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辛辣の辣 4

 太陽は沈みかけ、だんだんと夜が近づいています。

 森の奥へと歩いていくと、何だか闇の底へと歩いているような心地でした。それでも、池の精霊と一緒に歩いているお陰か、昼間のような果てしない気持ちになったりすることはありませんでした。彼女は私の前を、まるで小さなリスのように細かく足を動かして歩いていました。私はそんな足下だけを見つめて、一歩ずつしっかりと踏みしめて歩いています。

 太陽の光の入らなくなった森は、さらに不思議で不気味です。所々に青白い蛍のような光が飛び回っていて、月の明かりに頼らなくても景色がはっきりと分かりました。ただ、その光に映った木々は真っ白く、死んだ人が泣いている姿を想像してしまいました。あまり見たくなくて、顔を上げる気にはなりませんでした。

 気がつくと、地面が明るく照らされていました。

「着いた。ここよ」

 彼女の声が聞こえて、私は顔を上げました。

「すごい……」

 私は思わず声を上げました。自分が十人手を繋いでも、まだ足りないくらい太い幹。空を覆い尽くす幾重もの葉。そしてその周りを、大量の青い光の玉が集まって、ドーナツのような形を作っていました。

「なんて明るいんだろう。昼よりもまぶしいや」

「これでだいたい、五百人……いや、六百人ってところかしらね」

「六百人?」

「この青白い光は、人間の魂の形なの。六百人分の魂がこの青い輪っかを作ってるってこと」

 私は息を呑みました。

「森の主は多くの人間の魂をより効率的に抜き取る方法を探してきた。そんなことだから、自分で食べられる限界を超える量の魂が集まるようになってしまった。あの周りで回っているのは、言わば順番待ちってところね」

「サムとネロ、まだ食べられてないかな」

「これだけたくさん残っていれば、そうすぐに選ばれるとは思えないけど。ちょっと待ってて」

 彼女は大樹に近づいていきました。木の反対側まで回ると何かを見つけたようで、戻って来て私を小声で呼びました。

「こっち、こっち」

 近づくと、彼女は木の根の向こうにいる真っ黒い毛むくじゃらを指差しました。

「あれだよ、あれ」

「なに、あれ」

「あれがこの森の主だよ」

「えっ、あれが?」

 よく見ると、それは背中を丸めた大男だと分かりました。まるまると太っていて、手入れのされていない黒髪は長く、服は着てはいるものの、色あせてぼろ切れのようでした。身なりはとてもみずぼらしく、亡者となった人間を思い起こさせるほどでした。

 森の主は宙に手を伸ばしました。すると、光の輪から五つほど、光の玉が彼の手元に集まってきます。そして、それを両手でこね合わせると、口の中に放り込んでしまいました。彼はこうやって、人の魂を食べ続けているのです。

 彼女は樹の根っこをまたぎ、森の主の前に姿を見せました。

「やあ」

 彼は魂を食べることに夢中で、顔すらあげません。彼女に気付いているかどうかも怪しいくらいです。手を伸ばし、次の魂を引き寄せて、一心不乱に食べ続けています。

 しばらくすると彼女は諦めたのか、こちらに戻ってきました。かわいそうだよね、と彼女は言いました。

「ヨモギモチモドキを食べた人間の魂を食らうことだけ夢中になって、周りのことの一切に気がつかない。ここ何十年かはずっとそう。食べれば食べるほどこの樹は大きくなっていく。太って太って、ただ太り続ける。太ればもっと、人の魂を求める。魂を食べれば、もっと魂がほしくなる。これの繰り返し」

 何も考えず、ただ食べるためだけに生きている。私は再び、彼の姿を見ました。手を伸ばし、引き寄せられた青い光を口に放り込み、咀嚼する。また引き寄せて、食べる。

「全く、どっちがヨモギモチモドキに食べられてるのか、分からないわね」

 彼女はひどく軽蔑したように言いました。

「私が近づいても、大丈夫かな」

「うーん、どうだろう。誰が行っても、多分一緒じゃないかな」

「それじゃ、ちょっと行ってみる」

 よし、と決心を固め、私は一歩前に足を踏み出しました。

「あの」

 私はむしゃりむしゃりと食べ続ける森の主に言いました。

「森の主さん、聞こえていますか」

 反応はありませんでしたが、とにかく伝えてみることにしました。

「あなたの食べている人の魂の中に、私の友達がいるんです。返してはいただけませんか」

 恐ろしい気持ちをこらえて、精いっぱいの声を出したつもりでした。ですが、声が小さかったのか、はたまた聞く耳を持つ気がないのか、彼の食事の手は止まりません。私は息を吸えるだけ吸い込んで、ぎゅっと目をつぶり、叫ぶように呼びました。

「森の主さん! すみません!」

 目を開けると、森の主は魂を引き寄せる手をすうっと下ろしていました。そして、私の方に顔を向けると、ぎろりとした目玉が覗きました。声を上げそうになりましたが、負けずにぐっとこらえます。

 森の主は何も言わず、こちらをただじっと見つめていました。長い髪に覆われて、表情はよく分かりません。食事の邪魔をして、怒っているのかもしれませんし、用があるなら手短に済ませて欲しいと思っているのかもしれません。ただ彼があまりにも口を開かないので、私はもう一度説明しようとしました。

「その中に、私の大切な人がいるかもしれないので、返してもらえませんか」

 声は出たものの、緊張は一回目よりも遥かに上回っていました。心臓が痛いほどに跳ねていました。ぎょろりとした目玉が何を意味するのか分からないのが、何より恐ろしくてたまりませんでした。

「お前は」

 低くしゃがれた声が私に語りかけてきました。背筋が凍るようなその声は、森の主のものだとすぐに分かりました。

「私の食事を邪魔する気か?」

「いえ、そういうわけではなく、」

 弁解しようとした瞬間、森の主の大きな手が私の口元を塞ぎました。とても強い力で鷲掴みにされ、頬がちぎれそうでした。

「お前にやるものなどない」

 がらがらとした声が震えました。

「これは私のものだ。全部、全部」

 顔を掴む力が更に強くなり、私はその腕を外そうと両手で握りました。しかし、引っ張ってみてもびくともしません。

「一つもくれてやるものか!」

 歯をぎりぎりと鳴らしながら、私を掴む手に力を込めました。このままでは潰されてしまいます。しかしどうあがいても、離れてそうにはありませんでした。締め付ける力が徐々に強くなり、もう痛みに耐えられそうにありませんでした。殺される。殺されてしまう。

その時、誰かが背中の服を掴みました。池の精霊でした。彼女が私の身体を後ろに引っ張ると、今までの抵抗が嘘のようにするりと抜けてしまいました。

「いったん戻るわよ」

 彼女は私に告げました。そのままの姿勢で引っ張られ、森の主から離れていきます。もの凄い速さで、息を吸うのも忘れそうでした。

「怒ったあいつはネチネチしつこいわよ。しっかり捕まってて」

 突然、風が肌にまとわりついたかと思うと、身体がふわっと浮き上がり、空の遥か高いところまで飛んでいきました。景色が森から夜の空へ。空の冷たさに包まれ、どちらが上とも分からないまま、精霊に抱えられて運ばれて行きます。その時視界に捉えたのは、森の中からそびえ立つ巨大な柱でした。

「見てる? あれこそが森の主の正体よ」

 池の精霊は言いました。これが、人間の魂を取り込み成長を繰り返した森の主の姿なのだと。なんて大きいのだろうと、私はぞっとしました。わずかに残る黄昏を背負った大樹は黒く重々しく、どこまで行っても私たちを睨んでいるような気がしたのです。

 身体が回転し今度は足下の森へと視界が移ると、私は思わず声を上げました。

「見て! 地面の方!」

 私が叫ぶと、池の精霊も同じ方を向きました。

 そこには恐ろしい光景が広がっていました。森の木々がまるでオセロをひっくり返していくようにヨモギモチモドキに塗り替えられていったのです。変化は大樹の根本から始まり、私たちを追いかけてくるように広がっていきました。

「あなたを捕まえる気ね。無理矢理にでもあれを食べさせて、魂を抜き取ろうって算段」

 ヨモギモチモドキの浸食の速さは凄まじく、あっという間に私たちの真下まで追いついてしまいました。

「もう来ちゃってるよ!」

 私は叫びました。

「大丈夫、もう少し」

 彼女がそう言った途端、高度が下がり始めました。

「落ちる!」

 私は叫びました。全身がばらばらになりそうな感覚が襲い、身体がちぐはぐになってゆきそうになるのを、全身にぐっと力を入れて何とか堪えました。

 ばちん。水面に全身が打ち付けられました。一瞬びりりとした衝撃が走り、やがて緩やかに止まりました。息まで止めていたせいで、一瞬何が起きたのか分からず、目の前が何も見えなくなったことしか分かりませんでした。水の中に突っ込んだのだと気づいたときには既に彼女に腕を掴まれており、勢いよく水面まで引き上げられました。

 その勢いで再び宙に浮き、大きな葉っぱの上に落とされました。

「いてて」

 私はつぶやきながら、腕をさすりました。服はびしょ濡れで、もうどこが痛いのかもよく分かりません。

「大丈夫そうね」

 彼女は水の上を歩きながら言いました。

「うん。ありがとう、助けてくれて」

 私は力なく言いました。

「だけど……」

 周囲を見渡すと、右も左も、すべてヨモギモチモドキ。水際スレスレまで寄り上がり、まるで壁のようでした。

「あっちもこっちもこればっかりね。水の中は私の領域だから入って来ることはないけれど、一歩でも外に出たら食らいつく気満々」

 彼女は大きな葉っぱに腰をかけ、足で水面を蹴り上げました。あたりをぐるりと見回すと、溜め息を一つつきました。

「囲まれたと言うより、閉じこめられたと言った方がいいかもね、これは」

「ごめんなさい、私のせいで」

 私は言いました。森の主の心を知っていれば、私も彼女も、こんな危険にさらされることはなかったのです。私は自分のしたことをひどく後悔していました。

「落ち込むことは無いわ」

 彼女はしゃがんで、私に言いました。

「石を投げ入れなきゃ、水面に大きな波は立たないわ。風が撫でつけたところで、すぐに収まってしまうでしょ。それと同じよ。あいつの乱暴を止めるには、それこそ池の水を全部ひっくり返すくらいの大きな石が必要なのよ。いいか悪いかなんて、まだ何にも分かんない。問題は、この波にどうやって乗っかるのか。そうでしょ」

 彼女は私の返事を待ちました。うん、と言えるまでには少し時間がかかりましたが、それまで彼女は辛抱強く私をじっと見つめていました。ようやく私が頷くと、彼女はにっこり笑って立ち上がりました。

「だからまずは、この周りのヨモギモチモドキをどうにかする方法を考える。最後まで諦めないことよ」

「うん。……わかった」

 私も立ち上がり、周囲を見渡しました。ヨモギモチモドキの壁をどうにかしないことには、先に進むことは出来ないでしょう。

 しかし、考えども考えども、いい案は思いつきません。

「うーん、だめだ。精霊さんの力じゃどうにか出来ないのかな」

「そうね。こうやって押しとどめておくことはできるけど、道を明けるような力は持ってないわよ。あなたこそ、何かないの」

 何かって言われても。そう訝りながらも、ポケットの中を探りました。一つ、こつんと当たるものがありました。


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