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白夜 ーHOLLY NIGHT-

作者: 安岡 憙弘
掲載日:2016/03/13


     白夜    -HOLLY NIGHT―


  明け方の地平線に初めて白い太陽が顔を出した。ダストラエフキの所へ一頭のトナカイのソリが雪埃ゆきぼこりを立てて、走ってきた。イリナビーヤタからの急な使いであった。

 まるで一頭の大きな馬車かなにかの様に威風堂々としたそのトナカイのソリの後部座席には、ナヤツタコロドフがさも大儀そうに大きなアザラシの毛皮に包まれた巨体から湯気を立ててのっそりとソリから転げ落ちそうにして駆け降りて来た。ダストラエフキが使い等というものをもらうのは何年か振りのことであった。イリナビーヤタが産気づいたとのことであった。おかしな二人組がまるでソリからはみ出る様にしてスイートホームへ戻って来た時、すでにラスコンドとアイガミナの二人の双生児はこの世に産声を挙げていた。

 ダストラエフキは二人の出産に立ち会えなかったことをひどく口惜しがった。ナヤツタコロドフに至っては、「双子がお生まれになると知っていればもっと早く旦那様をお迎えに上がりましたのに。」と半ば自嘲じちょう気味であった。それからというもの、この男と女の双児ふたごの赤ん坊は、アザラシのミルクに育てられて、白夜の国、スウェーデンに相応しい、美しい若者たちへと成長した。

 昔、スウェーデンのおきさきがまだ美しい頬を紅く染めた漁村の娘であった頃、スウェーデンの王子はその漁村ぎょそんに匿名で訪れてその時に出会った後の王妃のことが忘れられず、召使いをその漁村の長老の所へ遣って或る1つの贈り物をしたと伝えられている。その贈り物と言うのが、世にも珍しい

象の牙。つまり象牙ぞうげであったと後の長老は伝えていた。

 このラスコンドとアイガミナが成人に達する年齢に近づいた時、長老はダストラエフキの一家全員、ナヤツタコロドフも含めて、長老のフィヨルドに招待した。

ナヤツタコロドフは、「私目が招かれるとは、驚きでございます。一体どんなことが長老様のお口から出て来ますのでしょうか。と嬉しそうな不安そうな誇らしげな複雑な表情でダストラエフキの方を伺った。


長老の家では、意外と質素な食事が振る舞われた。ツバメの燻製くんせい等、ダストラエフキの家でもイリナビーヤタが毎日の様に作ってくれた愛情料理に似たり寄ったりであった。

 長老は晩 さんが終わり、全ての料理が片付けられると、ラスコンドの眼を一直線に見つめてこう言った。「ラスコンド、お前がもしアイガミナを嫁にめとると言うなら、この家に代々伝わる伝説の象牙をお主に譲ろうと思うがどうじゃ。アイガミナを愛することができるか。どうじゃ。もしお前が出来ぬと言うのなら、ダストラエフキ一家にはこの村を出て行ってもらわねばならん。どうじゃ、今夜一晩考えて、明日の白夜が沈む前に返事をくれぬか。どうじゃラスコンド、アイガミナを生涯の伴侶とする気はあるか。イリナビーヤタ、どうか二人の事をよく考えて洗濯をおし。ナヤツタコロドフ、白夜が落ちる前にお前が私に返事を伝えに来るのじゃ。良いな。最後にダストラエフキ、この様な事態を招いてしまった私をどうかゆるしておくれ。理由だけは我が家の言い伝えに寄ってどうしてもお主らに話すわけにはゆかぬ。どうかゆるしてくれ。ワシの話す事はこれ迄じゃ。アイガミナ、美しゅうなったの。そなたをもう一度見ることが許されれば、わしはもう死んでも良いわ。では又な。ダストラエフキ一家。又。又。」

 

 ダストラエフキ一家はフィヨルドに戻ってしばらく誰も話をしようとする者がなかった。アイガミナだけは、暖炉のそばで犬のトラスダと他愛もないおしゃべりをしていた。

 ナヤツタコロドフがその時不意に声を上げたのだった。

「旦那様、長老様のおっしゃることはあんまりでございます。

私、今一度我が家のトナカイを殺しましてですね、長老様に考え直して下さいますようお願い致して参ります。我が家だけがこの様な目に遭うというのはですね、どうしても納得が行きませぬ。アイガミナお嬢様の事をお想いいたしますと、お痛わしゅうてなりませぬ。どうか再び私目を使いに出させて下さいましよ。お願いですダストラエフキの旦那。おねげえでござりまするよ。ラスコンド坊ちゃまとアイガミナお嬢様ご結婚等、神の摂理に反しております故、私がそのことを長老様に申し上げてお2人のご婚約を破棄にして下さる様お願いして見る積もりでございます。イリナビーヤタ様、どうかウンと言って下さいまし。ねえ、トラスダもそう思うだろ。ワンとか言っておくれ。」

犬のトラスダは暖炉のそばを離れて悠々と部屋の中を散索さんさくでもしているかの風で又アイガミナに洒落じゃれつくように体をアイガミナの白く薄汚れた民族衣装にこすりつけた。

 ダストラエフキは考えていた。イリナビーヤタと二人で築きあげた極寒の地でのささやかなスイートホームがかくも一夜にして崩れ去ってしまうとは。召使いのナヤツタコロドフには暇を出さねばならぬとダストラエフキはただそれだけを今想ったのだった。アイガミナに洒落着いていたトラスダがその時急に苦しそうなうなり声をあげて腹を上に向けて伝統織のカーペットの上をコロコロと転げ回った。みな固唾かたずを呑んで絨毯の上を転げ回るトラスダをしばし茫然ぼうぜんとして見ていたがアイガミナが突作に近寄ってトラスダを抱き上げるとトラスダはアイガミナの細く女性らしい腕の中で舌をベロンと出して息も絶えだえの体であった。ナヤツタコロドフが薬を取りに納屋なやへと走り出て行った。

 ダストラエフキは、これは困った事になったと正直にそう考えざるを得ずにいたのだった。イリナビーヤタは主人を想い遣ってダストラエフキの片を抱き寄せ頬を頬に着けてさも心配そうに娘アイガミナと抱いているトラスダを観察した。

 ラスコンドはその時、突然意を決した様にはっきりとこう宣言した。「僕はアイガミナを愛していた。物心着いた時からずっとアイガミナ程美しい女性はこの世にいないと想って生きて来た。僕はアイガミナを妻とすることとしたい。アイガミナ、今日から金輪際妹ということは忘れてくれ。僕のしようとしている事は神の御意思にそむくかもしれない。でもこれが我ら部族の生き方だ。何百年も我等一族は近親結婚繰り返して生き残ってきたんだ。アイガミナと僕の意思で部族の掟を変えるわけにはかぬ。アイガミナ、死んだものと思って僕に付いてきておくれ。アイガミナ、僕は君程美しいものはこの世には無いとさえ想っているんだ。だからアイガミナ、この僕の妻となってくれ。

 さっきから黙ってじっとラスコンドの話を細い腕でトラスダをなぜてやりなが聴いていたアイガミナはニッコリと微笑んで「はい」とだけ答えた。トラスダがその瞬間、アイガミナの腕から急に生き返ったように跳び出して外へと飛び出して行った。

部屋の中ではダストラエフキ、イリナビーヤタ、ラスコンドとアイガミナの4人だけが残った。

「私は御前たちの結婚は認めない。お前達は私とイリナビーヤタが待ちに待って生まれて来た子供達だ。そんな人形の様な恋を認める訳には行かない。そんな心の込持っていない人間関係がこの世に存在してはいけないのだ。ナヤツタコロドフに言って翌朝、長老に断りの返事をさせる。そして明日、みんなでこの村を出よう。長年連れ添ってくれたナヤツタコロドフには大変申しわけないことをする事となってしまうが、これも神が下した決断ならば従うり他にない。イリナビーヤタ、また寒い思いをさせる事になるが、どうか私の不甲斐なさを許してくれ。子供達、愛しているよ。さあ、ナヤツタコロドフを呼んで、急いで支度をしよう。アイガミナ。ナヤツタコロドフを呼んでおいで。」

アイガミナはサッと身をひる返してテントの出口から外へと出て行った。

 ダストラエフキはしばらく炎の燃えるのをじっと眺めていた。

妻のイリナビーヤタはすでに立ち上がって旅に不可欠な防寒着を点検し始めていた。ラスコンドは唯一人、空中をにらみつけるような目付きを恐ろしげにしていた。ダストラエフキも又立ち上がって明日からの食料の品定めをしにかかろうとしていた。その時ラスコンドがまだ若い父親のたくましい腕をしっかりとつかんでキッとダストラエフキの目を見据えてこう言った。

「父さん、アイガミナの気持ちを僕はまだ聞いていない。アイガミナが父さんの言う通りにするというのなら僕もその様にする。でも万が一アイガミナが本当は僕と結婚したいと考えているのなら僕は父さんと母さんを捨ててでもここに残ってアイガミナと結婚するつもりだ。父さん、どうかアイガミナをここに連れて来て欲しい。アイガミナの気持ちを確かめられたなら、僕はもう文句は言わない。頼むから彼女をここへ連れて来て下さい。父さん、お願いします。」

ラスコンドはそう言ってダストラエフキの漁師服のそでをグッと握ったまま放さなかった。

しばらくの沈黙の後、「わかった」とダストラエフキはラスコンドにそう言ってフィヨルドを出て行った。

アイガミナがトラスダを腕に抱えてラスコンドとダストラエフキの前に再び立ったのはそれからすぐの事だった。テントの隙間から寒そうにナヤツタコロドフも中に白い息を吐きながら入って来たが、テントの中の緊張した様子をすぐに察したのか決まりの悪そうな人なつこい苦笑いを浮かべてイリナビーヤタのかたわらに控えた。トラスダが水を欲しそうにハァハァとピンク色の舌を出している。

「アイガミナ」とダストラエフキは切り出した。「お前はラスコンドの事を一体どう想っている。みんなの前ではっきりとラスコンドと結婚するのかしたくないのか答えなさい。」ただし、村の掟だからとかそういう事は一切考えてはいけない。お前がラスコンドを愛しているかどうか、それだけを答えなさい。どうだ、アイガミナ。お前は一体どう考えているのかはっきりしなさい。いいかアイガミナ、人間というものは自分の意思というものをはっきりと持つべき時がある。お前は口数が少ないがラスコンドがこう言ってる以上ラスコンドに答えなければならない。アイガミナ、正直に答えなさい。さもないとここにいる全員の人生がお前の返答次第ということになっているのだから。お前はどうしても口を開かない場合はここにいる全員に対して人形の人生を歩ませる事になる。だからお前は今ここではっきりと自分の考えをラスコンドに伝えるのだ。わかったな。では言ってみなさい。父さんはもう一言も口を聞かない。ただ黙ってお前が口を開くのをずっと待っている。」

 アイガミナは今度はニコリともしないでじっと黙って気が遠くなるかと思うかの様な時間、周囲の空気を凍らせながらじっと黙って立っていた。それから犬のトラスダが水をもらえないのに不手腐れてかすかにグルル⋯とうなり声を出した時、アイガミナは急に口を開いて「私はラスコンドを愛してはおりません。ラスコンドは大切な双子の兄です。私にはすでに愛してる人がいます。ダストラエフキです。私は物心ついた時から父の様な男性に憧れていました。いえ、父に憧れていました。私はこのように何の取り柄のない女です。でも私に選択する権利があるとすれば、私は必ずや父と結婚したいと想っています。ですから私は家族みんなで、ナヤツタコロドフも一緒に、村を出て行こうと思います。それが私の本当の心の内です。ラスコンド、期待に添えなくてごめんなさい。お父さん、この様な娘を許して下さい。お母さん、不埒ふらちな私をどうか憎まないでください。私はこの通り、何の取り柄もない人形の様な女です。

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