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鬼神乱舞  作者: 小湊拓也
14/14

最終話

「緋吹どの」

 白彦が、弟を抱えたままニコニコと声をかけた。

「丸を助けてくれて、ありがとうなー。俺、緋吹どののためなら何でもやるぜー」

「も、もういいから下ろすのです兄者」

「……何でもするなどと、軽々しく口に出すものではありませんよ」

 言ってから緋吹は1つ、溜め息をついた。

「片付けなければならない問題は、あと1つ……貴方ですよ、松虫殿」

「まず郷のみんなに、ごめんなさいだろー」

 という白彦の言葉を無視して松虫が、ぼんやりと清春の方を向く。

「……満足か、お前……」

 虚ろな瞳に、灯火のような感情の光が宿り始める。

「僕に見せつけて……満足したのかよ、ええおい……?」

 憎しみの眼光だった。

 虚ろな目をされているよりは、ずっとましだ。清春は、そう思う事にした。

「私が貴方に……何を見せつけたと?」

「とぼけるな! 僕が、す……好きでもない鬼に、入られている間! お前は緋吹と、緋吹童子と!」

「……何だ貴様。俺に入られたのが、そんなに嫌か」

 血まみれの黒土麿が、むくりと起き上がって言った。

「お……親分!」

「鉄マムシの大将! い、生きてて下さったんスね?」

「死なねえ! 俺らの大親分が死ぬわけねえええええ!」

 喜び喚く山賊たちを、片手を上げて適当になだめつつ、黒土麿はさらに言う。

「式鬼を卒業出来ぬ鬼遣い殿に、多少なりとも本物の鬼の力を味見させてやったのではないか。おかげで俺の方は、えらく不便な思いをしたがな」

「ふざけるな! お前に、お前なんかに!」

 松虫は怒鳴ろうとして、泣き出していた。

「お前……なんかに……緋吹じゃない鬼なんかに、僕は……ッ」

 憎しみの眼光を燃やす瞳が、じわりと涙に沈んでゆく。

 ふと、奇妙な匂いを清春は感じた。

 鼻孔をくすぐる、濃密な草の匂い。

 丸彦が、擂り鉢と擂り粉木を使っていた。薬草と思われるものを、丁寧に潰して掻き回している。

 今やうっすらと傷跡が残っているだけの清春の背中で、激痛の記憶が少しだけ疼いた。

 今度の犠牲者は誰か。

 血まみれになっている黒土麿、以外には考えられない。

 その黒土麿が、思いきり手鼻をかんだ。大量の鼻血がビチャビチャッと、地面にぶちまけられる。

 緋吹童子が、形良い眉をしかめた。

 人前でこういう事を平気でするあたりが、緋吹に愛想を尽かされた原因の1つにはなっているのかも知れない。

 そんな自覚もない様子で、黒土麿が言う。

「やれやれ、貴公も俺と同じか松虫殿……緋吹童子に未練たらたら、なのだなあ」

 本気で哀れむ口調だった。

「だがまあ、見ての通りだ。緋吹童子は今や、こちらの葛城清春殿のもの……諦めるがいい。無論、俺は諦めんがな」

「……愚かな鬼を2匹も味方につけて御満悦だなあ葛城の若様! ええおい?」

 整った顔をくしゃくしゃに歪め、涙を飛散させながら、松虫は叫んだ。

「お前ら葛城一族は全部そうだ! 何もかも奪い取って、何1つ残してくれない! 僕から緋吹まで奪ったくせに、自分は他の葛城一族とは違う、みたいな顔してるんじゃないよバァーカ!」

「お前、いい加減にしろよー」

 白彦が、割って入って来た。

「清春の友達なのに、何でそんなに仲良く出来ないんだよー」

「犬は黙ってろ!」

 松虫の八つ当たりが、ついに白彦にまで向けられた。

「犬のくせに人間の言葉喋るな! 2本足で立つな! 四つん這いでゴミでも漁ってればいいんだよお前らなんかぁ!」

「そろそろ本当に……いい加減にしてもらおうか、松虫殿」

 清春は思わず、松虫の胸ぐらを掴んでいた。

「貴方の言動には、いろいろと許せないところがある……私の仲間を傷付けるのは、その最たるものだ」

「ゆ……許せなければ何だ、どうしようって言うんだよ」

 松虫が、虚勢を張った。

「殺すか? 僕を。構わないよ、やってみろ! 許せない奴を殺して黙らせてみろ葛城一族らしくうぅぅっ!」

「まあまあ」

 松虫の暴言に気を悪くした様子もなく、白彦がなだめに入る。

 とりあえず清春は、松虫の胸ぐらから手を離した。軽く、溜め息をつく。

 非力な自分が似合わない事をやったものだ、と思う。

 他人の身体に手を触れて怒るなど、清春にとっては生まれて初めての事だ。

「お前。清春が怒るなんて、よっぽどの事なんだぞー」

 暢気な口調で、白彦は説教をしている。

「まず、ごめんなさいを言わなきゃなー。清春に謝って、郷のみんなや鉄マムシどのにも謝って。何かいろいろ言いたい事言うのは、その後だぜー」

「黙れって言ってるんだ犬! 僕を謝らせたかったら殺せよ! 死体を折り曲げて土下座の姿勢でもさせればいいだろバァーカ!」

 松虫が、なおも喚いた。

「ごめんなさい、だあ? 誰が言うか、お前らなんかに! 葛城一族なんかに! 僕を見捨てた鬼なんかに! このゴミ溜めみたいな世の中の連中なんかに! どいつもこいつも僕の事なんか嫌いなんだろ? じゃ殺せばいいじゃないか! 死んでやるよ感謝しろバァカ! ほら早くしろ……」

「ばかーっ!」

 ついに怒りを爆発させながら、白彦が拳を振るった。

 松虫の細い身体がドグシャアッ! と宙を舞い、錐揉み回転をして大木にぶつかり、跳ね返って地面に激突し、大量の土を削って舞い上げた。

 そして、動かなくなった。

「死ねば悪い事していいってわけじゃないんだぞー!」

 動かぬ松虫に向かって、白彦は説教を叫んでいる。

「清春の友達なら頭いいだろ、なのに何でわかんないんだよー! 悪い事したら、死ぬとか殺せとか言う前にまずごめんなさい! 俺わかるぞ、お前生まれてから1回も言った事ないだろー! いくら頭良くたって凄い術使えたって、そんなんじゃ全然駄目」

「兄者兄者、もう聞こえていないのです」

 丸彦が、松虫の身体をつんつんと擂り粉木でつついている。

 死体のような様を晒す松虫が、ピクピクと微かに痙攣した。

 顔面は痛々しく腫れ上がり、しかも擦り傷だらけである。

「あ……お、おい! 大丈夫かー」

 怒っていた白彦が、心配そうに駆け寄ろうとする。

 それを緋吹が、首根っこを掴んで止めた。

「放っておきなさい。あのくらいで死にはしませんよ……少しでも気にかけてあげたが最後、際限なく図に乗って、下手をすると今度は私が殴らなければならなくなります」

「い、緋吹どのが殴ったら死ぬなー」

「おうよ、俺も危うく死にかけたところだ」

 などと言っている黒土麿に、丸彦がとてとてと寄って行った。暗緑色のネットリしたもので満たされた擂り鉢を抱えてだ。

「鉄マムシどの、傷のお手当を」

「おう、犬神の薬は効くと言うからな。まあ1つよろしく頼む」

 裂けた甲冑を、黒土麿は身体から剥ぎ取るように脱ぎ捨てた。

 がっしりと力強い上半身が、裸になった。緋吹よりも若干、筋肉が厚めであろうか。

 そのたくましい左肩から背中にかけてがザックリと裂け、どばどばと血が溢れ出している。鬼の肉体にとっては浅手だが、自分なら容易く死ねる傷だ、と清春は思った。

 その傷口に丸彦が、暗緑色のドロリとしたものを、刷毛でたっぷりと塗り付ける。

「…………ッ…………ッッ!」

 黒土麿が、悲鳴を噛み殺したようだ。

 傷跡の這う顔面が引きつり、上半身裸のたくましい身体が痙攣する。

 緋吹が、面白がるように声をかけた。

「……痛いのでしょう? 何か面白い悲鳴でも上げてみてはどうです」

「…………ふっ……痛い、だと? こんなものが……」

 黒土麿が無理矢理に笑っているのが、清春にはわかった。

「俺を、うっぐ……だ、誰だと思っている……千年もの長きに渡り、あらゆる戦いの痛みを知り尽くしてきた痛っ……悪鬼・黒土麿なるぞ痛ッ、こっこのようなもの痛みのうちになど入らな痛、痛い痛いちょっと待いたたたたた……うむっ痛くない、痛くない。痛くないと言っておろうがッ」

 暗緑色に染まった刷毛で傷口をくすぐられるまま、黒土麿が白い牙を食いしばる。その牙が、がちがちと震えている。

 蛇のような傷跡で凶悪に飾り立てられた顔を、ぽろぽろと涙がつたう。

「ふ……あ、あまりにも痛くなさ過ぎて泣けてくるわ……っっ!」

「……すげえぞ、鉄マムシの大親分を泣かすたぁ」

 山賊たちが、驚きながら声を潜める。

「恐ろしいお子様が、いたもんだ……」

「たっ大将、俺らに気兼ねする事ぁねえですぜ。痛かったら思いっきり泣いて下せえ」

「な……何をほざくかテメエらぁああああ!」

 泣きながら怒り出そうとする黒土麿の身体を、丸彦は手際良く包帯で縛り上げた。

「我慢なのです、鉄マムシどの」

 鬼の肩の辺りで包帯をキュッと縛って固定しながら、丸彦は言う。

「清春どのは、1滴の涙も流さず耐えておられたのです」

「なっ、何ぃ……うぬっ、あまり大きな顔をするなよ鬼遣いめが!」

 黒土麿が清春に対し、勝手に対抗意識を燃やしている。

 曖昧に苦笑を返してみるしかないまま清春は、松虫の方を見た。

「おおい丸、次はこっちだぜー」

 死体のようだった松虫の身体を、白彦が強引に引きずり起こしている。

 緋吹や黒土麿と比べてずっと華奢ではあるが、それでも脆弱な鬼遣いの体力では抗いようもなく強靭な少年犬神の腕に捕えられて、松虫は弱々しく身じろぎをした。

「な……何、するんだよォ……」

 腫れ上がり擦り傷だらけになった顔を涙に濡らし、松虫はそんな声を出している。

 その顔に丸彦が、暗緑色のとろみを刷毛で撫でるように塗り付けた。

「ッッ! ぎゃああああああああああああああああ!」

 悲痛極まる絶叫が、羆谷に響き渡った。

「いッ痛っひぎぃいいいいい! やめろ痛いやめろぉおーッ!」

 喚き暴れる松虫を、白彦が容赦なく押さえ付ける。

「ほらほら、ちょっと痛いだけだろー。泣いたって痛くなくなるわけじゃないぞー」

「こっこの犬ぎゃああああああ痛いイタイいたい、いたいよぉおおぉぉおぉおおっ!」

 腫れ上がりながら苦痛に歪み、滑稽なほど凄惨な有り様となっている松虫の顔に、丸彦は刷毛でピチャピチャと念入りになすり込む。鬼をも泣かせる、犬神族秘伝の傷薬を。

「涙で流れ落ちてはいけないので、少し多めに塗っておくのです」

「……鬼だ……鬼のような犬神どもだ」

 黒土麿が息を呑んでいる。

 まさに鬼の如く情け容赦なく白彦は、涙を散らせる松虫の頭をガッチリと掴んで押さえ固定した。

「丸の薬で、お前の性格も治るといいなー」

「殺せ! いっそ殺せぇえええええ!」

「……殺される時というのは、それよりもずっと痛いですよ。きっと」

 泣き叫ぶ松虫に、緋吹が溜め息混じりの声をかけた。

「私にはわかりますよ松虫殿。本当に殺されそうになったら貴方は絶対、同じように見苦しく泣き喚いて命乞いをするに決まっています。生きている時も死ぬ時も見苦しいのが、貴方という人間です……ならば、せいぜい見苦しく無様に生き続けてみてはどうですか」

「うっ……うぐぅ……ひっぐ……」

 何も応えられず松虫が、涙目で緋吹を睨む。

 1つ、清春は気付いた。

 老師・高野実光の下で10年間、松虫とは学びながら寝食を共にする日々を送ってきた。

 が、この兄弟子が泣いているところを見たのは、今日が初めてである。

 10年間、この松虫という少年は、虚勢を張りながら他人を見下し続けていた。

 虚勢の裏に何もかもを隠し、清春は無論、実光や緋吹にも、隠したものを見せまいとしてきたのだ。

 そんな松虫が今、ずっと隠していたものを、さらけ出している。

「えっぐ……ぅええ……いっ痛い……いたいよぅ……」

「バカな事やったら、またおんなじ目に遭うぞー。わかったかー?」

 言いながら白彦が、松虫の頭を優しく撫でてやっている。先程は握り拳にして思いきり叩き込んだ、その手でだ。

 この松虫という若者に本当に必要だったのは、本気で殴り飛ばしてくれる相手だったのかも知れない、と清春は思った。



 下泉は、国司不在の国となってしまった。

 外から見れば、逆賊・鉄マムシが国司・葛城隆芳を殺害した、という事になってしまうのだろうか。

 あんな国司でも一応は下泉国における秩序の中心であったから、いなくなれば当然、治安は不安定となる。

 鉄マムシの名を騙る二流三流の山賊団が今、下泉全土で村々を脅かしていた。

 そういった輩を、本物の鉄マムシ一党が討伐し、助けた村をついでに併合してしまう。そんな事が、ここ数日間続いた。

 いっそ黒土麿が新しい国司になってしまうべきだと思えるほど、鉄マムシ一味の勢力は今や飛躍的な拡大を遂げている。

 が、黒土麿本人には国司となって国を統治しようなどという気はないようであった。

「鬼なのだぞ、俺は」

 羆谷の郷を見下ろす丘と言うか高台に立ち、郷民の働く様を眺めながら、鉄マムシあるいは黒土麿が言う。

「役人などになって国を治めるよりも、山賊の頭領として大きな顔をしている方が、分相応というものだ」

「まあ確かに……興代朝廷が貴方の国司任官など、認めるわけがないからな」

 今や下泉国の実質的な支配者に等しい大山賊を相手に、そんな会話をしながら、清春も羆谷の郷を見下ろし、見渡した。

 建て直し中の家がちらほらと見られるものの、数日前の式鬼たちによる破壊からは、ほぼ完全に立ち直ったと言っていいだろう。

 主に農作業にいそしむ郷民に、白彦と松虫が混ざっていた。

「孫一郎どのの畑を手伝いに行くぞー」

「はっ離せ! 僕を引きずるな!」

 右肩に様々な農具を担いだ白彦が、左手で松虫を掴んだまま駆けている。駆けたくない気満々の松虫が、しかし腕力でも脚力でも抵抗出来ず、ずるずると引きずられていた。

「何で僕が! 野良仕事なんかやらなきゃいけないんだよっ!」

「お前、悪い事したんだから働かなきゃ駄目なんだぞー」

 悪事は労働で償わせる、という思想が、どうやら犬神族にはあるようだ。

「あの2人、昨日は馬糞にまみれながら馬小屋の掃除をしてくれてなあ」

 引きずり引きずられて行く白彦と松虫を、目を細めて見やりながら、黒土麿が言う。

「正直、助かっている。何をさせても死んでしまいそうな松虫殿を、強制労働に駆り出す役目、白彦殿が嬉々として引き受けてくれているのでな」

 羆谷の主だった人々によって松虫は正式に裁かれ、強制労働の罰を与えられた。

 郷民から1人でも死者が出ていたら、この程度では済まなかっただろう。

 清春は、黒土麿に向かって頭を下げた。

「……松虫を殺さずにおいてくれた事、感謝する」

「別に、殺したくなるほどの事をされたわけではないのでな」

 黒土麿が、嘲笑うように応えた。

「俺が本気で殺意を抱くような事を、何か出来れば大したものだが」

 蛇のような傷跡をニヤリと歪めつつ、黒土麿がこちらを向く。口元でにこやかに牙を剥き、笑っていない目で清春を睨む。

「俺が殺意を燃やしているのは貴公に対してだよ、葛城清春殿……貴様を叩き殺しただけで緋吹童子が俺のもとへ戻って来てくれるなら、今すぐにでも、そうするところなのだがなあ」

「わ……私は今、黒土麿殿の、いつ消し飛んでしまうかわからない自制心によって生かされているというわけだな」

 清春は1つ咳払いをしてから、強引に話題を変えた。

「そ、そんな事より黒土麿殿。お怪我の具合は」

「もう傷跡も残っておらんよ。小さな犬神殿の薬が、実によく効いてなあ」

 たくましい左腕をぶんぶんと振り回して、黒土麿は回復を誇示した。

「ただ、まあ正直に言うが……あの痛みだけは、もう勘弁願いたいところだな」

「私も味わったよ、あの痛みは」

「まさに地獄の痛みよ。あれは、そう……緋吹童子に押し倒され、初めて貫かれた時の、あの激痛に勝るとも劣らぬ」

 言い終わらぬうちに黒土麿は、横合いからドグシャアッ! と蹴り飛ばされて鼻血を噴き、高台から転げ落ちて行った。

「……今度は炎の剣を突き刺してあげましょうか?」

 蹴り上げた右足をゆったり着地させながら緋吹は、転げ落ちた黒土麿に言葉を投げた。

「清春殿、あまり黒土麿と2人きりになりませんように。あの男はケダモノですから……襲われてしまいますよ?」

「どうかな……黒土麿殿は緋吹童子一筋で、私なんか眼中にないようだが」

 応えつつ清春は、ちらりと視線を動かした。

 緋吹と一緒に、丸彦もいた。

「緋吹どのに、薬草採りを手伝っていただいたのです」

 様々な草葉や茸を満載した手籠を、丸彦が高々と掲げて見せる。

「ちょうどいいな。黒土麿殿が、また怪我をなされた。薬を作ってあげるといい」

「そ……それは勘弁願いたいと言ったはずだ」

 黒土麿が、高台の下から這い上がって来た。

「鉄マムシどの……大丈夫なのですか?」

「おう丸彦殿。今度はもう少し痛みのない薬と……あと、一服盛って緋吹童子を落とせるような薬は作れまいか」

「び、媚薬の作り方は習っていないのです」

「……清春殿、いつまでこのような所にいるのですか」

 ぎらりと黒土麿を睨み、緋吹は言った。

「この男が大きな顔をしている場所になど、私は長居したくないのですがねえ」

「そう言わずに、ここで暮らしてはどうだ緋吹童子。俺と一緒に」

 黒土麿が不気味なほど優しい声を出す。

「こちらの清春殿や犬神殿たちにも……俺たちの仲を、祝福してもらおうではないか。なあ?」

「鉄マムシ殿が御迷惑でなければ、もう少しここにいるべきだと思う」

 黒土麿の世迷い言を無視して、清春は言った。

「結果として1人、国司を死なせてしまったからな。鉄マムシ一党は興代朝廷に、逆賊として認定されてしまったはずだ。この羆谷に、大規模な討伐軍が差し向けられて来るかも知れない……国司殿の死に関わってしまった以上、私たちも知らん顔をするわけにはいかないだろう」

 それを理由に、皆でこの羆谷に住み着いてしまうのも悪くはないか。

 松虫が白彦に引きずられて行く様を見ていると、清春はそんな気分にもなってくる。

「見ろよ緋吹……松虫が、老師のもとにいた頃よりも元気になっていると思わないか」

「……私には、仔犬の遊び道具にされているようにしか見えませんが」

 緋吹は言った。

「まあ……今まで他人と一緒に遊んだ事もなかった松虫殿ですからね。誰かに遊ばれるというのも、悪くない経験かも知れません」

「あんなふうに兄者と付き合っていたら、毎日傷だらけなのです。お薬をたくさん作っておかないと」

「それは……地獄であるなあ」

 黒土麿が、重々しい声を漏らす。

 この鬼と緋吹童子との間に過去、どのような関係があったのか。

 それを思うと胸の奥で、痛みのようなものが微かに疼いてしまう。

 そんな自分を、清春は恥じた。

(私が生まれる、ずっと前の話だぞ……)

 人間の寿命よりも遥かに長い年月を生き、様々な相手と、様々な関係を、絆を、作り上げては失ってゆく。

 清春と緋吹の間に今あるものも、そんな一時の儚い絆でしかないのだろう。

 鬼とは、そういう生き物なのだ。


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