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鬼神乱舞  作者: 小湊拓也
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第5話

「緋吹……」

 この2日間、全く口をきいてくれなかった相手に、いきなり話しかけられて、清春は少しの間、戸惑った。

「傷の具合とは……ああ、そうか。私は傷を負ったのだよな、そう言えば」

 問われてようやく清春は思い出した。

 負傷した事を忘れてしまうほどに、犬神族秘伝の薬はよく効いたのだ。今では背中に、うっすらと傷跡が残っているだけである。

「もう問題はない。丸彦のおかげさ……心配を、させてしまったかな?」

「貴方は鬼遣いとして失格です……実光殿なら間違いなく、そう言いますよ」

 赤銅色の美貌をプイと背けながら、緋吹童子は言った。

「こうして許可もなく勝手に姿を現した私を、清春殿は咎めもせず、愚かな事を言っている」

「咎めたら、君は言う事を聞くのか?」

 羆谷の豊かな森を見回しながら、清春は訊いてみた。

「頭ごなしに、あれをするな、これをしてはいけない、などと命令したところで……君は従ってくれるのかな?」

「……鬼とは、そのように使役するもの。実光殿は、貴方にそう教えたはずです」

「老師は老師、私は私さ……そんな事はいい、本題に入ろう緋吹」

 清春は向き直り、緋吹と目を合わせた。

「君は、何を怒っている? もちろん怒らせたのは初めてではない、今まで何度も君の機嫌を損ねてきたが……今回ばかりは原因が全くわからない。君がそこまで怒る理由が、わからないのだよ」

「別に私は怒ってなどいませんよ清春殿。貴方と口をきかなかったのは、ただ呆れて物が言えなかったからです」

 ふん、と大仰に鼻を鳴らして緋吹は嘲った。

「下衆の命乞いを真に受けて傷を負うなど……貴方のその愚かさに、かける言葉が見つからなかったから口をきかずにいただけですよ」

「何だ、やっぱり心配をさせてしまったんだな」

 清春が微笑むと、緋吹の顔つきがさらに険しくなった。燃え上がるような眼差しが、清春を突き刺す。

「貴方は御自分がどれだけ脆弱であるか全く理解しておられない! 少しの傷で容易く死んでしまうくせに不用心過ぎると申し上げているのです! もし、もしも貴方が」

 緋吹の言葉が途切れた。声が、震えている。

「もしも清春殿が、死んでしまったら……一体どういう事になるとお思いですか」

「うーん……私が死んだくらいでは、特に何も変わらないのではないかな」

 白彦と丸彦は、少しくらいは悲しんでくれるかも知れない。

 緋吹はどうであろうか。

 常日頃、心の内にあるものを、清春は口に出してみた。

「鬼遣いが死ねば、君も自由になれるぞ緋吹……いや、今すぐにでも私を叩き殺して自由になる事も出来るはず」

 緋吹は、気難しげに腕組みをして黙り込んだ。

 清春は、なおも訊く。

「そもそも老師が死んだ時点で、私など放っておいて自由にどこかへ行ってしまう事も出来たはず。何故また鬼遣いに遣われる生き方を……何故、君は私について来るのだ?」

「確かに、貴方が死ねば私は自由になれる……」

 震える声で、緋吹は呻いた。

「愚かなる清春殿は、全くご存じない……誰も束縛してくれない自由というものが、どれほど暗く、寒々しく、心を苛むものであるのか……」

 清春を睨む鬼の両眼が、燃え盛るような光を孕みながらも、潤んで波打ち始める。

「何故ですか清春殿。何故、貴方がた人間は……100年も生きぬうちに私を、暗く冷たい自由の中へと放り出してしまうのですか?」

「緋吹……」

「あんなに愛らしい童であった実光殿が、その愛らしさを私が堪能しきらぬうちに生意気な若造に変わり、分別臭い中年男となり、偏屈で可愛げのない老人へと劣化し……鬼の力をもってしても連れ戻せぬ場所へと、旅立ってしまわれた。この私を、自由にしてくれたのです……おわかりですか清春殿。鬼にとって自由とは、すなわち放り出される事、置いて行かれてしまう事を言うのですよ」

 緋吹が、くるりと背中を向けた。

 その瞬間、ほんの一瞬だけ、清春は確かに見た。

 緋吹童子が、涙を流している。

「貴方も私に、実光殿と同じ仕打ちをするのですか。馬鹿をやって命を落とし、私を……誰も束縛してくれない自由の中に、放り出してしまうのですか……させませんよ、そんな事は!」

 緋吹の声が大きくなった。

 涙をごまかしているのだ、と清春は思った。

「……悪かったよ、緋吹」

 清春は歩み寄り、緋吹のたくましい背中に片手を触れた。震えが、伝わって来た。

「本当にすまなかった、これからは充分に気をつけるよ。君の言う通り私など、ほんの僅かな傷だけで死んでしまいかねないからな」

「…………!」

 いきなり緋吹が、こちらを振り向いた。

 そして清春の細身を押しのけ、ずかずかと大股で歩き出し、近くの茂みを乱暴にかき分ける。

 黄色い悲鳴が聞こえた。

 先程の女の子たちが、そこにいた。丸彦もいた。

「やぁん、見つかっちゃったー!」

「綺麗な殿方同士、いい感じだったのにぃ」

「丸様、あとはヨロシク!」

 女の子たちが、丸彦1人を残してサァーッと逃げ去って行く。

「ふわわわわ、そそそんな」

 慌てふためく丸彦に向かって、緋吹童子がにっこりと牙を剥く。

「覗き見の盗み聞きとは、良い趣味をお持ちですねえ丸彦殿」

「ぼぼぼくは丸彦ではなく、ただの岩なのです」

 身を丸めて頭を抱える丸彦を、緋吹が片手でつまみ上げる。

「……清春殿、お腹が減ってはおられませんか?」

 赤銅色の精悍な美貌が、にこやかに歪んだ。

「犬神の小さいのを丁寧に捌いて、薄く切って適度に焼き、岩塩をまぶす……精がつきますよ?」

「お、お肉ばかり食べていては身体に良くないのです」

 愛想笑いを浮かべる丸彦を、緋吹は目の高さまで持ち上げてぶら下げ、睨み据えた。

「清春殿に、もっとお肉を食べていただきたいと。そう言ったのは貴方でしょう? もちろん私も食べますがね」

「鬼族の方はもっと青物をお食べになった方がいいのです!」

 丸彦は泣き出した。大きな瞳から、大量の涙がぶわっと飛び散る。

 小さな手足をじたばた暴れさせる仔犬神を、緋吹は片手でぶら下げたまま観察した。

「ふむ、なかなか元気な暴れぶり……これは良い肉になりますよ清春殿」

「もうやめておけ、緋吹」

 清春は苦笑した。

「丸彦も。緋吹童子が泣いているところを盗み見るなど、命知らずにも程があるぞ?」

「お、お2人が仲直りしてくれるかどうか、気になって仕方ないのです」

 くすん、と泣きながら丸彦が言う。

「喧嘩はやめて欲しいのです……あと、ぼくを食べるのもやめて欲しいのです」

「清春殿、今何とおっしゃったのですか……いや、わざわざ言い直して下さらなくとも結構」

 丸彦をつまんでぶら下げつつも彼の言う事など聞かず、緋吹は清春を睨んだ。

「とにかく馬鹿も休み休み言いなさい。私が……泣いている、などと……」

「あのう、緋吹どの」

 鬼につまみ上げられたまま丸彦が、どこからか布を取り出し、おずおずと差し出した。

「これで涙をお拭きになるといいのです」

「命知らずの犬っころが……!」

 赤銅色の美貌を凶暴に歪め、緋吹は牙を剥いた。丸彦が悲鳴を漏らす。

 清春が止めに入ろうとした、その時。

 ガサッ……と茂みが鳴った。

 何か大型の獣が動いているのであろうか。猪か熊であれば緋吹に何とかしてもらうしかない、と清春が思った、その時。

 今度は木がバキバキバキッ! と折れて倒れた。

 倒れた幹を押しのけて現れたのは、牛だった。

 ただし直立している。体型も人間に近く、筋骨隆々たるその身体は、緋吹童子よりも一回りは大柄である。頭の角は、太刀をも叩き折ってしまいそうだ。

 両足は巨大な蹄だが、両手は太い五指で、長柄の鉞を握っている。

 そんな武装した人牛が2頭、3頭、姿を現しながら息を荒くしていた。血走った両眼からは、凶暴性しか感じられない。

「ほう、これは……」

 いささか興味ありげな声を発しながら緋吹が、丸彦の小さな身体を清春に手渡した。

 両腕で受け取った清春の身体に、丸彦が不安そうにしがみついてくる。

「な、何か恐そうな人たちが来たのです」

「人……ではないだろうな、これはどう見ても」

 などと清春が言っている間に、3頭もの人牛が鉞を振り上げ、襲いかかって来る。緋吹も丸彦も清春も、まとめて叩き斬ってしまおうという勢いだ。

「ほう、これは……なるほど、これは」

 何やら1人で納得しながら、緋吹は迎え撃った。赤銅色の力強い身体が、滑るように踏み込んで行く。

 人牛の頭部が1つ、グシャアッ! と拳の形に凹んだ。角が根元から折れ、破裂した頭蓋骨からドビューッと内容物が噴出する。

 緋吹の左拳が、叩き込まれていた。

 それが清春にわかった時には、2体目の人牛が、構えた鉞もろとも折れ曲がっていた。

 緋吹の、右の蹴り。がっちりと筋肉の締まった長い脚が、鉞を叩き折り、人牛の巨体をへし曲げている。折れた脊柱が、へし曲がった胴体を突き破って露出する。

 その重い屍を蹴り払って捨てながら、緋吹は跳び退った。赤銅色の美貌の眼前を、巨大な鉞が横殴りにブゥーンと通過する。

 3体目の人牛。前の2体よりも、いささか腕が立つようである。

 鉞の第2撃が、少なくとも清春では絶対にかわせない速度で緋吹童子を襲った。

 それをかわしながら、緋吹は踏み込んでいた。

 赤銅色の鬼と、巨体の人牛。両者が、高速で擦れ違う。

 それと同時に、炎が奔った。

 緋吹の右手が、燃え上がっていた。

 その炎が棒、いや剣の形に燃え固まり、一閃したのだ。

 人牛は、真っ二つになっていた。斜めに両断され、巨大な2つの肉塊と化しながら炎に包まれる。

 周囲の樹々に燃え移る前に炎は消え、大量の灰がザァーッとぶちまけられた。もはや焼死体すら残っていない。

「さすがだな、緋吹……これが君の、本来の力か」

 清春は慄然とした。

 鬼遣いの身体を通して間接的に力を振るっている時とは、明らかに違う。

 やはり鬼遣いなど、鬼にとっては枷でしかないのではないか。

「御冗談。これしきの相手に本来の力をぶつけるほど、私も大人げなくはありませんよ。それより清春殿、こやつらが何者であったのか、貴方にはわかりませんか?」

 死体を残している人牛2頭が、干涸び、萎れ、縮んでゆく。筋骨隆々の巨体が、生命を失った途端、即身仏の如く痩せ細ってゆく。

 どこまでも、どこまでも縮んでゆく。

 巨大だった人牛の死体2つが、人間の赤ん坊よりも小さくなりながら、やがて死体ですらなくなった。

 それは2枚の、単なる紙の札だった。両方とも、ちぎれかけている。

「まさか……」

 清春は呻いた。

 墨で、何やら絵の描かれた札。

 鬼遣いが「式札(しきふだ)」と呼んでいるものに、似てはいないか。

 その式札2枚を拾い上げながら、緋吹が言った。

「そう……式鬼ですよ」

 嘲りの口調だった。

「とんでもなく出来の良い式鬼です。誰かを思い出しませんか? 清春殿」

「で、ではやはり……いやそんな、まさか……」

 ある1人の若者の顔が、清春の頭に浮かんだ。

 それを清春は、即座に振り払った。

 有り得ない。老師・高野実光を誰よりも敬愛していた彼が、こんなふうに鬼遣いの業を悪用するなど。

「あのう……式鬼とは一体」

 丸彦が、おずおずと問いを口にした。

「鬼族の方々の、一部族なのでしょうか」

「言葉に気をつけなさい犬ころ殿。式鬼とは要するに作り物・紛い物の鬼。修行を始めたばかりの鬼遣いが、鬼を使役する感覚を養うために使うもの……本物の鬼を遣えない無能な鬼遣いが、こういう鬼の紛い物を作って己を慰めているうちに、式鬼作りの技能をとんでもなく上達させてしまう事がたまにあるのですよ」

 説明しつつ緋吹がピラピラと、2枚の式札を揺らして見せる。

 墨で描かれているのは、鉞を持った人牛の姿だった。

「……この式札に、様々なものを宿らせて作り上げるもの。それが式鬼さ」

 説明しながらも清春は、ある1人の若者の顔が脳裏に浮かんで来るのを、どうしても止められずにいた。

「様々なものというのは、例えば山野の霊気や瘴気、姿なき魑魅魍魎、あるいは死者の霊魂……」

「術者の思念という場合もありますよ清春殿」

 言いつつ緋吹が、式札をつまむ指先から炎を発した。

 2枚の式札が、焦げ砕けて灰になった。

「いやはや、実に見事な憎しみの思念が込められておりました。私に捨てられた、実光殿にも裏切られた、という気分にでもなっているのでしょうねえ」

「松虫なのか……」

 共に高野実光の下で学んだ兄弟子の名を、清春はついに口に出した。

 式鬼なら清春も、簡単なものなら作り出す事が出来る。寿命がせいぜい数分の、すぐに消えてしまう幽霊のようなものならばだ。

 木を切り倒せるような式鬼など、そうそう作れるものではない。老師・実光でさえ、簡単な雑用を1つ2つこなせる程度のものしか作れなかった。

 木を切り倒せるなら、人も殺せるだろう。

 人殺しが出来るような式鬼を作り出せる鬼遣いが、いるとすればただ1人。あの兄弟子しか、清春は思い浮かべる事が出来ない。

「松虫殿もかわいそうに……私があまり会話の相手をしてあげなかったせいで、心がすっかり歪んでしまったようです。あんな巨大な式鬼を作り出せるほどに」

 緋吹童子が腕組みをしながら、本当に気の毒そうに溜め息をつく。

「もう少し、優しくしてあげるべきでした。1日にもう何回かは口をきいてあげるべきでした。鬱陶しいのを我慢してね」

「本当に、松虫が……」

 だとすれば、何のためか。何のために彼は、羆谷に式鬼など送りつけてきたのか。

 緋吹童子は結局、松虫ではなく葛城清春を、仕えるべき鬼遣いとして選んでくれた。それに対する、復讐なのか。

 そう思いかけて、清春は即座に否定した。自分がここにいる事など、松虫が知っているはずがない。

 すなわち松虫、であろうと思われる鬼遣いの目的は、羆谷への攻撃そのもの。狙われているのは羆谷の主、鉄マムシ。

 彼と敵対するもの……恐らくは下泉の国司が、鬼遣いを刺客として雇ったという事ではないのか。

 その考えを裏付けるかのように、悲鳴が聞こえた。郷の方からだ。

 騒然とした気配も、伝わって来る。

「ふわわわわ、さっ(さと)が襲われているのです」

「恐らくは、式鬼の群れに……」

「まさか責任を感じてなどおられないでしょうね清春殿」

 ギラリと牙を剥いて、緋吹は微笑んだ。

「私の身体は1つしかないのですよ。2人の鬼遣いに仕える事など出来ません。どちらかを選ばねばならなかったのは当然の事……私に選ばれなかったという現実を、松虫殿には無理矢理にでも受け入れていただかなければね。さあ、参りましょう」

 怒って泣いていた緋吹童子が、今は何やら楽しそうである。

 戦いが起これば、即座に機嫌を直してしまう。鬼とは、そういう生き物なのだ。


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