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五、招かれざる者 13

「ひとまずは……速水さんが言ってた敵は、あいつでしょうね……」

 雪野は公園のベンチに背中を深く預けると、緊張を一息にほぐそうとするように大きく息を吐いた。

「ああ。そうだろうな」

 宗次郎はベンチの脇に立ち、全身防寒具の人物が去っていった方角に目を凝らす。勿論そこにはもうその敵の姿はない。

「なら、安心だわ」

「何がだよ? そんな怪我させられておいて? 何を安心してんだよ?」

「向こうの狙いは私ってことよ。とりあえず花応とか、他の人じゃないって分かったことがよ」

 雪野はベンチに座りながら己の左手を右手でさする。華奢な右手の指の間から覗くのは、赤くなったいつもは白い雪野の肌だ。

「あのな……そういう自己犠牲みたいな精神はだな……」

 その様子に目を落としながら宗次郎が言いにくそうに口を開く。

「これは重要なことなの。ささやかれた人間は、猜疑心とか嫉妬心とかに呑まれて、感情を高ぶらせたままに理不尽な理由で他人を襲うわ」

「天草や、小金沢先輩のようにか?」

「そうよ。花応のような、生まれながらにして恵まれている人間は、何て言うか……狙われ易いわ……」

 雪野が奥歯を軽く噛み合わせてぎりっと音を鳴らした。痛みに耐えるそれではなく、嫌悪に雪野の眉が同時にひそめられる。

「それが、今度の敵は千早を狙ってるって?」

「そうね。生まれながらにして恵まれているのは、こんな力を持ってる私がある意味一番だもの。私の方を狙ってくれるのなら、万々歳だわ」

 雪野が鼻から空気をふっと漏らして苦笑した。同時に噛み合わせた歯を緩ませ、眉間から力を抜いた。

「そうかよ……」

「そうよ……」

「……」

 宗次郎が口をつぐんで雪野を見下ろした。雪野は左手に右手を添えたまま、ずっと前を見ながら話していた。そうすることによって、己の内面の痛みに耐えているようだ。

「痛むんだろ?」

「痛みぐらいわ仕方ないわ。でも、いつまでもこうしてられないっか……」

 雪野はようやく少し顔ごと視線を落とすと、ベンチからゆっくりと立ち上がった。

「大丈夫か?」

 雪野がベンチから立ち上がると、宗次郎が心配げに半歩身を寄せた。

「ええ……」

 先と同じく短い言葉で宗次郎に答えると、雪野がぐらりと一度左右に傾く。雪野はその場で踏ん張って耐えると体を真っ直ぐに伸ばし直した。

「あまり大丈夫そうには、見えないが?」

「大丈夫だって。直ぐに治るから」

 立ち上がった雪野は赤くなった左手を右手でさする。

「ホントかよ?」

「本当よ。お見せできないのが残念だけど、背中の傷だってそうなのよ。この間の天草さんと戦った時の傷も、もう治りかけてるのよ。花応がまだ右手の包帯とれてないってのに……ホント、こういうところだけは思い知らされるわね。私は普通じゃないって……」

「別に、お見せしてもらっても、俺は大歓迎だけど?」

 宗次郎がポケットからカメラを取り出して、これ見よがしに振ってみせる。

「こっちが、お断りよ」

「やっぱ普通じゃないか。それは普通の女子高校生の反応だよ」

「……」

 雪野は宗次郎の返しに不意に顔をそらした。

「なあ?」

 その雪野の横顔に宗次郎はもう一度カメラを振って呼びかける。

「ふん……まあ、もっとも。見せようにも、ホントに傷治っちゃってるから、見せるアレもないのよ。こっちのヤケドも、昔だったら直ぐに治せただけど。今は自然治癒任せってところね」

「『自然治癒』って、そんなに直ぐに治るのが『自然』かよ?」

 元より撮る気はなかったらしい。宗次郎はカメラをポケットに戻した。

「あはは。花応になら、不自然だとか非科学だとか言われちゃうわね」

「何かと言うと、花応花応だな。やっぱお前ら仲いいんだな?」

「そう? まあ、確かに。私も人とは距離を置く方だから。なんかこう――久しぶりに、本当に……その友達ができたような気がして……私も人のこと言えないのよ。ホントは、友達少ないの……」

「そうか? そうは見えないが?」

「そうよ。こんな力持ってるとね……嫌ね。ただの愚痴ね」

「言えばいいだろ? 愚痴ぐらい。誰も責めねえよ」

「そう? でも、今度にするわ。今日はありがとうね。お母さんが帰ってくる前に、家に帰って長袖に着替えるから。帰るわ」

「長袖? こんな陽気で暑い日にか?」

「こんなヤケド見られたら、何言われる分かったもんじゃないのよ。そこは我慢よ。じゃあ」

 雪野は右手で軽く別れの挨拶に手を振ると、カバンを掴んで小走りに走り出す。

「おう! 明日桐山ン家な!」

「分かるってわ! そうそう!」

 雪野が立ち止まり軽く振り返る。

「ん?」

「今日、二人っきりで会ってたのは、花応には内緒よ!」

「何を気にしてんだよ?」

「あんたの為に言ってやってんでしょ? じゃあね!」

 見えなくなる程小さくなりながら雪野が公園の井垣の向こうに消えて行く。

「何が俺の為だよ――たく……」

 一人取り残された宗次郎はそう呟くと、雪野が座っていたベンチに腰を降ろす。

「ぽかぽか陽気にでも、あたってから帰るか……」

 宗次郎はようやく座ったベンチに背中を預け、その鉄製の背もたれに頭ごと後ろにしなだれた。天を向いた宗次郎の顔にまだ陽の高い日中の陽気が降り注ぐ。

「つまりアレだ……天草や、小金沢先輩の例も考えるに――千早の敵は、猜疑心や嫉妬心が向けることが実質可能な人間……そう――必然的に身近な人間が敵に回る可能性が高いって訳だ……誰でも優しくしている優等生のように見えて、誰からも距離をとってたって訳か? 仲のいい人間が敵に回るなら、そりゃ距離も取りたいわな……」

 宗次郎は一人呟きながらポケットからカメラを取り出した。そのまま天を見上げた顔の前に片手で背面部のモニタを持ってくる。もう片方の手は伸びるがままにだらりと垂れさせた。

「さっきのヤツも。このカメラの中に写ってるかもしれない訳だ」

 宗次郎は片手で器用にモニタの中にデータを呼び出した。花応や雪野の学校での姿や、その他の生徒の姿が映った写真を次々と表示させる。

 宗次郎はその中の一つでデータを止める。そこには一人で窓際の席に座り、無愛想な顔で前を見ている花応の姿があった。その写真の右下隅に年度が始まってすぐの日付が表示される。

「……」

 宗次郎はその写真をしばらく見つめると、次のデータをモニタに表示させた。そこには机に突っ伏して寝ている速水の姿があった。

「実際〝ささやかれた〟って暴露する前の速水だって写ってるしな――ん? 冷た!」

 宗次郎が急に驚いたようにベンチから身を起こす。同時に何かに触れて驚いたのか、だらりと下げたままだった方の手を慌てて引っ込めた。

「何だ? あ、千早のヤツ。せっかく俺のおごりのジュース。結局飲んでねえじゃねえか。敵のアレで、忘れやがったな」

 宗次郎はベンチから身を起こすと、その脇にポツンと置かれていた缶ジュースに目を落とした。それは雪野が手でもてあそぶだけで結局口をつけずにいたジュースだった。缶を開ける前に戦闘になりそのまま置き忘れたらしい。

「たくっ……せっかく冷えてたのに――なっ……」

 宗次郎はその缶を掴むと息を呑んで固まった。

「何だ、コレ? 買った時により、キンキンに冷えて……」

 宗次郎がその缶ジュースを持ち上げると、

「――ッ!」

 その背中に人影が落ちた。

「しまった! 狙いは――」

 宗次郎が跳ね上がるようにベンチから立ち上がり、

「俺か?」

 目の前に立つ全身防寒具の敵から飛び退いた。

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