五、招かれざる者 3
「いい? 花応? 休憩時間にも言ったけど」
お昼の休み時間。雪野はずいっと顔を突き出した。そのまま視線をチラリと動かし、廊下際の最後列の席を睨みつける。
雪野は今日のお昼休みもやはり花応の前の席に来ていた。窓際の花応の席の前に後ろ向きに座りその机の上に自分の弁当箱を拡げている。
「はいはい。何度も聞いたわよ」
花応はお弁当のおかずの最後の一口を食べるところだったようだ。あむと口の中に放り込むとお弁当のフタに手をかけた。
「もう。真剣に聞いてない」
「聞いてるわよ。気をつけろって、言いたいんでしょ?」
花応はお弁当箱のフタを閉めると両手を合掌の形に合わせて目をつむる。その姿はいかにも相手の話を右から左に聞き流している澄まし顔にも見えた。
「聞いてない。ホント、注意しないとダメなんだからね」
そんな花応の様子に雪野はムッと眉間に皺を寄せる。同時にもう一度ずいっと顔を寄せた。
その雪野の前のお弁当箱は空になった花応とは対照的にまだまだ食べ残しが入っている。
「ジョーもちょっかい出されそうだったし。やっぱり危険なの」
「あのバカは自業自得よ。すぐ帰んないから、人に目をつけられんのよ。てか、そんな心配してるヒマあるなら、ちゃんとお弁当食べなさいよ。さっきからしゃべってばかりで、全然進んでないじゃない」
「む……だって……」
「そんな調子じゃ、お昼までに食べ終わらないわよ」
「むむむ……」
雪野は卵焼きをお箸でつまみ上げると渋々といった感じで口に運んだ。雪野はそのままお箸を口にくわえたままにし花応を上目遣いに見つめる。
「なんて顔してんのよ」
「花応が人の話を本気にしないから、目で訴える」
「だからってそんな顔しても、知らないわよ。それに実際――」
花応はそこまで口にすると先程雪野が覗いた教室の一角をチラリと見る。
そこは教室の廊下側の最後列の席だ。その席で女子生徒が一人机に突っ伏して昼寝を決め込んでいる。細い目を幸せそうに更に細めて眠る速水颯子だ。
両腕を枕にし、己の二の腕をしっかりと握って安眠体勢を整えている。無警戒にもその寝顔を教室の側に向け、速水はいびきをかきそうな勢いで胸を上下させていた。
「当の速水さんが、ぐーぐー寝てんじゃない」
「あれはもしかしたら、私達を油断させる為に……」
雪野ももう一度振り返る。だが速水の寝顔は何処から見ても熟睡しているようにしか見えない。
「『私達を油断させる為に』――自分が油断の限り爆睡してるっての?」
「う……」
「あれは、次の授業まで起きそうにないわね」
「ふん! ふんふんふん!」
雪野はすねたように鼻を鳴らすと、お弁当の残りをリズミカルに口に放り込んでいった。
「おお、何だ? 食わないなら、分けてくれって言おう思ったのに。凄いラストスパートだな。体によくないらしぞ。そういう食べ方は」
そんな雪野の後ろから男子の声が投げかけられる。
「ふるはぁいはぁね、ふぁたしのふぁってでしょ?」
雪野が思い切り膨らませた頬で振り返る。その口中から出た声はまともな音声になっていなかった。
「何だ、千早? その膨らんでる頬は、お弁当のせいか? それとも不機嫌のせいか? 随分とご機嫌斜めだな」
それでも後ろに立った男子――宗次郎には通じたようだ。宗次郎は呆れたように花応と雪野の両方を見下ろす。
「あんたの方こそ。お弁当も食べずに、何処行ってたのよ?」
花応が呆れたように眉間に軽く皺を寄せて宗次郎を見上げる。
「よくぞ聞いてくれた、桐山。ああ、ちなみにお弁当は二時間目に食べた。心配ご無用」
「知らないわよ。あんたの昼食時間なんて」
「いや、腹減ったから二時限目に食べたんだが。そしたら今度はお昼が強烈に腹減ってな。残ってんなら分けてもらおうと思ったんだが」
「そんなこと言いの来たの? あんたは?」
「いや、それでな……小金沢センパイの教室覗きに行ったんだが……」
「小金沢センパイ? 来てるの?」
口中のお弁当をごくんと一口で雪野が飲み干した。
「いや、まだ休んでるって。余程の怪我か、精神的に出てくる気にならないかだな」
「そう……」
「別に。雪野が気に病むことじゃないわよ」
思わず目を伏せた雪野に花応が唇を尖らせながらぷいっと横を向く。
「まあ、そうだろうな。そこまでやったのは、千早じゃない。もしかすると……」
宗次郎はそこまで口にするとチラリと視線を横に移す。勿論見たのは廊下側最後列だ。
「もしかしなくても、あの娘がやったんじゃない?」
「桐山。人を疑うのは、よくないぞ」
「あんたが、最初に疑ったんでしょ?」
「そうか? そうだな。ところで、氷室見なかったか?」
「氷室くん? さあ? よく考えたら、席も知らないわ。いつも何処座ってんの?」
宗次郎の言葉に花応がキョロキョロと教室中を見渡す。そこに小柄な氷室の姿は見当たらなかった。
「あいつ存在感薄いからな。実を言うと俺も知らね」
「もう」
「真ん中の後ろから二列目よ」
雪野が花応に代わって答える。
「そう。相変わらず、人のこと何でも知ってんのね」
花応が呆れたように呟き、宗次郎と二人してその席に目を移した。
そこはあったのは無人の席。
お昼休みの喧騒にただそこだけ取り残されたように、空白の席がポツンとそこにはあった。教室の賑わいにそこだけ穴が空いたようにも見える。
「珍しいわね。花応がクラスメートの名前知ってるなんて」
「昨日たまたま遭ったのよ。向こうから言われるまで、クラスメートだって気がつかなかったけど」
「ふーん。花応らしいわ」
「放っときなさいよ。で、氷室くんが何?」
「いや、別に。じゃ」
宗次郎はそうとだけ告げると手を軽く上げて花応の席を離れた。
「何よ、あいつ?」
「さあ?」
花応と雪野は去っていく宗次郎の背中をいぶかしげに見送る。
そして流石の雪野もその背中に気を取られたのか、
「……」
細い目をすっと開けてこちらをうかがっている速水の視線に気がつかなかった。