第6話 全部、捨てていい。(ハッピーエンド 稜→真)
「ね。俺みたいなのが、真也みたいな子を好きになっちゃ迷惑なんだよ? ……わかってくれる?」
「迷惑なんかじゃない」
微笑みながらやんわりと言われる言葉を、真也は全力で否定する。
(たとえこの恋が叶わなくても……お前の気持ちが、迷惑であるはずがないじゃないか)
「……嬉しいよ」
「っ、真也……?」
好きだと言われて嬉しかった。
ハチャメチャな言い分に腹も立ったけど、これが本当の気持ちだ。
「稜司……ありがとう」
最後に、すごく嬉しい贈り物をもらった気がする。
たとえこの恋が実らなくても、無駄だなんて思わない。
本当に、たくさんのものをもらった。
(俺の中、稜司でいっぱいだ……)
……なのに、どうしてまだ求めてしまうんだろう。
「真也……、俺……っ……」
「寝よ。電気消すぞ」
「え、おい……っ!?」
稜司の声に揺らぎが交じったのを感じて、真也はリモコンで部屋の灯りを消した。
……最後の夜に、困った顔なんて見たくない。
「おやすみ」
「…………おやすみ」
その会話を最後に、静かな呼吸の響きが聞こえてくる。
(覚えておこう……全部、忘れずに)
柔らかな暗闇の中、すぐ隣に温かな気配を感じて安心する。
この夜も、これからも――稜司がちゃんと眠れますように。
穏やかな夜明けが来ますようにと、そっと願った。
◆ ◆ ◆
ここに越してきた時もそうだったけれど、大きな家具や家電がない単身者の引っ越しはあっさり終わってしまう。
運送会社の小型トラックに荷物を任せ、真也達は電車で新しいマンションへと向かった。
「なかなか良い部屋じゃん。眺めも最高!」
「その分、駅から結構遠いけどな」
まあ、それはこの家賃で相殺だ。
このマンションにはエレベーターもあるし、あの404号室よりは生活しやすい……はずだ。
「そっかぁ……真也はここで暮らすんだなあ……」
「うん……」
ぐるりと部屋を見回しながら改めて言われても、何だかまだ現実感がない。
時間が経てば、ここを自分の部屋だと思えるようになるんだろうか。
「んじゃ、真也はまずざっと床の掃除な。俺はカーテンを取り付けるか。真也の身長じゃ大変だしなー」
「……お前なあ……」
「あはは、冗談だって!」
張り切った様子で椅子に上った稜司のポケットから、携帯の着信音が鳴り響いた。
「……っと、もしもし? ああ、うん……え、今?」
画面の表示を見て表情を曇らせ、声にも苦みが滲んでいる。
……あの男からだ、と真也は直感で理解した。
「今すぐって言われても……。そんな怒鳴るなって……」
携帯から漏れる会話からすると、稜司はあの男から呼び出されているのだろう。
離れていても、電話の向こうから怒気を孕んだ声が聞こえてきた。
「稜司……」
あいつの所になんて、行って欲しくない。
(俺はただこうして……見つめることしかできない)
悔しくて、泣きそうになる。……でも、自分に稜司を止める力はないのだ。
(好きだ。――本当に、好きだよ)
ふ、と稜司と目が合って、心臓が大きく跳ねた。
「…………っ」
(何だよ、稜司……なんで、そんなにじっとこっち見てるんだよ)
絡み合う視線が深まり、互いの感情が高まっていくのがわかる。
――好きだ、と。ただ一つの気持ちへ。
「……だから……~~~っ、ああもうっ!」
チッ、と盛大に舌打ちをして、稜司は携帯に向かって声を荒げた。
「お前とはもう会えない。俺、好きな奴ができたから!」
(な……!?)
「じゃあな、さよなら!!」
音を立てて携帯をタップし、稜司は通話を無理矢理打ち切った。
「り、稜司……」
大丈夫なのか、と問おうとした声は、真也の口から出なかった。
「――――」
え、と思う間もなかった。
椅子から飛び降りた稜司が、真也をきつく抱き締める。
「ちょ、ちょっと……稜司っ!?」
「行かないで」
耳元で囁かれ、ぞくりと背筋に震えが走った。
「い、行かないでって……」
「俺、やっぱり真也と離れられない。……好きなんだ」
強く、強く抱き締められ、稜司の熱い体温が真也を包む。……幸せすぎて、目眩がしそうだと思った。
「お前……変われないって、言ったじゃないか」
「うん。でも、この部屋を見て、真也が俺の部屋から本当にいなくなるんだって実感したら……なんか、わーっと来た」
息が苦しくなるほど抱き締められる。
――求められている。身体の隅々まで、そう感じた。
(何だよ、これ……奇跡か……?)
「変わるのは怖いけど、全部捨てていい。今までの自分も、何もかも捨てるから」
稜司は必死に真也にしがみつく。
肩口に埋められた稜司の瞳から熱いものが零れ、真也のシャツを濡らした。
「お前を離したくない。一緒にいたいよ……真也……」
「バカ……お前、ホントめちゃくちゃだ……。俺、引っ越しちゃったんだぞ。ここの契約だってあんのに……」
「それは俺が何とかするから。帰ってきてよ――あの404号室に」
「――っ」
返事をする前に、軽く顎を持ち上げられ、唇を塞がれた。
呼吸ごと奪うような激しいキスに、身体中が甘く痺れてくる。
息を継ぐ間に、好きだと何度も囁かれて幸せが全身に満ちて溢れる。
「……俺、こんなだけど、好きでいてくれる? 嫌になっちゃったりしない?」
「……っ、バカ……俺は、ずっと――好きだって、言ってんだろ!」
「うん……ありがと。あー……そうかぁ。恋って、こんな風になるんだあ。なんかもう、すっかり忘れてた気がする」
ほう、と息を吐き、稜司はうっとりした心地で言う。
「……どーしよ、すげぇ嬉しくて、めちゃくちゃドキドキしてる。俺も、ホントの恋ができるんだなぁ」
「……俺が相手なんだから、当然だ。バカ!」
「またバカって言うしー。そんなお口は……」
「ん……っ! ん~……!?」
塞いじゃえ、と悪戯っぽく微笑まれたと思ったら、今までで一番深く唇を重ねられた。
「真也……」
愛してる、と――口付けの合間に、優しく響く稜司の声が聞こえた。
◆ ◆ ◆
季節はすっかり夏へと移り、街中に蝉の声が響いていた。
「う~……夜になっても暑いな……」
窓を開け放っても生温い風すら入ってこず、吊した風鈴も涼しい音を立ててくれない。
クーラーをつけようかと迷うが、ぎりぎりまで我慢する。この春夏は色々と物入りだったし、節約は必要だ。
すっかり馴染んだ404号室で、真也は窓の外を眺めた。
あの引っ越しからの数ヶ月は、目の回るような慌ただしさだった。
契約のし直しに、3度目の引っ越し。それから……稜司のあの男との別れ話。
泥沼になるかと思われたが、正直拍子抜けするほどあっさり終わった。
『あいつはねぇ、玩具みたいに思い通りになる俺が気に入ってつきまとってたの。逆らう俺は、面白くないらしいよ』
軽い調子でそう言って笑っていた稜司だけど、ほんの少しだけ泣いていたことを真也は知っている。
それでも……幸せだって、笑ってくれた。
ずっと一緒にいよう、と約束を交わした。
「幸せ、だよなあ……」
ほうっと息を吐くと、玄関から鍵を開ける音が聞こえてきた。
「あ……」
――稜司だ。真也はぱたぱたと駆けて、玄関へと向かった。
「おかえり、稜司」
「ただいまー……あー、やっぱ家の中もあっつーい……」
「お前帰ってくるまで我慢してたんだよ。今夜はクーラーつけようぜ、これじゃ眠れねぇって」
「そだなー」
だるーい、と愚痴りながら、稜司は靴を脱ぐ……途中で動きを止めた。
「……どうしたんだ? 上がってこいよ」
「おかえりのちゅーは?」
「…………は!?」
「キスしてくんないと、さみしーい。帰ってきた気がしなーい」
子供のように駄々をこねて、稜司は玄関から一歩も動こうとしない。
「な、何言ってんだよ……! そんな、新婚みたいな真似……」
「これでもずいぶん我慢したんだし、そろそろ解禁してよー」
「が……我慢っ!?」
「俺ら、もうただの同居じゃないだろ?」
ニヤリと笑われ、熱帯夜の暑さでなく顔が熱くなった。
そうだ。今、この404号室で暮らす自分達は――恋人同士なんだから。
(これって……同棲、ってやつなんだよな……)
「ね、真也。おかえりのキス、ちょーだい」
「……う……、っ」
恥ずかしさで心臓がバクバクする。
真也は背伸びをして、ぎゅっと目を閉じた。
自分の方が一段高い位置にいるのに、背伸びをしなければ届かないところがちょっと悔しい。
「お、おかえり……」
「……ん」
ちゅ、と軽い音がして、唇が触れ合う。
(う~……っ……)
恥ずかしい。冗談抜きで、脳が沸騰しそうだ。
ちらりと薄目を開けると、稜司がこの上なく嬉しそうに微笑んでいて……それがまた余計に恥ずかしさを煽る。
「っ、ん……!?」
ぐいっと頭を押さえられて、離れようとした唇を再び捕らえられた。
「今度は、俺から。……ただいまのキスね」
「……、ッぅ……ん、バカっ……」
深まっていく口付けに、頭がぼうっとしてくる。
「あれ? このくらいで腰砕けになっちゃダメだよ? ……まだおやすみのキスもあるし、夜は長いんだから」
「……ホント、お前って……」
最低、と唇に噛み付いてやると、稜司は楽しそうに笑った。
(寂しがり屋でワガママで、最低で……最高だ、このヤロウ!)
恋に落ちて、愛を深めて、こうしてずっと一緒に暮らしていく。
――この、404号室で。
HAPPY END(稜→真)