第10話
右手で炎の剣を振るいつつ、緋吹は左足を跳ね上げていた。
荒々しい蹴りが、牛頭の1匹を粉砕する。粉砕された肉塊が、臓物を空中に垂れ流しながら吹っ飛んで行く。
そして、ちぎれた紙片に変わる。
早くも怯み始めた牛頭たちを蹴散らして、馬頭が3匹、大型の槍を構えて3方向から突進して来た。
うち最も足の速い1匹に向かって緋吹は踏み込み、炎の剣を右上から左下へと振り下ろした。
馬頭の身体が鎧もろとも斜め真っ二つになり、焦げて砕けて灰と化す。
緋吹は振り向きながら、炎の剣を横薙ぎに一閃させた。その一閃に合わせて、炎が剣の形を崩して巨大化し、紅蓮の大蛇となった。
槍を突き込んで来た2匹の馬頭が、炎の大蛇に薙ぎ払われ、灰になって舞う。
「清春殿、そこを動かれませんように!」
緋吹の声に合わせて、炎の大蛇がゴォッ! と伸びて清春の周囲をうねり泳いだ。
緋吹を避けて清春に群がろうとしていた牛頭数匹が、一瞬にして焼け砕けた。灰が、粉雪の如く散った。
「それでいい……美しい灰の吹雪を、もっと見せろ」
そんな事を言いながら黒土麿は、異形の式鬼と化した葛城隆芳と対峙している。
「炎の鬼神・緋吹童子……その紅蓮の舞いが、俺に力を与えてくれるっ」
抜き身の太刀を構え、黒土麿の方から斬り掛かって行った。
下泉守隆芳が、ぶよぶよした腕を振り上げて迎え撃つ。
「鉄マムシ……ぃぃいいいいい」
振り上がった腕の先端は、五指ではない。鋭利な、刃物だった。
爪、と言うよりも露出した骨が鋭く凶器化し、蟷螂を思わせる鎌となっている。
その鎌が、黒土麿の太刀とぶつかり合う。
甲高い金属音が響き渡り、キラ……ッと光を放つものが宙を舞った。そして落下し、地面に突き刺さる。
黒土麿の太刀、その折れた刀身だった。
「ほう……」
半分ほどの長さになってしまった太刀を掲げて見つめ、感嘆の声を漏らす黒土麿。
そこへ下泉守が、鎌状の両手で猛然と斬り掛かる。おぞましく肥え太った巨体に似合わぬ速度ではある。
左右交互に一閃した鎌は、しかし豪快に空振りをしていた。
黒土麿は、かわしながら踏み込んでいた。
下泉守の巨体がズンッ! と重く音を響かせて、へし曲がる。
でっぷりと弛んだ腹に、黒土麿の左拳が叩き込まれたところである。
式鬼と化した国司が、大口からゴボッと体液を吐き、苦しげな呻きを漏らす。
「てッ……つ……まむしぃ……ぃいい」
「葛城隆芳殿……俺が貴公と敵対していたのはな、人間という生き物を見て知るためだ。この郷の者どもだけではない。貴殿の事も、ようく見て学ばせてもらったとも。人間というものをな」
下泉守の巨大な肥満体が、激しく凹み、汚らしい体液の飛沫を散らせた。
黒土麿の長い右足が、思いきり打ち込まれていた。まるで、鉄の棒で殴りつけるような蹴りである。
ドシャアッと重々しく倒れた下泉守の巨体から、寄生虫のようなものが3本、高速で伸びた。先端で口を開いて牙を剥く、3本の触手。
襲いかかって来たそれらを、黒土麿は左手で無造作に打ち払った。3本の触手が、潰れてちぎれた。
「いやはや実に、勉強になった……」
左手に付着した肉片と体液をビチャッと振り落としながら、黒土麿が笑う。蛇のような傷跡が、禍々しく歪んだ。
「な……何やってんだよ国司殿……」
松虫が怯え、後退りをしている。
「僕が力を与えてやったんだぞ、なのに何だその様は……や、やっぱり葛城一族だな、全然使えない! 何の役にも立たない! 威張りくさって搾取するしか能のない奴ら!」
「いい加減にしなさい松虫殿。貴方はね、喧嘩を売る相手を間違えてしまったのですよ。式鬼しか遣えない鬼遣いが、よりによって黒土麿に戦いを挑むなど……」
左右から襲い来る牛頭2、3匹を炎の斬撃で焼き砕きながら、緋吹が溜め息混じりに言う。
「この緋吹童子が炎を遣うように、黒土麿は……その名の如く、大地そのものを己の本領とする鬼。斬り合いであろうが殴り合いであろうが、地を踏み締めての戦いで黒土麿に勝てる者などいませんよ。私でも無理です。間合いを詰めての戦いで黒土麿を打ち負かすのはね」
「何をぬかす緋吹童子。俺ごときの力では……お前の炎には、勝てんよ」
言葉を返しながら黒土麿は、折れた太刀を地面に突き刺した。
長さが半分ほどになってしまった刀身が、グサリと地中に埋まる。
「この黒土麿、確かに大地そのものを味方につけておる。地より生ずるもの……すなわち鉄を」
ゆっくりと、黒土麿は太刀を地面から引き抜いた。
優美な反り身の刃が、土の中から現れてキラリと光を放つ。
折られた刀身が、再生していた。
「このように地中から、いくらでも補う事が出来る……まあその程度だ、俺の力など。お前の炎には勝てんさ」
修復を終えた太刀をゆらりと構えつつ、黒土麿は緋吹に、熱くぎらつく視線を向けた。
「身も心も灼き尽くす、緋吹童子の炎に……勝てる者など在りはせん」
欲望の、眼差しだった。
清春は無言で緋吹の前に立ち、その熱い欲望の視線を遮った。
こんな眼差しを、緋吹に向けさせておくわけにはいかない。
「ほう、貴様……」
黒土麿が、ぎらりと眼光を強めた。
清春の薄っぺらな細身など、容易く貫通してしまいそうな眼光だ。
目を逸らさずにいるのが、清春は精一杯だった。
幸いに、と言うべきか、睨み合っている場合ではなくなった。
下泉守隆芳が、のたのたと起き上がって来たのである。
「鉄マムシぃいい……ここ殺す……いやすぐには殺さぬ、ててて手足を斬る、這わせて尻から裂く……はらわた、引きずり出すぅううう……」
憎悪の呻きと共に、その巨体のあちこちから大腸のような触手が溢れ出し、うねって蠢いた。
それら触手と両手の鎌を凶暴に振りかざし、下泉守は地響きを立てて突進を開始した。憎悪の呻きの内容を、実行するために。
「ふん、なかなかに勇壮なる事を言われるもの……」
黒土麿の方からも、踏み込んで行った。
そして太刀を一閃させる。
清春の目に見えたのは、その微かな光だけだった。
下泉守の巨体が、頭頂から股間まで斬り下ろされて真っ二つになり、ゆっくりと左右に倒れる。断面で、臓物か筋肉かよくわからぬ内容物がおぞましく蠢く。
「まあ……そういうわけだ松虫殿」
青ざめ固まった松虫に声をかけながら、黒土麿は太刀を鞘に収めた。
とりあえず松虫を、斬り殺すつもりはないようだ。
「式鬼しか遣えない鬼遣いが、本物の鬼に喧嘩を売る……それが一体どういう事なのか、少しはおわかりいただけたと思う」
「ひ……ぃ……」
黒土麿に一歩寄られて、松虫は二歩退いた。
「さ、山賊もどきの鬼め……ぼ、ぼぼ僕を、どうするつもりだ……」
「さて……どうして欲しい?」
「あ……わわ……たっ助けろよ緋吹童子! 何やってる!」
命乞いもせずに松虫は、泣きそうな声で叫んだ。
「高野実光の一番弟子たるこの僕が、危険な目に遭っているんだぞ? お前が助けなくてどうするんだよ緋吹! ほ、ほら早く、このふざけた山賊鬼を何とかしろ! 僕に近付けるな! 倒せ! 殺せ! 言われなくてもやれよそれくらい!」
「……残念ながら私は今、忙しいのですよ」
清春に襲いかかって来た馬頭が2匹、牛頭が4匹、炎の大蛇に薙ぎ払われ、吹っ飛んで灰に変わる。
うねる紅蓮の蛇を、まっすぐな剣の形に固定し、振りかざしながら、緋吹は言い放つ。
「命乞いをなさい、松虫殿。誠心誠意、黒土麿に謝罪するのです。残虐凶猛なる悪鬼・黒土麿に対してとは言え……不当な攻撃を仕掛けて来たのは、松虫殿の方なのですからね」
「なぁに、謝る必要はないさ。俺は別に、怒ってはおらんのだからな」
背を向けて逃げようとする松虫を、黒土麿は左手で捕まえ、引きずり寄せた。人ではなく物を扱うかのように。
またしても自分が助命嘆願をするしかないのか、と清春は思った。
だが松虫は、1度は見逃してくれた鉄マムシの温情を裏切って、こうして再び愚かな攻撃を仕掛けて来たのだ。もはや助命嘆願や命乞いなど、許されないのではないか。
「はっ放せ、放せよぉ……」
松虫の細い身体が、黒土麿の力強い左腕でガッチリ捕えられたまま、弱々しくもがいている。
その非力な抵抗を楽しむかのように黒土麿は、松虫の耳元で囁いた。囁きだが、清春の方まで良く通る声だ。
「俺が少し力を入れただけで潰れてちぎれる、この脆弱さ。救い難いほど腐れて歪んだ、この心根。なるほど人間とは、見ていて興味深いものではある。が……緋吹童子よ、あえてもう1度問う。いや何度でも訊く。このような者どもに何故、仕えようとする? 我ら鬼族が仕えてやるだけの価値を貴様は一体、この人間どもの、どこに見出したのだ?」
「貴方ごときに、わかりはしませんよ!」
炎の剣で牛頭2体を焼き払い、左足で馬頭1体をグシャッと蹴りちぎりながら、緋吹は返答を叫んだ。
「松虫殿お1人を虐めてみただけで鬼遣いを、人間という種族を、全て理解したような気になっている貴方にはね!」
「ふむ、そうか……ではそちらの清春殿も、少しばかり虐めてみるとしよう」
松虫を捕らえる腕の力を、黒土麿はグッ……と少しだけ強めたようである。が、それはどうやら松虫を殺すためではなかった。
「虐めて、追い込んでみるとしよう。追い込めば本性が見える……見せてくれ清春殿、人間というものの本性を、真価を」
「あ……あぁ……」
松虫の、整っていながらも歪んだ顔が、さらなる恐怖で青ざめ引きつった。
「お前、何をする気だ……や、やめろ……やめろよぉ……」
「ふふ……そうか、初めてか」
松虫の耳元で黒土麿が、ぞっとするほど優しい声を出している。
「そう恐がる事はない。鬼を遣えぬ鬼遣い殿に、本物の鬼を遣わせて差し上げようと言うのだ……式鬼などとは比べ物にならぬ、力の快楽に溺れてみるがいい」
「やめろ……入って来るな……ぁ……」
松虫の声から、表情から、なけなしの虚勢が失われてゆく。
「嫌だ……嫌っ……いやだよぉ……」
松虫は、涙を流していた。
「助けろ……助けてよ、緋吹……」
「松虫殿……!」
清春を取り囲もうとする牛頭が、馬頭が、緋吹によって片っ端から灼き斬られて灰に変わり、蹴り砕かれて紙片に戻る。
自分のせいで緋吹は松虫を助けに行けないのだ、と清春は思った。
「助けて……緋吹……」
松虫が、消え入りそうな声を漏らす。
涙に沈んだその瞳から、光が失せてゆく。
「いやだ……緋吹以外の鬼なんて……いやだよぉ……」
「松虫殿!」
牛頭の最後の3匹と馬頭の最後の1匹が、全て灰と化して舞い散った。
それを蹴散らし、松虫の方へ向かおうとする緋吹だったが、黒土麿の姿はすでにない。
松虫1人が、ふらりと立ち尽くしている。
「ぬ……これは、何とも……思っていた以上の、弱々しさよ」
ふらふらと左右によろめきながら、松虫が言う。が、それは黒土麿の声だった。
光の失せた双眸に、新たな光が宿ってギラギラと凶暴に輝いている。
黒土麿の、眼光だった。
「……何のつもりですか、黒土麿」
炎の剣を構えたまま斬り掛かる事も出来ず、緋吹が呻く。
黒土麿が、松虫の口で答える。
「貴様の真似をしてみただけだ……俺も、鬼遣いという衣をまとってみる事にする。貴様が人間の鬼遣いになど仕えている理由が、少しはわかるのではないかと思ってな」
「それは、私もぜひ知りたいところではある」
清春は言った。
「……が、黒土麿殿がそんな事をなさったところで、わかるとは思えないな。馬鹿な事はやめて、松虫を解放してやってはくれないか」
「貴様の手で解放してみろ、葛城清春」
松虫の右手が、いつの間にか黒土麿の太刀を握っている。
鬼の武器など持ち上げられるはずもない細腕が、しかし軽々と太刀を構えて切っ先を清春に向けた。
「貴様が、この松虫というクズをどのように助けるのか……そもそも本当に助けるのか、あるいは口だけの助命嘆願で人道主義者面をしているだけなのか。俺が、確かめてやる」
鬼の力で振るわれる大型の太刀に押し潰されてしまいそうな細身が、こちらにユラリと倒れかかるような形で、踏み込んで来た。
「貴様がどういう人間であるのか、俺が確かめてやる……!」




