はじめてのまほう
時刻は九時前。泉の守り手の小屋には十人の男女が訪れた。
その内の男共が手分けをして居間のテーブルを脇に押しやり、椅子に座った春彦の前に六人が跪いている。
前に女が二人、後ろに男が一人と女が三人。男は軽装だが鎧を着込み、女共はアリスと同じような白を基調としたローブを着ている。
「アリス、来るのは二人じゃなかったのか?」
隣に立つアリスに尋ねる。
「えっと……天与の巫女は前の二人になります。後ろの方々は……誰でしょう? アーサー様とリレイ様はわかるんですが……」
「お前の関係者じゃねえのかよ」
「それについては私から紹介いたします」
前に跪く二人の内アリスの透き通るような金髪とは違い赤みがかった栗色の髪の女が答える。
「私、アマリア・アーレイとこのヤヤンが天与様の巫女になります」
二人に関しては昨夜アリスから大体のことは聞いていた。
アマリアは両親共に聖職者の家系で本人も優秀。素質だけでなく努力家でもあり将来有望なのだとか。巫女にならなければ次期教主とも言われていたらしい。三人の中では年長で纏め役ということだ。
ヤヤンは二人とは違い元々聖職者というわけではないということだ。なんでも南方の国で最年少でチャンピオンになったことをきっかけに彼女の元領主の推薦を受け、当時行われていた教主アデルの大巡礼を護衛したことで聖堂騎士を経て泉の守り手となったという。
教主を目指す聖職者であればその経験を求められるが、泉の守り手そのものは天神教団の聖職者が就く決まりではないとアリスは話していた。尤も守る場所が場所だけにそれなりの信仰心は必要なので教団外の者が務めることは少ない。
「アマリアにヤヤンね。で、後ろのは?」
「聖堂騎士のアーサー・リゼル・ドラクネル、私達の後任の泉の守り手となる者たちで右からリレイ、クラリス・ハーレイ、サーサです」
「後任ねえ……お前は自分の後輩もわからんのか?」
アリスを半眼で見やるとアマリアからアリスには最後の二人とはあまり面識がないとアマリアからフォローが入る。
今回後任の守り手を連れて来たのは今の三人が巫女となるので本日から引き継ぎを行うためと、春彦との面通しのためだと説明を受けた。巫女ほどではないが、当代の天与ということで全く無関係というわけでもないらしい。
本来エーナテーペの聖堂とそれを中心に作られた市街地、それに周辺の警備をしている聖堂騎士が同行していることに関しては、ここがエーナテーペから近く、通常は守り手同士だけで引き継ぎをするのだが今回は移動する人数が多くその半分が不慣れということでその護衛として来ているとアマリアからは説明があった。ちなみにアーサー以外の聖堂騎士は外で待機している。
「護衛ねえ……この辺はそんなに治安が悪いのか? それともそこの森にはバケモンでもいるとか?」
この質問にはアリスもアマリアも否定する。
聖地であるこの泉周辺の森は狂暴な魔物もいないし、獣の類いも積極的に人を襲うものはいないそうだ。ここまでの道程も同じで聖堂騎士の巡回警備の範囲に入っているので賊もいないはずだと。
「アリス、聖堂騎士は普段槍とかは持ち歩いてないのか?」
「槍……ですか? たしかに持ち歩かれていた方もいたような……それがどうかしましたか?」
「俺みたいな素人目にもこいつらの履いてる剣はどう見ても短すぎだろ。森の中みたいに狭い場所ならともかく街道なんかでなら短い剣振り回すより槍なんかの方がやり易くないか? と思ってな。ああ、家の中でも長物は扱いづらいか――なあ、アーサー?」
アーサーは俯いたまま答えない。しかし押し黙るその様子がそれを否定できないことを物語る。
「大方俺を見極めて使えないなら斬り捨てるつもりじゃないのか?」
「――まさかっ! そのようなこと、あってはなりません!」
アマリアが大声を上げて身を起こす。片やアーサーは押し黙ったままだ。
「世界を救う気があるのかどうか聞いて、なければ始末……とか? まあ世界を救える力が与えられてるらしいし、野に放ってどこぞの馬の骨に利用されでもしたら面倒だからな。違うか?」
「て、天与様、突然異世界に投げ込まれて我々のことを信用できないというのはわからなくもありませんが、教団の者に限って、それも教団の中央聖堂を守護する聖堂騎士がそのようなこ――」
「俺はアーサーに聞いてるんだ、アマリア。わかるな」
春彦のひと睨みでなにかを言いかけていたアマリアまで押し黙り部屋を沈黙が支配する。
「アーサー、違うのか? と聞いてるんだ」
「……違いません」
「なんだって?」
「相違ございません」
春彦がもう一度アーサーに問い質すとぼそぼそと答えが返ってくる。
「我々聖堂騎士に与えられた任務は、アマリア様から説明があった通り彼女らの護衛と天与様のご意向を確認してくるように命じられて同行いたしました」
「それで、もし世界なんぞ救ってられるかと答えたらどうするつもりだったんだ?」
「……」
唇を噛み締めそっと左手を剣の鞘を支えるように添える動作をアーサーがするとアマリアが激昂する。
「な、なんと無礼な! 貴方が一体何をしようとしているのかわかっているのですか!?」
「アマリア、少し黙っていろ」
「しかし――」
「いいから黙れ」
自分を見ずアーサーと見つめ合ったままの春彦の指示にアマリアは口惜しそうに再び黙り込む。
春彦は暫く見つめ合った後「まあ、そうなるか」と独り言ちて今度は自分の手を閉じたり開いたりしながらそちらを見つめる。
「どうなのですか? 天与様の返答やいかに?」
焦れたアーサーが返事を催促する。
「我らは貴方を討てば如何な理由にあれ天敵と見做され誅されることも覚悟の上。例え……例え……」
「例えなんだ?」
「……例えこのいのっ――」
春彦の問いに意を決し、断言しようとしたアーサーが喉を押さえて倒れ込む。
「っ様……なにを……」
「たく、アリスといいアーサーといいこっちの奴等はなんでそう簡単にそれを捨てられるんだ。ヤヤン、そいつを動けないように押さえ付けろ。アマリアは武器を取り上げろ……ああ、多分止め差し用にダガーあたりを隠してるだろうから――」
「これですね。腰に隠してました」
春彦がアーサーの問いに答えず見下ろしながらヤヤンにアーサーを取り抑えるように指示を出し、アマリアに武器を取り上げるように指示を出しているとヤヤンがそれもやってしまう。
更に大声を出せないように間に合わせの猿轡を噛ませることも忘れない。
咳き込み呼吸の自由を取り戻したアーサーが無様に組み伏せられたまま春彦を睨み上げる。
「最初は直に空気の流れを止めようとしたんだがどうにもイメージできなくてな。力の加減は難しかったが手で首を締め上げるイメージでやったら本当に絞められるのな」
「ふぁはあっ! ひほうほほはひひはははひのほほあはほうあほふふぁへうはうあはい」
アーサーがなにか叫んだか猿轡のお蔭でなにを言っているのかは聞き取れないが言いたいことはなんとなくわかる。
「ところがどっこいアリスの話だと俺には魔法の才とやらが与えられているそうでな、キチンとイメージさえしたら使えるそうだ」
アーサーの視線がアリスの方に向けられ、その意図を察したアリスが小さく頷き肯定するとアーサーは青ざめ、猿轡をされたままの口を鯉のように開閉を繰り返す。
「アーサー、俺もこっちに来て早々に殺しなんてなやりたくはない。でもあまりに騒がれるとまたどうにか黙らせなきゃならいからまたキュッとやらんといけないんだが、さっきも言った通りまだ力の加減が上手くない。言いたいことはわかるな?」
アーサーが青ざめたまま小さく頷く。
「よし。ヤヤン、した早々悪いが猿轡を解いてやれ。あとアーサー、先のお前の質問の答えだが安心しろ、守るよう誓いを立てたことだしできる限りのことはするさ……ああ、アリスに無理矢理じゃないから睨むのは止してよれ」
青ざめたかと思ったら今度は間の抜けた表情になるアーサーを他所にアリスを睨み付けるアマリアをたしなめる。
あのとき――弥生との通話の最後に――言い出した彼女のお願いというのはこの世界を救って欲しいというものだった。
そんなことをしても弥生には何の得にもならない。精々春彦の命が取り敢えず失われずに済む程度だ。
『それが大事なんだよ』
そう彼女は答えた。
『私はもう会えないけど、ハル君がこれからも生きてたら、もしかしたらまたこうやって話せるかもってくらいは思えるじゃない。それにハル君が世界を救うために頑張ってるなら、私も少々のことで挫けてらんないって思えそうだし』
「なんだ、お前の自己暗示のためかよ」
『ふふ、いいでしょ? だってもう愚痴聞いてくれるハル君はいないんだし……。ね、だめかな?』
結局、あれには弱いのだ。思えば今まであいつの「お願い」を何度聞いてきたことか。
口約束じゃ信用ならないからアリスに誓うように弥生が言ったときのアリスの慌てようは流石に見ているだけで気の毒になるほどだった。