三題噺 第25話
三題噺 第25話
お題 ピッチャー、銀行、猫
◇
融資条件
『あーあ、今日も負けかよー』
『これで借金いくつだ?』
帰りのバスの中でも、球場を後にする観客たちのぼやきが聞こえてくるようだった。チームは負けが続き、今日の先発を勤めたピッチャーの彼も、また負け数を一つ増やす結果に終わっていた。
バスの中の重苦しい空気のまま自宅に戻り、缶ビールをあおる。散らばったテーブルの上、いつか街頭で貰ったポケットティッシュの裏側で、『融資のご相談は当行に』と宣伝文句が踊っていた。
「ったくよー…、成績も融資してくんねーかなー…」
彼は、重い身体と気持ちを引き摺りながらシャワーを浴び、倒れこむようにベッドに沈んだ。
その夜、夢の中で、彼は銀行の融資窓口に座っていた。ぼんやりと顔のはっきりしない銀行員が、書類を前に融資の説明をしていた。
「それでは、とりあえず10勝ほどご融資ということで…」
彼は、白くもやのかかる世界の中、にじんではっきり読めない書類の署名欄に、サインを流した。
翌日、チームに顔を出すと、チームは妙に浮ついた空気だった。チームメイトが彼の肩を叩く。
「おい、昨日はやったな! ついに貯金10だぜ。このまま優勝まで突っ切ろうぜ」
「何、言ってんだよ…、昨日も俺は負け投手だろ」
顔を顰めながら彼がそう言うと、チームメイトは一瞬きょとんとした顔を見せ、すぐに破顔した。
「ははは、なにボケてんだよ! まー、ここ数年じゃあり得ねーほどの快進撃だ、夢でも見てる気分になるのも分かるがな!」
そう言うチームメイトに、他の選手たちの笑いながら賛意を示した。気味が悪くなった彼が、よろめいて手をついたテーブルに本日付のスポーツ新聞が広げられていた。そこには、確かに貯金10を達成した自分たちのチームの雄姿が謳われていた。
キツネにつままれたような気持ちのまま、今日の試合が始まる。登板のない彼が、未だに釈然としない頭を抱えながら見守った試合の結果は残念ながら負け。しかし、貯金はまだたんまりとあるのだ。焦ることは何ひとつない。彼は、自らにそう言い聞かせ、球場を後にした。
だが、快進撃を続けているはずのチームは、勝てないでいた。あれからずるずると負けは続き、貯金が残り1となった試合に、彼は先発として登板し、そして負け投手となった。
それ以降、彼は幻覚を見るようになった。ピッチャーとしてマウンドに立ったとき、まず始めにキャッチャーが、次にキャッチャーの後ろに立つ審判が、そしてグラウンドを守る味方の野手や対戦相手のバッター、果ては球場を埋める観客の誰もが、皆みんな、猫の姿に見えたのだ。
そして、もう数えることもやめた負けの数をまたひとつ増やした試合の日も、球場は猫で一杯だった。自宅に着くなりバッグを乱暴に投げつけ、缶ビールを空ける。テーブルの上にはポケットティッシュ。銀行の広告には招き猫のイラスト。
「くそ! ここでも猫か! 一体何だってんだよ!」
彼はポケットティッシュを掴むと、壁に向かって渾身の力で投げつけ、寝床へ潜り込んだ。
夢の中で、猫の顔をした銀行員がぞんざいな態度で彼に向かっていた。
「困りますねぇ…。せっかく融資したのに返せないんじゃ、差押えですよ?」
飛び起きた彼は、全身からびっしょりと汗を流していた。
「差押え……だって?」
夢の中の出来事だと理性が叫んでいた。
だが、その夢の中での取り引きを、思い出すまいとするのにフラッシュバックしていく。
借りたのは勝利。
借りた勝利は使いきり、最早返せる見込みもない。
担保としてサインしたのは一体何だった?
ピンポン、と、玄関のチャイムが軽やかに鳴り響く。
誰かの声が、ドアの向こうからにもかかわらず、室内によく届いた。
「借金を、お返し頂けニャいようですので、担保とニャっております……選手生命を差押えに──」
Fin.
投稿2本目。
招き猫って、銀行っていうより、宝くじですよねー(ぉ