五、招かれざる者 5
「おや、何か用ッスか?」
速水颯子は不意に立ち止まる。肩に担いだカバンもそのままに颯子は後ろを振り返りもせずに口を開いた。
下校の生徒が急に立ち止まった速水の脇を避けて流れて行く。校舎を出てすぐの道路大通りの歩道に、高校生達が流れる小川の水面のような人の波を作っていた。速水はその川面に突き出た岩のように人の流れを左右に分けて立ち止まる。
「おう。元より尾行は気づかれると思ってけど、逃げないでくれるとはありがたいね」
後ろにピタリとついて来ていたのは勿論宗次郎。宗次郎はその歩みをやや緩めて速水の後ろに近づいてきた。
「いつでも振り切れるッスからね」
速水が細い目を更に細めて振り返る。
「めちゃくちゃ〝速く〟だな?」
宗次郎はその目に臆せず見つめ返した。
丁度洋喫茶店の前で立ち止まった二人。その店の前には店内で供されるケーキが冷蔵ケースに飾られていた。二人の横をそのケーキのショーウインドウに喚声を上げながら女子生徒が通り過ぎて行く。
「そうッスよ。で、何の用ッスか?」
「そうだな。ひとまずは、ちょっかい出してこないかどうか心配だったんでね。後つけさせてもらった」
「そんな暇人じゃないッスよ」
「それと、あれこれ勘ぐるより、直接聞いた方が早い気がしてな」
今度は宗次郎が目を細める。
「『勘ぐる』ッスか?」
「ああ。速水は結局敵か味方か、直接聞いた方が早い。そうだろ?」
「ふふ。こっちが決めていいんッスか?」
宗次郎の問いに速水の口角がくいっと上がる。不敵な笑みを浮かべた速水は目もやや上目遣いにして宗次郎を見上げる。
「どうだろうな。少なくとも速水がどう思ってるかは、俺は興味があるね」
「あはは! 河中は千早さんとは違うッスね! 自分が敵じゃないと、あの娘は困るッスもんね! ささやかれた人間は敵! 千早雪野にとってはそうッスもんね!」
「別に、千早はこの際関係ない」
「なるほどッス。だったら、立ち話もナンッスから。お茶でもしてくッスか?」
速水がくいっとアゴだけ動かして目の前の喫茶店を指し示した。
「そんな金ない」
「あはは! カッコ悪! 女の子お茶誘われて、お金ないからって断る河中カッコ悪いッス! まあ、お金ないのは、お互い様ッスよ! こっちはいいッス! でもそっちは、いいんッスか?」
「何がだよ?」
「いつまでも、こんなところで立ち話してると、彼女さんに見つかるッスよ」
速水が体を横に軽く折り、宗次郎の背中の向こうを見やる。
「ん? 誰が――」
「誰が彼女よ?」
不思議そうに振り返った宗次郎の後ろに、いつの間にかカバンを手にした花応が立っていた。
「桐山? と――」
その花応の少し後ろに背の小さな男子の姿も見えた。氷室零士だ。
「氷室?」
「そうよ」
「や、やあ。河中くん」
氷室ははにかんだ笑みで宗次郎に答える。
「何でお前ら一緒に居んだよ?」
「そんなのこっちの勝手でしょ?」
「校門出たところで、ばったり桐山さんに遭ってね。帰る方向一緒だし。少し並んで歩いてただけだよ」
氷室ははにかみの笑みに困惑の空笑いを加えて慌てたように続ける。
「千早じゃないけどな――」
宗次郎は花応の制服の裾を引っ張り、その顔を相手の耳に近づけた。宗次郎は花応の耳元に小声でささやく。
「誰に狙われるか、分からないだぞ……危ないだろ……」
「危ないのは、あんたでしょ……」
「何でだよ……」
「速水さんに、自分から声掛けてるじゃない……」
花応がチラリと視線だけ動かして速水を見る。速水は特に気にした様子もなくそんな二人を見ていた。
「俺は取材の為なら、少々危ない目に遭ってもいいんだよ……」
「あんたがよくって、何で私がダメなのよ……」
「そりゃ、お前……狙われたりしたら……」
「何で、氷室くんが私を狙うのよ……」
「そりゃ、お前……」
「それとも何……氷室くんが私〝狙い〟だと。あ、あんた、こ、困るんだ……」
「はぁ! お前、何言って!」
花応の最後の一言に、宗次郎は弾かれたように身を起こし急に声を荒げた。
「痴話喧嘩ッスか?」
その様子に速水がにやけた笑みを向ける。
「はぁ?」
「違うわ!」
「そうッスか?」
「そうだよ!」
「そうよ、違うわよ! ふん! 氷室くん、行こ!」
花応は両肩を一つ怒りに上げると、宗次郎と速水の横を抜けてすたすたと歩き出す。
「あ、おい!」
「知るか! ついてくんな!」
「う、うん」
怒りに振り返りもしない花応の後に速水が続く。その顔にはこの騒ぎに困惑の愛想笑いを浮かんでいた。
「ふぅん……そんな顔もできるッスね……」
そんな笑みを向けて己の隣を通り過ぎる氷室に、速水が細い目の奥を横目に光らせる。
「何? 速水さん」
その視線に気づいた氷室が笑みを向けてくるや、
「別にッス」
速水はにっと歯を剥いて快活でありながら挑発的な笑みを向け返した。