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鬼神乱舞  作者: 小湊拓也
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第3話

「ほう、鬼遣いねえ」

 鉄マムシが、興味深げな声を出す。

 官憲の騎馬大将は、悲鳴に近い声を発していた。

「お……鬼……つかい、だと……!」

 恐れをなして逃げてくれれば、と清春は思ったが、そう上手くはいかない。

「か、かかれ皆の者! 鬼遣いを討伐せよ!」

 大将が、やけくそ気味な号令を叫んだ。

「鬼遣いは、人の生き肝を餌として鬼を飼い操るそうな! この場で討伐せねば下泉国の民、1人残らず鬼に食い殺されようぞ!」

『……ほう、それは初耳です』

 他人事のように、緋吹は言った。

『清春殿。貴方は私に、人間の生き肝を食べさせて下さるのですか?』

「……食べたいのか」

『ふぅむ……こやつらの肝は、あまり美味そうではありませんねえ』

 そんな会話をしている場合ではなかった。

 馬に捨てられた鎧武者たちが、雑兵の群れが、一斉に襲いかかって来る。

 鉄マムシ一党も、それに味方する鬼遣いと犬神2人も、まとめて寄ってたかって切り刻んでしまおうという勢いである。

 炎の剣を構え、清春は踏み込んで身を翻した。

 武芸など嗜んだ事もない貧弱な身体が、実に力強く軽快に躍動する。

 清春ではなく、緋吹の動きだ。

 それと共に、炎の剣が横薙ぎに閃いた。

 雑兵が3人、悲鳴と同時に炎上した。そして黒焦げの屍と化してゆく。

 それらを蹴散らすように、清春は駆けた。

 疾駆に合わせて、炎の剣が一閃。もう一閃。燃え盛る斬撃の弧が、連続で描かれる。

 雑兵が、鎧武者が、斬殺されながら焼け死んでゆく。

 叩き斬られた焼死体が、清春の周囲に、いくつも折り重なった。

 自分は今、大いに人を殺している。清春は強く、そう思った。

 もはや何の綺麗事も言えない。言うつもりもない。

 ふと見ると、白彦がくるくると宙を舞っていた。

 荷車を狙って群がる雑兵たちを、蹴り付けながら跳躍し、別の雑兵の顔面に着地し、蹴り付けてまた跳躍する。

 それを、白彦は軽やかに繰り返している。

 雑兵たちが、鼻血を噴いて倒れていった。1人も死んではいないが、鼻を折られてまで戦える者など、そうはいない。

 相手を戦闘不能にするだけなら、このように顔面に一撃叩き込むだけで良いのである。

 鬼遣いには……少なくとも清春には、そういう戦い方は出来ない。緋吹童子の力で一撃を叩き込めば、相手は鼻血など流す間もなく焼死体と化す。

 こういう戦い方しか出来ないにしても、今は戦うしかないのだ。荷車に積まれた者たちを、とりあえず1人も死なせず守りきるためには。

 縛り上げられた山賊たちが、泣き喚いている。

 荷車上に避難した丸彦が、彼らをぴょんぴょんと踏み付けながら何やら叫んでいる。兄を、叱咤激励しているようだ。

「見かけによらねえもんだ、まったく」

 不敵に笑いながら、鉄マムシが太刀を振るう。

 鎧武者が2人、構えた槍もろとも真っ二つに切断されてドバァッと臓物をぶちまけた。

 剣技も剛力も、緋吹に身体を動かしてもらっているだけの今の自分よりずっと上だ、と清春は感じた。

「どうだい旦那方……この鉄マムシに雇われてみねえか? こうやって国司の手下どもと戦うのに、ちいと人手が欲しいんでな」

『悪くない話ではありませんか? 清春殿』

 緋吹が言った。

『上手くすれば、山賊どもの力を利用して国司の地位を奪う事が出来るかも知れません』

「今さら地位を欲しがるくらいなら、最初からこんな旅に出たりはしないよ」

 炎の剣を右手で休め、清春は見回した。

 馬に捨てられた鎧武者たちが、己の足で逃げて行く。

 雑兵らは、白彦に蹴り倒された仲間たちに感心にも肩を貸してやりながら、やはり逃げて行く。

 誰にも肩を貸してもらえず、腰を抜かして尻餅をついたまま怯えている者もいる。

「ひぃ……ま、ままま待って」

 大将だった。

 臆病さと人望のなさを露呈しつつ、涙目で清春を見上げ、命乞いを始めている。

「いっ犬神を売り飛ばすなどというのは冗談だ。私はただ国司の命令で、逆賊・鉄マムシを討つために来ただけなのだよ」

「それがどうやら無理らしいとわかった今」

 炎の剣を大将に突き付け、清春は問いかけた。

「……貴方は、どうする?」

「偉大なる鬼遣い殿に、無礼を詫びる!」

 太刀を握り締めたまま、大将はその場に這いつくばって頭を下げた。立派な兜で、地面に頭突きをした。

「どうかお許しを、お見逃しを! 私めには妻がおります、生まれたばかりの子もおります! どうか、どうか命ばかりは……」

「……生まれた子供に顔向け出来るような行いを、常日頃しているかどうか。1度は考えてみる事だ」

 平伏している大将に、清春はくるりと背を向けた。

 緋吹が、怒声に近い声を発した。

『愚かな……!』

 怒声と言うより、それは警告だった。が、わずかに遅い。

 土下座をしていた大将が、猛然と跳ね起き、背後から斬り掛かって来る。

「死ね! 鬼遣いめ……」

 清春は身を捻った。が、完全にかわす事は出来なかった。

 左肩から背中にかけて、微かな熱さと鋭い痛みが走り抜ける。

 大将の太刀が、衣服と皮膚を一緒くたに切り裂いていた。

「く……っ!」

 狩衣の背中が裂け、鮮血がしぶく。

「清春どの!」

 丸彦が、荷車の上からぴょーんと飛び降りて来る。

 鼻血を流して呻いている雑兵たちを助け起こしていた白彦が、泣きそうな声を出して駆け寄って来た。

「き、清春ー!」

「……大丈夫だよ」

 痛みに耐え、清春は微笑んで見せた。

 浅手である。皮膚の表面が、いくらか広い範囲に渡って裂けただけだ。

 痛いのは命にかかわるほどの傷ではないからだ、と清春は思う事にした。

 近くに、大将の身体がドシャアッと倒れて脳髄をぶちまける。

 鉄マムシの太刀が、彼の頭を兜もろとも叩き割っていた。

「おめえさんの女房子供、これで路頭に迷う事になっちまったなあ」

 大将の屍を片足で踏み付け、鉄マムシが嘲笑う。

「けどな……てめえらが威張りくさってる間に、家族ぐるみで飢え死にしてる奴らが大勢いるんだよ。ま、わざわざ言う事じゃねえか」

「清春……大丈夫なのかよー」

 泣きそうな白彦に対し、清春はもう1度、微笑みで応えた。

 泣きもせず微笑みもせず、怒っている者もいる。

『何という愚かな……貴方がここまで救い難い愚か者だとは思いませんでしたよ清春殿。太刀を握ったまま命乞いをしている相手を信じ、背を向けるとは』

 緋吹童子だった。

 彼はすでに、清春の中にはいない。外のどこかから、相変わらず姿は見せぬまま、厳しい言葉だけを浴びせて来る。

『人間という愚かな生き物の、最も度し難い部分を体現するような愚か者だ貴方は』

「そう愚か愚かと言うなよ……」

 清春は苦笑しながら、ふと奇妙な臭いを感じた。つんと鼻孔を刺す、濃密な草の臭い。

 丸彦が、ちょこんと地面に座り込んで、何かをしていた。

 棒にくくりつけていた荷物を広げ、その中から選び出した道具を使っている。

 擂り鉢と、擂り粉木だった。強烈な草の臭いは、そこから漂い出している。

 ごりごりと擂り粉木を回して、丸彦は何かを擂り潰していた。

「おお丸、あれを使うのかー」

「切り傷には、これが一番なのです」

 犬神の兄弟が、そんな会話をしている。

 清春は、おずおずと話しかけた。

「丸彦、それは……薬草、なのかな?」

「はい。犬神族の秘伝なのです」

 誇らしげに、丸彦が擂り粉木を掲げる。

 暗緑色の不気味な液体が、トローリと糸を引いた。

 周囲の死臭をも掻き消すほどの、毒々しい草の臭いが、強烈に漂う。

 清春は、後退りをした。

「き……気持ちだけもらっておくよ丸彦」

「丸の薬は効くぞー」

 逃げようとする清春を、白彦がガッチリと捕まえた。

「ちょっとだけ痛いけど大丈夫。ちょっとだけだからなー」

 犬神の少年の、細く見えて強靭な手が、裂けた狩衣を無理矢理に脱がす。

 清春の、貧弱な裸の上半身が、するりと露わになった。

 その背中にさっくりと刻まれた、細い傷口も。

 そこに丸彦が、とろりとした暗緑色のものを、小さな刷毛で丁寧に塗り付ける。

「…………!」

 声にならぬ悲鳴が、清春の喉の奥で詰まった。

 負傷そのものの痛みを遥かに上回る激痛が、傷口から染み込んで全身を走り抜けた。

「ち……ちょっとだけ、か? 白彦……」

「ちょっとだけさー」

 痙攣する清春の身体を、容赦なく押さえ付けながら、白彦がニコニコ笑っている。

「清春どのは、とっても我慢強いのです」

 暗緑色のとろみを、清春の傷口に丁寧に丁寧に塗り込みながら、丸彦が感心した。

「兄者なんて、飛び上がって泣いていたのです」

「なっ、泣いてなんかないぞー」

 自分はどうやら辛うじて泣いてはいないらしい、と清春は思った。

 自分がどんな顔をしているのかもわからなくなるほどの激痛が、傷口で、刷毛にくすぐられてコチョコチョと蠢いている。

 その痛みがようやく薄らいできたのは、丸彦が手際よく包帯を巻き付け始めてからだ。

「……死ぬかと思った……」

 清春は声を漏らした。

「良薬は口に苦し……身体にも痛し、といったところかな。ああ、ありがとう」

 丸彦が、清春の肩の辺りで包帯を結び止める。

 鉄マムシが、頭を掻いた。

「やれやれ……落ち着いたところで、あんた方の意見も聞かにゃなるめえなあ」

 言いつつ、見上げる。縛り上げられて荷車に積み上げられた、山賊たちを。

「この要らねえ大荷物を、どうするかってぇ話だが」

「鉄マムシ殿が御自ら手を下す……そんな事を、言っておられたな」

 清春は言った。

 丸彦が、続いて針と糸を取り出し、裂けた狩衣をちくちくと繕ってくれている。

 それをされるまま、清春は訊いた。

「それが、貴方がたの掟なのか?」

「まあ、そうだ。所帯が大きくなるとな、どうしても出て来ちまうのよ。俺の目が届かねえ所でバカをやらかす、こういう連中がな」

 傷跡の這う顔を険しく強張らせて、鉄マムシが山賊たちを睨む。

「見つけ次第、問答無用で取り締まる……そうしねえと、こういうバカが際限なく出て来ちまう」

「お、親分……死にたくねえよう……」

 山賊たちが、荷車上で重なったまま泣き声を漏らした。

「だ……だけど鉄マムシ親分に殺してもらえるんなら、我慢しますぜ俺ら……」

「だから駄目だよー、そんなの」

 白彦が、慌てて口を挟んでくる。

 この山賊たちを1人で叩きのめし捕えたのは、彼である。捕えた者たちの扱いに関し、何か言う権利くらいは大いにあるだろう。

「こっ殺すより、何か働かせて反省させればいいと思うなー。これだけ人数いれば、畑をいっぱい耕せるぞー。荷物だってたくさん運べるぞー」

「殺してしまったら、労働力の損失になるのです」

 ちくちくと器用に針を使いながら、丸彦も言う。

 鉄マムシが苦笑した。

「犬のお子様が、ずいぶんと難しい言葉を使うもんだ……ま、実際こいつらに襲われてた人たちが、そう言うんならなあ」

「では助命していただけるのか?」

 国司に引き渡して法の裁きに委ねる、という考えは、清春の頭からは綺麗に消え失せていた。

 今の軍勢を見ただけでも、下泉の国司が公正な法の裁きを行っているとは、とても思えないからだ。

 清春の言葉に、鉄マムシはしかし頷こうとしない。

「掟の例外を認めるとなると、俺の一存じゃなあ……羆谷の主だった連中にも、話通さなきゃならねえ」

 合議制、という事であろう。

 この山賊たちを助命するか処刑するか、鉄マムシ一党の幹部・重鎮といった人々が話し合って決めるというわけだ。

「となると……鬼遣いの旦那に犬神の旦那方、あんたたちにも来てもらわねえとな。羆谷に招待してえと思うが、どうだ?」

「なるほど。被害者である我々が彼らの助命嘆願をすれば、通るかも知れないな」

 襲って来た山賊たちが加害者で、襲われた清春たち一行が被害者。形としては、そうである。

 その山賊たちが縛り上げられ積まれている様を見上げ、清春は苦笑した。

「……これでは、どちらが被害者かわからないなあ」

 緋吹童子に話しかけたつもりだが、彼は何も応えない。

 口をきいてくれなくなってしまった。

 人間の何倍、何十倍もの年月を生きているくせに、すぐこんなふうに子供っぽく機嫌を悪くしてしまう。

 鬼とは、そういう生き物なのだ。



(汚らしいものを残しおって……)

 黒土麿(くろつちまろ)は、心の中で呟いた。

 まったく人間という生き物は、生きていても死体になっても汚らしい。

 ああいう汚らしいものを、焼き尽くして灰に変え、粉雪のように美しく舞い散らせる。

 炎の鬼神・緋吹童子の戦いとは、そうあるべきなのだ。

(なのにどうだ、あの様は)

 黒土麿は思い返した。薄汚い原形を残して焼け焦げた、焼死体の群れを。

 あんな無様なものが残ってしまう中途半端な火力しか、今の緋吹童子は発揮出来ずにいる。その原因は、わかっている。

 鬼遣いなどという、要らぬ媒体が存在しているからだ。

 鬼遣い。鬼と心を通わせる事が出来る……つもりになっている、小賢しい人間どもの事だ。

 あの者たちは鬼の力を、ほんの少しだけ、己の力として振るう事が出来る。

 そして、あのような醜い屍が残る中途半端な殺戮をして悦に入る。

 鬼が、こんな鬼遣いどもに与力する事で得られる恩恵など、何もない。

 にもかかわらず時折、現れるのだ。自ら望んで人間どもに力を貸し、己の意思で人間に使役される、酔狂な鬼が。

(何故だ緋吹童子……何故、自ら進んで人間どもの道具に成り下がろうとする?)

 黒土麿は、並びの良い白い牙をギリ……ッと噛み鳴らした。

 鬼遣いを通じて、間接的に力を行使する。

 そんな事をするから、あのような無様な屍が残ってしまうのだ。

 緋吹童子が自ら現れ、直接的に力を振るえば、焼死体など残りはしない。全てが、さらさらと灰になって粉雪の如く舞う。

 今の緋吹は、鬼遣いなどという余計な衣で、己の真の力を隠してしまっているのだ。

「裸になれ、緋吹童子……」

 鬼遣いに隠れて姿を見せぬ古き友に、黒土麿は語りかけていた。

「そして、美しい灰の吹雪を見せてくれ……」

 その声は、しかし今はまだ届かない。

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