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第1話 チェックメイト

 ひゅう、と風が鳴り、その冷たさに真也は首を竦めた。

「引っ越しのトラックは……まだ着いてないか」

 一緒に出たのに、タクシーで来た自分の方が先に着いてしまったようだ。


 目の前の建物は古ぼけたマンション。エレベーターなしの5階建て。……確か、築30年以上は軽く経っていたような気がする。

 古いし、綺麗じゃないし、設備も良くないし、駅からも微妙に遠い。

「オートロックとまでは言わないけど、今時エレベーターなしってのもなぁ」

 それでも、今日からここが自分の新しい家になるのだ。

「ま、部屋は4階だし。階段でも何とか……」

 広さと家賃の安さだけが取り柄のマンションだが、それが第一条件だったから仕方ない。不動産屋に駆け込んで、大慌てで見付けたにしては上出来だろう。


「はぁ……」

 見上げる空は鉛色の雲が重く立ちこめていて、今にも泣き出しそうだ。

「……今の気分とぴったりだな」

 初めての一人暮らしだというのに、気持ちはどんよりと曇っている。

「…………」

 実家を出る時に見送ってくれた家族――特に妹の顔を思い出すと、苦い溜め息が漏れた。

「……あ、来たな」

 通りの向こうに、単身者用の小さな引っ越しトラックが見える。

 家具や家電はおいおい揃えていくつもりだから、実家から持ってきた荷物は身の回りの物と本がほとんどだ。

「まぁ、住めば都って言うしな……」

 真也は手を挙げて、近付いてくるトラックに合図をした。



「404……っと、ここだな」

 4階まで階段を上り、部屋の前に立つ。

 部屋番号のせいで、この部屋はこのマンションの中で一番家賃が安いらしい。

 時間がなかったこともあって一度内覧しただけで即決してしまったけど、自己物件でもないし部屋自体に問題がある訳じゃない。

 だけど、縁起が悪いと敬遠する人はいる。破格の家賃なのに、この部屋だけが空いていたのはそのせいなんだろうな、と真也はひとりごちた。

「えっと、鍵は……」

 早足で上ったせいか、少し息が弾んでいる。普通に暮らす分には平気そうだが、大荷物の時や体調の悪い時なんかは流石に辛そうだ。

「やっぱ、エレベーターのあるマンションにすればよかったかなあ」

 そう言っても、もう仕方ない。その内に慣れるだろう。

「ま、体力作りだと思えばいいか」

 ポケットから鍵を出し、鍵穴に差し込んで回す。軽い音と手応えを感じてから、真也はドアノブを握った。


「……え?」

 開くはずの扉が、途中で止まる。

 何度ドアノブを引いても、耳障りな音を立てて一定の箇所で動かない。

 ……どうやら、内側からチェーンが掛かっているようだ。

「な、なんで……!?」

 慌てて部屋番号を確認する。――404。合ってる。

 それに、鍵が開いたのだからこの部屋で間違いはないはずだ。

(誰か、中にいるのか……?)

 チェーンだけでなく、明らかに人の気配がする。

「あのっ、すみません、誰かいますかー?」

「――はーい?」

 部屋の中から返答があった。……男の声だ。

 ぱたぱたと駆けてくる音とともに、ドアの隙間から姿が見える。

「あれ? なんで鍵開いて……閉め忘れたかなあ」

「あ、あの……」

「ん……? どちらさん?」

 チェーンの長さ分開いたドアの隙間から、中にいた人間がひょいっと顔を覗かせた。

 長めの髪に、背の高い姿。普段着らしいトレーナーとジーンズだが、スタイルの良さがそれを野暮ったく感じさせない。

 少し年上に見える……大学生だろうか?


「お、俺は……その、この部屋に越してきた……」

「……は?」

「いやその、今日ここに引っ越してきたんだけど」

 部屋の鍵を見せながらそう言うと、中にいる男はきょとんと目を見開いた。

「……って、ここ、俺の部屋だし」

「で、でも! 俺もこの部屋に――」

 一体どういうことだ。先週、内覧した時は確かに空き家だったのに。

 半ばパニックになりながら、真也は契約書を鞄から取り出した。

「ほら、これ!」

「……うわ、ホントだ。でもさぁ、俺がここに住んでんだけど?」

「いや、でも、俺だって……ほら、鍵も合ってるし!」

「あっ! この鍵、お前が開けたのか!?」

「そ、そうだけど……」

 心底驚いたように言われ、こちらの方がびっくりしてしまう。

「ん~…………」

「な、何……?」

「どっかで会ったこと、あるっけ?」

「へ? ないと思うけど……」

 ドアの隙間から全身を検分するかのようにじっと眺められ、居心地の悪さを感じる。だけど、それと同時に……真也もこの無遠慮な男から視線を外せなかった。

(こんな時にそんなことを考えてる場合じゃないけど、こいつ……すっごくキレイ、かも)

 思わず見惚れてしまうくらい整った顔立ちだし、背も高い。モデルとかやってても、おかしくないくらいだ。


「やっぱ、酔って引っかけたとのも違うよなあ……。前の部屋ならともかく、俺、ここの合鍵はまだ誰にも渡してないし」

「は……?」

「いや、こっちの話。……っつーかさ、これって多分業者の手違いだと思うんだよね。連絡してみたら?」

「あ……っ、そうか!」

 そう言われて、契約書に書いてある業者に電話を入れる。

「駄目だ……出ない」

「担当の携帯は? 貰った名刺とか、持ってる?」

「あ、うん! ある……」

「携帯載ってるはずだから、電話してみなよ。外に出てるかもしれないけど、携帯なら掴まるだろ」

「う、うん……」

 すらすらと言われて、ちょっと驚く。

 確かに少し考えれば判ることではあるが、こんな風にすぐ思い付くなんて。

(なんか、頭のいい奴って気がする……)


 担当者の携帯に電話をしてみると、外出先なので詳しい状況が判らないとの返答だった。

 調べ次第すぐに折り返し連絡させて頂きますと謝られて、電話は切れてしまった。

「何だよ、それ……!」

「あのー……すみません、この荷物どうします?」

「あ……えっと……」

 いくつも段ボール箱を運んできた引っ越し屋に、困り果てた様子で尋ねられる。

 これから、どうすればいいのか。

 入居するはずの部屋は塞がっているし、このままここで立ち往生している訳にもいかない。

「元の家に戻りますか?」

「え……いや、それは……」

 実家に戻るのは避けたい。……一刻も早く、あそこから出なければならないのだから。

(どうしよう……どうすれば……!)

 頭の中がぐるぐると渦巻いて、動けなくなる。

 半ばパニックになっている意識に、かちゃりと小さな音が閃光のように響いてきた。


「とりあえず、入りなよ」

(え…………?)

 声のする方に振り向くと、先住者が大きくドアを開けていた。

「こんな所で問答してても解決しないし。それに、雨降りそうだよ?」

「え、あ……」

「早いとこ荷物運び入れないと、降ってきたら面倒だろ。引っ越し屋さんだって、次の予定があるだろうしさ」

 その言葉に、バイトらしき引っ越し屋も頷いている。

 ……そういえばそうだ。ここで引き留められていたら、迷惑だろう。

「あ、引っ越し屋さん。奥の一部屋空いてるから。そこに入れちゃって」

「はい、わかりました!!」

「……えっ、ちょっと!」

 あざーっすと勢いよく頭を下げて、男の指示通り引っ越し屋は荷物を運び入れていく。

「君も中に入りな。そんなとこで立ってても寒いっしょ」

 扉に片手を掛け、男は呆然としている真也にニヤリと微笑みかけた。

「魔の404号室へ、ようこそ」




◆ ◆ ◆



 引っ越し屋はサクサクと荷物を運び入れると、体育会系らしく爽やかに挨拶をして出て行った。

 空いていた一部屋に、真也の荷物が積まれている。それを見遣りながら、男が呟いた。

「ふぅん……荷物少ないんだね」

「家具とか、家電とかは……これから揃えようと思ってたから……」

「へえ。一人暮らし、初めてなんだ」

「えっ!?」

 ズバリ言い当てられて、驚いてしまう。

「いや、そんなびっくりされても……だって、今まで一人暮らししてたら家電とかもう揃ってるだろ?」

「あ、そうか……」

 ……この男が鋭いというより、単に自分が鈍いのかもしれない。何となく恥ずかしくなって、俯いてしまった。

「業者から連絡くるまで、寛いでなよ。お茶でも淹れようか」

「あ……ありがとう……」

 そう言った瞬間、身体の中から予期せぬ音が大きく鳴り響いた。

 ……早い話が、腹が鳴った。


「……え、と……あ……」

 かあっと顔が熱くなる。これは……非常に恥ずかしい。

 引っ越し準備のバタバタで朝食を食べ損ねていたし、このトラブルで時間は昼を大きく回っている。

 食べ盛りの健康な男子高校生としては、こうなってしまっても仕方がないだろう。

「………………」

 男は無言で真也を見つめている。

(うう……いっそ思いっ切り笑い飛ばしてくれた方が気楽なのに……!)

 恥ずかしさに涙目になりながら、真也は空腹で暴れる胃袋を押さえつけた。


「そっか。もう昼過ぎだもんなぁ」

「う……」

「お茶より、飯にしよっか。おいで」

 くすっと笑いながら、男は真也の腕を引いた。




 連れてこられたリビングの床に座って、真也はクッションを抱え込んだ。

 カウンターキッチンの向こうで、軽快な鼻歌を口ずさみながら男は華麗にフライパンを操っている。

 見事な手際ではあるが……問題はその格好だ。

(ボンボン付き髪ゴムと、フリフリメイドエプロンってのはどうなんだ……)

 料理すんのに髪じゃまだし、エプロンしないと汚れるじゃん、と真顔で言われた時はどうしようかと思った。……どういうセンスなんだ、一体。

 リビングを見回すと、まだ荷解きしてないらしい箱がいくつか積まれている。

(こいつも、引っ越してきたばかりみたいだな……)

 そんなことを考えながらぼうっとしていたら、キッチンから声を掛けられた。


「なー、アレルギーとかってあるー?」

「えっ……いや、別に……」

 ん、よし、と頷き、男は冷蔵庫から野菜をいくつか取り出す。

「好き嫌いは?」

「あるけど……」

「あ、そう。それは却下な」

「……じゃあ聞くなよ!」

 明るい笑い声と、トントントン、とリズムのいい包丁の音が聞こえてくる。

(……なんか、変わった奴だよなあ)

 料理のいい匂いが漂ってくる中で、真也は軽く首を傾げた。



「ブロッコリーと竹の子の中華風玉子炒めー」

「おお……」

「南瓜のそぼろ餡と、小鯵の南蛮漬けー」

「おおお……」

 じゃーん、と効果音をつけながら、男はローテーブルにどんどん料理を並べていく。

「で、こっちの小鉢がきんぴらと、茄子の煮浸しな」

「すご……。この短時間でこんなにいっぱい……」

「あはは、作り置きもあるんだって」

 ほら、と彼は冷蔵庫から出してきたらしいタッパーを指し示した。

 それでも、これだけの手料理を作ったということだ。純粋にすごいと思う。

「ほい、ご飯も。あと、味噌汁よそってやるから、冷めない内に食べな」

「あ……」

「いいからいいから! 遠慮するなって」

「は、はい……いただきます」

 軽く頭を下げてから、湯気を立てる料理に箸を伸ばした。

(うわっ、すげぇおいしい……!)

 出来合いの物ではない、温かさと手の込んだ味わいに感動する。


「どう? お口に合いますかー?」

「……んっ……は、はいっ」

 次々と皿を空にしていく真也を見て、男は嬉しそうに微笑んでいる。

「よかった。いっぱい食えよ。……って、えーと……名前、まだ聞いてなかった」

「……あ! お、俺は月城真也つきしろ しんやです」

「真也くんね。俺は小林稜司こばやし りょうじ

 よろしくね、と彼は人懐っこい笑顔を向けた。



◆ ◆ ◆



 食事を終えてしばらくすると、真也の携帯に電話が掛かってきた。

「あっ、業者から……」

「やっと調べがついたのかぁ。よかったな」

 のんびりした調子でお茶を啜りながら、稜司は電話に出るよう目線で促した。


「もしもし」

『あっ、月城様でしょうか。私、芦谷不動産の前田ですが……』

「はい……あの、どうなりましたか?」

『それがですね……非常に申し訳ないのですが、そちらのお部屋が二重契約になってしまっておりまして』

「はぁ!? 二重契約って言われても……それって、どうすれば……」

『ええと、その……先に契約されてる方が優先となってしまいますので……』

 電話の向こうから、困り果てたような空気が伝わってくる。

『月城様は契約破棄……ということになりますね。契約金の返却と、引っ越しに掛かった料金は全てこちらが負担させて頂きますんで、どうかご容赦頂ければと』

「ちょ、ちょっと! そんなの困ります!!」

『しかし、先に契約された方に優先権がございまして……』

 誠に申し訳ありません、と判を押したように何度も謝られるが、謝られても解決はしない。

「じゃあ、俺はどこに行けば……!」

『とりあえずはご実家の方にお戻り頂いて、また良い物件が出れば月城様に最優先でご紹介させて頂くということで……如何でしょうか』

「そんなの、無理です! 実家には……っ」

 実家には戻れないし……戻りたくない。


『あのう、月城様……?』

「…………っ」

 黙りこくってしまった真也に、業者が声を掛けてくる。……だけど、何て返事していいかわからない。

「…………」

 ――駄目だ。もう、どうにもならない。

 実家に戻るしか、手は残されていないのだ。

「わかりまし――」

「……ちょっと、替わって」

「え……っ!?」

 業者に答えようとした瞬間、ひょいっと横から携帯を奪われる。

「こ、小林さん……?」

「俺に任せて」

 唇の前で人差し指を立て、片目を瞑った稜司は小声で真也にそう言った。


「もしもしー。あっ、どうも。小林と申しますー。……ええ、先に契約しちゃってる者でーす」

 間延びした軽い調子で、稜司は業者と話し始める。

「ふんふん……状況は判りました。でもですねぇ……それだと、こっちも納得いかないんですよね」

 稜司の軽い声とは対照的に、携帯から漏れてくる相手側の声は何となく焦っているようにも聞こえる。

「ほら、鍵の付け替えとかして貰わないと、物騒だし? 精神的苦痛ってゆーかぁー」

(な、何を話してるんだ……?)

 呆然と見守る間にも、稜司は次々と超理論を展開して相手を圧倒しているようだ。

「いやいや、お見舞い金なんて必要ないんですよ。それよりもですね、もっと三方がまーるく収まるようにしません?」

 そこで一旦言葉を切り、稜司は真也の方を見て口の端を上げた。


「そちらが同条件の代替え物件を月城さんに提示するまで、ダブルブッキングのまま俺達はここでルームシェアする」

「……へ?」

 今、とんでもない言葉が聞こえてきたような気がする。

「勿論、そちらの落ち度なんですからその間の家賃はタダにする。あ、月城さんの新居への引っ越し費用も負担して下さいね」

「ち、ちょっと! 小林さんっ!?」

「あー、ちょっと待って下さいねー」

 携帯を保留にして、稜司は真也に向き直った。

「……ってな感じで、有利な条件引き出せたんだけど。どう?」

「ど、どうって……」

「幸い、ここは2LDKで一部屋空いている。君は……どうやら実家に帰れない理由がありそうだし、俺も家賃がタダになるというメリットがある」

「……う……っ……」

 ぽんぽんと畳みかけるように、一つ一つ指さし確認されて言葉に詰まってしまった。

(た、確かにその通りだけど……でも、初めて会った奴と同居だなんて……!)

「行くとこ、ないんだろ?」

「…………っ!!」

 もう、これで勝負は決まったとばかりに稜司はにっこりと微笑む。

 自信に満ちた王様のように、真也に向かって両手を広げた。

「――さあ、どうする?」


 完全なる、チェックメイトだ。

 真也に残された道は――首を縦に振り、稜司の手を取ること以外にない。

「……っ、よろしく、お願いします……」

 差し出された右手を握ると、稜司は笑みを深くして業者との通話を再開した。


(ああ……なんで、こんな事になってしまったんだ……っ!)

 いつの間にか雨の滴を落とし始めた曇天の空に嘆いてみても、答えは返ってこない。

 新居が見つかるまでの期間限定。

 この2LDKで、不思議な同居生活が始まることになった。




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