五、招かれざる者 1
「ふふん」
ショートの髪の上機嫌に揺らし、科学の娘を自称する少女――桐山花応はカバンを机に放り出した。
まだ低い角度から差し込む陽光が眩しい朝の教室。その窓際の席で花応はイスを引いて鼻歌まじりに席に着く。
「何だ、桐山? 機嫌よさそうだな」
その横に新聞のエースを自認する男子生徒――河中宗次郎が、カメラをこれ見よがしに構えて寄って来た。
「何よ?」
「別に。普通の取材活動」
宗次郎は軽蔑の半目を向けてくる花応をカメラ越しに覗き、接写を試みんとばかりにぐっと近づいてくる。
「あんたね。珍しく遅刻してないかと思ったら、何朝からバカなことやってのよ」
花応がカメラのレンズごと宗次郎の顔を押し退けた。
「別に俺だって、普通に登校することはあるさ。流石に毎朝バ――」
花応に押されるままに上半身を後ろそらす宗次郎は途中で自ら口をつぐんだ。
「『ば』? ば何?」
「バババ――バカみたいに遅刻しない」
宗次郎は花応の手に覆われたシャッターを、何かを誤魔化すかのように無駄に切った。
「実際してるじゃない。今日が珍しいってだけで、いつも遅刻でしょ?」
「そっちこそ、珍しく一人だな。まだ千早とケンカしてんのか?」
宗次郎がようやくカメラを脇にどけた。レンズの後ろから現れた宗次郎の顔の真ん中で呆れたように鼻が一つ鳴らされる。
「『ケンカ』? 別にケンカなんかしてないわよ」
ふんとこちらは不機嫌に鼻を鳴らし、花応はアゴに手を着いて窓の外にぷいっと顔を背けた。
「そうか?」
「そうよ」
花応は宗次郎に振り返らずに即答する。
「まあ、いいけどな。今日は千早は?」
「部活。朝練だって。そこまでして、部活って楽しいもんなの? てか、演劇部に朝練って必要なの?」
そらしたまま見るとはなしに窓の外を見ていた花応がそのまま校門前を見下ろした。校舎の外周をランニングコースにした生徒がその前を丁度走り去っていく。
「ウチの演劇部は体育会系ってよく聞くけど。体力勝負の部活だし、朝練ぐらいするだろ? で、桐山は仕方なしに、今日はペリカンと一緒に登校か?」
「別に『仕方なし』ってことはないわよ。てか、何で知ってるのよ?」
「千早が心配してたからな。それぐらいペリカンに、やらせてると思ったんだよ」
「ふん。お陰で久しぶりに、一人道通って学校来たわ」
「『一人道』? 何だそりゃ?」
「別に。朝から一人になれる素敵な通学路よ」
「そうか。まあ、あんなペリカン横に連れてりゃ、そりゃ普通の道は通れないわな」
宗次郎が花応の上から窓の外を覗き見た。カメラを構え直しその折り畳まれていた望遠をズームに伸ばし出す。
「『あんな』?」
ぎょっと目を剥き花応が宗次郎のカメラを見上げる。
「ああ。まだそこに居るぜ。ペリカンのヤツ」
カシャリと一つシャッターを切ると、宗次郎はカメラを花応に手渡した。
「あいつ……とっとと帰れって、言っといたのに……」
宗次郎からカメラを受け取った花応は、苦々しげにその背面のモニターに目を落とす。そこには校門の扉の鉄さくに隠れ、その隙間からこちらを窺うペリカンの姿が写っていた。
花応がカメラから目を校門に戻した。よくよく見れば登校する生徒は皆、一様に校門の向こうに驚いたように目をやっている。
大げさに飛び上がる男子生徒に、友達通しですがりつき合う女子生徒。皆が一はしゃぎしてから校内に入ってくる。
「もう! 皆、驚かしてるじゃない!」
そんな校門の状況に花応が窓から身を乗り出した。そしてスカートのポケットに手を入れるや携帯を取り出す。
「……」
そして花応が始めたのは携帯のモニタとのにらめっこだ。
「どうした、桐山?」
「昨日……ジョーのやつ。ウチの家の電話、勝手に取ったらしいのよ……」
「それで?」
「それで、ジョーに自分用の携帯持たせたんだけど……」
花応が自慢の吊り目を寄りに寄せてモニタを見つめる。
「ペリカン名義でか?」
「違うわよ。名義は私に決まってんでしょ? で、お店の人にこっちの携帯に番号登録してもらったんだけど……」
「かけ方が分からない?」
「思い出せないだけよ」
花応がぐぐぐと携帯を握り締める。左手で握り締めた携帯のモニタの上に、花応は包帯を巻いた右手の指を無為に浮かべ続けた。
そんな花応の向こうで校門前には人だかりができ始めていた。
「そうか。早く思い出さないと、ペリカンのヤツ。調子に乗り出し始めるぞ」
「うるさい。今かけるわよ。どれよ? どれ押すのよ?」
花応の指先がぷるぷると震え、モニタの上でただただ揺れる。
「これだろ。ほんで、これ」
宗次郎がそんな花応の後ろから手を伸ばし、口ぶりも手振りも軽く携帯の上に指を走らせる。
「何で、あんたの方が詳しいのよ」
「普通、少し見れば分かる」
「ふん! ああ、ジョー! あんた、分かってんでしょうね?」
花応が周りの目を気にしたのか口元を覆い隠し、小声ながらも強い口調で携帯の向こうに話し出す。
「何が、『分かってるペリ』よ! 全然分かってないじゃない!」
「ペリカンのヤツ。あの人だかりで携帯取ってんのか? 余計に目立つな、こりゃ」
小声で怒鳴る花応の背中と校門の向こうを交互に見やる宗次郎の背中に、
「おはよう。桐山さん」
一人の男子生徒が声をかけてきた。
「ん? 氷室? 『おはよう』って、お前。桐山と仲良かったっけ?」
宗次郎が振り返ると背の低い男子生徒がはにかんだように笑みを浮かべて立っていた。
「うん。昨日少しね。でも取り込み中みたいだね」
その低い男子生徒は昨日花応が店で会った氷室零士だった。
「じゃあ。桐山さん取り込み中みたいだし」
氷室は尚も携帯の向こうに怒鳴り続ける花応に視線だけ向けながら後ろの席へと歩いていく。花応は氷室が近寄って挨拶したことにも気がついてないようだ。
「おう、じゃあな……」
宗次郎が氷室の背中を見送る。
「桐山に、わざわざ挨拶ね……」
宗次郎がそう呟いて花応の顔を見下ろすと、
「何よ?」
ようやくジョーを説き伏せたのか、その花応が携帯を耳から話して見上げ返してくる。
「別に……」
宗次郎は無意識にかすっと視線をそらして無愛想に応えると、
「せっかく早く来たんだし、怒られる前に席に着いとくよ」
花応に後ろ手に手を振りながら自分の席に戻っていった。