セントレイド王との対面
春彦は馬車の停車する振動で目を覚ます。どうやらセントレイドの王都であるドールゴーンに着いたらしい。エーナテーペを発ち途中の森に差し掛かったところで減速した辺りまでは覚えている。なんでも激しく動くものに襲いかかる魔獣が出没するのだとアーサーから説明を受けた。
隣に座るアリスに寄りかかるようにして寝てしまっていた体を起こし、携帯電話を取り出してみると四時間ほど揺られていたらしい。南中していた太陽も随分と傾いていた。
よく休めたかとの隣に座るアリスからの問いかけに寝起きの気だるさで生返事を返したのだがそれでも満足したらしくにこにこしている。少なくとも二時間は寄りかかってしまっていたのだろうに文句を言うでもなくなにやら嬉しそうで気味が悪い。
アーレイ邸に居着いて約一週間が過ぎ、香月堂からも一通りの装備が届き漸くセントレイド王との謁見のため王都を訪ねることになったのだが、その間に春彦が積極的にやったことは二つ。それはエレィニアの字を習うこととこちらでの戦い方を習うことだった。
そのために聖堂の傍にある天神教団の図書館に通い、子供向けの本を借りてはアリスやアマリア、アリシアにも教わりつつそれらを読むことを繰り返した。内容は子供向けらしくこの世界の神話だとかお伽噺が中心でそれなりに楽しめた。ただ普段彼女らと普通に話せているだけに逆にわからないところが伝わりづらくなかなかに苦労させられた。
戦いに関してはアーサーに毎日稽古をつけてもらい、それと並行してヤヤンにも頼んで彼女の日課としている鍛練に付き合わせてもらった。後者はアーサーも共にやったのだが彼自身も得るものがあり、その機会を得られたことに感謝を述べられている。
エレナから授けられた「物事を体得するための才能」というものがいまいちわかっていなかったが、これらを驚くほどに速いペースで身につけていったことでそれを自覚させられた。字に関しては教材にした子供用の簡単な本くらいならひとりで読むことも可能になったし、多少難しい本でも辞書を引きながら読むことが可能になった。こちらにも辞書があったことには感謝せねばなるまい。戦いに関してもさすがに勝つことは難しくとも数回に一回はアーサーを追い込むくらいにはなれた。
アーサーもそれを悔しがるでもなく、むしろ一緒に喜んでくれる人のよさを感じる度に彼が望んで就いていた聖堂騎士の職を奪ってしまったことを心苦しく感じてしまうのだが、彼にとって天与の付き人はこれ以上にない栄誉なのだと説かれ感謝されるのに苦笑を返すしかない。
アマリアはまだ彼のことを許したわけではないが、大分落ち着いてはきたらしく同席する度に睨み付けることもなくなった。
これらの発端であるアーサーへの命令を下したであろうキース・アーレイにとは春彦とセントレイド王との会見のためにエーナテーペを離れているとのことで未だ会えずじまいだ。
その王都への出発の際にはアマリアと交替し太陽の泉から帰ってきたヤヤンが見送りに現れた。
こうして太陽の下で見ると彼女の生来の小麦色の肌は引き締まった肉体も相まって健康的な美しさを感じさせられる。アマリアの気品を感じさせる美しさやアリスの弱々しくも見える可愛らしさとは対極にあるそれは性格も含めてとても春彦には付き合いやすそうに感じさせる。
「本当は私も着いて行ければいいんだけどねえ」
ヤヤンは頭をぽりぽりと掻きながら間延びした声で残念そうに話す。
「さすがに新人の研修をしながらのお務めで付いて行ってもどうにも役に立たないどころがお荷物になりそうだからさ、ごめんね」
軽口をたたくように言っているが、彼女の目の下にあるものを見れば見送りに来てくれただけでもありがたい。欠伸をごまかす彼女にそう伝えると照れたような笑いが反ってくる。
太陽の泉の守り手の引き継ぎというのは本来三人で一人を教えていくそうなのだが、今回は三人一篇にとあってヤヤンだけでなくアマリアやアリスも務めから帰ってくると疲れはてていることがある。体力に自信のあるヤヤンですらそういう日には鍛練を午後からにして午前中はゆっくり休んでいるほどだった。
これからはアリスが抜け一時的には更に厳しくはなるのだろうが、それも新人が仕事を覚えられれば直に緩やかになるのでもうひと頑張りだとヤヤンは空元気を見せる。
そんなことを話していると王都へ行くために手配した馬車がアーレイ邸前に到着する。そのころにはアリシアも顔を出し三日ほどの留守にしては盛大に送り出された。
止まっていた馬車が再び動きだす。窓に掛けられてるカーテンの隙間から覗き見ると大きな門を潜るところだった。
「このまま第六環区の大門まで行きます。もう少しの辛抱なので今暫く我慢ください」
王都に着いて警戒も緩めてよかろうと御者台から移ってきたアーサーが春彦の様子に気付いて声をかけてくる。
この王都ドールゴーンはなだらかな丘になっており、中心の王城を囲う区画を第一環区と呼び、そこから第十三環区まであるのだと説明を受けたのを思い出す。
最外周の大門で手続きを済ませれば第十三環区から第六環区までは昼間であれば基本的にそのまま往き来ができる。
第六環区の大扉からはこの天神教団の馬車では進入できないので、そこからはアーサーの実家の馬車に乗り換える。それであれば第二環区にあるアーサーの実家まで何のお咎めもなく行けるのだという。
「それにしても随分と厚待遇なんだな」
「それはアーサー様が――」
「ま、まあ親の七光りを使うようでお恥ずかしいのですが、私の家はそれなりに顔が利くのです」
アリスの言いかけたことを珍しく強引に遮ったようだが、若干視線を反らすアーサーにアリスもなにか察したように口をつぐむのであまり言いたくないことでもあるのだろうと春彦も気にしないことにした。
そもそもこちらでは家名を持つこと自体がその家柄の良さを表すとはアマリアが話していたことなので、アーサーもドラクネルという家名を名乗る以上はそれなりの家柄の人間なのだろう。今晩の王との謁見もアーサーの実家でというのだから尚更だ。
そのアーサーの実家に着いてみると門前や扉の周りに物々しい警備がつけられていた。王が既に到着しているはずなのでそのためだろうと取り出した懐中時計を見ながらアーサーが話す。
それが正しいらしく、用意を早々に済ませたら仮の謁見の間としてされている食堂まで行くようにと一旦控え室代わりの客室に通された。
用意といっても春彦が普段着代わりに使っているローブから礼装として用意した服に着替えるくらいなのでそれほど時間はかからなかった。
ただ、この礼装というのがパンツは特に気にするようなところはないのだが、上着が裾の随分と長い真っ白な詰襟で春彦としては色こそ違うが中学生の頃を思い出させてどうにも気恥ずかしいものがあった。また普段着ることのない詰襟というだけでも窮屈に感じるのだが、金環十字のバッチやら飾り紐やらがいくつも付属していてよけいに窮屈に感じてしまう。
食堂へ向かう際には武器の類いを携行することを禁じられ、天与の剣と恵から譲り受けた剣、それに春彦のナイフを控え室に置いていかなければなかった。アーサーの実家なのだし大丈夫だろうとは思ったのだがアリスが心配するのでアーサーが荷物の番をすることで一旦落ち着く。
食堂は本来あるはずのテーブルがどこかへ移動させられ部屋の約三分の一に毛足の長い絨毯が敷かれていた。その絨毯の真ん中に椅子があるのだが何かの皮を掛けられている。それは竜の革を鞣したもので仮設の玉座を表すのに使われるとのことだ。
用意されているのが玉座だけなのをアリスが出入口に立つ兵に抗議していると何事かと顔を出す男がいた。金環十字を竜が抱えた刺繍を施されたローブを纏ったこの男は春彦より頭ひとつ高く、先日会ったバクズ同様にローブの上からでもわかるくらいに筋骨たくましい。彼こそがアマリアの父でありセントレイドの神官のキース・アーレイだとちゃっかり人の影に隠れるようにしてアリスが耳打ちする。
「どうにもこういうのに慣れておりませんでな、少々誤解しておる者もいるようです。直ぐに春彦様の椅子を用意させましょう。ラッテ、こちらに――」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
簡単な挨拶のあとそう話すキースは聖職者というよりは武人を思わせる落ち着いた声であった。そのキースが先ほどの兵士ラッテに指示を出そうとするのを呼び止める。
「俺のだけじゃなくアリスのものも用意して欲しい。頼りないが一応これは俺の大事な連れなんで同じように扱ってほしいのだが、どうだろう」
アリスが慌てて自分のものはいいからと上着を引っ張ってくるが気にしない。
その様子を窺っていたキースがふむとなにやら納得したように頷いて改めてラッテに指示を出し、後ほどと一礼して自身も退室した。暫くして椅子が二脚運び入れられ、毛足の長い絨毯から外れた場所に置かれた。
それを見計らっていたかのようにキースが再び入室し、セントレイド王の来室を声高に宣言すると大きく開かれた扉から王が入室してくる。
出入口に控えるラッテが元々正していた姿勢を更に伸ばし跳ねるのではないかと思うほど背筋を伸ばすのに反応して立ち上がろうとするアリスのローブを引っ張って座り直させると忠誠心厚い兵士殿からは妙な視線を感じたが気にしないことにする。
セントレイド王キネグラス・フォルク・ドラクネルは細面に切れ長の目をしていていちいち大げさにも感じる動作はその自信の表れのようでもある。肩より少し長い金色の髪はうなじのあたりで三つ編みに纏められ、年相応に色の濃くなった部分も自らそうなったかのように絶妙なグラデーションを描いていた。
「ふむ。アデルから聞いている通り、随分と不遜なのだな。これでも私はセントレイドが主にして、護国同盟が盟主総代を勤める身である。それは自らを過大に評価したものか、それとも自棄を気取っているのか」
座ったまま反応しない春彦らを方眉を吊り上げながら睥睨したのち、どっかと座ったキネグラスが尋ねてくる。アリスが青ざめているのを横目で眺めながらそれに応える。
「まあ、一度は死んだ身も同然。自棄と言えば自棄なのだろう。ただ、『エレィニアの民』の態度が気に食わないというのが適当だな」
「ほう。それは私も同じ扱いにしているのだと取っていいのかな」
「どうだろうな」
「貴様はエレィニアが主権である護国同盟の総代をその辺の有象無象と一緒にするか」
眉間にに皺を寄せ声を低く落としたキネグラスが問い掛ける。恐らく普段このような声を出すことがないのだろう、ただ居合わせているだけのラッテまでカタカタと震えている。
「たかだか天――一人の巡礼者の失敗の責任を、たまたまその付き人となった者に押し付けるやつらが気に食わない。それを正そうともしない権力者は更に気に食わない。そんなものに媚びへつらうようなら、そんな自分がもっと気に食わない」
キネグラスと春彦が睨み合うようにしたまま部屋を静寂が支配する。「なるほど。よくわかった」とキネグラスが先ほどよりも更に低い声でそれ破る。
「ここいないということはアーサーがこれの荷物番をしておるのだろう。貴様はアーサーにこれの剣をここへ持参するよう伝えてこい」
いきなり命令されたラッテが飛び上がり口をぱくぱくとする。
「聞こえなんだか。これの武器をここへ持って来させろと言っているのだ」
「お、お言葉ですが、仮とはいえこの謁見の間への武器の持ち込みは禁じられており――」
「天神教団からの丸腰の客人を無下にどうこうしたなどとなれば私の面子がない。これが隠し持ち込んだ得物で斬りかかられたとあればどうにでも申し開きもできよう。なんなら貴様を殺して奪ったその槍で襲いかかってきた、としても私は構わんのだが、どうする」
自らの主に凄まれたラッテが慌てて扉から飛び出していく。それを見たキネグラスが扉を見つめたまま一度鼻を鳴らした。




