五、招かれざる者 15
「狙いは、俺か?」
宗次郎は距離をとる為にベンチの前で後ろに飛び退いた。
その額をすっと一つ汗が滴り落ちる。それは陽光のせいではないようだ。その証拠に背中にも汗ではない何かがすっと降りる。
その宗次郎の耳に届けられるのはのどかな公園の物音だ。遊びに夢中になる甲高い子どもの声。エサをついばまんと集まる鳩の羽音。風に揺れる木々の葉の鳴る音。もっと耳を澄ませれば恋人達の甘い語らいの声も聞こえるかもしれない。
「……」
そんな日常の風景の中、そこだけは緊迫の一角を作り出し二人は無言でしばし対峙する。
「ぞくっとするね……」
先に口を開いたのは宗次郎。無言で立つ防寒具尽くめの敵相手に、宗次郎はジリッと更に後ろに半歩引きながら一人呟いた。
「……」
相手は応えない。
「あんたもアレか? ぞくっとするから、そんな格好か?」
「……」
相手は答えない。
「答える気はなしか……無言で俺に威圧して、楽しいか?」
「……」
「ふん……楽しいんだろうな……」
フードをすっぽりと被った相手のその顔。その唯一覗く口元の歪みを目にして宗次郎は鼻を鳴らした。
宗次郎は応えない相手に向かって問いかけながら、考えろ俺――と口中に留まる程の更に小声で呟く。
「考えろ、俺……頭を巡らせろ……今の状況は――いったい何だ……」
グッと拳を握りしめながら宗次郎は相手を睨みつける。
「何故あいつは、俺を狙う……あいつの力は何だ……やっぱり熱か……ヤケドに水蒸気……全身防寒着……熱い力を使うから、暑い格好なのか……それは変だろ……じゃあ、顔を隠す為にか……千早の様子じゃ、知り合いに狙われるのはあり得る……それにしても全身あの格好って……いや、顔を隠すには好都合……やっぱり……」
宗次郎は己の考えを整理しようとしてか次々と頭を巡らす。
「……」
そして一次思考を停止させると油断なく目だけベンチに落とす。そこにあったのは買った時よりも冷えた缶ジュースだ。
「……」
宗次郎は一度目をつむった。
「お前の力が何なのか? 科学的でも何でもない俺には分かんねえよ!」
そして目を見開くとともに宗次郎は言い放つ。分からないと否定的な言葉を口にしつつもその目は力強く相手を射抜いていた。
「……」
その迫力に相手は一瞬虚を突かれたようだ。僅かに身を守るように後ろに体をそらした。
「ふん! こっちはしがない高校生! 魔法も科学も持ち合わせは、残念ながらねえよ! ましてや、てめえみたいに不思議な力は手に入れちゃいない! 〝俺は〟断ったしな!」
「……」
防寒具尽くめの相手は、その僅かに覗く口元を不快げに歪めた。
「千早をヤケドさせたり、池を沸かしたり! 随分と愉快な力をもらったみたいじゃないか? それでやることは、アレか? 逆恨みか?」
「……」
「ふん。答えたくないか? 口を開いたら、声から正体がバレるからか? だが残念――」
「……」
「お前の正体はもう分かったよ!」
「――ッ!」
「顔隠すなんて無駄だよ。いや、顔を隠すのがヒントだね。自分は顔見知りです――って、言ってるようなもんだもんな。まあ、じゃあどうすればいいかなんて俺には分からない。あえて言えば、最初から逆恨みすんな。そんな力に頼んなってところかな。なあ、ひ――」
「うるさい……」
「ほら、知った声だ――そうだろ! 氷室!」
「――ッ! るっせえ! 俺が氷室なら、何だってんだ!」
全身防寒具の相手は乱暴にそのフードを己の頭から剥ぎ取った。その下から現れたのは限界まで大きく見開かれた目と、その中で逆に小さく見える瞳孔だった。
そこに現れた顔は氷室零士だった。氷室はわなわなと怒りに震えて宗次郎に目を向ける。
フードに隠れてやや大きめに見えた身長が正確に判明する。氷室はその小さめの身長をさらして宗次郎に歯を剥いていた。
「はん! 『俺』だって? 何、強気になってんだよ? いつもは僕だろ?」
宗次郎の肩から少し力が抜ける。知らずに肩に力が入って少し上がっていた。その肩がひとまずは見知った顔が現れたせいか、宗次郎はこちらも無意識に肩を降ろす。
「うるさい! うるさい! それが何だ? 俺が俺って言ったら悪いのかよ!」
「ふん。千早の言ってた通りだなって、思っただけだ。ある意味、てめえは関係ねえよ」
「な……」
氷室の口元が痙攣するように震えた。
「力を安易に手に入れて、口調や人格が変わるってね。まあ、隠れていた本性が現れるだけだと思うけど。俺も、人のことは言えないだろうしな」
「……」
「で、何で俺を狙う?」
「はん! それは――」
「それは――俺が当てるよ」
氷室に皆まで言わせずに宗次郎が口を挟む。最初からそのつもりだったのか、相手に質問していながら実にスムーズに相手の言葉を遮った。
「なっ?」
「言ったろ? 俺は魔法も科学も持ち合わせちゃいない。だけど、この状況――やっぱり何か力になりたい。まあ、あいつらの為にな。俺はこう見えても記者志望でね。バカだけど。だからせめて状況把握ぐらいは、俺の仕事だと思いたい訳だ。で、この状況――」
宗次郎は更に全身から力を抜く。今度は意図してリラックスしようとしたようだ。最後は鼻から息を抜きながら、相手をじっと見つめて言い放つ。
「俺が羨ましかったんだろ?」
「――ッ! あ、ああん……」
氷室が威嚇に歯を剥いた。
「ふん、やめとけ。慣れないことは。言い切れてないじゃないか? 力を手に入れたからって、息巻いて。確かに今のままじゃ、好きな女に振り向いてもらえないものな?」
「な……」
「図星か? だから、俺を逆恨みしたんだろ? あいつとよくつるんでる俺を――」
「うるさい!」
氷室が宗次郎の言葉を打ち消そうとかそう叫び上げると、
「――ッ!」
ベンチに置かれたままの缶ジュースが内から爆発するように破裂した。