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鬼神乱舞  作者: 小湊拓也
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第1話

 小柄な身体が、空中で丸まって回転した。

 ふっさりと豊かな尻尾が、車輪状に弧を描く。

 実に鮮やかな宙返りだ、と清春が感心している間に、白彦は着地していた。群れる山賊たちの、まっただ中にだ。

 その山賊たちが、槍や太刀を振りかざしながら、次々と倒れてゆく。

 微かな血飛沫が、宙に散る。

 白彦の、拳、肘。手刀。蹴り。

 清春(きよはる)の動体視力で、はっきり捉えられる動きではなかった。

 確か、15歳になっているはずだ。

 犬神(いぬがみ)は人間と比べて、いくらか小柄な者が多いから、白彦(しろひこ)がとりたてて小さいというわけではないだろう。

 とにかく小柄で敏捷な身体に、水干(すいかん)のような白い衣服を着用している。

 袴の尻の部分から現れた尻尾は、ふさふさと太く豊かだ。

 頭には獣の両耳が、黒髪をピンと跳ねのけて立っている。

 尻尾と耳。犬神の、証である。

 整ってはいるが、どこか間抜けそうな顔が、人間の山賊たちをきょろきょろと気遣わしげに見回した。

「……このくらいにしといた方がいいぞー。怪我するぞー」

「も……もうしてるっつーの……」

 倒れた山賊の1人が、辛うじて聞き取れる声を発する。

 一方、元気な山賊たちも、まだ大勢いる。

 ざっと数えて10と数名。こちらに向かって、じりじりと包囲の輪を狭めつつある。

「このっ……クソガキども……っ!」

「おとなしく有り金出してりゃあ、命だきゃあ助けてやったのによぉ……!」

 口々に、うろたえ気味な脅し文句を吐きながらだ。

 大八嶋(おおやしま)下泉国(しもずみのくに)。山林の、少しばかり開けた場所である。

 そろそろ昼飯にしようかという時に、清春たち3人は、この山を根城にしているらしい山賊団の襲撃を受けていた。

 葛城清春(かつらぎのきよはる)。18歳。

 白彦と比べ、やや上背はあるものの痩せぎすで、色あせた狩衣(かりぎぬ)が、実に貧乏臭く似合っている。見るからに弱々しい顔つきは、美形と言えなくもない。

 外見はこうして、いささかみすぼらしくとも、一応は貴族である。

 それも摂関家たる葛城(かつらぎ)一族の、割と本家に近い家柄の若君なのだ。

 今は家出同然の旅の途中で、白彦と一緒に、こうして山賊たちの包囲を受けている。

 その包囲の輪の中には、もう1人、清春の旅の同行者がいた。

 石で竃を組んで火を燃やし、鍋を載せ、何かを煮込んでいる。

「さてと、もうすぐ出来るのです」

 周囲の山賊たちなど全く視界に入っていない様子で柄杓を持ち、鍋の中身を掻き回しているのは、白彦をそのまま小さくしたような男の子だった。

 獣の耳をピンと立て、ふっさりと尻尾を揺らす、まさに仔犬のような少年である。

 白彦の弟、丸彦(まるひこ)だ。年齢は8歳、だが15歳の兄には全く出来ない料理が出来る。

 この犬神の兄弟と清春が出会ったのは、1年ほど前だ。

 劇的な出会いがあったわけでもなく、気が付いたら、何となく一緒に旅をしていた。

 くつくつと、鍋の中身が良い音を立てている。美味そうな匂いが、漂った。

 それに引き寄せられるかの如く、山賊たちが群がって来る。太刀や鉞を振りかざし、白彦に襲いかかる。

「こぉの犬ッコロ! 俺らがテメーを鍋で煮てやるぁあああ!」

「はっはっは、俺は不味いぞー」

 呑気に笑いながら白彦が、ぴょこんと跳ねた。飛び蹴りだった。

 蹴り飛ばされた山賊の1人が、後続の2、3人を巻き込んで、派手に倒れる。

「兄者の頭には虫が湧いているから、食べない方がいいのです」

 そんな事を言いながら丸彦が、何やら香りのする草だか葉っぱを、小さな擂り鉢で潰して掻き回している。仕上げの薬味、であろうか。

 その間、白彦は空中から山賊たちを蹴りつけ、くるくると軽やかに跳躍し続けていた。

 軽やかに見えるその蹴りが、しかし山賊たちの顔面を、的確に痛烈に直撃する。

 ふわふわと楽しげに跳ぶ、犬神の少年。

 その足元で山賊たちが、鼻血の飛沫を散らせながら、ことごとく倒れてゆく。

『……我々の出番は、なさそうですな』

 清春に、声をかけてくる者がいる。

 この場で姿を見せているのは、山賊たち以外には、葛城清春と白彦・丸彦だけである。

 が、もう1人は確かにいるのだ。

 4人目の、旅の仲間。姿を見せていないだけで、存在はしている。

 鬼とは、そういう生き物なのだ。

「我々の、と言うより君の出番だろう」

 姿なき何者かに、清春は言葉を返した。

「どんな時でも、私に出番などあるわけはないさ……ただ君に命令をする。私に出来るのは、それだけなのだからな」

『貴方の命令だからこそ、私は聞いて差し上げているのですよ。矮小で脆弱で心根も卑しい、貴方がた人間に……命令者が葛城清春殿であるからこそ、私は仕方なく従ってあげているのです』

 姿なき鬼が、笑ったようだ。嘲笑だろう、と清春は思った。

『それが、貴方の存在価値です。あまり御自分を卑下するのはおやめなさい』

「私の価値……か」

 鬼遣(おにつか)い、と呼ばれている。

 その名の通り、鬼という生き物を使役する技能者である。

 それが、興代(おきしろ)の都に1人いた。老人だった。

 名を、高野実光(こうやのさねみつ)という。

 彼に、幼き日の葛城清春は弟子入りした。

 10年後、実光(さねみつ)老師は死んだ。

 彼の遣っていた鬼を、清春がこうして譲り受けたわけである。

 山賊の最後の1人が、白彦に蹴り飛ばされて大木に激突し、ずり落ちた。

 もはや動いている者はいない。皆、地面に倒れ、あるいは木にもたれかかったまま、苦痛の呻きを漏らしている。

 1人も死んではいない。が、骨の1本くらいは折れている者がいるかも知れなかった。

 自分が叩きのめした山賊たちの、そんな様を見回しつつ、白彦が心配そうな声を出す。

「……ちょっと、やり過ぎちまったかなー」

「まあ仕方ないさ。しばらく、痛がりながら反省する事だ」

 呻く山賊たちに、清春は声をかけた。

 この辺りで山賊をやっている。という事は、恐らくは羆谷(ひぐまだに)を根城とする「鉄マムシ」の傘下であろう。

 いわゆる義賊として名高い大山賊である。ここまでの旅の道中、清春も何度かその名を耳にしたものだ。

 鉄マムシと呼ばれる1人の豪傑を頭目とする山賊団で、ここ下泉国のみならず隣国の上泉(こうずみ)にまで勢力を及ぼしているらしい。

 重税に苦しむ農民たちを村ごと糾合するやり方で、着々と巨大化しつつあるという。

 本拠地は、ここからそう遠くない羆谷という渓谷地帯だ。

 権力者と結託しているような金持ちだけを襲い、貧しい者と弱い者には一切手を出さない。それが鉄マムシ一味の掟……という話ではあるが。

 鉄マムシ本人の志はともかく、末端の山賊どもとなれば、こうして少人数の旅人を襲ったりもする。義賊を気取っていても、まあそんなものだ。

「……君たちは、名高い鉄マムシの一党に属する者たちか?」

 清春が訊くと、山賊たちは痛みに呻きながら、俯いた。

 鉄マムシの名を汚している、という後ろめたい自覚が、少しはあるのかも知れない。

 清春は、さらに言った。

「有り金出せば命までは取らない、などと言っていたな? だが今の御時世、一文無しで放り出されれば大抵の場合は野垂れ死にをする。そこまで考えて物を言っているのか」

「うっぐ……な、何もんだテメエら……」

 比較的、軽傷な山賊が、それでも立ち上がる事は出来ずに声を漏らす。

「た、たった1匹で俺らをブチのめすたぁ……バケモンか、そこの犬ッコロぁ」

「はっはっは。俺なんかより緋吹(いぶき)どのの方が全然強いぞー」

『ふん……犬と比べられても、ね』

 姿なき鬼……緋吹童子(いぶきどうじ)が、露骨に嘲る。

 白彦は、全く気分を害した様子もなく、笑っている。

 なので代わりに、清春がたしなめた。

「……君は私なんかよりずっと年上のくせに、どうしてそう口のきき方というものを知らないのか」

『犬神を犬と呼ぶのが、それほど無礼な事ですか?』

 変わらぬ口調で、緋吹は言った。

『そもそも犬というのは悪口ではありませんよ。犬は、貴方がた人間よりも、ずっと高潔な生き物なのですからね』

「……わかっているさ。偉そうに言われるまでもなく、そんな事は」

 人間、鬼、犬神。

 ここ大八嶋において、霊長とも言うべき地位にある、3種の生き物である。

 人間に言わせれば、鬼が最も悪しきもの、という事になる。

 鬼族を邪悪なる妖かしと決めつける、都の人間たちの心根に、清春はしかし鬼よりもおぞましいものを見出した。おぞましい心根を、幼い頃より見せつけられてきた。

 耐えきれず、都を出た。緋吹童子1人を伴ってだ。

 思い返しつつ、清春は呟いた。

「わかっているさ。人間など本当に……犬畜生にも劣る存在だという事くらいはね」

『……否、1つだけありました。人間が犬畜生よりも優れている点が、ただ1つだけ……ね』

 緋吹童子が、清春の細い肩に、ぽん……と片手を置いた。清春は、そう感じた。

 無論、置かれた片手など見えない。緋吹童子の姿は、どこにもない。

 だが間違いなく彼は今、清春の肩を軽く叩いたのだ。

 鬼とは、そういう生き物なのである。

 緋吹は続いて、清春の耳元で囁いた。囁かれた、と清春は感じた。

『犬よりも猫よりも、牛や馬よりも人間の方が……美味なのですよ』

「……言っておくが、私の身体には見ての通り、食べる所などほとんどないぞ」

『まったくねえ。貴方はもう少し、肉をお付けになった方が良い』

「緋吹どののおっしゃる通りなのです」

 丸彦が、鍋の中身を椀によそって差し出してきた。

「清春どのは、普段からもっとたくさんお食べにならないと。緋吹どのも、よろしければ御一緒に」

『……いりませんよ。出番がなかったので、腹は減っていません』

 素っ気ない口調と共に、緋吹の気配が離れて行く。

 丸彦も、しつこく勧めようとはしない。

 人間の若者と犬神の兄弟、計3人で鍋を囲んでの食事が始まった。

 野草や茸の、汁物である。

 清春は椀を口に付けて傾け、少しかき込んでみた。

 温かな味が口いっぱいに広がり、仄かな香りが鼻の方へと抜けて行く。

 雑草にしか見えない粗末な食材が、丸彦の手にかかると、とてつもなく豊かな料理となるのだった。

「……つくづく思うよ、旅に出て良かったと。都で暮らしていた時よりも、良い物を食べられる」

「丸は、ほんとに料理が上手いなー」

 白彦が嬉しそうに、2杯目を己の椀に汲み取っている。

 誉められても、丸彦はあまり嬉しそうではない。

「こんなものばかりではなく清春どのには、もっとお肉を食べていただきたいのです」

「そうだなー。清春は、もうちょっと太った方がいいぞー」

 緋吹と同じような事を、白彦が言う。

 この犬神2人と出会ってから、ほとんど銭を使わず食べ物が手に入るようになった。

 白彦は、狩りで獣を獲る事が出来る。

 丸彦は、食べられる草葉や茸を、どこからでも採り集めて来て料理する。

 清春は今や、この兄弟に食わせてもらっているようなものだ。

「俺もそろそろ肉食べたいなー、肉肉肉肉っ」

「兄者はしばらく、お肉禁止なのです。2週間くらい」

「ええっ、何でだよー!」

「そもそも今日こんな草や茸ばかりなのは。あんなに作っておいた干し肉を、誰かさんが全部食べてしまったからなのです」

「はっ、反省してるよー」

「まあまあ、いいじゃないか。何だかんだで白彦が1番、身体を動かしているのだから」

 言いつつ清春は思う。最も身体を動かしていないのが、自分であると。

「本当に、人間というのは……鬼や犬神と比べて、何も出来ない生き物だなぁ。特に私なんかは」

『はい、そこまで』

 緋吹童子が、どこからか声をかけてきた。

『貴方が御自分を卑下し始めると、きりがなくなる。やめておきなさい』

「清春どのは、ぼくたちの大恩人なのです」

 丸彦が、続いて白彦が言った。

「俺、あの恩は一生忘れないぜー」

「あんなもの……君たちにとって、何の助けになったと言うのか」

 清春は思い返した。

 この兄弟と初めて出会った時。白彦が体調を崩して行き倒れており、丸彦が途方に暮れていた。

 たまたま通りがかった清春が、看病の真似事をしてやった。

 それだけ、である。

「だいたい、あれは兄者が悪いのです。ぼくが絶対食べるなと言った茸を、言ってる傍からむしゃむしゃと」

「あ、あんまり美味そうだったからなー」

「兄者みたいなのがいるから人間の方々に、犬神は意地汚いとか食い意地張ってるとか言われてしまうのです」

 弟に小言を言われながら白彦は、すでに3杯目を口にしている。

『……この犬たちも同じですよ。おわかりですか、清春殿』

 囁くように、緋吹が言う。

『2匹とも、葛城清春という1人の人間に、少なくとも己の意思でついて行く程度の価値は見出しているという事です。私も同じですよ? 矮小でくだらぬ人間どもの中でも、特に矮小なる貴方に、己の意思で仕えて差し上げているのです。この緋吹童子がね……もっと自信をお持ちなさい』

「……君は私を、励ましているのか蔑んでいるのか」

 両方かも知れない、と清春は思った。

 鬼とは、そういう生き物なのだ。

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