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鬼神乱舞  作者: 小湊拓也
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第8話

「仕損じた、だと! 貴様それで済むとでも思っておるのか!」

 耳障りな怒声が、国司の館に響き渡る。

 下泉守・葛城隆芳の小太りな身体が、廂に立って見苦しく怒り震えている。

 松虫は、庭に座らされていた。

「鉄マムシめを必ず討伐して見せる、などと言っておきながら何たる様! 貴様、実は役立たずであったのだなあ? ええおい!」

 国司が浴びせて来る罵声に耐え、松虫はじっと平伏していた。

 こんな男でも、自分が利用すべき権力者だ。そう己に言い聞かせながら。

 鬼遣い・松虫の名を、大八嶋全土に知らしめる。

 そのためには、権力者による後ろ楯があった方が良い。だから松虫としては、この葛城隆芳という愚劣で醜悪な男を、出来るだけ殺したくはない。

 それがわかっているから下泉守も、調子に乗って罵り叫んでいる。

「役立たずのくせに大きな顔をして、この館に居座っておったか! 貴様のような無能者を世話するのに一体どれほど金を使ったと思っておる? さあ返せ! その金を今すぐ返せ! 返せぬならば、ここで死ねぇーっ!」

 邸内の侍所に詰めていた雑兵たちが、わらわらと庭園に踏み入って来た。

 そして槍を、薙刀を、あらゆる方向から松虫に突き付ける。

 下泉守隆芳が、調子に乗り続けた。

「腕を切り落とせ! 脚を切り落とせ! 動けぬようにしてから腹を裂き、臓腑を引きずり出せええ! 返せぬ金の分は楽しませてもらわねば気が済まぬ! 役立たずの無能者は生きたまま殺されて私を楽しませろ! その程度の役にしか立たぬゴミが! クズが! 糞虫が!」

 領内で鉄マムシに好き勝手されて、取り締まる事も出来ずにいる。

 その鬱憤が、松虫に叩き付けられている。

「……いい加減にしろよ……役立たずの無能者は、お前だろうが……」

 呻きながら松虫は顔を上げ、周囲の雑兵たちを、そして廂に立つ国司を、睨みつけた。

「な……何だ貴様、誰が面を上げて良いと言った……」

 小太りな身体を後退りさせつつも、葛城隆芳は虚勢を張っている。

「そ、それに今、何と申した……何だその顔は、その目は……え、ええい雑兵ども! この者の目を抉れ! 舌を抜け! 面の皮を引き剥がせ早くしろおおおおお!」

「お前、うるさいよ……」

 松虫は、直衣の懐に片手を入れた。

 そして立ち上がりながら、懐から取り出したものを思いきり放り投げ、空中にぶちまけた。

 何枚もの、式札である。

「わかんないかな。お前、僕のおかげで今まで生きていられたんだよ? 僕がお前を、殺さずにいてあげたんだから……」

 それら式札が宙を舞いながら、松虫の言葉に合わせて厚みを増し、膨張し、形を変えながら巨大化し、落下する。雑兵たちの上にだ。

「利用出来る権力者なんて、いくらでもいるんだ。別に、お前じゃなくたっていい……」

 松虫の周りでビチャビチャッぐちゃあっ! と、いくつもの人体が潰れて飛び散った。

 鉞を構えた牛頭が何頭か、雑兵たちを踏み潰しながら立っている。

 どうにか踏み潰されずに済んだ雑兵たちが、槍や薙刀を持ちながら戦おうともせず、悲鳴を上げる。

 彼らに向かって牛頭たちが、潰れた肉片や臓物をビシャビシャ蹴散らしながら、踏み込んで行った。

 何本もの巨大な鉞が、振り下ろされ、あるいは横薙ぎに唸る。

 雑兵たちが、生首や手足その他諸々の人体破片と化して飛び散った。

 下泉守隆芳が、悲鳴も上げずに廂の上で座り込む。小太りで脂ぎった顔が、脂分も血の気も失せた感じに青ざめ、引きつる。

 松虫は許しも得ずに階を上って廂に踏み入り、国司に歩み寄って声をかけた。

「どうしました国司殿……? 僕の手足を切り落として、はらわたを引きずり出すのではなかったのですか? 目を抉り舌を抜き、顔の皮を引き剥がすおつもりだったのでは?」

「……ひ……ぃ……」

 細々とした声を漏らす下泉守に、松虫は式札を1枚、突き付けた。

「……やって見せろよ、自分の手で。自分1人じゃ何にも出来ない、葛城のクズが!」

 葛城一族など、こんな者ばかりなのだ。

 自分の力では何をする事も出来ず、金と権力で他人を動かし、それを自身の力と勘違いしている。

(お前もそうだ葛城清春……緋吹童子がいなければ何も出来ない奴が!)

 ここにはいない者を心の中で罵りつつ松虫は、ここにいる者に対しては微笑みかけた。

「殺そうと思ったけど、命だけは助けてあげますよ国司殿。貴方なんかより、ずっと許せない奴が1人いますからね……」

 青ざめ怯える国司の眼前で、ひらひらと式札を揺らして見せる。

 何も描かれていない式札。

 どんな式鬼が誕生するのかは、下泉守次第だ。

「貴方にもいるでしょう、許せない相手が1人」

 雑兵を殺し尽くした牛頭たちが、どすどすと館に上がり込んで来ている。

 ちらり、と彼らを視線で示しながら、松虫はなおも言った。

「見たでしょう? これが僕の力です。1度くらい失敗したからって、役立たずなんて決めつけるもんじゃありませんよ……役立たずの無能者は、貴方たち葛城一族の方なんですから。ね?」

 葛城隆芳が、肥満した鯉のように口をパクパクさせている。

 今、この国司の心には恐怖しかない。

 その恐怖の下に、しかし暗く激しく燃え上がる情念が、隠されているはずなのだ。

 そう、憎しみが。

「許せない相手がいるのでしょう? 下泉守殿。その相手を、僕がこの力で排除してあげます……いるのでしょう? 排除して欲しい相手が」

「……て……」

 隆芳がようやく、罵声でも悲鳴でもないものを口にした。

「鉄マムシ……私の領内を荒し回り、ことごとく私の仁政の邪魔をする……」

 恨みを呟く下泉守の顔面に、松虫は式札をぺたりと貼り付けた。

「式鬼は、式札に様々なものを宿らせる事で誕生する……」

 松虫は説明を始めたが、隆芳はすでに聞いてなどいない。

 小太りの全身がメキメキと震え、式札を貼られた顔が、奇怪な引きつり方をしている。

 その式札が、生き物の如く蠢き、形を変えて膨張し、隆芳の顔面を包み込んだ。

「山野の霊気や瘴気、形なき魑魅魍魎……のみならず人間の憎念も、式鬼の材料になってしまうんですよ」

 下泉守の、顔面だけでなく全身が、まるで繭のようになった式札に包み込まれていた。

 その繭が、ぐにゃぐにゃと動いて廂の上を這いずっている。

 人間が入っているとは思えない、巨大な芋虫のような蠢き方だ。

「僕なら、人間そのものを式鬼に変える事も出来る……ふふ、うっふふふふ国司殿。貴方はお強い式鬼に成れますよ?」

「……ぉお……おおぉおお……」

 式札と人体を材料とする繭が、おぞましく蠢きながら声を漏らす。

「ぉぉぉお……てっ……鉄……マムシぃいい……」

「そうです国司殿。僕の力で、とは言いましたが、貴方自身の手で憎い相手を片付ける事にもなるんですよ」

 語りかけつつ、松虫は後退りをした。

 虫の如く蠢きながら、式札の繭が少しずつ膨れ上がってゆく。

 少しずつ、だが見てわかる速度で巨大化しながら、下泉守・葛城隆芳は、グニャグニャと人間ではないものへと変化してゆく。

「醜い……何というおぞましい、でも滑稽な姿……」

 笑いながら、松虫は憎しみの念を燃やした。

「これが、葛城一族……お前だって、本性はこんなものだろう葛城清春……!」

 この愚かな国司を殺さないで良かった、と松虫は思った。

 この姿でしばらく生かしておこう、とも思った。

 葛城一族の醜悪さと滑稽さを、いつでも目で見て確認し、楽しむ事が出来る。



 白彦が寝込んでしまった。一夜明けても、熱が下がらない。

 冷水の入った袋を額に載せられたまま、白彦は布団を被り、うなされている。

「うーん……おっお猿が、カラスがー」

「……本当にあるのですねえ、知恵熱というものは」

 緋吹童子が、呆れている。

 鉄マムシの館の、一室である。

 館と言っても、興代の都の貴族たちが住まう大邸宅に比べれば、質素なものだ。

 主たる鉄マムシは、今はいない。郷の長として多忙を極めているのだ。

 手伝える事など何もないまま清春は、

「……私の教え方が、良くなかった」

 とりあえず、深く反省してみた。

 辛抱強くわかり易く教えたつもりだが、どうやら白彦の頭を混乱させてしまっただけのようである。

「私には、誰かにものを教える能力がないようだ……白彦、すまない」

「清春どののせいではないのです。まったく、兄者のくせに風邪を引くなんて」

 丸彦が、湯気の立ち上る椀を、盆に載せて運んで来た。

 野草の入った粥、のようである。香ばしさが、ふんわりと微かに漂った。

「ほら兄者、ちょっと遅いけど朝ごはんなのです」

「おお丸……お、お猿の奴らが攻めて来たぜー。もももも桃の木を守らなきゃ」

「いいからとっとと食べるのです」

 丸彦が、布団の中から兄の上体を引きずり起こす。

 清春は思い返した。この兄弟と初めて出会った時も、こんなふうに白彦が寝込んで丸彦が世話をしていたものだ。

「とりあえず犬殿の熱が下がるまでは、ここで厄介になるとして……」

 何やらうわ言を漏らしつつも粥をかき込んでいる白彦の方を見やって、緋吹は言った。

「その後はどうするのですか清春殿」

「どうしようか……」

 清春は天井を見つめた。

 目的地があって、旅をしているわけではないのだ。

 ただ興代の都にいるのが嫌でさまよっているうちに、こんな所まで来てしまった。

 こんな所などと言っては下泉国の民に失礼だが、とにかく流れに流れたものだ、と清春は思う。

 流れ歩いている間に犬神の兄弟と出会い、大いに世話になりながら今に至る。

 同じように流れながらも松虫は、誰とも出会わなかったようだ。

 師・高野実光の葬儀を済ませた後、松虫は、清春に何か告げる事もなく姿を消した。

 清春は追わず、探さず、引き止めなかった。

 緋吹童子は、葛城清春を鬼遣いとして選んでくれた。

 選ばれたのが松虫の方であったら、自分も黙って姿を消しただろう、と清春は思う。

 選ばれた者が、選ばれなかった者にかける言葉など、あるわけがないのだ。

 それでも無理矢理に何か言葉をかけ、引き止めておくべきだったのか。自分と緋吹の傍に、松虫を無理矢理にでも居させておくべきであったのか、とも清春は思う。

「松虫を、どうにかしなければならない……まさか彼が、あんなふうになってしまったなんて」

 柱にもたれて片膝を抱え、座り込んだまま、清春は言った。

「私と緋吹が傍に居てやれば、あんなふうにはならなかった……などというのは思い上がりかな?」

「まさしく思い上がりですね」

 間髪入れず、緋吹が断じた。

「私は貴方よりもほんの少しだけ、松虫殿との付き合いが長いですから。あの方の、子供の時から変わらぬ性格を、ようく存じ上げております。まあ今でも子供ですけれどね、松虫殿ときた日には」

 妙な匂いが、漂って来た。

 丸彦が、擂り鉢の中の何かを、擂り粉木で掻き回している。また薬草の類であろう。

「あの歪み捻れた心根は生来のもの。それが貧困のせいで、もはや手の施しようがないところまで達しております。他人がどうこう出来るものではありませんよ……犬神の薬で、あの性格も治してあげられれば良いのですがねえ」

 松虫は、貧民の出だった。

 緋吹の話によると、興代の都の裏通りで餓死しかけていたところを、高野実光が拾ったらしい。

 そんな松虫が、葛城一族の出身である弟弟子を常日頃どのように思っていたかは、清春にも想像はつく。

「丸、おかわりー」

 白彦が、空っぽになった椀を掲げた。

 擂り粉木を回す作業に集中しながら振り向きもせず、丸彦が応える。

「鉄マムシどのが郷のために備蓄なさっているお米を、無理を言って分けていただいたのです。だから1杯だけにしておくのです」

 白彦が、しゅんと俯いた。

 丸彦は顔を上げた。

「というわけで兄者、食後のお薬なのです」

 擂り粉木と擂り鉢の間で、よくわからぬ色の液体がドロリと糸を引いた。

「そそそれはー」

 しょげかえっていた白彦が、今度は恐がり始めている。

「い、いいよ丸。俺、お前の作ってくれたお粥で元気になっちまったからさー」

 逃げようとする白彦の身体を、緋吹が回り込んで押さえ付けた。

「おとなしく薬を飲んで、一刻も早く熱を下げなさい。私はね、こんな所にいつまでも居たくはないのですよ」

「こ、ここはいい所だよー」

 犬神の少年の小柄な身体が、赤銅色の剛腕に捕われて、じたばたと暴れる。

「清春、助けてくれー!」

「丸彦の薬は効くぞ?」

 にっこりと、清春は微笑みかけた。

 犬神族秘伝の薬がどれほど効くかは、体感したばかりである。

「きっと少しだけ苦いけど大丈夫、少しだけだ。きっとな」

「少しじゃないよー!」

 丸彦は泣き喚く兄の、鼻をつまみ、口に擂り鉢を押し付け、容赦なく傾けた。

 流し込まれたものを否応なくごぶごぶと飲まされながら、白彦が痙攣している。

 痙攣する少年を押さえ込んでいる緋吹に、清春は訊いた。訊こう訊こうと思いながら、なかなか口に出来ずにいた事を。

「緋吹、昨夜は……鉄マムシ殿と何か、話していたようだけど」

「……気になるのですか? 清春殿」

 目を回した白彦を寝かしつけ、布団を被せてやりながら、緋吹が言う。

 そして、ちらりと清春の方を向く。

 目を合わせられず、清春は俯いてしまった。

(何を気にしているんだ、私は……)

 自己嫌悪に近いものが、清春を襲っていた。

 誰と何を話していようが、そんなものは緋吹の自由ではないか。自分は何故、そんな事に干渉したがるのか。鬼遣いだからとて、緋吹童子のほんの些細な行動までも管理していなければ、自分は気が済まないのか。

 これではまるで、玩具を独占したがる幼子ではないか。

 恥じ入って俯いたまま、清春は言った。

「いや、別に気になるわけではないんだ……すまない」

「……何故、謝ってしまうのですか清春殿」

 緋吹が、怒り出した。

「何故そこで追及をやめてしまうのです……何故、気にして下さらないのですか!」

「緋吹……?」

「貴方は私が、どこで誰と何をしていても! 全く気にならないのですかっ!」

 赤銅色の美貌が、怒りに歪みながら、しかし涙で濡れるのを、清春は確かに見た。

 見られまいとするかのように緋吹が、立ち上がりつつ背を向け、足早に部屋を出て行ってしまう。

 ずかずかと、怒りの露わな足音が遠ざかって行く。

「お、おい緋吹……」

 目を回している白彦と呆気に取られている丸彦を残して、清春は緋吹を追った。

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