赦す必要はない
「いやいや驚いた。本当に神殿が現れだしてるじゃないか」
十一時を三十分ほど過ぎたころ、太陽の泉の中央には淡く光を放ってるように見える白亜の神殿がはっきりと視認できるようになった。
太陽の泉は直径が五百メートルはあろうかというほぼ円形をした泉だ。外周部は波などの影響で多少凹凸になってはいるが、数メートルも沖に進むとまるで巨大なボール盤で穿たれた金属片のように綺麗な断面の垂直な崖が円をなしている。なんでも元々太陽の神殿をはじめいくつかの神殿があったそうだが、太陽の神殿が天空に浮上する際にその全てが共に浮上し、その後人工的にも見える円形の泉になったと説明を受けた。
この泉の水質は気持ちが悪いほどに澄んでいて、大穴は光の当たる範囲をくっきりと視認できる。見る限りは魚や植物など生物が見当たらず、日の光を反射する波がなければそこにある水の存在すら忘れてしまいそうだった。
それが十一時を過ぎたあたりから――太陽が南中に差し掛かったころから――光の反射とは違う光を放ち出し、遂には神殿が姿を現した。
「いかがですか、天与様? これほどのものはエレィニア全土を探しても早々に見付かるものではございません」
「確かにこれは聞いていた以上に見事だな」
隣で自慢気に話すアマリアに答えると「そうでしょう」と言わんばかりに笑顔を返してくるのだが――
「しかし、これは本来泉の守り手のみに許されたもの。あのような者共が目にしてよいものでないのですが……」
離れたところで沖に出るための舟を用意しているアーサーら聖堂騎士を見やりながらその声にあからさまな敵意を孕ませる。
彼らの用意している舟はなんでも魔法で操船するもので櫓も櫂のようなものはない。
「こちらの世情に疎いから的外れなのかもしれんが、許してやれとは言わんからもう少し穏便にはなれんのか?」
結局誰の差し金かは吐かなかったアーサーたちだったが、春彦の提案で舟を出すという力仕事をさせるために今のところは処分保留ということで落ち着いたもののアマリアはどうにも納得いかないらしい。
「本来なら全員その場で縛り首も文句の言えないことをしでかしたのです。天与様の恩赦とはいえ拘束すらされてないのは優しすぎます。だいたい――」
「いきなり斬首かよ……って、恩赦ってことは彼奴らの処断は俺ができるのか?」
「――あのような小舟、我々巫女と守り手の六人もいれば――……はい? まあ絶対ではありませんが、天与様の命令であればある程度のことは通るはずです」
アマリアの話では聖都であるエーナテーペや神域であるこの太陽の泉など天神教団に関わる場所の多くは天神教団に自治権が認められており、通常はその中では教主が最高位であるが天与はその上に置かれるため教団員の生殺与奪も含め裁量権をある程度は認められるそうだ。
「でたらめだな、天与」
「はい。ですから天与様にはその発言の重きを努々忘れずにおいていただけると我々も助かります」
「その巫女がどうも過激な発言をしているように感じるんだが」
「それとこれとは別です」
とはいえ無茶はやり過ぎない方がいいらしく、過去に反乱により失脚した天与も少なくなく正史において最初の天与とされる魔王も世界にもたらした功績にも拘わらずその施政への不満から次代の天与である聖王を中心とした諸国同盟により滅ぼされているとも彼女は付け加えた。
「まあ肝に銘じておくよ」
そうこうしている内に舟の用意も済んだようでアーサーが報告に来た。
「アーサー、一つ確認したいんだが、今回俺の裁断をするよう命令されていたのはお前だけでよかったんだよな?」
報告とは関係ない質問にアーサーが、また先の自白とは違う内容にアマリアが共に「え?」となる。
「だ、か、ら、今回のことは『お前だけ』なんだよな?」
「それは……」と口籠もるアーサーに隣でなにか言いたげなアマリアを片手を上げて制止しつつもう一度「お前だけ」をあからさまに強調して問いかけるとアーサーも察したらしい。
「相違ございません!」
「よし。では俺が正式に天与の命を受けた後、教団と相談の上でお前には厳重な沙汰を言い渡すがいいな」
「は! 恐悦至極!」
深々と頭を下げるアーサーを満足そうに見下ろす春彦をアマリアが複雑そうに見詰めたあと諦めたように溜め息をつく。
彼女らのように絶対服従も悪い気はしない。だが世界を敵に回したとしても自分の世界のために戦おうとするアーサーには――アマリアには悪いが――好感を持っている。なんというか春彦の中の男の子の血とでも言おうか、そういうものが騒ぐのだ。
「アリス! ヤヤン! 準備をしろっ! そろそろ行くぞ」
アーサーの返答に満足して春彦が号令するとアーサーと聖堂騎士が一歩下がり舟までの道を開ける。離れた場所で後任の泉の守り手と話していた二人もこちらに駆け寄って来る。
「アマリア、実際アーサーをここで処刑にするのは簡単だし、こいつなら甘受するだろう。だが大事は首謀者が誰かだ。それまで暫く俺に預けてくれんか?」
この距離ではアーサーにも聞こえるだろうが敢えてアマリアに耳打ちをするとそういうことならと了承する。それを受けて更に首を垂れるのを満足そうに春彦はもう一度頷いた。
舟を出す直前に小間使いにと腰に引っ掛けていたナイフをアーサーに預けるとアマリアの不満が再び爆発するという小事はあったものの風や波もなく春彦ら四人を載せた舟は順調に神殿に近付く。
最終的に命令して大人しくさせたため流石に不機嫌さが滲み出ているアマリアを舳に乗せ、その後ろいるヤヤンはアマリアとは対照的に普段見ることのできない沖からの眺めに上機嫌だ。
二人は攻撃魔法や徒手空拳など戦う術があるため有事に備えてという意味合いもあって船首側に乗り、逆にそれらを持たないアリスと春彦は船尾側に乗せられた。
岸と神殿の間辺りまで来たところで魔法で操船しながらアリスが話しかけてくる。
「あの、天与様。なぜアーサー様に厳罰を与えなかったのですか?」
「ああ?」
「せめて拘束くらいはした方が……」
そのくらいすればアマリアもあそこまでピリピリしないだろうにと言外に匂わす。
四人が乗る程度の狭い舟なので当然前の二人にも聞こえていて、舳のアマリアが横目でチラチラと、ヤヤンも興味深げにこちらを見ている。
「……そうだな、実際のところ俺は首謀者なんて誰でも良いんだが、彼奴らにあまりに厳重な罰を与えると首謀者もタダでは済ませられないぞ」
「それは当然の報いです!」
アマリアが堪らず声を上げるのをまあまあと面倒臭そうに手を振り制す。
「なあ、彼奴ら聖堂騎士はどこに所属してるんだ?」
「一応天神教団ですね。……ああ、ちょっと特殊だけど一応セントレイドの王宮直下って名目もあったっけ?」
これには元聖堂騎士のヤヤンが答えた。
天神教団の自治権を認められてはいるが、セントレイド領内にあるため護国同盟からセントレイドには守護する義務が課せられているらしいのだ。
「そうなるとだ。実際アーサーの独断ならともかく、彼奴ら全員にとなると命令をできるのは限られてくるだろ」
恐らくは教団やセントレイドの上層部。そうなると確実にこの世界は混乱する。
「……しかしアーサーの独断で他の者はそうとは知らないだけとも――」
「それはないだろう」
アマリアの反論を否定する。
「これだけ重大なことだぞ。アーサーの言葉だけで他の奴らまで従うと思うか? そもそもだ、天与が使命を放棄するなんてお前ら以外にどれほど知れ渡っている話なんだってことなんだが……て、まさか気付いてなかったのかよ」
どうにも自分達が共通の知識と知っていることで失念していたらしく、ヤヤンに至っては手を打つ仕草までしている。
「……たしかに、言われてみればおかしいですね。でもそうなるといよいよ限られた者に……――!」
そこまで話してアマリアが何かに思い至ったらしい。だが、うつむきながら「まさか」とか「そんなはずはない」とかぶつぶつと言い出す。
その様子に他の二人も何か気付いたらしいく沈痛な面持ちで黙り込む。
「誰か、心当たりがあるんだな」
言外に言うように促してみるが誰も応えない。仕方なしにアリスを名指しで言うように命令しようとしたところで「それは私から……」とアマリアがようやく重い口を開く。
「教団である程度以上の地位にあって、尚且つ王の代理として聖堂騎士に命令を下せるとすれば、この国の制教大臣という役職も兼務する神官キース・アーレイ以外に妥当な者はありません」
またキース・アーレイは自分の父だとアマリアは悔しそうな、もしくは怒りの滲む震える声で付け足し「身内の罪は私の罪でもあります。遠慮なく御処断下さい!」と締めくくり平伏してしまう。
なんとか声をかけてフォローしてやろうかと思うが、かけるべき言葉が浮かばず春彦は長いため息をつく。他の二人は一様に押し黙り、舟の上に思いの外大きく響きアマリアの肩がピクリと揺れるのに合わせて赤みがかった栗毛が一房ずれ落ちた。
「処断もなにも、まだお前の親父だと決まったわけじゃなかろうに。それにアーサー同様暫く放っておくつもりだぞ」
「ですが――」と言いかけるアマリアを手を挙げて制する。
「よし、俺が俺のジイサンから教わったアリガタイ言葉を教えてやろう」
仰々しく宣言すると三人が畏まる。そこまで大層なことではないのだが。
「『赦す必要はないが男なら受け入れてやる度量を持て』だ。これは俺がガキのころに喧嘩して帰ったときに言われたんだがな」
喧嘩するにはそれなりの理由がある、それにごめんなさいであっさり赦し合えるとも限らない。だがそれで反発し合っていたのではいつまで経っても解決はしない。
だから赦す必要はないが、先ずはこちらが受け入れてやる度量を見せてやれ、と。
「ここでお前に何らかの罰を与えるのは簡単だろうし、お前もその方が気が済むのかもしれん。だがもしここでお前を失ったら俺はお前の自己満足のためにこの見知らぬ世界での数少ない味方を失うことになる。それは罪ではないのか? ――ああ、ただの例えだ別にお前を咎めるつもりは全くない」
アマリアが蒼褪める間を与えずそんなつもりはないと否定する。
「まあな、こっちの常識で赦せないこともあるかもしれんが、ただ俺が良いと言ったことくらいは我慢してもらえんか?」
「この通りだ」と頭を下げるとアマリアが慌てる。
「まだこの世界のためにだとか言えるほどのことをわかっちゃいないが、お前らのために――」
そう言いながらちらとアリスを見る。
「――可能な限り力を尽くすことを誓おう」
そんな誓いを立てる必要はないと頭を上げるよう懇願するアマリアの後ろの方からパチパチと拍手の音が聞こえる。そちらに目を向けるといつの間にか直ぐ傍まで来ていた神殿の入口に立つ女性がいた。
「自らに仇なす敵をも味方とせん。貴方を天与へと推挙して正解でした」
比喩などではなく金色に輝く豊かに波打つ髪。幼さの残るその顔には人懐こそうな笑みを浮かべこちらまで頬を緩ませてしまいそうになる。
「エレナ……? いや、豊穣の乙女か?」
「はい。エレィニアの民からは豊穣の乙女と呼ばれています」
そう答え笑顔を一段と明るくし、一旦深々とお辞儀をする。
「たしか春彦の世界の挨拶はこうでしたよね? 改めて、ようこそ世界エレィニアへ。お待ちしていました。」