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裏切りの夏  作者: 夢追人
10/12

永久に重なる2

いよいよ最終段階。刑事と裕美&鈴が犯人を追い詰めます。でも犯人が最後に残した言葉が裕美の心を大きく揺さぶる。。。

みなさんの推理どおり、犯人はあの人です。

 南紀8日目の午後。ホテルから展望台レストランの中途にある道の駅まで車で約10分掛かった。山越えをする県道を車で走るより、海岸線に沿って延びたサイクリングロードを自転車で走った方が早いことになる。

 裕美たちは道の駅のレストランに入り、隅のテーブルに席を取っている。昼時を過ぎているので客もまばらだ。広い窓からは、相変わらずの熱い陽射しを乱反射している海の面を眺めることができる。道の駅の建物も崖の上にあるため、海岸からは少し高い位置にあり眺望が良い。

 佐久間も長野の捜査から帰っていて、今日は熊野と二人で来ている。和真が手錠をされたまま同席していた。佐久間たちの手配だが理由はわからない。気のせいか和真の表情は柔和に見える。色んなプレッシャーから解放されたためだろうか。

 更に警察の要請で、太一とバイトの北沼君もこの道の駅へ呼び出されていた。他にも私服を着た捜査員が数名、隣のテーブルに座って異常事態に備えている。

「一体どう言うご用でしょうか?ホテルも忙しい時期ですので、手短にお願いしたいのですが」

 太一が遠慮気味に言った。全員の前に飲物が運ばれている。

「長野へ行って、瀬戸内正勝のペンションを捜査してきましたので、そのご報告をしたいと思ってお呼び立てしました。皆さんには色々とご迷惑をお掛けしていますので」

 佐久間には珍しく丁寧な言葉遣いだが、裕美には白々しく感じて可笑しかった。

「何か新事実でもわかったのですか?」

 純樹も興味を示す。自分が更に疑われているのか不安なのだろう。だが、裕美も鈴も落ち着き払っている。刑事たちが話す内容が大体わかっているからだ。そして、これから全ての決着が着くことも予測している。

 純樹と達彦はまだ部分的な情報しか知らない。男たちがホテルで働いている間、二人の女はずっと推理を続けてきた。そして自分たちの考えを随時佐久間や熊野に伝えていた。

 彼らも、時にはそれらを参考にしながら捜査の詰めを行った。その結果、どんな証拠が出たのか、それとも何も出てこなかったのか、彼女たちは知らない。

 だが、二人の刑事は全員を集めて犯人を逮捕する決意を固めたようだ。後は犯人をどう追い詰めるのか、プロに任せることとし、裕美たちは補助役に回ることにした。

 ひと呼吸置いてから、佐久間が報告を始める。

「私は長野のペンションを調べてきましたが、やはり、正勝が純樹君と連絡を取っていた形跡はありませんでした。ああ、瀬戸内正勝は被害者なので本来なら正勝さんと呼ぶべきでしょうが、敢えて正勝と呼びます」

 裕美を始め、全員はその言葉の意味をつかめない。

「連絡の形跡は見つかりませんでしたが、その代り面白い物を見つけました。一枚の名刺です。正勝の大学時代からの旧友で小さな造船会社に勤めておられる方の名刺です」

 最後の詰めであるためか、佐久間もやや緊張気味で言葉も丁寧だ。

「造船会社?」

 話の急な展開に付いて行けない達彦が困惑している。裕美も知らない事実だ。

「佐々木さんと言う方で小型船の設計をしておられます。その佐々木さんを訪ね、正勝とどう言う話をされていたのかを確認しました」

 誰もが言葉を発せず佐久間の言葉を待っている。

「正勝が船好きであることから数年に一度は会っていたそうです。話題は船の話題が中心だそうですが、直近では、直近と言っても数年前ですが、正勝からぶっそうな相談をされたそうです」

「どんな相談ですか?」

 鈴が思わず口にする。

「誰にも怪しまれずにボートを転覆させる方法です」

 純樹の顔色がさっと青ざめてゆく。和真はポカンと口を開け、太一は口を閉じて佐久間を見つめている。

「じゃあ、あの転覆事故は故意に起こされたのですか?」

 達彦が思わず大声を発したが、鈴に睨まれて口を閉ざした。佐久間はゆっくりと頷いてから話を続ける。

「勿論、正勝は一般論として、こう言う仕掛けをするとどうなるかと言う風に質問を重ね、自分の企図は明かさなかったようですが、佐々木さんは不穏な気配を察したと言っています。そして実際に事故が起きた。佐々木さんは正勝の故意を疑ったが、証拠は何も無く、印象だけで警察に届ける訳にもいかないので黙っていたようです」

「どんな方法で転覆させたの?」

 意外な方向に話が進んでいるにも関わらず、冷静でいる自分に裕美は驚いている。

「至ってシンプルです。まずボートの船首にある汎用フックに船尾から渡したロープを通し、輪を作ります。その輪は、船尾でロープを引けば解ける輪です。つまり船尾からロープを強く引くと輪が解ける仕組みです。そして、同じく船尾から渡した別のロープをその輪に通します。船尾側はボートにつなぎ、船首側には鉄製の錨を取り付けます」

「錨?船を固定する錨ですね」

 鈴はわざと質問しているかのようだ。佐久間は軽く頷いてから水を飲む。熊野がボートの簡易側面図をテーブルに広げて、

「転覆した正勝のボートは船尾に船外機を付けたタイプです。船外機と言うのはエンジンとプロペラがセットになったものです。棒状のハンドルを左右に動かすことでプロペラも左右に動き、船は左右に舵を切ります。そしてチルト角度、つまりプロペラの推進軸ですね。通常はボートの底と水平になるように調整します。このチルト角度を変更することで、ボートの走行姿勢を制御します。角度によって船首が浮くような走り、つまりトリムアップしたり、逆に船首が川に沈みこむようなトリムダウンになったりします」

 と、基本的な構造の説明をした。その後、佐久間が再び話し始める。

「簡単に言うと、正勝はボートがトリムアップした状態を作り、その状態で猛ダッシュを掛けた瞬間、錨が船尾を引っ張る仕掛けを作って転覆させたのです。詳しく話します。ロープにつながれた錨は、船首に垂らされたロープの輪を通って船首の船底付近にぶら下がっている感じです。正勝が船尾からロープを引くと輪が解けて、この錨は川底に沈みながら振り子のように船尾側に移動します。やがて川底に沈んだ錨は川底に引っ掛り、その後ロープが張るとボートの船尾を引っ張ることになります。これは輪を解いてから数秒の間に起きると思われます」

 佐久間の説明に合わせて熊野が図面に絵を描き、錨の想定軌跡を示して見せた。

「この鎖は40キロ近い重さがあります。これが船首から離れるのですから急に船首が軽くなり、上方に浮きやすい状態となります。そのタイミングで正勝はエンジンの出力を最大にしたのです。しかもチルト角度をトリムアップにして……」

 絵をどう描けば良いのか熊野が迷っている。

「犯行現場に着くまでエンジン回転を上げずに航行し、現場流域に達し錨を船首から外すと同時にエンジンを最高出力にすることで、船首が水面から持ち上がりながらの不安定なバランスで猛ダッシュをする。だが数秒後船尾が錨に引っ張られる。それでもエンジンは最高出力を続けるため、船首が宙に飛び出すようにして転覆した訳です」

 佐久間が一気にからくりを明かした。

「なぜ……。そんなことを……」

 純樹が怒気を含んだ声が震えている。事故だから仕方がないと自分に言い聞かせて無理矢理抑えてきた積年の怒りが、今、彼の中で爆発しようとしている。

「地位と金です」

 佐久間は、純樹に同情するような視線を送ってから話を続ける。

「正勝は長年ペンションを経営していたがビジネスは不調で多額の負債があった。具体的な金額は不明ですが実質的には倒産状態だった。ところが弟の和真が榊原観光のひとり娘と結婚し、資金援助を受けた。が、それも僅かな延命措置に過ぎず正勝は赤字を垂れ流し続けた。にも関わらず生活態度は改めず、遊びを控えることも無く放蕩を続けた。社長である榊原高雄も和真夫妻もとうとう正勝に見切りをつけ援助を止めることにした。つまり事件当時の正勝は破産状態だった。そうですよね、和真さん」

 佐久間は念のため和真に確認を取ると彼は静かに頷いた。

「いくら援助を止められるからと言っても、実兄弟の和真さんまで殺しますかね?」

 達彦がもっともな疑問を挙げて和真をチラリと見た。

「榊原高雄は同族経営に執着していた。親族は娘の涼子のみ。もし自分が死んだ時には、第一相続人として涼子、次に和真、そして最後に正勝を指名していた。これは顧問弁護士に確認しました」

 佐久間が達彦の問いに答えたが、彼はまだ理解していないようだ。

「だから、正勝としては三人同時にいなくなってもらうのがベストシナリオだった」

 熊野が締めた。

「そんな身勝手な計画に巻き込まれて、僕たちは人生を狂わされてしまったのですか!」

 純樹には珍しく怒りを露にして吠え、和真はまだ何も信じられない様子で佐久間を見つめている。佐久間は大人の男らしく純樹の視線を受け止めて、静かに頷きながら、

「事実はそう言うことだ。君たちには大変気の毒だが……」

 と、一瞬目を伏せた。純樹がテーブルの上で握った拳が微かに震えている。向かいに座っている裕美が、その大きな拳を柔らかな両手でそっと包んだ。

「決して慰めにもならないと思いますが」

 熊野が遠慮気味に話始める。

「君たち二人がいたお蔭で、和真と涼子さんは命拾いをしたとも言えます」

「どう言うこと?」

 裕美も純樹と同じ心境に陥っている。余りに理不尽な事実を受け入れることができない。純樹が辛うじて平静を保っていられるのも、事実をまだ完全に受け入れていないからだろう。

「ここからはあくまでも我々の想像です。正勝の計画では、ボートを転覆させた後しばらくはその場に留まっているはずでした。船は錨で引っ張られているのでそれは可能です。しかし、正勝は早々に錨をつないでいるロープを切った。その理由は純樹君や静江さんを救おうとしたからだと思います。だが皮肉にも、流れてきたボートにつかまったのは和真と涼子さんだった」

 裕美は純樹の顔を見ることができず、両手で包んだ彼の拳を見つめている。自分たちには全く関係のない事情で暗闇の川に放り出され、愛していた静江を半身不随にされた。さらに元来の標的が健常者のまま近くにいる。こんな事実をいきなり突き付けられて、純樹の心はどんな状態なのか想像することすら憚れた。

 そして和真もまた、自分が実兄に殺され掛けていたと言う事実に呆然としている。冒頭で、佐久間が正勝と呼び捨てにすると言った理由が裕美にも理解できる。

「話を本筋に戻します」

 佐久間は重い雰囲気を変えるような口調で再び話し始める。

「4年前のボート転覆は事故ではなく犯罪だった。事件後、そのことを知った人物がいる。どうやって知ったのか、今はわかりません。しかしその人物こそが、今回の連続殺人事件の真犯人なのです。その犯人は間接正犯であり直接正犯でもある」

「間接正犯てなんだ?」

 達彦の言葉に、鈴は大きな溜息を吐いてから、

「実際に自分の手は汚さずに、他人を使って犯罪を起こさせる罪です。あれ?先輩は法学部でしたよね?」

 と冷たく言った。佐久間も少し笑いを零したがすぐに固い表情に戻って続ける。

「ここからは、我々刑事と可愛いお嬢さんたちとの合同推理です。正勝が、榊原高雄及びその優先相続者たちを殺して遺産を独り占めしようとした事実を知った犯人は、再度正勝に殺害計画を持ち掛けた。それは和真を使って涼子を殺させる計画だ。まず、様々な偽情報を涼子に吹き込み、和真にの不貞に対する怒りを何倍にも増幅させて夫婦仲を破壊する。次に、和真への報復手段として経営者の交代、離婚、慰謝料請求などの方向に涼子を誘導することで和真にとっての脅威を作り上げた。最後に、和真と恵子の幸福のためには涼子の排除意外に方法がないことを時間をかけて悟らせた。しかし真犯人の本当の目的は、涼子だけでなく正勝も殺し和真の社会的地位を剥奪することだった」

 佐久間の説明が終わっても、すぐには納得できない空気が佇んでいる。

「正勝さんが和真夫妻を操って涼子さんを死に追いやったが、実は正勝さんも真犯人にコントロールされていたと言うことですか。そんなことが本当にできるんですか?」

 純樹は、佐久間たちの推理を非現実的な物語のように感じているようだ。

「恐らく、真犯人が絶対に殺したかったのは正勝で、涼子さん殺害は必須ではなかった。殺意の程度に差があったのでしょう。そう考える理由は、真犯人の動機から推測できます」

「真犯人の動機」

 達彦もひとりごちで考え込んでいる。

(あなたにわかる訳ないでしょう)

 裕美は心の中で呟きながら、彼の真剣な表情を乾いた瞳で見つめた。

「我々が最後まで苦労したのが真犯人の動機の解明です。正勝がボート転覆を故意に行った事実を真犯人は知っているのだから、正勝を殺すよりも脅迫して金を貢がせる方が利益になる」

 佐久間は大きく呼吸をしてから更に話を進める。

「更に社会的地位も高い和真や涼子さんへの殺意となると、全く見当がつかずお手上げ状態だった。そんな時に、お嬢さんたちが言いました。動機は愛だと……」

 佐久間は柄にもない言葉を口にしてやや照れくさそうな笑みを浮かべた。

「愛?」

「愛が動機だなんて、私たちオヤジには想像すらできなかった。このお嬢さんたちに命令されて私たちは純樹君の故郷を訪ねました。そこは同時に静江さんの故郷であり、太一さんの故郷でもある」

 佐久間と熊野がちらりと太一に視線を送る。だが彼は黙ったまま目の前のコーヒーカップを見つめている。

「太一さん、あなたは静江さんと幼馴染で、彼女とも兄妹のような関係を続けていたそうですね、静江さんが純樹君と付き合い始めた後も」

 佐久間の言葉に、太一は一瞬彼を見返したがすぐにまたカップへと戻した。

「太一さんは事故の後も責任を感じて、何度も静江さんの実家を訪れている。平均すると年に数回は訪れていました。私たちは静江さんには会って頂けませんでしたが、御両親から証言を頂きました。お嬢さんたちの言うとおり、あなたは静江さんを愛していたのではありませんか?あなたは静江さんを半身不随にした正勝と、彼女から救命胴衣を奪った涼子さんが許せなかった。そして静江さんのそばにいながら彼女を守れなかった純樹君にも罰を与えたかった」

 佐久間は、最後には語気を強めて太一に迫った。その迫力に視線を上げた太一が、

「もしかして、私が真犯人だと思われているのですか?」

 怪訝そうに刑事たちを見つめた。和真は完全に取り残されてぼんやりと呆けている。何も受け入れられない状態なのだろう。

 と、今まで佐久間たちに任せていた裕美がどうしても黙っていられなくなり、つい興奮気味に口を挟んでしまう。

「そうです。私たちはあなたが真犯人だと思っています。理由を話します。涼子さん殺害の夜、純樹さんが涼子さんの伝言に従っていたことを聞いた時、鈴ちゃんが『また伝言?』て不思議そうに言いました。私も同感です。正勝さんが純樹さんを呼び出した時も伝言。どうして直接言わないのか。いくら微妙な人間関係でもレストランで長らく時間を過ごし、会話も交わしていた。部屋の内線だって簡単に掛けられるのに、わざわざ太一さんに伝言を頼むのは不自然です」

 ここまで話した頃には裕美は平常心に戻っていた。そして太一の様子を確認する余裕もある。すると今度は鈴が我慢できずに口を開いた。

「肝心な所が全て伝言です。涼子さんの部屋を純樹さんが訪れた時も同じです。涼子さんには、純樹さんが二人きりで会いたがっていると嘘を伝える。そして純樹さんには涼子さんの誘いを伝える。ここが引掛かりました。女が若い男を部屋に呼ぶ時に、わざわざ従業員に詮索される行為はしません。涼子さんは自分に自信のある女性でした。純樹さんを誘うなら自分で誘惑するはずです」

 鈴はそう言って、興奮を冷ましながら太一を睨みつけた。だが、太一はいつもの冷静な表情を保ちながら言った。

「君たちがどう思おうと関係ありません。殺害動機を想像するのも君たちの勝手です。しかし、私は、正勝さんや和真さんに言われたとおりに動いただけです。結果的に犯罪を手助けしてしまったことは申し訳なく思っています」

 と言って、太一は少し頭を下げた。そうして大きく息を吸うと、

「しかし、私には正勝さんを殺すことは物理的に無理です。事件当日の午後、私はこの道の駅で食事をとり車で昼寝をした後ホテルに戻りましたから。監視カメラの映像があるのでしょう?きちんと調べてください」

 と、全く動揺する様子もなく淡々と佐久間に告げた。

「確かに、あなたがこの道の駅の駐車場に入ってくる映像と、出てゆく映像は残っていました。12時30分に駐車場に入り、この建物に入ってお弁当を買い建物から出てゆく姿も。そして、それがいつものパターンであることも店員の方から聞いています。また、ここから展望台レストランまで車だと往復で40分は掛かり、あなたが監視カメラからに写っていない時間は約60分。計算上犯行は可能ではあるが、展望台レストランの駐車場には屋台や売店があります。屋台のお婆さんは、事件当日は駐車場から崖の方には誰も行っていないと証言しています。全てあなたの思惑どおりです」

 佐久間がそう答えると、

「では、何も問題ないのでは?」

 と、太一が佐久間を寄り切ろうとしたが裕美が反射的に抗弁する。 

「自転車なら余裕で犯行可能です!車では峠を越えなければなりませんから片道20分も掛かりますが、海岸線に沿ったサイクリングロードを自転車で走れば、ここから夫婦松の崖まで10分程で行けます。私たちもやってみました。女のスピードでも余裕でした」

 裕美の反論を受けても太一は冷静だ。

「でも、私が行ったと言う証拠は無いのでしょう?」

 だが、裕美も負けずに冷静な表情を作って攻める。

「この画像を見てください。これは私たちがホテルに来た初日に、太一さんに案内されて敷地内を見て回った時の画像です。鈴ちゃんが自転車の駐輪場を撮った物がこれです。自転車は何台ありますか?」

 裕美は、熊野に拡大印刷させた写真を指差しながら尋ねる。

「19台」

 太一は指で自転車を数えてから答えた。

「それが変なんです。あら、実はもう気づいているのでは?」

 裕美が意地悪な視線を送る。

「別に変ではないでしょう。うちのホテルには20台の自転車があります。1台貸し出していただけでしょう」

 裕美は、太一が図太いのか、本当に何も知らないのか疑いながら話を進める。

「私たちは、鈴ちゃんがこの何の面白みも無い風景を撮影した後、若いカップルに出会いました。多分、新婚さんです。そのカップルは自転車2台でサイクリングを楽しんで、駐輪場に戻ってきたところで私たちと出会いました」

 裕美がしたり顔で言った時、

「と言うことは1台多いのか?」

 と、達彦が口走った。

「足し算は出来るんですね」

 鈴がからかう。

「この中にあなたの自転車はありますか?」

「ない」

 一瞬、太一の表情に動揺が走る。

「そうですか。でも、自転車の管理をしているオジサンは、こんな自転車、いや、バイクは知らないと言っていましたよ。太一さんのでは?」

 裕美は画像の1台を示す。

「見覚えがありません」

 太一はしっかりと裕美を見つめている。

「でも、バイトの北沼君は見覚えがあるらしいです。いつだったか太一さんがそのバイクに乗って出勤して来たことを覚えています」

 全員が北沼君の顔を見たが、急におどおどして下を向いてしまった。

「他の誰かと間違っているのでしょう」

 太一は北沼君を一瞥してから平然と言った。裕美も負けずに淡々とした口調で続ける。

「あなたはこの日の朝早く自分のバイクを駐輪場に置いて、仕事を終えた夜に乗り出した。暗闇の中サイクリングロードを走り、道の駅から海岸に下りた辺りの松林にでも隠しておいたのでしょう」 

 裕美はそこまで言うと、ひと息吐いて佐久間をチラリと見た。彼の眼が鋭く輝いている。そろそろ勝負時なのかも知れない。佐久間が大きく呼吸をしてから、裕美から話を受け継ぐ。

「正勝殺害方法の前に、彼を夫婦松の崖へ呼び出した方法を説明しなければなりません。太一さん、あなたは何らかの事情で彼の榊原家殺人計画を知った。そして復讐のシナリオを作り上げた。そのシナリオの第一段階は、正勝が榊原観光トップになる計画を再度実行するように説得することだった。あなたはが具体的な計画を正勝に明かすと、借金で身動きが取れなくなっている彼は簡単に乗ってきた。第二段階は、正勝を使って、涼子さんと和真の冷えた仲を憎悪の仲にすること。和真の浮気を涼子さんに教えたのもあなたたちの仕業です。そして涼子さんを殺害しないと和真の立場が悪くなるところまで環境を整えた。そして第三段階。あなたはこの段階で初めて正勝に明かした。ボート転覆事件の真相を純樹君が知っていると……。勿論嘘です。そうして、あなたは純樹君も殺すことを提案する。そうしないと社長の座に就けないどころか、純樹君が警察に明かしたら全て終わりだと」

 純樹と和真が呆気に取られた表情を佐久間に向けている。

「僕が殺される予定だったんですか?」

 純樹が目を丸くして驚いている。熊野が慌てて、

「太一さんが立てた偽の計画ですよ。第二段階まで準備している正勝にとっては、純樹君が最大の障害になった訳です。しかも正勝は太一さんを信用していた。正勝は騙されているとも知らず、躊躇なく実行を選んだのでしょう」

 と、純樹を安心させた。佐久間が咳払いをひとつしてから、再び事件解明を続ける。

「純樹君殺害の偽計画を簡単に説明します。証拠を残さないために、太一さんが伝言や公衆電話を使って純樹君を呼び出す。そのために正勝の声も事前に録音しておいた。夫婦松の崖にやって来た純樹君を二人で殺害した後、彼の携帯を奪いアリバイ工作をする。正勝にどんな計画を持ち掛けたのかはここでは重要でない。詳しくは後で教えてくれ。とにかく、正勝は太一さんの計画どおりに夫婦松の崖で待っていた」

佐久間は自信満々の表情で太一を見つめたが、彼もまた堂々としている。

「正勝殺害当日の12時40分。あなたは道の駅売店で弁当を買い建物を出た。そしてそのまま海岸に下りて、隠してあった自転車に乗る。恐らく、上着やメットなども自転車に装備しておいたのでしょう。帰り道で小里浜にいる純樹君に見つかる可能性もありますから。準備時間を含めて約15分後の12時55分、夫婦松の崖に到着。13時過ぎに正勝がやってくると彼をベンチに座わるよう誘導する。あなたは凶器を自転車に積んでいた。恐らく鉄パイプとかバットの類だろう。正勝はその凶器を純樹殺害の道具だと思っていたから全く油断している。そんな彼を後ろから凶器で殴りつけ、携帯を取り出してから正勝を茂みに隠した。それから道の駅まで戻り、元の服装に着替えて車で駐車場を出る。13時40分、駐車場カメラにあなたの車が映っていることは前述しました。そして13時50分頃ホテル従業員用駐車場に到着。従業員駐車場には監視カメラがありますから、人目につかない場所、おそらくは宿泊客用駐車場のビーチに近い辺りで正勝の携帯を使い純樹君に連絡。あなたは正勝が純樹君の番号を聞き出している現場にいたから、ロック画面のパスワードも、連絡先に純樹君の番号を登録していないことも聞いていた。もっとも、聞くまでもなく既知の事実を確認しただけだとは思いますが」

 太一は正勝の携帯の扱いを昔から知っているだろうと佐久間は踏んでいる。

「あなたは自分の携帯に記録してある番号を見ながら直打ちするが末尾の番号を間違えている。それが13時54分。再度掛けなおして純樹君が応答した後、予め録音していた正勝の声を聞かせた。13時55分。そしてあなたは一度ビーチの方へ立ち寄り大会準備の進捗を確認した。あなたを見た目撃者もいます。14時10分。純樹君から正勝の携帯に着信があった。あなたは応答するも声は無言で切った。風の音しかしなかったと言う証言は海風でしょう。そして事務所に移動し、今度は正勝の携帯から自分の携帯に電話を掛ける。14時30分。そして周囲に聞こえるように、正勝が明日の開会式に出られないと言う話を作り上げ、正勝が生きているように思わせた。その夜、正勝の遺体と携帯を夫婦松の崖から落としたが、携帯は岩に残ってしまった。無論、携帯など見つかっても問題の無い計画だ」



時系列

12:40  太一が弁当を買い自転車で夫婦松に向かう

12:55  夫婦松の崖に到着

13:00頃 正勝到着。殺害。遺体を茂みに隠し携帯を盗る


13:25頃 純樹が小里浜に到着


13:40 道の駅駐車場を出る

14:50 ホテル従業員駐車場着。ビーチ側駐車場に移動

13:54 正勝の携帯で純樹に発信するが間違い

13:55 正勝の携帯で純樹に発信。正勝の録音声で待ち合わせ場所を指示

ビーチへ移動


14:00 純樹が夫婦松の崖に到着


14:10  純樹から正勝の携帯へ着信。無言応答

14:30 事務所で正勝の携帯から太一の携帯に発信


 佐久間がそこまで話すと太一がやや面倒臭そうな表情で反論する。

「道の駅の防犯カメラ以外すべて想像ですよね」

 その言葉を聞いてなぜか佐久間がにやりと笑う。裕美は太一の言葉に軽く怒りを覚えた瞬間、ある光景が脳裏に浮かんできて思わず口にしてしまった。

「大会初日の朝、すなわち正勝さん殺害事件の翌日、太一さんは純樹さんに問い掛けましたよね?今日はサングラスを掛けないのかと……。純樹さんは私たちの前でもサングラスを掛けたことがありませんでした。彼がサングラスを掛けて自転車に乗り、小里浜に出掛ける姿を見たのは私だけです。なのに、どうしてあのような言葉を掛けたのですか?」

 裕美の言葉に、太一だけでなく佐久間を含めた全員が彼女を凝視する。刑事たちは、そんな話は聞いていなかったぞと言わんばかりの、怒りを帯びた視線を送ってきた。だが裕美は構わず、

「それは、あなたが前日にサイクリングロードを使って夫婦松の崖から帰る途中、小里浜にいる純樹さんを見たからでしょう?砂浜で星型の砂粒を探している、サングラスを掛けた純樹さんの姿を!」

 と、一気に捲し立てた。太一は明らかに一瞬の動揺を見せたが、

「大会初日の朝に質問した時は、サングラスとゴーグルを言い間違えただけですよ。大会前日に純樹さんがコート整備をしている時、ゴーグルを掛けていましたから、ゴーグルを掛けないんですかと言うところを、サングラスと言ってしまいました」

 と、落ち着きを取り戻して弁解した。その様子を刺すような視線で見つめていた佐久間は、

「私たちのようなオヤジでもゴーグルとサングラスを間違えたりしませんがね」

 と、更に彼の動揺を誘おうとする。だが、太一は落ち着き払っている。

「間違えたものは仕方がないでしょう。それとも、単たる言い間違えで犯人にされてしまうのですか?何度も言うようですが想像は結構です。証拠を見せてください」

「そうか、そこまで言い張るのなら仕方がない。実のところ、あなたが素直に認めれば自首扱いにしようと思っていたのですが、残念です」

 佐久間は少々勿体ぶってコーヒーを口にした後、更に迫力のある視線で太一を見つめながら証拠の話を始めた。

「あなたが間違え電話を掛けた時、相手の方は応答せずに留守番電話に切り替わりましたよね?あなたは迷ったはずだ。このまま留守電に正勝の録音声を記録しようかどうか。なぜなら、必ずしも純樹君を夫婦松の崖に呼び出す必要はない。正勝から純樹君に入電があった事実を作れば正勝が生きていたというアリバイを作ることができるからです」

 佐久間は太一の表情を確認しながら続ける。

「だが、あなたは録音をしなかった。良かったですね、番号を間違えていたのですから。でも、あなたが迷っている間に、天使の声が録音されてしまった」

 佐久間はニヤリを笑うと留守電の内容をコピーした録音機の再生スイッチを入れた。

「テステス、ただいまマイクのテスト中……」

「あら、私の可愛い声!天使の声だわ!」

(自分で言うか)

「ビーチで大会準備をしている放送がなぜ録音されたのか。あなたがビーチ近くから純樹君に電話をした証拠です」

 太一はじっとうつ向いている。先ほどまでの余裕はない。

「私が電話した証拠にはならない」

 太一が絞り出すような声で呟いた。佐久間は大きな溜息を吐いて録音機をポケットに入れる。

「まだ認めませんか?では、もうひとつの証拠をお聞かせしましょう。ペンションには二つの電話番号があります。ひとつはお客用で常に録音されている。予約日時などの間違いが無いように録音してあるのでしょう。もうひとつは業務用。業務用電話はバックオフィスにあり録音機能はありません。あなたがバイトしていた頃と同じです。あなたは業務用電話に掛けて正勝と計画の話をしていた。しかも、発信はすべて公衆電話かホテル事務所の電話から。自宅や携帯からは一切発信していないので証拠は残らないはず。しかし、正勝も馬鹿ではなかった。あなたとの会話は全てICレコーダに録音してありました。声紋鑑定をすればあなたの声であることは証明されます。まあ、鑑定するまでもなく、誰が聞いても明らかですけどね」

 佐久間は、ポケットから取り出したビニル袋に入ったレコーダを目の前に掲げた。

「録音データ量は大量にあるので、今日は一部をコピーして持ってきました」

 佐久間はポケットから取り出した別のレコーダを熊野に手渡す。熊野が操作すると、明らかにそれと分かる正勝と太一の声が全員の耳に届いた。

 全員が太一の反応を見つめている。さすがに観念したのか、彼は項垂れたまま声を聞いている。会話は挨拶から始まり、ビーチバレー大会の日程が決まったことなどを語っている。そして、予定どおり純樹がやって来る、と太一の録音声が聞こえたところで熊野がレコーダを止めた。

 その瞬間、佐久間がなぜか勝ち誇ったような視線を鈴に送った。警察を舐めるなよとでも言いたいのか。

「殺害計画が録音されていた!そんな完璧な証拠があるならさっさと出しなさいよ、時間の無駄じゃないですか!」

 鈴が小さく叫んで佐久間を睨む。

「私たちは太一さんに自首をして欲しいだけだ。自分勝手な正勝の行動で愛する女を半身不随にされたんだ。俺たちだって気持ちは理解できる。少しでも罪を軽くしたい。今からでも遅くはない。ここだけの話だぞ、素直に認めたら自首扱にしてやる」

 佐久間は全員に言い含めるように見渡しながら太一を優しく諭した。その時、思いもよらない話の展開に全く付いていけなかった和真が頬を紅潮させて、太一に向って大声で叫んだ。

「い、いったい、どう言うことだ!」

 和真の声は怒りに震えている。更に立ち上がろうとする和真の肩を、隣のテーブルから駆け寄った捜査員が押さえ込んだ。そしてその激情の振動が元どおりの静かな空気に戻った頃、

「だいたい、刑事さんの話されたとおりです」

 と、太一が静かに呟いた。その瞬間、裕美は純樹の潔白が証明されて嬉しいはずなのに、温厚に見える太一が人を殺したと言う事実が急に恐ろしくなった。

「しかし、ひとつだけ訂正させてください」

 太一が純樹を見つめている。どうして彼を見つめているのか、裕美は更に恐怖と不安の渦に巻かれてゆく。

「私は、純樹君を恨んだことはありません。ですから彼に罰を与えたいとも思いませんでした」

 裕美は少し安堵する。

「罰を与えるように言ったのは静江です」

 太一の柔らかい声が、この上なく冷たく氷の棘となって全員の胸に刺さってゆく。

「どうして?」

 裕美は思わず叫んでいた。

「さあ、私にもわかりません。純樹君に聞いてください」

 そう言って太一は立ち上がった。捜査員たちが連行する。その背中を見送った裕美は、色々な感情が入り混じって心に大きな空洞ができている。一方、鈴には達成感しかないのか、晴れ晴れとした表情を浮かべて佐久間に話し掛けている。

「さすがプロですね、あんな証拠を探し出すなんて。犯行計画がバッチリ録音されていたのですね?」

「いや、録音はあれが全てだ」

「え!」

 全員が固まる。

「ビーチバレー大会が予定どおり行われると言う業務連絡しか残されていなかった。最初から録音していなかったのか、消去したのかはわからない。案外、ICレコーダを使いこなせなかったのかも知れないな」

 佐久間は平然としている。

「ハッタリだったの?」

 裕美も、純樹のことが気になりながらも刑事の手口に驚いている。

「鈴ちゃんが絶妙のタイミングで叫んでくれましたからね、あれで完全に信用しましたね、太一は」

 熊野が鈴に微笑み掛けている。佐久間のあの表情は、わざと鈴を挑発するためだったのか。裕美も感心した。

「一応プロなんで……」

 佐久間はゆっくりと立ち上がった。


結局、状況証拠しかありませんでした。

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