った朝食を食べる祖父に当てこすりを言った。

 しかしその祖父、余程の地獄耳なのだろう。孫の不満を余すこと無く聞き拾ったようだった。

 齢六十と少し、そろそろ朽木の如き落ち着きを持っても良いであろう男は孫よりも稚気に溢れた声で「イヤじゃ!まだまだ遊ぶぞ!」などと玄関先まで届くように叫んだ。

「子供か!」

 負けずに台所まで届くように叫んだ士郎を見て、菜々はけらけらと笑っている。

 玄関先で持ち物を急ぎ掴むと、士郎は菜々に向かって待たせた旨を軽く詫びた。いつものこと、と気にした風も無い菜々は軽く頷いてそれに応えた。

「じゃ、行こっか」

「おう」

 キシキシと音の鳴る古めかしい引き戸を閉める前に、行ってきます、と恭治に告げてから二人揃って家を後にした。


 士郎を「おにいちゃん」、恭治を「おじいちゃん」、と呼ぶ菜々は、士郎の妹というわけではない。

 ただ、恭治の孫ではある。つまるところ、士郎の従妹だ。名を恵比寿菜々(えびすなな)といい、士郎の母方の兄の娘だ。

 士郎と菜々は年齢が一つしか違わず、親戚の集まり等では幼い頃から比較的仲の良い間柄だった為、現在も昔のように気の置けない交流をしているというのが「おにいちゃん」呼びの理由である。

「お弁当、今日は作れた?」

「…………朝メシだけでタイムアップだった」

 沈黙の合間に朝のあれこれを思い出しているのだろう。士郎の眉間には軽く皺が寄った。やっぱりね、と苦笑する菜々も慣れたもので、部活用の大きなスポーツバッグをポン、と叩くと重ねて士郎に問いかけた。

「旦那ぁ。お弁当、いかがッスかー?」

「一つ、クダサーイ」

 軽口と軽口の応酬に、二人は間を置いて笑い出す。

「ごめんな、助かった」

「一人分増えるくらいどってこと無いって!なんなら毎日持ってくるよ?」

「…それは自分で作ってる人間が言って良い台詞だと思うぜ」

 暗に、作っているのは菜々の父か母だろうと指摘する士郎に、菜々も負けてはいない。

「ブッブ~残念!おかずをつめるのは菜々様の役目なんです~!」

 菜々様曰く、つめるだけと馬鹿にしてはいけない、お弁当は彩りの配置が命、だそうな。

 妹分の主張にハイハイと軽く相槌を打ちながらも、士郎は自分の左手に陣取る菜々の頭を軽く撫でた。そして、改めて礼を言う。

「サンキュ。おばさん達にも、伝えてくれ」

「…うん!」

 一瞬、目を大きく瞠った菜々は、すぐにお日様のような笑顔で応えた。それは、このくらい何でもない、と心から思っているのが伝わってくる尊い笑顔で、士郎は胸が温かくなるのを感じていた。


 士郎が感謝をしたのは弁当のことだけではない。


 毎朝、迎えに来てくれること。

 二人暮らしの士郎と祖父を心配し、頻繁に訪ねてきてくれること。

 車道の近くや通行人の多い道で、いつも自分の左側を歩いてくれていること。

 それを恩に着せること無く、いや、おそらくは「恩」だとすら思っていないであろうということ。

 数え上げたらきりが無いが、何より一番は…


 孤独に、しないでくれていること。


 光を失った左目に絶望し、見舞いに来ない両親に絶望し、残った右目で病室の天井を見つめ続けていた十年前の士郎は、ただ、孤独であった。

 見舞いに来なかった、ではなく、実のところは「来れなかった」が正しいと、成長した士郎は理解している。

 両親共に、警察で事情聴取を受けていたのだから。


 あの日、父に左目をタバコで焼かれたあの時、生まれてからそれまで、ついぞあげたことも無いくらいの声で士郎は吼えた。本能的な恐怖から生まれたその異様な声は、流石に近所の住人達の注意を引いた。

 まず、両隣の住人が何ごとか、とインターフォン越しに訊ねてきて、それに対し、なんでもない、なんでもないんです、とたどたどしく繰り返す母の対応を怪しんだ。

 どうやらその対応の最中、士郎を黙らせようと怒鳴る父の声が外まで聞こえていたようで、これは、と察した隣人達が通報し、その数分後、永遠に続くと思われた士郎の地獄は呆気なく幕を閉じた。


 だが、士郎はその時に学んだ。

 本当の地獄は、恐怖ではなく、打ち据えられる痛みではなく、誰にもかえりみられることの無い孤独に身を置くことだ、と。


 今でもその時の地獄(こどく)を思い出すと、身の置き場も無いような、言い知れぬ焦燥に駆られる士郎だったが、隣の従妹が、大丈夫だよ、という目で見てくれるだけでその焦燥は霧散する。

 そんな己の心の推移を感じる時、いつも士郎は思う。まるで冷えた朝もやが太陽に照らされて少しずつ散ってゆくようだ、と。


 だから士郎にとってこの従妹は、失われた光の代わりに得た、新たな光なのだ。



 入院してしばらく経った後、目を腫らした恭治が病室を訪れた。家に来い、とやや強引に病院から連れ出し、親権もやや…いや、かなり強引に両親からもぎ取った、と後に伯父夫婦から苦笑交じりに語られた。

 高校受験の際に戸籍の写しを提出する必要があり、自然そのような話になったのだ。

 その頃は士郎も随分と立ち直り、同時に祖父の破天荒さや子供じみた部分も身に染みていた。

 だから「かなり」「強引」という語句を聞き流すことは出来なかった。


 おい、じいさん、まさか法に触れるようなことはしてないだろうな、と詰め寄る士郎から恭治が目を逸らし、脱兎の如く逃げ出してそのまま二日程家に帰らなかったのはささやかな余談である。



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