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未踏 1号 「木の男」

作者: 山口和朗

      「木の男」

 

 夜が怖い、死を受け入れたように病室が眠りに就く。昼間確かに隣りも、その隣りも、今では関係のなくなってしまった窓の外の景色に不安を漂わせていた彼等なのに、鼾さえかいて夜を眠っている。特別室のこの彼等が眠りを受け入れるからこそ怖い、彼等があのようにして死を受け入れると予想させることが怖い。私は私の死を未だ受け入れる方法を知らないのだから。

 

      木の男


 

 夜が怖い、死を受け入れたように病室が眠りに就く。昼間確かに隣りも、その隣りも、今では関係のなくなってしまった窓の外の景色に不安を漂わせていた彼等なのに、鼾さえかいて夜を眠っている。特別室のこの彼等が眠りを受け入れるからこそ怖い、彼等があのようにして死を受け入れると予想させることが怖い。私は私の死を未だ受け入れる方法を知らないのだから。

 カーテンで仕切られた一畳程の空間、薄暗がりの中へ時々疾走する車の音だけは届いて来るが、譬えそれが布一枚のカーテンであっても、私にとっては壁に等しいのだ。手も足も今や指先さえも動かせなくなった。意識という頭にゴム人形の身体をくっつけているようなもの、頭だけ、意識だけがベッドに投げ出されているのだ。この頭が紛れもない自分の頭であることは判るのだが、この意識だけの不安、つい一年前まで、物に触れば皮膚を通して物を感じた。五十メートルを十分かけてでも歩けた足から感じた物達への一体感が今は無い。ビルの四階の高さ五十センチのベッドの上にぶら提げられた頭だけが私なのだ。空と時々、窓を横切る鳥の姿だけが昼間の私の見る風景。夜、締め切られた窓からカーテンの中へ届くものは輪郭のぼやけた物音だけ。私は眠るのが怖い、私には安楽死が出来ないという事を思い知らせるから。

 インパラがチーターに追われていた。足の遅い一匹が狙いを付けられた。狙われたことを知ったインパラは右に左に懸命に走った。が、チーターの足は更に敏捷、ついには追い付かれ首の根本に咬みつかれ引き倒された。インパラは二、三度足を蹴り上げてはみるが虚しく空を切るだけ。動脈を切られ、窒息状態のインパラは諦めたように動かない。チーターはそんなインパラの死を見取るように優しくは見える。捕まったら最後あっという間のこと、筋肉が弛緩しインパラの意識が消えたのを見てとると、チーターはインパラの意識以外はまだ生きている生暖かい腹わたに喰らいついていく。

 特別室の患者、けっしてインパラのようには死ねないのだ。末期癌で苦しんでいる者、脳こうそくで意識うつろな者、誰もが苦痛と不安に囚われている。苦痛や不安の意味を問う人間にインパラの死は無いのに、誰もが夜を眠る。時々は痛みが走るのか呻き声が漏れるが、暫くすれば鎮まる。痛みが意識を疲れさせ彼等を眠りに就かせるのか。私に痛みは無い、手足の力が抜けると同時に痛みを感じなくなった。ただ痒みだけがある。床ずれで肉が崩れ落ちた尻や背中は、気が狂うほど痒いときがある。唯一つこの痒みが私のゴム人形のような身体を意識できる時なのだが、私が怖いのは、この痒み以外は何も感じれなくなった植物のような身体の事を、最後まで私は考えなければならない事なのだ。意識をしないで、用意をしていないで死ぬのは嫌だった。交通事故、災害など突然の死は生の部分である自分の死を見つめられない、自分の死は自分で見つめれるところまでは見つめたかった。自殺は考えたことがなかった。死を積極的に見つめたいとは思わなかった。いずれ訪れる時の死だけで十分だった。身体が健康であれば、死ぬ瞬間は人に一度や二度はあるのだったから。小学一年の時だった。町内の旅行で知らない村の川へ泳ぎに行った。私はまだ犬かき泳ぎも出来なかったが川に入り、岸近くで泳ぐ真似をして遊んでいた。夏の日差しの下に人々のはしゃぐ声があった。突然物音や風景が私の前から消えた。私は歩いていた足が深みにとられ、水中に沈んでいた。水が塊となって喉に流れ込んできた。二度三度、空気の代わりに水を呑んでいた。息苦しさのなか上方に白く揺れる水面を見ていた。上に向かって手足を動かすのだが上がれない。遠退く意識の中へ、岸から人の騒ぐ声も聞こえていた。ほんの数秒のことだった。死ぬ瞬間の薄れる意識を見つめた。健康な肉体の死とはあんなものだと今思えるのだった。

 ベッドにころがされた手足の無い私の意識、間もなく舌も喉の筋肉も動かせなくなる。痰が詰まっただけで溺れた時のように死ねるかもしれないが、その時をジット、待たねばならない、この待つという事が怖いのだ。同室の彼等、襲う痛み、薄れる意識の中、死を受け入れていく。私には死を意志することはも早出来ない。不安と恐れの隣り合せの意識を見つめ続ける生だけが残された。一瞬の不安は衝撃的だ。病気というものを知らなかった私はよく一人で山歩きをした。特に沢歩きを好んだ。あの日、普段危険なことをしない私が挑んだのだった。その沢は二度目だった。五十メートル程の、水量の多い時は滑った美しい岩肌の沢だった。その日水量が少なく、乾いた岩肌にスタンスが見えていたからでもあった。私は上りだした。越えたいと思ったのだ。中程までは順当に登れた。が、途中のオーバーハングで私は行き詰まってしまった。目でも手探りでも、上方にスタンスが見当たらないのだ。次の右足のスタンスを置いたら、左足も、右手も宙ぶらりんになるかも知れなかった。岩肌に身体を擦り寄せれば、二、三段は降りれるかも知れないが、昇るより危険。数センチのスタンスに爪先立ち、足の震えが止まらなかった。遥か下方の村を見つめ、対岸の木々を見つめ、息を整えた。私は最後のスタンスに賭ける以外なかった。岩肌に身体を吸い付け、おもいっきり背伸びして手探りを繰りかえした。一本のハーケンが数センチ頭を出して残してあった。私は助かった。私は躙り上りそのオーバーハングを越えた。忘れていた心臓の鼓動をその一本のハーケンの上に両足を乗せて聞いた。

 今迄に一度だけの死を意志した行動。あの衝撃は今でも忘れない。足首に、心臓に覚えている。意志さえすれば一瞬のことである死。落下の途中何かを思ったかも知れないが、それはどうでも良いこと、あの越えようとした時の衝動。今の私には望めない。せめてあの衝動があれば今の私の不安は消える。発狂の不安ではない。手足のない私があの岩肌に吸い付き震え続けている。今に叫ぶことさえ出来ず、中空にほうり出された、見られるだけの、見つめ続けるだけの私になる。自分を見つめ続けられるうちはいい、友人、看護婦、病室、窓の外を、そこに在るものとして見つめ続けられるうちはいい。網膜に、意識に映ってはいても、意味を失くしたとき、その失くしたものを見つめる私の意識を見つめ続けることが出来るかどうか、完全に意味を問う意識さえ失せてしまうならいいのだが、あらゆる意味と関係が失くなろうとする不安、床から五十センチの中空に転がされた剥き出しの意識だけの私、私はこの意識だけを見続ける以外に無いのだが。病室の鼾が、窓の外の塊のような物音が不安にさせる。健康な人は、意識を何らかの形で行動で表している。行動することによって意識を解放している。解放のない意識、蛇が自分で自分の尻尾を呑み込んでいくようなものなのだ。意識が意識を喰い合い、これ以上喰えなくなったとき初めて、意識するところの最後に残された脳細胞が行動を起こす。後頭部は硬直し、顳に疼痛が走り、意識が行動を始める。意識が、叫び出すのだ。ワァーッ、ウォーッ。喉を、残っている顎の下の筋肉を使って押し広げ、肺の空気を腹の筋肉を使って吐き出し、ワァーッ、ウォーッ。私の声ではないのだ。寝静まった病室に意識が響きわたるのだ。眼を覚ました同室の者のざわめきが起こる。音が輪郭をくっきりさせて迫ってくる。ワァーッ、ウォーッ。看護婦を呼ぶ胃癌の男のかん高い声聞こえる。まだ歩ける肺癌の男の蒼白い顔が私の顔を覆う。ワァーッ、ウォーッ。

「志木さん、志木さん」

 肺癌の男が哀願するように私の頬を叩いては揺する。

「志木さんやめなさい、大声を出すのはやめなさい」

 救助ベルを押したときよりどれだけか早く飛んできた看護婦が私の口を押さえつける。

 隣室からも人が来た。私の投げ出された意識の回りに、意識を支える肉体をもった人が群がる。誰もが私を見る。顔を顰め、舌打ちし、獣でも見るように私のこの眼を見る。私はまだ知覚出来る眼で彼等を見つめながら、変わらず叫ぶ。ワァーッ、ウォーッ、この今だかって知らなかった私の喉の声を愉しむかのように、私は叫び続ける。

「やめなさい、皆んなに迷惑でしょう」

 看護婦がヒステリーを起こしてくる。

 昼間、白い肌の、美しい天使のような声の彼女なのだ。

 残されていた、筋力の全てを使い叫んだ私は疲れ果てる。緊張が解けると空気の抜けた風船のように全身から力が消える。自分で自分の身体が不思議な位、どこにあんな力が残っていたのかと思える程の興奮と疲労、息も、嘗て百メートルを走ったときのような力強さ、中途半端な肺の伸縮が呼吸に引きづられている。

「眠り薬を射ちますからね」

 看護婦の手が私の半ば知覚のなくなった腕をとる。重力だけではなく、看護婦の手のひらが汗ばんでいるのが判る。柔らかく、暖かいとさえ思える。

 私は瞼を瞬いて頷いた。私は感じていたのだ。意識に引きづられてだが、肉体が数分だけ目覚め、凍傷の足や手に血液が貫流していくような痺れと、意識で肉体の知覚が呼び戻ってきたような錯覚を。

「毎晩、迷惑だ」

「明日は個室に移してくださいよ」

 帰りかけた患者から口々に非難と抗議が届く。

 間もなく、間もなく私は朽ち果てます。もう少しだけ一緒の部屋にしておいて下さい。もう叫びません、眠りますから。もう安心ですから。私は、眼で、去って行く患者達に告げていた。患者達も注射を打たれ、昼間の身動き一つしない私に帰ると諦めたように各々のベッドへ帰っていった。

 静かに睡魔が訪れてくる。物音の名残りと人のまだ起きている気配を感じながら、薄れていく意識の中、私はやっと安心して眠りに就くのだった。舞戻ってきた意識。私は木が見たいと思う。輪郭のぼやけた物音だけの空、木の見えない病室の窓。健康な時、木は何時も私の側にあって、あらゆる生物の側にあって、語らず、動かず生き続けていたその木が見えない事が私を叫ばせていたのだと思わせる。私はどこかで、人の励ましではない、言葉ではない、私と共に生きてくれる物達を求めていたのだと思った。人類よりずっと以前に、あらゆる動物より先立ちこの地球に生き始めた彼等、土と水と光さえあれば生きる彼等。無数の種子を毎年実らせ、二百年、三百年、時に数千年を生きる。木を思わないではいられなかった。病に冒されても、風に枝を折られても、嘆かず、叫ばず、春には新芽を出し空に向かって伸びていく。死期を迎えれば、ひっそりと決められていた事のように死んでいく。そんな木について考えないではいられなかった。風が吹けば揺られ、雨が降れば打たれ、日照りと霜には太陽の成すことと黙って耐え時間を生きていく。他の生き物には酸素と栄養を供給し、生命の源の彼等。彼等が生きるということは在るということに思える。在るということが彼等にとっての全てのように思える。在るということ、私はいつしか在ることの他に無いということを考えるようになってしまった。無いということ、それは在るということの上に発生してきたもの、在るということが本質で、無いということは派生の出来事。それなのに自分の無いことばかり考えて、今在ることについて考えようとはしてこなかった。ベッドに投げ出されたとき、初めて私は木を偉大な生き物と思ったのだった。

 私は夢の中で近所の公園に来ていた。そこには数年前の台風で幹を折られ、太い傾いたままのポプラがあった。傾いた幹は、子供達にとって恰好の遊び道具となり、日毎、踏まれ傷つけられていた。それでもポプラは傾いたまま生きていた。傷の箇所を新しく樹皮で覆い、根本には無数の新しい小枝が空に向かって伸びていた。私はポプラが、嘆かず叫ばず、そこを生き続けれる限りは生きようとしている姿に惹かれたのだと思う。

 私は元気だった頃の太い声でポプラに話しかけていた。

「今在る事が全てだよね」

「どんな姿で在っても今が在ることには変わりがないのだよね」

深夜、木だけは起きているような公園、

 少年時代、色々な物音を耳にあて聞いた。列車の遠ざかるレールの音。電信柱の唸り声。車輪がレールの継ぎ目で音をさせ、アースされたトランスが鳴っていることは知っていたが、物達が何かを語っているように聞いた思い出。私は少年に帰ったように木に耳をあて続けたのだった。

 風の音ではないと思った。水道管を水が流れていくような反響音に混じって、太いテープレコーダーの回転を遅くしたときのような低い音が木の中から聞こえていた。

 私は、ポプラが何かを語っているに違いないと思った。木について想いを凝らして見たとき、木達の生きている姿は在るがままだった。そこから私は在ることが全てだと、自分の境遇を納得しようとし、木から勇気を得ようとしていたのだから、木が私に何かを語ろうとしているのだ。自分の意識からの答ではなく、木からの直接の答を私は聴くのだ。私は両手で木に抱き付き、木の話を聴こうと耳をあて続けた。私は耳が擦り剥けるほど、腕に皮がくい込むほど、私は木を抱き締めていた。汗など久しくかいたことのない私の身体に汗が滲む。木と語れるなら、私は生きられる。私は大声を出し、木に呼び掛けていた。「私に解る言葉で、私に解るように」

「解らない、木の言っていることは解らない」。私は夢の中で泣いていた。頬を伝う涙に気がつき、私は夢から覚めた。

「志木さん部屋を変わってもらいます」

 朝の回診が済むと、二人の看護婦が寝台車を牽いて現れた。

「私はもう叫ばない、二度と叫ばないから」

 私は返事を聞くように木に耳をあてていた。

 突然のことで、私は口を動かし、目を瞬いて抵抗した。

「部屋の皆が迷惑しています。志木さんの為と大部屋にしたのですけど」

 看護婦は一人ごとを言うようにしゃべり、私の意志は聞こうとしない。私は咄差に叫び声を上げて伝えようとした。が、叫べばやはり叫ぶと思われる。私は一人にされ、人知れず死ぬのがこわかった。私は目を大きく見開き、叫ぶ真似をするばかりだった。

「皆さんすみませんでしたね」

 看護婦が笑って患者達に挨拶した。

 枯木のような私の身体は、軽々と看護婦の腕に持ち上げられ寝台車に乗せられた。

患者達の安堵した顔がベッドの上に覗き、私は連れ去られるようにして大部屋を出た。

 エレベーターを一階まで降り、長い廊下を物でも運ぶように牽かれ、突きあたりの予備室に入れられた。「ここは少しくらい叫んでも聞こえませんからね」

 看護婦が意地悪く笑って言った。

「叫んでも聞こえなかったら、喉に痰が詰まったときどうするのか。誰にも見とられず死ねというのか」

「一時間おきにヘルプのおばさんはきますから」

 私の不安を理解したのか、看護婦が私のおしめに手を入れながら言った。

「淋しいでしょうけれど、志木さんが悪いのです」

 看護婦は同情しているように言うと急ぎ足で次の仕事にと出て行った。

 私は一人になった。叫ぶことでやっと私は人の世界を生きていたのに、人に叫びが伝わらないのなら、私は叫べない。木のように、一緒にこの地には生きてはいるが、人と話すことはしない、ただ人に理解を求めるだけの木のように私は生きる以外にない。

 私は窓の外が見える位置に寝かされていた。窓の外には土と物が在った。寝たきりになって初めて見た土と物達だった。木も一本在った。裏庭の塀の側に。木は桐のようにすらりとした背の高い木だった。

 私は昨晩の夢を想い出していた。夢の中のポプラ。実際に家の近くの公園にあった木だった。私は木と夢に見るまで語って見たかったのだと思った。木に抱きついた感触はまだ腕に残っていた。水が流れていたような木の音も耳に残っていた。私は夢の中ではなくその名前も知らない木と語って見ようとした。幼い頃、山で林で、木と語った記憶が私にはあるのだ。神社の境内に在った八百年も生きていた杉の木のこと、小学校の校庭にあった樫の木のこと。今日まで出会った、様々な木についての思い出を私はその木に語り始めていた。何も語りはしなかった木達だったが、木が語らなかったからこそ今の私には木が自分のような気がしてくる。太陽に葉裏を明るく透き通らせ風に揺れる木。鳥を呼び、虫を住まわせ、季節の中を生きている。私に木の感覚が伝わってくる。鳥や虫の足の感触、風や雨の。私にもある感触の記憶。草原に寝た感触、風に吹かれた、泳いだ、走った、私のあらゆる感触の記憶が呼び戻ってくるような気がしていた。木が風に揺れるとき、私は風を感じる。木が雨に打たれるとき、私は春の雨の暖かさを思い出す。夏の暑さも、冬のあの頬を切る痛さも、私はこの木を通して感じることが出来る。私は木と言う自分を見つけた。以来、私は肺の機能が停止するまでの六ケ月を、叫び声をあげることもなく、木のようになってその予備室で過ごした。


                               了




     花

                                           

 男は常々人に「自分は生きていないような気がする」ともらしていた。妻も「毎日ブラブラしてばかりしていて」と男をなじっていた。そんな毎日であった。

 昼過ぎ男は目覚めると、何処へといってあてはなかったが、出掛けないではいられなかった。妻は男の寝ている間に仕事に出掛けていた。全くあてはなかった。きっと夕暮れを待たずに家に戻ってくることになるのだが、家で何もしないでいることが居たたまれず街をさ迷うのだった。

 冬枯れの木立ちや街並は侘しかった。ペンキの剥げ落ちた商店の看板、穴があいて黒ずんだままのテント、人々の寒さに背を丸めて黙々と歩く姿。何ものかを追って、何ものかに追われて、時間の中を漂っている。男は目にするもの全てが生きていないように思えるのだった。

 交差点に来た。男は数メートル手前から黄信号を確かめて止まった。そこへ若い男女が自転車に二人乗りして交差点を突切って行った。男は咄差危ないと思った。信号の変わり際を一早く察知した車が発進しようとしていた。自転車は何も知らず道路を渡ろうとする。

車の急ブレーキとスリップの音がして、自転車は間一髪で道路を横断して行った。

「気をつけろ!」運転手の怒鳴り声が一瞬響き渡ったが、交差点はまた車の騒音のただ中だった。

 自転車の彼等、運転手の声に笑ってさえいた。随分急いでいた。何処へ急ぐのだろう、彼等には急ぐ程のものがあるのだ。男にも昔、急いだ時があった。急いで行く場所、目的もあった。男には、今彼等に急げる目的がある事が羨望だった。男は信号を待つ理由も無いというように傍らのガードレールに目をおとしていた。排気ガスで汚れたそのガードレールには紐で縛り付けられたブリキ缶があり、そこには花が活けられていた。百合、菜の花、その他色々、ちょっとした花束だった。以前からあったような気もするし、最近になってのようにも思えた。男は目にはしていたが注意をはらって見たことはなかった。子供であろう。交通事故で子を失くした母が手向けているに違いない。その子は確実に死んでいるにも拘わらず、母は生きている者のように、その死んだ場所において、子に語り、花を活け続けている。

 男は思い出していた。行くあてもなく街をさ迷っていたのではあったが、そうした花々のありかが幾ケ所も思い出された。Y町の五差路、O町の交差点、確かそこにはまだ新しい御影石の地蔵さえ置かれていた。近所では団地の前の道路。最近見なくなったが、数ケ月に渡って花が粗末な花瓶に活けられていた。

 花の活けられた交差点、男は街のあちらこちらにあるそうした死者の場所、そこだけは人が生きていると思えた。花を手向け続ける母があり、受け取る子供がいる。新鮮な花をと思えば週一度、高い花なら千円はするだろう。それを長きに渡ってやり続ける。その手向ける人の想いは、時間を止めて生きていることのように思えるのだった。

                     

                           了




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