異世界通信
部屋には古い黒電話のベルを思わせる着信音が鳴り響く。突然の大音響にびくついているアリスの名前を呼ぶと「ひゃいっ!」と絵に描いたような間抜けな返事を返してくる。
「こっちに電話なんてのがあるのか?」
「デェワ……ですか?」
「ああ、そうか……取り敢えずなんでもいいから遠くの者と話す方法だ」
「あるにはありますが……」
「ほいほい使えるものじゃないと?」
「そうですね。少し手の込んだ魔術になるので」
まあ電話の有無は「電気を使った道具」というのがないので想像は難くなかった。もしかしたらそれに替わる――という表現もおかしいが――通信技術があるのかとも思ったがそれもあまり簡単に使えるものではないらしい。
そもそもラインを閉じているはずの携帯電話が電波強度が最大表示で着信していることがあり得ない。
それも発信者は「花野弥生」――現世に残して来た幼馴染みだ。
下手をすると端末を交換する度に数週間はメールが片言になるような奴なのだ。彼女が世界を跨いだ上に相手の携帯電話のラインを強制的に開くなんて技術など持つわけがない。
そこでまた別の違和感に気付く。
着信を知らせ始めてもう軽く一分は経とうかというのに一向に切れない。
「やはりまともな着信じゃないのか? いや、そもそも異世界まで来てるのにかかってる時点でおかしい……向こうでは死んでいるから留守電に切り換わらないとか? しかし昨日の今日でもう解約の手続きまでしてるのかもあやしいものだし……。よし、取り敢えず取るか」
ぶつぶつと口に出して考えてもわからない。もし本当に弥生がかけてきているのなら留守電はともかく諦められない内に出た方がよかろう。
「誰だ?」
『え? あれ? えと、ああ――』
間違いなく聞き覚えのある声だった。
「悪戯なら切るぞ」
『ちょっ! 悪戯じゃない! 私っ! 私よ!』
「ワタシさんなんて知り合いはいないんだが――」
『だから弥生だって! ……えと、ハル君、なの?』
歳の割りに若すぎる声。まだ二日ほどしか経っていないはずなのに随分と懐かしい声だった。
「ああそうだ。てかお前、どうやってかけてきてるんだ?」
『へ? 普通に……だけど。ハル君死んだのが、その、なんていうか現実感なくて……』
「ああ」なんて生返事を返そうとした春彦に思いもよらないことを告げる。
『お骨も拾って一週間になるけど、その、声が聞けたらとか思ってかけてみたら繋がっちゃって……あれれ? でもこうやって話してるってことはあれってだ――』
「ちょっと待て弥生、今なんて?」
『え? いや、その、ごめん。死人扱いとか気分悪いよね。でも良かった。ハル君死んじゃったって聞いてホント――』
「そんなことはどうでもいい。もう一週間も経っているのか?」
「そんなことって……」と不服を漏らしつつも春彦の問いを弥生は肯定した。
アリスに自分が一週間も寝ていたのか訊ねたがそんなことはなかった。こちらでの時間には一応矛盾は見られない。
どうなっていると思うか改めて意見を求めてみると「飽くまでも仮説ですが」と前置いて顎に手を当てたままアリスが答える。
「これは魔法ではないかと思われます。天与様とお相手のお互いが話したいと強く願ったことで発現した魔法です」
「つまり俺か弥生が魔法を使ったと?」
「そのお二方であれば間違いなく天与様です。天与様にはエレナ様より授けられた魔法の才がありますので。……ただこの魔法は天与様のものではなく、エレナ様のものと考えた方がよろしいかと」
頷いて続きを促す。
「天与様なら魔法により世界の壁を越えて話すことも叶うかも知れませんが、先ずはそれが可能だと天与様が知らなければなりません」
「ふむ、そんなことできるなんて思ってもみなかったな」
「はい。恐らく魔法に慣れ親しんだこちらの者でも思い付かないでしょう。しかしそもそも世界を跨いで天与様を召喚したエレナ様であれば天与様の世界もご存知でしょうし、天与様にはそのための触媒がありました」
「携帯電話だな」
アリスがこくりと頷く。
「そのデーパというもので話す携帯デワンという魔導器は元々離れた場所の方と話すためのものということですし、天与様の世界のものなのでエレィニアと天与様の世界を繋ぐのにも問題ないかと」
この場合時間そのものはあまり関係ないのだとアリスは説明する。春彦と弥生の二人が話したいと思ったことが重要なのだと。
ひとつ疑問に思うのは本当にこの電話の相手がそもそも弥生本人なのかということだった。もしアリスの言う通り二人の思いで発現した魔法だとしたら、春彦の願望で相手を勝手に作り出すことも不可能ではないはずだ。
「……そうですね。あの、よろしければ私もお話しさせていただけないでしょうか?」
「弥生と?」
「はい」
特に不都合があるわけでない。アリスに思うところがあるなら任せよう。
軽く経緯を弥生に説明すると弥生も快く了解したのでアリスに携帯電話を差し出すと宝でも拝領するかのように恭しく両手で受け取り、そのまま耳に当てて――
「上下逆だ。……そう」
顔を真っ赤にしながら持ち直すと少し考えて先ずは自己紹介と考えたらしい。昨晩と同じように自分は天与の巫女でアリスだと名乗っている。だから「天与」と言われてもわからんだろうに。
「……あの、天与様」
「あ?」
「その、アヨイ様の言葉がわからないのですが……」
「俺とは普通に話してるだろうが」
「……はあ」
アリスから携帯電話を取り戻し弥生に聞いてみると弥生も分からないと言う。どうやらエレナの自動翻訳は発動していなかったようだ。
考えた末にスピーカーフォンに切り換えて机の上に置き、春彦が通訳することになったのだか……
「あれ? 今度はわかります」
『あ、そういえば』
「お前らな……」
「こ、これはきっと天与様を介することで翻訳がなされているのではないでしょうか」
「俺は翻訳機かよ……」
先程と同じようにアリスが自己紹介し、続けて翻訳する前に弥生が自己紹介を返す。どうやら二人とも話がきちんと通じるらしい。
「まあいい。取り敢えず確かめたいことがあるんだろ? さっさと済ませろ」
「あ、はい。それならもう十分です」
ただ自己紹介をしあっただけにしか見えなかったのだが、アリスはそれで十分だという。
アリスの話だと魔力と一概に言っても人にはそれぞれ波長のようなものがあり僅かに違うらしい。もし今話している弥生が俺の作り出したものであるならその波長は同じもの、若しくは同じ部分があるのだが、俺とこの弥生の波長は全く違うということだ。
「そんなもの声聞いただけでわかるのか?」
「はい、すごく微妙なものなのですがコツさえつかめば可能です。……えと、天与様の世界には腹話術というのはありますか?」
「腹話術というと口を動かさずに喋るやつか?」
「そうですね。恐らく天与様の想像されたもので間違いはないと思います。それに――」
「翻訳された」
アリスが静かに首肯する。
電話に限らずこちらにないものは意味を持った単語として伝わらない。逆にこちらにしかないものも意味を持つ単語としては伝わらない。それがきちんと理解できるように翻訳されているということは認識に相違はないということだ。
「もしこのヤヨイ様が天与様の作り出したものであるなら一式若しくは二式召喚術に分類されるものになります」
「一式?」
「召喚術の区分です。一式はファミリア……えと、被召喚対象の召喚――というよりも魔力による錬成と考えた方が分かりやすいですね。二式は同じ錬成でも精霊や神々などを錬成する類いの術です」
ちなみに三式召喚術というものもあり、これは別の場所から精霊や神々そのものを呼び出す術だとアリスが補足する。
それと腹話術がどう関係あるのか尋ねると腹話術で変わって聞こえていても声の本質的な部分が変えられないのと同じで、一式や二式召喚術では施術者の魔力を錬成するため先に話に出た波長のような本質的な部分が同じものになるそうだ。
そしてある程度の練度の魔術師であればそういったことを感知できるらしい。
「つまりお前はそれを調べたと? あれだけで?」
「はい」
「大したもんだな――って、一々照れるな。話が進まん。それでもエレナが俺の記憶を頼りに作ってたら俺の魔力は感じられないんじゃないのか?」
「いいえ。天与様の記憶を頼りに作り出したとしてもその記憶には天与様の主観があるので必ず天与様の魔力が感じられるはずです」
所謂思い出の美化だと付け足す。
「というわけで、晴れてお前は本物だということだな」
『それで私にどう答えろと……』
それからお互いの情況を簡単に説明しあう。
どうやら向こうでは事故死として既に葬儀も終わり、今は初七日の晩だと言う。初七日の法要を終えてなんとなくコールしたら通じたそうだ。
『それでハル君、その、世界を救うお仕事が終わったら帰って来られるの?』
一通りこちらの説明も終えたところで弥生が尋ねてくる。
「ああ、そのことなんだが……」
『ん?』
「まあ結論から言えば帰れない。そもそも元の世界で死ぬ運命の者をこちらの神が呼んでいるそうなんだ」
『……そっか』
「中途半端に期待させたみたいで悪いな」
『そんなことないよ。ちゃんとお別れが言える機会ができて良かったよ』
「そうか……それなら良かった――て、お前が泣いてんじゃねえよ」
気付くとスピーカーフォンのままでしていた二人の会話を聞いてアリスが泣いていた。
「だって……だって……若くして恋人同士が引き裂かれるなんて……」
「若いって……お互いもう三十路だぞ。それにそもそも恋人じゃねえ」
「ふぇ……あの、でも……」
『……ははは……私達、一応ただの幼馴染みだよ』
「ひ、ひつれいしました!」
「いいから取り敢えず鼻水を拭いてこい」
真っ赤になりながらそそくさと隣の部屋に駆けていくアリスを「……まったく」と独り言ちながら見送っていると弥生のくすくすと笑う声が聞こえた。声のする方を半眼で睨むが伝わるわけもない。
『ふふ……いい子に拾って貰えたね。……て、ハル君今こっち睨んでるでしょ?』
「なんでわかんだよ」
『ふっ、ふっ、ふっ、ハル君との付き合い長いんだから――こら、溜め息つかない』
向こうは向こうでなにやら勘違いがあるようだが訂正するのも面倒臭い。
いつもと変わらなすぎる弥生のノリに少々脱力してしまうのだが、彼女のこのノリに今までも助けられたことも少なくない。ただ礼を言うのが嫌なので本人には伝えたことはないのだが……。
最後くらいは礼を言っておこうかと思ったら「こほん」と電話の向こうでわざとらしく咳払いをするのが聞こえてきた。
『ハル君、多分これが最後なんだよね?』
「あ? ああ、多分な。さっきアリスが言ってたように無理ではないんだろうが期待しない方がいいだろう」
『そっか。じゃあ最後に一つお願い良いかな?』
あの日会う約束をしていたのに死んでしまったことに多少の罪悪感がないわけじゃない。
「そうだな……聞いてやりたいとは思うが、そもそも異世界にいるんだからなんもしてやれることはないと思うぞ」
『大丈夫。ちゃんとそっちでできることだよ――』