第3話 過去への扉
ノートパソコンを開き、メーラーを立ち上げると添付ファイル付きのメールが届いていた。
「あ、不動産屋からメール来てる」
「どれどれ?」
ファイルを開くと、稜司が画面を覗き込んでくる。
展開された詳細と間取り図画像を見て、真也は渋い表情で息を吐いた。
「……悪くはないけど……学校から遠いな」
駅までバスに乗らなければならない上に、この最寄り駅だと乗り継ぎが悪いため学校まで1時間半は掛かってしまう。
「それ以前に、予算オーバーだろ。これ」
「うん……結構厳しいどころか、無理」
はいダウトー、と稜司は右上のバツ印をクリックしてファイルを閉じる。
今まで業者からいくつかの代替え物件が送られてきたが、今回も空振りだ。
「はぁ……なかなか決まらないなあ」
「つか、なんで2部屋に拘るんだ? 俺みたいに同居人前提ならともかく、荷物も少ないんだしワンルームや1Kでも一人暮らしなら充分じゃん」
「……駄目なんだ。もし、『家族』が押しかけてでも来た時に……どうしても別の部屋がいる」
「ふーん?」
不思議そうに首を捻るものの、稜司はやっぱりそれ以上深くは踏み込んでこない。
聞かれたくないという、真也の心が見えているかのようだ。
「色々考えがあるなら、住むとこは妥協せず気に入る所をじっくり探した方がいいぜ。後で嫌になってもそうそう引っ越せないしな」
「……だったら、ここ譲ってくれよ」
「それはだめー。俺も気に入ってるんだもん」
口を尖らせ、稜司は肩を竦める。……予想通りの返事だ。
……結局、この部屋で暮らすようになって一ヶ月近くが経とうとしていた。
ネットも繋ぎ、生活する内に荷物も大部分を解いてしまっている。
人見知りしやすい性格の自分も、稜司に対して口ごもることが少なくなってきた。
毎日という訳ではないが、それなりの頻度で枕を並べて寝ているし、明らかに二人の距離は縮まっていると感じていた。
「ま、焦らずゆっくり決めればいいじゃん。そしたら真也はここにいてくれるしさー」
「え……」
「ずっといればいいよ。長引けばいい」
「り、稜司……?」
優しい声に、思わずどきりとする。
「何せ、お前がいると、その間家賃がタダだしなー。助かる助かる!」
「…………はぁ!?」
「だってさぁ、俺、来期から実習だらけになるからバイトできなくなるんだよな。金ねぇんだもん」
「あー……そうかよ……。そーいやお前、獣医学部だっけ」
「うん。春休みはゼミに混ぜてもらって事前実習に参加したいし、来月からバイト減らすつもりなんだよ。その分、節約できて大助かり!」
実に爽やかな笑顔で計算高い台詞を吐かれ、がっくりと力が抜けた。
(そうだ……コイツって、そうなんだよな……)
深い意味なんかないと判っていても、この人懐こさについ騙される。
「なー、コーヒー飲みたくなってきたなー。淹れたら飲む?」
「……飲む」
よしよし、と頭を撫でて、稜司は真也の部屋から出て行った。
……この辺りの空気の読みっぷりと身軽さも相変わらずだ。
「はぁ……ったく、心臓に悪いんだよ!」
こうして一緒に暮らして見えてきたが……この小林稜司という奴は、誤解されやすいタイプだと思う。
何というか……非常に言いにくいのではあるが。
ものすごく、こちらに『気があるような』言動や行動を取る。
……早い話が、『アイツ、俺のこと好きかも?』なんて、思ってしまいそうなのだ。
(どこの勘違い野郎だ……これは恥ずいだろ!)
「……いちいち意識する方が悪いんだけどさぁ」
まっすぐに見つめてくる視線とか、不意に蕩けた眼差しになる瞳とか、触れてくる肌の熱さとか。
そのどれもが、親しみを超えた好意を寄せられているように感じてしまうから……困る。
しかも、それが無意識の産物であるからこそ、タチが悪い。
「もっと……慣れてたら、こんなに動揺なんてしないのかな」
もし、自分がもっと恋愛事に慣れていたら……おかしな勘違いなどせず平然と対応できるのだろうか。
あの時も――決定的になる前に、もっと上手く立ち回れたのだろうか。
あの一言を言わせる前に、彼女の感情を躱してやれたのかもしれない。
『……私ね……お兄ちゃんが、好きなの』
ぎゅっと心臓が縮み、寒気がする。……身体中が凍り付きそうだ。
(駄目だ……やっぱり、恋愛なんていらない)
あんな事にならなければ、家族のままでいられたのに。
(こんな、苦しくて、悲しいものなんていらない!)
『そう? 素敵なのに』
(…………あ……)
『恋は素晴らしいものだよ。人は恋をしないと生きていけない。これから……いっぱいするといい』
稜司の柔らかい声が耳に蘇り、ゆっくりと心を解かしてゆく。
『楽しい恋も、辛い恋も、全部が真也を満たすから』
恋を素晴らしいと説く、甘い蜜のような笑顔。
縋るように握ってくる温かいてのひら。肌の匂い。気配。寝息。
(なんだ、これ……)
うわ、と思わず息を呑む。鼓動が激しすぎて、肋骨が痛いほどだ。
「おーい、真也ー。コーヒー入ったぞー」
「あ、うん……!」
リビングから声を掛けられ、はっと我に返る。
「早く取りに来ないと、蜂蜜と練乳と生クリーム入れるぞー」
「やめろって! 余計な物入れるな!!」
真也が甘い物が苦手だと知った途端、稜司はこの手の悪戯を欠かさない。
ノートパソコンを閉じ、激甘コーヒーを阻止するため真也は慌てて立ち上がった。
◆ ◆ ◆
学校の帰り際に携帯を見ると、稜司からメールが入っていた。
「夕飯の買い物か……ん、オッケーっと」
いいよと返信を打ち、真也は校舎を出る。この時間なら、駅向こうのスーパーがちょうど特売タイムだろう。
「……稜司がいつも言ってるから、すっかり覚えちまったじゃん」
何曜日はどこの店で肉の特売だとか、野菜はどこの店が新鮮で安いだとか、主婦顔負けの知識だ。
「雨降りそうだし、急ぐか」
雲が重く垂れ込める空を見上げると、あの引っ越しの日を思い出す。
「もう一ヶ月か、まだ一ヶ月と言うべきか……」
まあそれでもいいか、と思える位に今の生活は心地良かった。
ぱらぱらと小雨が降り始めた中、ようやくマンションまで帰り着く。
「ただいまー……あれ?」
扉を開けると、リビングから話し声が聞こえてきた。
稜司と……もう一人、若い男の声だ。
(客? 誰か来てるのか……?)
友達かな、とぼんやり思いながら奥へ向かう。
話し中に悪いが、とにかくリビングを通ってキッチンに行き、買ってきた食材を冷蔵庫に入れなければならない。
(そっと入って、さっさと買い物をしまって……)
……と、リビングのすぐ傍まで来たところで、中から大きな物音がした。
ガタン、と何かが激しく倒れたような……そんな音だ。それに次いで、客らしき男の声が聞こえてくる。
「先輩……っ、どうして僕じゃ駄目なんですか!? あんな男より、僕の方が絶対に小林先輩を幸せにしてあげられるのに!」
(な、何だ――!?)
あまりにも切羽詰まった男の声に、思わず身を隠してしまう。
そっと扉の隙間から覗いてみると、稜司が後輩らしき男に押し倒されていた。
「僕は先輩が好きなんです。……あんな、先輩を傷つけるような男とは違う! 先輩を守りたいんです!」
「いやー……ちょっと落ち着こうよ、浅川ちゃん。第一、そんな小さくて可愛いナリで俺を押し倒すってどーよ」
「そんなの関係ありません! 先輩が望むなら僕はタチになりますっ!!」
稜司の身体を床に押さえつけ、浅川と呼ばれた後輩は必死な様子だ。女の子と見紛うような可愛いタイプの男が長身の稜司を押し倒している姿は……ある意味シュールである。
(うっわ……これ、俺どーしたらいいんだ?)
とりあえず息を殺し、なりゆきを見つめる。
いくら何でも他人の……更には男同士のラブシーンに割って入る度胸はない。
「あのさぁ、とにかく退いてくれる? 重いし」
「せ、先輩……っ! 僕は……」
「あー……うん。どーもね。気持ちだけはありがたく頂いとく」
よいしょ、と稜司は浅川の下から抜け出し、床で打った後頭部に手を遣った。
「僕は本気なんです! 本気で先輩のことを……!!」
「それが駄目なんだ」
(え…………)
すっと稜司の声の温度が下がり、真也の背筋に寒いものが走る。
「なぁ……浅川。俺がどれだけアイツとえげつない別れ方したのか、知ってるよな?」
「知らない訳ないじゃないですか! いつも暴力をふるわれてばかりで……! 最後は……あんなに……ひどい怪我まで……」
(暴力……ケガ……!?)
男と付き合っていたとか、今まさに男に迫られてるとか驚きの連続だったが、この言葉でそんな驚きなんて吹っ飛んだ。
浅川という後輩がここまで言うのだから、相当ひどい怪我だったのだろう。
(一体どんな奴と付き合ってたんだよ、稜司……!)
「あの男はまだ未練たらたらで、出て行った先輩を捜し回ってるんですよ!? もうこの辺りをうろついてるっていうし……だから、僕があなたを守りたい。本当に好きなんです……!」
「……はい、そこまで」
うんざりといった風に、稜司は彼の言葉を遮る。
「身体だけの遊びなら付き合ってやってもいいけど、本気の恋愛はしばらくごめんだね。……疲れたんだよ、もう」
(…………っ!?)
いつもへらへら笑っているが、稜司のこんな笑い方は初めて見た。
笑っている……けど、どこか病的だ。
するりと躱す身軽さの底にある、重くどろどろした闇が顔を覗かせている。
一ヶ月、一つ屋根の下で毎日見てきた表情からは想像もつかない。
正直ぞっとした。……本当に、腹の底から冷たいものが込み上げてくるようだ。
「ごめんねぇ。浅川、もう帰ってくれる? うちの同居人がそこでずーっと固まってるし。お遣い頼んだアイス溶けちゃうんだよね」
「――うおっ!?」
いきなり指をさされ、変な声が出た。
「ねー、真也ー。俺のラムレーズンが溶けちゃうよー。早く冷凍庫に入れてよー。ぶーぶー」
「やかましい! ドライアイス貰ってきてるから大丈夫だっつーの!! ……っ、わ!」
「……すみません、失礼しますっ!」
「え、あ……あのっ!?」
浅川という後輩は真也の脇をすり抜け、バタバタと走って部屋を出て行ってしまった。
「真也ー、アイスちょうだいー。今食べるー」
「……アイスどころじゃねぇだろ! 何だよ、今の!!」
「あー……ごっめんねぇ。連れ込みえっち禁止のお約束だったのに。でも、俺もこんな事になるとは思わなかったし、今日のは不可抗力ってことで!」
アイス!と差し出された手の平を無視し、真也は黙々と冷蔵庫に食材を入れていった。
「ああっ、俺のアイスー!」
「うるさい! 先に話だ!!」
「……話って、なに?」
本気でわからないといった風に首を傾げられ、苛立ちが募る。
「全部だよ! お、お前……その、男が好きな人種なのか……?」
「……ああ、なんだ。そこから? うん。えーとね、俺ってば男も女も上も下もいける人ですよん」
「え……えと……?」
あっけらかんと言われた、あまりのオールラウンダーっぷりに絶句してしまった。
「あっ、もしかして警戒してる? 俺、こんなでも無節操に手を出すような事はしないし! 真也は安心していいよ」
稜司はすっかりいつもの軽い笑顔に戻っている。
(何だよ……なんか……こんなの、すげぇ嫌だ)
こんな風に、笑えば容易くごまかせるとでも思われているのか。
さっき初めて見た重い表情との違いに、すごく不安になった。
「真也……どうした?」
「べ、別に……」
何も言えず視線を逸らすと、稜司の表情が少し曇る。
「やっぱ、気持ち悪い?」
「な……!?」
「こんな性癖の奴とは一緒に暮らしてられない? 並んで寝てたのも後悔する位? もう出て行きたくなった?」
「ちょ、ちょっと、待てよ……! 何言って……」
次々と早口でまくし立てられ、気圧される。
「だってそうだろ? 気持ち悪いって思ってるから、真也はこっちを見ない」
「そんなことねぇよ! 気持ち悪くなんかないっ!!」
つい勢いで言い返してしまい、顔が熱くなる。
そんな自分を、稜司はさぞ可笑しそうに見ているのだろうと思っていたが……違っていた。
泣き出す前の子供のような、不安げで頼りない表情と目が合い、何だかこちらまで泣きそうな気分になった。
「なんて顔してんだよ……馬鹿。自分で言って傷付くんなら、そんなこと言うんじゃねぇよ」
「傷付いてなんか……」
「ホント、しょーがねぇ奴!」
ぺち、と軽く頬を叩いてやると、稜司はくすぐったそうな表情でやっと笑みを浮かべた。
「そういえば、お前……付き合ってた奴に殴られてたって、本当か?」
「うん。……そういう男だったから」
「ひどい怪我したってあいつが言ってたけど――」
「それ、真也は知らなくていいから」
「え……」
ぴしゃりと言葉を切られ、またあの違和感を覚える。
「ほら……もう治ってるし、そいつとは別れたし。もういいじゃん! なっ!」
「…………」
稜司は一段と明るい声で笑い、お調子者の振りをする。
ああ、と真也は心の中でひとりごちた。
(そうか……これは、稜司が逃げる時の癖だ)
触れたくないもの。触れられたくないもの。
その空気をすぐに読み取って、するりと躱す。
一緒に暮らす間にその距離感を心地良いと感じていたけど、今は……何故かもどかしい。
(ここで距離を置かれたくない。俺は今――もっと、踏み込みたいって思ってる)
稜司とこの部屋で一ヶ月暮らして、自分の心は変化してきているんだと気付いた。
「どんな男だったんだよ」
「おい、真也……」
「俺は、お前みたいに引いてなんてやらないから。……ケガの事は言いたくないんだったら、そこは無理に聞かない」
「……真也、お前…………」
「話してくれ。頼む」
目を逸らさずに強い口調で言うと、稜司は小さく溜め息を吐いた。
「わかった。でも、聞いても面白くも何ともないぞ? 同棲相手と、よくある痴情のもつれってやつだし」
「ち、ちじょうの……」
改めて言葉にされると、なんか妙に生々しい。
「まあいわゆるDV野郎で、興奮したり怒ったりするとすぐ手が出るタイプ。んで、平然と何股も掛ける浮気癖があったワケ」
「うわ……最低じゃん、それ!」
「うん、最低。マジ最低。救いようのないクズ野郎。……でも、どうしようもなく好きだったんだ。どんなにひどい目に遭っても、離れられなかった」
「稜司……」
「好きだったんだ……本当に……」
甘い蜜のような声でたった一人の男のことを語りながら、傷付いた心は闇を覗かせる。
そいつは、稜司と一緒に眠ったんだろうか。
――人の気配と体温を欲しがる稜司に、惜しみなく与えたのだろうか。
ぱん、と手を打ち鳴らして、気持ちを入れ替えたかのように稜司は顔を上げた。
「で。結局浮気相手と泥沼になって、俺はズタボロになって、ここに逃げてきたんだよ」
「それで、時季外れの引っ越しだったんだな……」
「そーゆーこと。正直まだ結構引きずってるから、浅川には悪いことしちまったけどな」
「っつーか、その男がお前を捜してるとか言ってたけど……大丈夫なのかよ」
聞く限りでは相当やばそうな奴だ。もし捕まったら……危険なんじゃないだろうか。
「周りには口止めしてるから大丈夫だと思うけど、もし奴が来たら……逃げろよ」
「え!?」
「お前が俺の新しい男だって思われたら、本気で危険だから。何か言われても、俺とはただのルームシェアで無関係だって通せ。……間違っても、俺を庇おうとするなよ」
「…………っ!」
不穏な台詞だが、稜司の声はどこまでも真剣だった。……だからこそ、現実的な怖さを感じさせる。
「ただの同居人ってのは本当だから、そんな深く考えなくても大丈夫だって!」
あははーと稜司は重い話題を軽く笑い飛ばす。
「俺は急いで、適当に軽~く遊びで付き合えるコイビトを探すから」
「適当にって……」
「……ま、誰でもいいからすぐに見つかるだろ。そしたら真也が誤解されることもないし。とにかくそれまでは注意してくれな」
これで話はおしまい、と稜司は立ち上がってキッチンへ向かう。
「あ、おい、稜司……!」
「そろそろ晩飯の用意しないと、遅くなるだろ。真也は風呂当番。頼んだぜー」
「う、うん……」
複雑な気持ちを残したまま、真也はバスルームへ向かった。
スポンジでざっと浴槽を洗いながら、呪文のように真也の中で響いていた稜司の言葉を思い出す。
「くそ……人には恋をしろとか言って、アイツ……!」
甘く、夢見るように恋を語った稜司と、今日の稜司は別人のようだった。
適当に。軽く。遊びで。――誰でもいい。それが『恋人』だと言えるのか。
「何考えてんのか、わかんねぇよ……」
シャワーの水流で、泡が渦を巻いて流れていく。
(こんな風に……このモヤモヤした気持ちも流してしまえればいいのにな)
◆ ◆ ◆
それからしばらくは、何事も起こらず平和な日々が続いた。
稜司は事前実習に参加し始めて忙しいらしく、帰宅が夜中になったり、部屋に帰って来ない日が多くなってきた。
「稜司、今日も遅いのか……」
もしかしたら、また徹夜になるかもしれないらしい。携帯に来たメールを見て、真也は溜め息を吐く。
「今日の晩飯、どうしようかなぁ」
稜司も帰ってこないし、一人分作るのも面倒だ。
「コンビニ弁当とか……んー……」
……やっぱりやめた。
一人で食事をすることにさして抵抗はないけど、二人に慣れたあの部屋でってのは……ひどく寂しく感じる。
「……どっかで適当に食って帰るか」
「あのっ、すみません!」
「……は?」
駅前に向かって踵を返そうとしたところで、背後から声を掛けられた。
「君……小林先輩と同居してる人、だよね?」
「え……あ、稜司の後輩の……」
……確か、稜司を押し倒して告白していた浅川という後輩だ。
「ちょっと話したい事があるんだけど、時間あるかな?」
結局、早めの夕食を兼ねて、駅前のファーストフードに入ることになった。
「え、と……なんか奢ってもらっちゃって……すみません」
「ううん、僕が誘ったんだから当然だよ。むしろハンバーガーでごめんって感じ」
浅川はそう言って照れ臭そうに笑う。
先日の切羽詰まった感じとは違って、爽やかな好青年といった感じだ。
「この前は恥ずかしい所を見せちゃったね」
「いや……で、あの、話って?」
「あ、うん。小林先輩の事なんだけど……最近、どう?」
「ど、どうって言われても……俺、そんな……」
ポテトを囓りながら俯いてしまう。人の色恋沙汰に意見できる程、自分は偉くない。
「あっ、違う違う! 僕が振られたことじゃなくてね。その……先輩の周りに、変な奴が付きまとってないかって」
「変な奴って……まさか、稜司の元カレ!?」
「見たことある?」
首を横に振って答えると、浅川は携帯を開いて写真を見せてきた。
「この人」
「うわっ、なんか……ちょっと……」
「別に、遠慮せずはっきり言っていいよ」
浅川は苦笑を浮かべて、真也を促す。
その男の姿は……小さな携帯の写真一つでもありありと判るくらいに、雰囲気の悪さがにじみ出ていた。
「やくざ崩れかチンピラって感じ……」
「だろ! なんで小林先輩はこんな奴がいいんだか……よりを戻すなんて信じられないよ!」
「え……?」
よりを戻したって……?
そんなこと、初耳だ。
「先輩……最近大学にも来てないし、また殴られたりしてるんじゃないかって、事情知ってる奴らはみんな心配してるんだ。それで、家ではどうなのかなって……」
「大学に来てない……!?」
そんな馬鹿な。稜司は毎日大学に行っていて、ゼミや実習で忙しくしているはずだ。
「家、帰ってきてる?」
「……一応。でも夜中や朝方に帰ってくることが多いから、あんま顔合わせてないけど」
「怪我とかはしてない? 大丈夫そう?」
改めて問われ、記憶を引っ張り出す。
確か、最後に亮司に会ったのは一昨日の朝だ。
「えっと……一昨日、顔に絆創膏貼ってたけど、でもそれは実習で猫に引っ掻かれたって言ってて……」
「それ、怪しい。第一、実習自体が嘘だね」
浅川の言葉に、じわりと苦い気持ちが湧き上がってくる。
稜司は……真也に嘘を吐いて、酷い目に遭わされて別れた男と会っているというのか。そして、暴力をふるわれているのか?
「今日も……普通に大学行ってるはず。実習が忙しいから学校に泊まるかもって」
「ああ、やっぱり……見間違いじゃなかったんだ」
浅川は重い溜め息を吐いて、携帯を操作する。そして一枚の写真を真也に見せた。
「これ。……今日、見掛けたんだ」
「…………っ!?」
写っているのは……あの男に肩を抱かれてホテルに入っていく稜司の姿だった。
「我ながらストーカーっぽくて嫌になるけど、やっぱり心配で……確認してから本人に聞こうと思ってたんだ」
頭を殴られたような衝撃だった。
(なんで……稜司……)
実習だと言っていたのに嘘を吐かれたこと。……いや、それよりもこの光景にショックを受けている自分が居た。
◆ ◆ ◆
真っ暗なリビングで、真也はじっと稜司の帰りを待ち続ける。
ぼんやりと光る携帯の画面には、明け方近くの時刻が浮かび上がった。
「まだ……帰ってこないのか……」
……どうしても、会って話したかった。顔を合わせて、確かめたかった。
苛々とした気分を押し殺し、ぎゅっと膝を抱える。
そうしてまたしばらく待っていると、玄関の鍵が開く音がした。
足音を忍ばせて稜司が部屋に入ってくる。真也が寝てると思っているのだろう。
リビングを通って、自室に行こうとするその腕を暗闇の中で掴まえた。
「――――ッ!?」
「おかえり」
「……あ、ああ……真也か。驚かすなよ……」
心底驚いたという風に、稜司は大きく息を吐く。
「びびったぁ……な、なんでこんな時間まで起きてんの。それに真っ暗で……」
「電気点いてたら、お前帰ってこないだろ」
闇の中で、はっと息を呑む気配がする。……図星だという事だ。
最近はいつもそうだった。真也が寝静まった頃に帰ってきて、起きた頃にバタバタと家を出て行く。
……それは、顔を合わせられない理由があるせいだ。
「……離せよ。俺、実習で疲れてるんだ。少し仮眠したらまた大学行かなきゃだし……部屋に……」
身を捩って逃げようとする稜司の腕を掴んだまま、真也はリモコンで電灯のスイッチを入れた。
「……っ、ぅ……!」
「…………!」
暗闇に慣れた目に、電灯の光量は暴力的な衝撃を与える。
――そして、全てを暴き出す。
「やっぱり……お前……!!」
「………………」
明るい光の下で見た稜司の顔には、明らかに殴られた痕があった。
「…………」
稜司は気まずそうに視線を逸らし、ただ黙っている。
「それ、元カレにやられたのか……? 答えろよ!」
「何言ってんの。……これは、実習で……牛に蹴られてさー、あはは」
「稜司ッ!!」
「…………っ」
腕を掴む手に力を籠めると、稜司は顔を顰めた。
「なに、真也……痛いよ。つか、今日も実習行くから寝たいんだけど。お前も学校……」
「嘘だ!」
「な…………」
「より戻したって……本当なのかよ」
「何バカなこと言って……そんな訳ないない! 俺、ズタボロになって別れて逃げてきたって言ったろー」
稜司は眉を下げ、困ったような笑みを浮かべながら饒舌に喋りだす。
……きっと、一緒に暮らし始めてすぐの頃ならこの言葉に騙されていただろう。
――いや。
騙されている方が楽だと、そう感じていただろう。
(でも、今は違う……!)
踏み込みたいと思った。だから、逃げずに触れた。逃がさずに触れた。
だから――今も。逃がしたくない。
「嘘はやめろよ……大学、ホントは行ってないんだろ」
「……っ、なんでそんな……」
真也の言葉に、稜司の顔色が変わった。
これ以上言いたくないと思う気持ちと、嘘ではない彼の真実に触れたいと思う気持ちが真也の中で葛藤を繰り返す。
これ以上触れれば、あの心地良かった距離感にはもう戻れないかもしれない。
(壊れてしまうのかも、しれない)
それでも――退きたくないと思った。
「お前が、そいつとホテル入るとこ見た奴がいるんだよ。……写真だってある」
「――――っ!?」
「しらばっくれんなよ! みんなに心配掛けて、俺に嘘吐いて、何やってんだよお前!!」
「……へぇ…………」
驚きの感情を浮かべていた稜司の表情が歪み、くく、と喉の奥で笑い声が漏れる。
冷たい笑みを浮かべ、稜司は真也に向き直った。
「それで? 真也は俺にどうして欲しいの」
「……稜司…………」
ぞっとするような寒気が、真也の背筋を一瞬で駆け上る。
何かが壊れ、もう戻れないところまで来たのだと――実感していた。
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